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01:魔女見習い、捕獲される

 目の前には、思わず目が眩んでしまいそうなくらい華やかな景色が広がっている。そして後ろには、真っ暗闇。

 メアリはその華やかな景色に息を呑みながら、柔らかなカーテンに身をうずめていた。といってもそのカーテンは品の良いハシバミ色で、今の彼女の格好は真っ黒なフード付きローブ姿である。いかにも場違いだ。しかしそれでもここにいる身分の高い人たちに見つからないのは、背後が同じく真っ黒であることと、このような皆が浮き足立つ日にこんな隅に注意を向ける人などいる訳もないことが功を奏していた。

 メアリは見つからないうちにこの場から立ち去りたい一心で、例のブツを探す。それが目に入った時、その顔には思わずといった微笑が漏れる。自然にニヤける頬を抑えながら、辺りを見回す。


 ――よし、誰もいない。


 メアリは、小さな声で風の呪文を詠唱し始めた。まだ見習いという身分であったが、彼女は歴とした魔女である。初歩の風の呪文は一番のお得意だ。


 呪文の焦点を当てるため、メアリはテーブルへと目を向ける。そこには普段のメアリには届かないような料理が数多く鎮座しておられたが、彼女の狙いはただ一つ。今日のメインディッシュであろうあの肉料理である。名前は知らない。


 距離があるこのテラスからでも最高級の香りがメアリの鼻孔をくすぐる。例年、目当ての肉だけを運ぶのだが、今年は誰かが忘れて行ったのか、ご丁寧にお肉はもちろん、サラダやらポテト、果てはデザートまで大皿に添えられていた。今年は豪華にいくか、とメアリはにんまりと笑う。


 呪文を継続したままで皿を持ち上げたが、その見た目に反せずな重みで少々苦戦した。しかしここで落とすわけにはいかないと、カーテンの影で踏ん張る。


 その結果、多少上下はするものの美味しそうな香りを漂わせている皿がだんだんとこちらに飛んできてその正体を現す。肉料理の正体は、赤ワインで煮込んだステーキのようだ。未成年のため赤ワインは嗜んだことはないが、王室に務める料理長が作ったのだから、美味しいに決まっている。

 

 ああ、至福の時。


 しかしそんなメアリと彼(肉)の間を遮るようにして一つの影が立ちはだかった。一瞬、停電という言葉が浮かぶ。しかしそんな中でもお肉を引き寄せる風は休めない。ここで風を休めてしまったら、彼の末路は悲惨なものになってしまう。


 めげないメアリだったが、不意にお肉を引き寄せている感触がなくなった。落としてしまったのかと危ぶみ、メアリは体を強張らせる。そしてその時、頭上から降ってくる声。


「何してるんだ、こんなところで」


 恐る恐る顔をあげると……暗くてよく見えなかった。しかし目の前の影が、人だということは理解した、嫌々ながら。そしてすぐさまメアリの頭は回転する。


 ――まずい、盗んでる所を見られた。でも盗むっていっても、それなりの代金は毎年テラスに置いているのだから、これは立派な等価交換だ、うん。でも不法侵入の追求からは逃れられないな。 よし、逃げよう――。


 メアリは瞬時にそう判断し、愛するお肉と少年に背を向けてテラスを飛び越えようとした。しかしその寸前で彼に肩を掴まれる。


「おい、忘れ物だ」


 そう言って差し出されるお肉が盛り付けられた皿――。


 うっ、喉から手が出るほどほしいっ! 


