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 いざ湯浴みを始めてみると、ちょっとした音が気まずい。湯が揺れる音だけでもなんだか恥ずかしいのだ。それもこれも、この部屋で一番身分ある人が無言でカーテンしているからである。

 いつものぼろ雑巾よりぼろ布してる愛用手拭いではなく、いつの間にか新品になっていたふっかふかタオルで腕を擦りながら、ちょっと考えた。

「あのー、質問いいですか?」

「何なりと」

 快適な環境を提供するのも部屋主の務め。僕は道行く奥様方の世間話を参考にさせて頂くにした。

「ロイヴァルさんはお幾つですか?」

「二十九になります」

「よいお歳ですねぇ。奥様はいらっしゃるんですか?」

 タオルを握る手に力が篭もる。ちくちく刺さる糸のでっぱりは存在せず、タオルはふかりと私を迎えてくれた。

 さあ、いるのか、いないのか。どうせ僕は友達すらいない男。身長も顔も強さも、色々兼ね備えている人が結婚していても何も悔しくなんてない。

「いえ、独身です」

「そうですか――!」

 いやー、僕と一緒ですね! いえいえ、全然喜んでなんていませんとも! いやー、すみませんね、僕なんか田舎者と同じで、なんか悪いですね!

 一気に浮かれた僕は、はっと気が付いた。

「こ、恋人がいる、とか?」

「いえ、独り身です」

 よっし!

「約束した方がおりますので」

 僕の握り拳が完成したと同時に、追撃が飛んできた。もう攻撃に備える必要はないと完全に油断していたので、ぐさっと突き刺さる。寧ろ貫いた。

「そ、それは、どんな人、とか、聞いては、駄目、ですよ、ね?」

 自分は真贋使いを名乗れるようなものではないけれど、主権限を使ってでも聞きたい。ちょっと卑怯だろうか。ちょっとどころじゃないな、でも聞きたい。聞いたところで僕に恋人ができるわけじゃないけど、でも聞きたい。

 真面目な彼は、一応臨時とはいえ仕えている相手からの質問を完全無視したりはしないはずだというずるい打算通り、躊躇いがちな声が聞こえてきた。

「…………ずっとお側で見てきた方です。あの方が私に思いを寄せてくださったことが申し訳なくも嬉しかった。ですが、きっとあの方は、恋と憧れをはき違えておられた。年頃になった時に傍にいた大人が私だったのです。ご当主様と奥方様からは、あの方が十八になってもまだ私を好きだと仰ってくださるのなら、その時は御許しを頂けるはずでした。それまでお待ちすると誓いました。仮令、あの方がもういないのだとしても、お待ちするとあの方と約束をしたのですから、生涯守り通します」


 あの方とは、あの女のことだろうか。

 あの、太腿太くて、睫毛ばしばしで、髪の毛はふんわり巻こうにも頑固なストレートで、ちっとも可愛くなんてない、あの女。


 そう、まるでこんな顔の。


 自分が入っている盥の水面が揺れている。何故か視線が吸い寄せられ、動きを止めて見入ったそこにあったのは、恨みがましい眼で僕を見つめる、あの女。

「うわぁっ!」

 あまりに動揺して、横に置いていた綺麗な湯の入った桶をひっくり返す。桶はごろんごろんと床を転がって、湯を撒き散らしながら壁に当たって止まった。ああ、明日、大家さんに怒られる。寧ろ今すぐ飛び込んできたらどうしよう。

 しかし、僕が心配するべきは大家さんではなく、カーテンだった。

「失礼します!」

 カーテンが消えた。

 動揺が残った身体は機敏に動けず、桶を追って伸ばしたまま次の動作を見つけられない腕からぽたりと水滴が落ちる。



「どうされました!? お怪我を!?」

 カーテンがしゃがみこんでくる。勢いよくしゃがんだので、前髪の動作が一歩遅れて、火傷した顔が見えたカーテンが、カーテンで、カーテン。

「う、わぁああああ!?」

 カーテンがロイヴァルだと、当たり前のことを繋げることに成功した僕は、慌ててふかふかのタオルを握り締めて前かがみになった。狭い盥の中で、機敏に背を向けた自分を褒めたい。しかしロイヴァルは僕の肩を掴み、ぐるりと盥ごと回されて正面に帰還する。世は無情。

 正面から見たロイヴァルは酷く動揺していた。

「この傷はどうされたのですか!」

「へ?」

 切羽詰まった声に首を傾げて視線の先を辿ろうとしたら、ぐいっと強めに引っ張られて硬い胸板で鼻を強打する。痛いと文句を言おうとしたけれど、ロイヴァルの気迫が尋常じゃなくて引っ込める。

 押さえられているから身動きが取れず、仕方なく身体をひねって確認する。そこには背骨が浮いたみっともない背中があった。そこは、半分以上の肌が赤茶色に染まり、皮膚が引き攣ってでこぼこしている。ロイヴァルの顔とお揃いだ。

