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『好きなの。あの人が好きなの』


 暗闇の中で声が響く。ああ、なんだ。またお前か。

 暗い世界でも、それのいる場所はすぐに分かる。だって、少し焦げた部分があるとはいえ、真珠色の髪が光っているのだから。


『ずっとあの人が好きなの。あの子が大事なの。あの人達が大切なの』


 泣きながらしおらしく言っても駄目。お前の顔で泣いたって、儚くも切なくもならないよ。まるで豚みたいに不細工だ。可愛い女の子が泣いたら胸を打たれるかもしれないけど、僕はこの女の泣き顔を見ても憐れみ一つ湧いてこない。

 だったらなんで火をつけたり、毒を持ってたりするんだ。


『だから』


 俯いていたそれが(あぎと)を開く。


『お前を殺す!』


 だからの先が繋がってない!

 それは金切声をあげて僕に飛び掛かり、女の腕とは思えない力で僕の首を絞める。必死にもがくけれど女の力は緩まない。みしりと嫌な音がする。女の指か腕の骨が軋んでいるのだ。

 そうか。自分の骨が折れても殺したいほど、僕が憎いのか。

 そうかそうか…………。





「なんで!?」

「フェイ様!」

 ここ数日で聞き慣れた声が僕を呼ぶのと飛び起きたのは同時だった。

 寝起きに叫んだから思いっきり咽る。喉にいがらが詰め込まれたみたいだ。

「僕が一体何をしたって……」

 喉を押さえて咽る僕の背を支えて、ロイヴァルが果実水を持たせてくれた。

「ありがとう、ロイヴァル」

 起きてすぐに、自分以外の誰かが飲み物を用意して渡してくれるなんて贅沢だ。気が利く同居人に礼を言って受け取ったそれは、指を滑りぬけてするんと落ちていった。

「あれ?」

 手がぶるぶる震えている。そうか、悪霊に首を絞められた恐怖は、自覚がなかっただけで、確実に僕の身体を蝕んでいたのか。

 せっかく用意してくれた飲み物を落としてしまった僕に、ロイヴァルは怒ったりしなかった。彼は本当に優しい。粗相をしたらぶったり、食事を抜きにしたり、何もしてないけどぶったり、何もしてないけど雪の中外に追い出したりしない。目が合ったらぶったり、くしゃみをしたら蹴ったりしない。熱が出たら舌打ちしてぶったり、役立たずだって怒ったりしない。

 ロイヴァルは穏やかに笑って、すぐに入れ直してきてくれた。

 そして、今度は両手で持たせた僕の手を包んで一緒に持ってくれる。熱を出した時、いつもこうやって助けてくれる人達がいた。それは家族だったり、皆だったり様々だけど、誰も彼もが優しくて。苦い薬を飲んだら、寝る前だけど甘いお菓子をくれた。砂糖菓子みたいに甘やかしてくれるから、風邪をひいても実はちょっと嬉しかったといったら、あの人達は怒るだろうか。


「ありがとう、ロイヴァル」

「いいえ、おはようございます」

 手がぶるぶる震えるなんてアル中みたいだ。いやぁ、失敗失敗と笑いながら、鞄から小瓶を取り出す。喉の調子を確かめるために鼻歌を歌いながら蓋を開けようと試みるも、手が震えていてうまく開けられない。ロイヴァルは飲み終わったコップを持ったまま、じっと僕を見ている。そんなに見られると余計に焦るんですけど。

 案の定、僕は小瓶を取り落とした。寝袋でワンクッション置いて、割れずにころころと転がっていった小瓶は、ロイヴァルの足に当たって止まる。ハンカチを取り出して包み持った彼は、そのまま懐にしまいこんだ。そして、濡れたハンカチで僕の手を拭く。それくらい自分で出来ると言っているのに、彼はいつも僕を子ども扱いする。


 彼と同居を始めて早三日。つまり、自宅謹慎をくらってもう三日である。更にいうなら、悪霊に憑りつかれて三日でもある。

 でも、悪夢を見る以外は食欲もあるし、ロイヴァルも一緒にいてくれるし、彼のおかげで美味しいものいっぱい食べられるし、家具も増えた。……あれ? 悪霊さまさまではないだろうか。ありがとう、悪霊! でも、お前は嫌いだ!