 しかしメアリが手を伸ばした途端、衛兵でも呼ばれたら大変だ。今回はひとまず引くしかない。


「ななな、何のことでしょうー? わたしのような者が、そんな高級そうなお肉を頂くわけがありませんよ。では、わたしはこれで」


 テラスの手すりに手を伸ばすその手を、なおも少年は掴む。


「君、不法侵入だよな?」


 ダラダラと冷や汗が流れる。しかしそんなことはおくびにも出さずに、見上げる。


「……あはは、嫌ですねー、わたくしめは、今日のために呼ばれた、下働きでございます。ちょっとカーテンのほつれを直していただけですよ。では、お仕事に戻りませんと」


 ダラダラと流れる冷や汗をそのままに答える。


「下働きがなぜそんな格好してるんだ?」


「わたくしめは、自分の正装も持っていないんです。だから、この服装で仕事をするしかなく――」

「君、魔女だよな?」

「はえっ?」


 思わず変な声が出てしまったが、今はそんなこと構ってられない。


「ひ、人の言葉を遮って何を言うかと思えば、面白いことを言いますね。わたしが魔女? そんなおとぎ話にしかいなさそうな――」

「俺はこの肉が宙に浮かんでる所を見た」


 ひっ、と喉の奥で変な音が鳴った気がした。そのままメアリは引きつった苦笑を浮かべる。


「みみ見間違いではございませんか? 誰かが落としたこのお肉が、勝手に飛んでいるように見えたとか」

「しかし俺は、毎年君がここに来て肉を盗んでるところを見かけてるんだが」

「ぬ、盗むだなんてっ! 盗んでなんかいません! ちゃんと代金は払ってますよ!」

「知ってる。そこの手すりにいつも置いてるよな」

「だ、だったら――!」


 真っ赤な顔で見上げると、底意地の悪そうな顔でニヤニヤと笑っている顔が目に入る。やられた、と考える間もなく、メアリの頭には次の計画が立ち上がった。


「はいはい、そうです。確かに毎年わたしはここでお肉を頂いてました。でも毎年きちんと代金を置いているのはご存知なんですよね? だったら、話は早い。勝手にお邪魔して申し訳ありませんでした。もうしません。――ではこれで」


 一気に言ってのけると、今度こそ彼の腕を振り払って、手すりを飛び越える。危険だとか、そんなのは今は構ってられない。長居すると、それこそ不法侵入で捕まってしまうかもしれない。メアリの頭の中には、衛兵にではなく、己の師匠にお仕置きされている姿がありありと目に浮かんだ。


 身を切るような寒さの中、風の呪文をクッションにして芝生に降り立った。そうしてようやくほっと息がつけた、はずだったのだが。


「――ちょ、なんで追いかけてくるんですか!」

 いつの間にやら少年はメアリの横を並走していた。思わず自分の足の遅さを呪う。少年は不敵な笑みで笑った。


「君、代金足りてないから」

「――は?」


 思いもよらない言葉で一瞬頭が真っ白になった。だ、代金?


「この肉、君が毎年律儀に置いてたぐらいの価値じゃないから」

 流れる沈黙。


「……あのお肉、どれくらいするんですか?」

「君が払ってた二倍分だ」


 少年の言葉が、メアリの思考に届くや否や、すぐさまそこで計算が行われた。――わたしは、何年ここに通ってた? 八年くらいは通ってた気がする。じゃあ、わたしが払ってた銀貨五枚分、そのまま八年で換算すると……かんさんすると……四十枚!! 四十枚も足りてないってこと!?


「あ、計算できる?」

「できますよ!」


 少年の言葉に憤慨しながらもメアリの足は止まった。魔女たるもの、人様の役に立つことはあれど、犯罪や人を貶めるようなことはする勿れと厳しく教えられてきた。メアリもその考えに感銘を受け、決してそのようなことがないように妖術もめったに使わなかった。にもかかわらず、唯一妖術を使うこの日に限って犯罪を犯してしまうとは……。メアリは真っ白な頭の中に、師匠にお仕置きをされている自分の姿が浮かび上がった。


 ああ、そうか、これが走馬灯というものなのか。


 思い出すのはメアリが今までに受けたお仕置きばかり。なんで楽しいことは思い浮かばないのかなあと何だか空しい気持ちになる。


「どうする? このまま衛兵に君を突き出してもいいんだが」

 思考が大混乱を起こす中、チラッと彼を見上げるが、暗くてよく分からない。


「――代金はいずれ必ず払いますから」

 長い沈黙の末、解決策を練り出す。


「ですから、わたしを捕らえるのは勘弁してくれませんか? 必ず払いますから」


 魔女が捕まったとなれば外聞は当然悪くなる。せっかく昨今の皆の行いのおかげで悪いイメージが払拭されかけているというのに、わたしのせいでまたどん底に突き落とすわけにはいかない。

 しかし少年はメアリの必死の思いつきも鼻で笑った。


「そんな口約束じゃあな。それに代金のほかに、不法侵入の件もある」

「うっ……」


 それを言われてしまっては堪らない。メアリは一計を案じて、同情を誘う涙目で少年を見つめてみた。しかし、しばらくして逆光のせいで相手には見えていないと気づき、力なく落胆する。その調子のままでふと疑問に思ったことをぶつけた。


「あなた、さっき毎年わたしがお肉を頂いてるところを見てたって言ってましたけど、なんで見逃してたんですか?」


 彼はしばらく逡巡したのち、ニッコリ笑って言った。


「なんとなく」

 なんとなく、でわたしは今まで生きながらえていたのか。


「……じゃあなんで今年は見逃してくれないんですか」

「なんとなく」

 だんだん腹がたってきた。


「今までなんとなくで見逃してくれてたのなら、今年も見逃してもらえませんか? 代金はきっと払いにきますから」

「そう言って支払いを先延ばしにする人間は大勢いるんだぞ? 挙句の果てにはそのまま逃げるわけだ」

「わっ、わたし! そんなことしません!」


 あまりの言い様にさすがのメアリも口調を荒げる。代金が足りていなかったとはいえ、今まで律儀に置いてきた代金ですらなかったことのようにされているようで腹が立った。


「じゃあ……じゃあ! これ! これわたしの分身みたいなものですから預かってください! この分身のためならわたし、あなたがどんな所にいても絶対に払いに行きますよ!」