 僕は首を傾げた。

「傷なんてどこに?」

「…………は?」

 本当にロイヴァルは心配性だ。何でもないことで大げさに心配してくる。

 そんなことより、この体勢が気になって仕方がない。幸か不幸か、抱きしめられているみたいになっているから背中しか見られていないはずだけど、恥ずかしいにも程がある。僕はタオルをぎゅっと握って、俯いたままロイヴァルの胸を押した。

「あ、あの、本当に何でもないので、いったん離れてもらっていいですか? って、ああ! ロイヴァルも濡れちゃったじゃないですか! 早く離れてください!」

「いえ……濡れるのは、全く、問題ないのですが…………」

 全く問題なさそうに見えないし、服が濡れたら気持ちが悪いと思う。ロイヴァルは明日王城に戻ってから風呂に入るそうなので、僕のなんて待たずに早く着替えてほしい。

 僕も早く済ませてしまおうと、湯浴みの速度を上げる。再びカーテンに戻ったロイヴァルは着替えないのだろうか。カーテンの任務から解放しない限り着替えるつもりがないのかもしれない。それは申し訳ないので、もっと急ごう。

「…………フェイ様」

「はい?」

「私からも、質問して、宜しいでしょうか」

 わたわたと髪を拭いていると、今度はロイヴァルから話しかけてきた。過ごしやすい空間の演出には互いの協力が必要不可欠だとようやく気付いてくれたらしい。よかった。沈黙だけがのさばる空間は、重くていけない。馴染の人となら、会話がなくても穏やかに過ごせる時間も好きだけど。

「どうぞどうぞ。何でも聞いてください」

 スリーサイズと体重以外ならお答えしますよ。

「ダリ村での生活を伺っても?」

 やっぱりお互いのことを知っていく過程では会話が弾みますよね! 

 ここに来るまでの道のりでは無口なほうだったけれど、会話の糸口はちゃんと持っていたようで安心する。

「そうですね。とにかく土地が痩せていて、なかなか作物が育たないんですよ。山でも実りがあんまりで、だから獣も里にまで下りてきちゃって。その度に兄弟総出で畑を守らなくちゃいけないんですよ。それがもう大変で、僕はいつも鍬を持って外を見張ってたんですよぉ。兄も姉も自分の当番を押し付けてくるし、それを弟妹も真似しちゃって。結局いつも、僕が見張りしてたんですよぉ」

「それは、兄君達がいけませんね。年上がそれでは下に示しがつかない」

「僕に兄はいませんよ? 僕は長子ですから」

「…………フェイ様は、ご兄弟が多いのですか?」

「そうなんですよぉ。たくさんいて、いつも食い扶持に困ってるんです。だから一番上の僕が、こうやって出稼ぎに出てきてるんですよぉ」

 僕は長子だから仕方がない。村では仕事がないし、近隣でも似たようなものだ。大変ではあるけれど、大義名分を持って王都に出てこられるのだから、得をしたともいえる。

「この部屋はフェイ様が選んだのですか?」

「いいえ、仕事も部屋も、全て兄様が用意してくださいました」

「お兄様とは、仲が宜しいのですか?」

「僕がこうしていられるのは、全て兄様のおかげなのです。僕がこうして働いていられるのも、食事をとることができるのも、全て兄様のおかげなのです。毎日、温かくて柔らかいベッドで眠れるのも、美味しい食事を頂けるのも、綺麗なお家に住めるのも、毎日幸せに暮らせるのは全て兄様のおかげなのです。だから僕は兄様に感謝しなければならないのです。兄様がいなければ、親兄弟も身寄りもいない僕なんて、人買いに売られても文句は言えなかったのです。僕は兄様に感謝しています。僕は兄様がいなければ生まれてくることさえ叶わなかったのですから。僕は兄様に心から感謝しているので、兄様の仰ること全てに従うのです」

 着替え終わり、カーテンをひょいっと捲る。ロイヴァルは難しい顔をして僕を見ている。僕、何もいたずらしてないし、勉強だってサボってないし、約束破って一人で街にでかけたりしてないよ?