 いつでも隙のないロイヴァルは、僕が眠っている間に城に戻っているらしい。それは、朝方目が覚めた時にロイヴァルじゃない親衛隊がいたから分かった。お調子者の彼は、今日も奇抜な髪形をしているなぁと思いながら寝直したので知っている。そんな、一時も目が離せないと言わんばかりに親衛隊を配属してくれなくても、僕はもう子どもではないので一人で眠れるし、悪夢を見てロイヴァルの寝床に縋りにいったりしないし、一人で留守番できるよ。



「フェイ様、先日もお聞きましたが、何か荷物を持っていませんか?」

「荷物? 家の中で荷物持ち歩いてどうするんですか?」

 僕は鞄を背負いながら、変なことを聞いてくるロイヴァルに苦笑した。彼はどうやら、主の荷物を持つことに熱意を注いでいるようで、何度もあの手この手で僕が荷物を持っていないか確認してくる。荷物を持ちたいのか、持たせたくないのか。どちらにしても、騎士道精神もここまでくればあっぱれだ。仕事がない時は寛げばいいのに、僕に荷物を持たせてまで仕事がしたいのか。

 そもそも、元からそんなに荷物がない僕の部屋で、何を持てばいいのだろう。

 僕が荷物を持つことがない様子に落胆したのか、軽く嘆息したロイヴァルは、何かに思い当たった様子で、あ、と声を上げた。そして、さっき懐にしまった小瓶を取り出す。ハンカチに乗せたまま開いて僕に見せる。

「フェイ様、この小瓶、他にもお持ちですか? 薬を入れるのにちょうどよい大きさですので、私も購入したいのですが他の種類はお持ちでしょうか? 一度見てみたいのですが」

「あるよ? ちょっと待ってね」

 僕は背負っていた鞄を開いて、中から小瓶を取り出す。

「あ! 鞄にムカデが!」

「え!?」

 どこだ、ムカデはどこだ!? あのもじょもじょ動きだけでも全身総毛だつというのに、刺してくるという見た目以外の危険も兼ね備えた恐ろしい虫は一体どこだ!

 さっと視線を走らせてもどこにも見つからない。見たくもないけれど、所在確認できない相手ほど恐ろしいことはない。泣きそうになりながら助けを求めてロイヴァルを見ると、彼は真剣な顔で力強く頷いてくれた。

「刺されては危険です! そっと、ムカデを驚かせないよう、鞄ごと渡してください」

「う、うん」

 どこにいるか分からないので、どこを掴めばいいかも分からない。今度は勢いよく現れた恐怖の震えでぶるぶるしながら、そぉっと鞄を持ち上げる。狙いを定めるように目を細めたロイヴァルは、僕の手の甲から指先まで指を滑らせていく。そのまま指先から滑り落とした指で鞄を掴み、機敏に立ち上がる。そしてなんと、窓から捨てた。

「えええええええええええ!?」

 突然の乱心!

 慌てて窓に駆け寄って下を見れば、今日は鶏冠みたいな髪をしているお調子者が手を振っている。その手には僕の鞄。

「ムジル! すぐに取りに行くのでそこにいてください!」

「了解しました!」

 元気よく挨拶を返してくれたムジルは、そのまま馬に飛び乗って走り去っていった。

「えええええええええええええええ!?」

 返事とはいったい何だったのか。了解とは幻だったのか。おのれ幻術使い。こんなところに巧妙な罠を!