 そう言ってメアリが自信満々に差し出したのは、彼女がさっきまで着ていたローブ。そう、脱ぎたてほやほやのローブ。


「おい、馬鹿にしてるのか」

 思わず低い声を絞り出す少年の気持ちも分からなくはない。


「してませんよ! いいから受け取ってください!」

 メアリは持っていたローブをギューッと少年に押し付けた。対する少年は、引きつった笑いを浮かべる。


「質は借金と同じくらい価値のあるものでないと意味がない。君のこれ、全然価値がありそうには見えないんだが」

「あ……ありますあります! た、確かにお古ですけど……でもわたしにとっては大事なものなんです! だから支払いにきます!」

「い、いや……君にとっての価値は関係ないから。これはいらない」


 ……メアリの分身は無下に返された。仕方なしに再びローブを羽織った。ちゃっかりフードも被る。その様子を黙ってみていた少年は、軽くため息をついた。


「要するに君の罪状は過去八年間分の支払い不足と、不法侵入ってわけだ。不法侵入の件は見逃すとしても問題は金の方だ。もしも今、八年分の支払いができないというのなら――」

「ふっ」


 その時、メアリの頭に閃いたものがあった。


「どうした?」

「あなた、何か勘違いをなさっているようですが、わたしは今日初めてここに侵入してお肉を頂こうとしたんですよ?」


 突然の言葉に少年は一瞬呆気にとられたようだが、すぐに気を取り直す。


「今更言い逃れか」

「いいえ、違います。わたしは今日初めて侵入したんです。そうなるとお肉の代金は追加で銀貨五枚払えばいいんですよね?」


 メアリの財布事情はこの支払によって寂しいものになるが、捕まるよりはましだ。ナイスな思いつきに、メアリは得意げになるのを必死で堪える。


「――俺はずっと前から君がここに侵入して肉を盗んでいたところを見ていたんだぞ。証人は俺だ」

「なるほど。あなたが証人だ、と。しかし衛兵にもこのことを伝えるのですか? 毎年わたしが盗みを働いていたところをあなたは黙って見逃していた、と」


 勝ち誇った笑みを浮かべる。ちょうど、会場の光が差してくるこの位置では、少年の顔がよく見える。次第に彼の顔は絶望に……染まらなかった。


「ああ、なんだ、そんなことか」

 絶望どころか人の悪い笑みを浮かべている。


「衛兵はこのことを知ってるぞ」

「うえっ?」

 思いもよらない言葉。


「ど、どういうことですか!」

「俺が言ったんだよ、彼らに。可哀想な乞食がいるから見逃してやってくれって」

「こっ、乞食ですと?」

「君が初めてこの王宮に侵入してはや八年、思えば俺はずっと生暖かい目で見守ってやっていたのに、君はそんなことを言うのか……。恩知らずな奴だな」

「うっ……。で、でも……」

「まあ、見逃してやってもいい。ただし、条件があるがな」


 うじうじとしていたメアリに一つの光が差した。しかしそれでも諸手を上げて歓迎するわけにもいかない。この意地の悪そうな少年が条件……?


「じょ、条件って何ですか?」

 少年は不敵に笑う。

「ある頼みごとがあるんだ」

「……? それは何ですか」


 条件やら頼み事やら面倒な言い回しをする少年。次第にメアリは気が急いてきた。

「いや……まあ、な」


 にもかかわらず少年は突然歯切れが悪くなった。先ほどまでの尊大な態度がすっかりなりを潜めている。メアリは思わずにんまりと笑った。そのままくるりと背を向ける。


「言えないならいいんですけど。じゃあわたしは帰りますね。代金は後ほど払いま――」

「おいっ、待て!」

 残念ながらメアリの作戦はうまくいかなかった。すぐに少年に腕を掴まれる。


「誰が帰っていいって言った? お前は犯罪者だろ?」

「はは犯罪者!? 話飛躍しすぎてません!?」

「支払い渋ってる時点で十分犯罪者だろうが」


 呆れたように少年は言葉を吐いた。

 た、確かにその通り……? うん、いや、そうなんだけど……!


「よし、ここじゃ誰かに聞かれるかもしれないから移動するぞ」

「え、移動ですか?」


 一人納得したように頷いた少年は、そのままメアリの腕を掴んだまま歩き始めた。

 確かに周りに聞かれたくないという話もあるのかもしれない。かもしれないが、この強引さ、そしてこの意地の悪いことでも考えていそうな表情。


 悪いことしか思い浮かばないメアリだった。

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