 その腰には剣がぶら下がっている。手入れの行き届いた綺麗な、けれど使い込まれた剣だ。

 それに手を伸ばしたら、マントが取り落とされて重たい音を立てる。ロイヴァルの手は、やんわりと僕の手を包み込んでいた。

「フェイ様、今日はお疲れでしょうから、もう眠りませんか?」

 優しく包み込まれているのに、どれだけ力を込めても剣が抜けない。何度も何度も剣を引き抜こうとするのに、びくともしないのだ。

「そうですね。ロイヴァルも疲れたでしょうから、寝てしまいましょう」

 確かに疲れた。だって、久しぶりに真贋を使ってしまったし、いきなり同居人ができたのだ。疲れないほうがどうかしている。

 だから、当初の予定通り寝てしまおう。僕はぐるりと部屋の中を見回す。何回見ても、薦められるものは一つしかなかった。

「良ければ使ってください」

「…………ソファーでもない椅子を寝台代わりに薦められたのは初めてです」

 いやぁ、申し訳ない。そんな椅子ですけど、一応この部屋唯一の家具なんです。背の高いロイヴァルには小さすぎるかもしれないけれど、床か椅子か選んでもらうしかない。

 僕は半乾きの頭をぽりぽりと掻き、湯浴みの後始末をつけていく。手伝いを申し出てくれたけど、流石に汚れた湯の始末をさせるのは断固お断りした。

 一通りの始末をつけて、果物ナイフを取り出してロイヴァルの元に戻る。

「じゃあ、もう寝てしまいましょうか」

「……ええ、そうしましょう」

 振りかぶったナイフは、ロイヴァルに刺さる前に手首を掴まれて捻り取られた。気が付いたらロイヴァルの手にナイフが移っていて首を傾げる。ロイヴァルは、それを手拭いで包んで懐に仕舞った。どうしたんだろう。ロイヴァルから寝ようと言ってきたのに、彼は何故果物ナイフを持っているのだろう。デザートでも食べたかったのだろうか。でも、申し訳ないことにデザートの類は一切ない。お金ないし。



「一応報告にあったので簡単な用意はしてきましたが……まさか本当に、ここまで何もないとは」

 ため息をつきながら開かれたトランクの中には寝袋があった。それを広げたロイヴァルは、どうぞと揃えた指で示してきた。首を傾げてその腰にある剣に手を伸ばす。今度は柄を掴む事さえ叶わない。伸ばした手を逆に引き寄せられ、またくるくる視界が回って、気が付いたら天井を見ていた。背負っていた鞄が下敷きになり、骨に当たって痛い。そして瓶が割れる。慌ててごそごそと体勢を整えて、鞄を抱きこむ。

「どうぞごゆっくりおやすみください、フェイ様」

「は? え、寝袋は? ロイヴァルの寝袋は?」

「私は座って眠るのが好きでして」

 ロイヴァルは特殊な寝方を好む人だった。枕が変わると眠れない人みたいな感じなのだろうか。ロイヴァルはきっと繊細なのだろう。

「じゃあ、これは僕が使ってもいいんですか?」

 久しぶりに触れる綿の入った感触が楽しくて、ふかふか触ってしまう。寝袋は頑丈に作られているから、どっちかというともきゅもきゅとした感触だけど、床とは全く違う。

 問いかけながらも、手ではもきゅもきゅ押し続けている僕に、ロイヴァルはふっと笑った。

「はい、フェイ様の物ですよ」

 それがあんまりに優しい声だったから、僕は思わず赤面した。

 だって、まるで甘える自分を許してくれるかのような顔なのだ。絵本読んでといつまでもねだる相手に対して、仕方がありませんねと苦笑しながら願いを叶えてくれるような。手を繋ぎたいとねだる相手に対して、はいどうぞと手を差し出してくれるような。

 ああ、懐かしい。

 僕にも昔、彼のような人がいた。

 ずっと年上で、蜘蛛でも鼠でも何でも退治してくれて、転んだら抱っこして歌を歌ってくれて。優しく甘やかしてくれるのに堅物で、いつからか髪を結ってくれなくなった大好きな人がいた。

 懐かしい気持ちが溢れて、僕は寝袋に潜り込んでひょっこり顔の半分だけを出す。

「ロイヴァル、ロイヴァル」

「はい?」

 この部屋で誰かと会話することが思った以上に楽しい。呼べば答えてくれることが嬉しい。僕は、湧き上がる温かい何かと、火傷しそうなお守りを持て余しながらはにかんだ。

「おやすみなさい」

 言った途端、急に恥ずかしくなって頭も引っ込める。照れくさくてどうしようもないのに、お守りの熱ではない温かさが苦しいほどに幸せだ。

「おやすみなさい、フェイ様」

 寝袋越しに聞こえてきた声もとても優しかったから、僕はとても幸せな気持ちで眠りについた。



 まさか、夢であの女に首絞められるとは夢にも思わず。

 後、魘されてた僕を起こしてくれたロイヴァルが言うには、首にくっきり手形が残っているそうです。


 

 どうやらあの女のターゲットは僕に移った模様です。

 こんなの憑れてトゥール様の所には行けないので、本日の僕はお仕事休みで自宅待機が決定した。

 占いって何故か見ちゃうけど、当てにならないものだなぁとつくづく思う。


 『花彩生まれのあなたは今月絶好調! ラッキーアイテムはイチゴ飴☆』じゃないではないか。

 『花彩生まれのあなたは今月絶好憑! 仕事先では怨霊に憑かれちゃうかも!? アンラッキーアイテムは首の手形!』である。


 でも、休んでもお給料出してくれるらしいから、僕の機嫌は治った。






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― 新着の感想 ―
[一言] あれ?と思っていた違和感が確信に変わり とてもゾワゾワしました。 どうなってしまうのか目が離せず そんな作品を読めてよかったと思っています。
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