 僕は、ずっと背負い続けていた荷物がなくなって軽くなった身で、ロイヴァルにしがみついた。

「僕の鞄!」

「ところでフェイ様、あの小瓶には何が入っていたのですか?」

「え? 兄様からもらった毒だよ?」

「だと思いました。さあ、朝食にしましょうか」

「え、だから、鞄」

「今日はパンケーキにしました」

「パンケーキ!」

 パンケーキには贅沢にもシロップたっぷりだけでなく、果物まで盛りつけられていた。人生最後の食事に奮発したってこんな豪華な食事はできはしないだろう。こんな素敵なもの、今まで食べたことがない。僕には縁がないものだと思っていた。

 ふわふわの黄色いパンケーキ。大好きなパンケーキ。おやつがパンケーキの日は一日ご機嫌になれたパンケーキ。

 子どもみたいに嬉しくなって、夢中で食べる。ロイヴァルは食べていないのに、自分も美味しい物を食べているみたいな顔をしていた。

「フェイ様」

「ふぇい」

 夢中で頬張っていたので、まるで自分の名前を復唱しているみたいな返事になってしまった。西の茶葉で慌てて飲み込む。こんな高級茶を井戸水みたいな飲み方するなんてもったいないことをした。

「いま、トゥール様は視力を取り戻そうと頑張っておられますよ」

「え!? ほんとですか!?」

「ええ。……最後に見た光景が無残なものだったので、ずっと光を映すことを恐れておられましたが…………どうしても、幻術を解いて差し上げたい方がいるそうです」

 よかった。あんな場所にずっといるのは心配だったから、心から安堵する。火の海の中で血の川が流れる風景を、最後に見た世界にしないでほしかったから、本当に嬉しい。

「復讐ではなく、救うために真贋を使いたいと仰っています。それが、真贋使いの本願だと、恐れを乗り越えようとしています」

「そっか……よかった、頑張れトゥール」

 ここで応援しても聞こえやしないだろうけど、届かなくてもいい。頑張れ、トゥール。傍にいてはあげられないけど、頑張ると決めたあの子は強い。大丈夫だ。その強さが、同じ沼に沈んだ黒衣の親衛隊を引きずりあげるはずだ。明るく楽しい世界に上がっておいで。背が伸びて、見る見る大きくなればいい。

 彼らの笑顔。それが、死んだ者達の無念を晴らす唯一にして絶対のものだから。

 そして、真贋使いの本質は、暴くものではなく伝えるもの。惑うものに真実を伝える。それが真贋使いの仕事。真贋使いの真実。惑うなかれ。真贋使いである己の力に、惑うなかれ。惑ってしまえば、その真贋は異なる何かへと変貌してしまう。



 ほっと力を抜いた手の中、お代わりを入れてくれた紅茶が揺れる。そこに映っているのは、僕に牙をむく不細工。残念でした。お前の無念なんて吹き飛ばして、トゥールは先に進んでいくよ。

 ふふんっと鼻で笑って、はたと気が付く。

「幻術? 誰にですか? 幻術でしたら僕が破れるかもしれません…………が、聞かなかったことにしてください。トゥールの目標を僕が奪っちゃいけませんね」

 今度はふふふと笑って、幸せな気持ちでパンケーキの最後の一切れを口に放り込んだ。嬉しい。嬉しい。トゥールが幸せになろうとしているよ。その為に頑張っているんだって。

 嬉しいね、みんな。あの小さくて泣き虫だったトゥールが、進もうとしているんだって。嬉しいね、よかったね、嬉しいね。


 嬉しくて幸せで、口元が緩む。

「フェイ様」

「はぁい!」

 じゃあ、僕も頑張らなくちゃ。

 頑張って、トゥールを殺さなくちゃ。

 その為には目の前にいる人を殺さなくちゃ。

 僕、頑張るから、見ててね、トゥール!

「ダリ村に行っていた者が戻ってきたのです」

「あ、そうですか! 早いですねぇ。往復で三日ですか!」

 早馬を飛ばしたとしても早すぎる。みんな頑張ったんだなぁ。

 がりがりに痩せ細った畑に、少しは実りがあっただろうか。笑顔少なに日々の糧を得ることだけを黙々とこなしている村人達は、僕の家族は元気だっただろうか?


「十二年前に、廃村になっていました」


 片目は、少しもぶれずにじっと僕を見ている。

 その瞳の中には、射殺さんばかりに僕を睨み付けるあの女がいた。




「…………え?」

 ちょっと、ロイヴァルが何を言っているのか分からない。

「十二年前に、村中が燃えてしまったそうです。遺体を調べたところ、全員殺害された(のち)に火が放たれたのではと。あちらの領主は、たちの悪い山賊に襲われて村が壊滅したと思って処理したそうです。だから、今の地図に名がないのです。…………ですが、遺体の数が、一つ足りないのです」

 お守りが熱い。熱くて、火傷しそうなのに、ロイヴァルからも、その瞳の中にいるあの女からも目が離せない。必死に握りしめたお守りに縋る。

「領主は山賊に浚われたのだろうと言ったそうですが……フェイ様、お尋ねしても宜しいですか? フェイ様の、故郷の名は、何というのですか?」

 小さな子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと、丁寧に、問いが紡がれる。

「僕、僕は」

 息が荒くなって、お腹が痛くなって、気持ちが悪くなって。倒れる直前みたいなふわふわとした感覚の中に、苦痛と熱さだけが渦を巻く。頭の中で、がちんっと錠が閉まる音がした。

「僕はフェイ・クアーズ。田舎も田舎、ど田舎から出稼ぎにきたんですよぉ! ダリ村から来たけど田舎過ぎて地図に名前を書き忘れられるから誰も分かってくれなくて、一番近いギーム村の名前を借りることが多いんですよぉ!」

 だから、働きに行かなければ。僕が仕送りしないと、たくさんいる兄弟達が困ってしまうから。働きに城に行かなければ。城に行って、火をつけて、ナイフで刺して、ロープで絞めて、毒を盛って、毒をかけて、殺さなければ。

 そうだ。今日も仕事に行かないと。

 いま何時だろう。遅刻してしまう!

 慌てて席を立つ。目の前のロイヴァルは椅子に座っていて、目の前にはテーブルが合って、いつの間にか家具が増えていた。殺風景な部屋が色づいている。いつから殺風景だった? 僕はいつからこの部屋に住んでいた? いつからこの部屋で兄様と一人暮らしをしていた?

「ごめん、ロイヴァル! 僕、遅刻しそうだから先に仕事に行くね!」

「フェイ様。仕事ですか?」

「うん! だって仕送りしなくちゃいけないからぁ、僕、働くためにお城に行って、トゥールを殺さなきゃ! ……あれ? 鞄……鞄どこ行っちゃったんだろう…………兄様が僕にくれた、大切な道具がいっぱい入った僕の鞄」

「フェイ様」

 鞄、僕の鞄。ナイフが、ロープが、油が、火つけ石が、毒が、いっぱい入った、僕の鞄。

 そうだ、鞄はさっきロイヴァルが窓から放り投げて、ムジルが持っていってしまった。兄様がくれた僕の鞄。トゥールを殺すための、僕の鞄。

「城に行きましょう、フェイ様。仕事に行くためではありませんが」

「ロイヴァルは変なこと言いますね。僕は仕送りをするために仕事をしなければならないのですよ。だって、兄様が僕にそう言ったのですから、僕は兄様の言いつけを守らなければならないのです」

 ロイヴァルは僕の手を取って、にこりと笑う。そうして、ゆっくりと部屋の隅を指さした。


「大丈夫ですよ。あなたが働いた半年分の給金は、そこにありますから」


 四隅の一つ、そこに詰まれている小袋には見覚えがある。だって、あれは月末に僕が貰うお給金だ。生活費を削って削って、そのほとんどを手付かずのまま故郷に送っている僕のお給金。

 僕はお金がないから、井戸水でお腹を張らせて、家具も買えず、お金がないから。

 瞬きできずに見入っていた小袋の山は、だんだんぼやけて見えなくなった。

 よく分からなくなって首を傾げる。ぼろ部屋の隅を見たってお金が落ちているわけではあるまいし、何を熱心に見ているのだ、僕は。あれ? あの壁に汚れがある。今度掃除しなくちゃ。



「フェイ様」

 柔らかい声に引っ張られて意識が動く。ロイヴァルの大きな手が僕の手を引いた。

「トゥール様に、会いに行きましょう」

「はい!」

 嬉しい。嬉しい。トゥールが頑張っているんだ。トゥールに会えるんだ。

 だから僕も頑張って、トゥールを殺そう!



 幸せな気持ちが溢れんばかりの笑顔を返した僕に、瞳の中の女は笑い返しもしない。ああ、なんて無愛想で可愛げのない女なのだろう。




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