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トゥール様暗殺疑惑が晴れた。
幻術が唯一作り出せないまやかし、それは真贋使いの花結晶だ。だから、力を使うときだけとはいえ瞳に浮かべられるのならば、その人間は幻術使いではありえないのである。
そして暗殺疑惑が晴れた僕はというと、困り果てていた。
「こぉまぁりぃまぁすぅ――!」
「いや、しかしそういうわけには」
「困りますってばぁ!」
僕とロイヴァルの押し問答はかれこれ一時間は続いている。その間では、トゥールがおろおろと行ったり来たりしているので、僕とロイヴァルは彼が転ばないようはらはらもしていた。
「百歩譲って僕の故郷に事実確認しに行くのはいいとしても、どうして僕に護衛なんて必要なんですか! 後、いくら僕が大兄弟だとしても他の兄弟には真贋持ちはいませんよぉ!? 僕は特殊変異ですからぁ!」
「真贋持ちの有無は国を挙げての重要事項ですから、確認は必須です。それと同じく、真贋使いの無事は我らが悲願。我々が守りきれなかった一族ではなくとも、貴方の無事が保障されていない現状を、我々が許容できるとお思いか」
この熱い視線はどうしたことか。さっきまでの冷たい淡々とした瞳はどこに旅に出た!
そりゃあ、世界に一人しかいなくなったと思っていた真贋(微妙)持ちが現れたのだ。忠義に熱い親衛隊が湧きたつのも分からないでもない。ないのだけれど!
「だからって、僕の部屋にあなたが移り住む必要はないでしょう!」
「では、貴方が王城に移り住んでくださるのですか」
「お断りしますぅ!」
「では、そういうことですよ」
やめてやめて、あんまりだ。赤の他人が一つ屋根の下どころか、分かれてさえいない狭い部屋の中一緒に暮らすなんて。昨日会ったばかりの人と、こんなのありなのだろうか。
っていうか、困る。大家さんにも怒られる。そうだ、これでいこう!
「あ、あの、僕の部屋、一人で契約してるんで!」
「その件でしたら既に契約変更と違約金を支払って解決しました」
「ぐぅ」
ぐぅの音しか出ない。仕事が早すぎる。そういえば、僕が捕まったその日に家宅捜索してくれて、深夜の帰り道もつけられていたんだった。仕事熱心ですねと。トゥールの身の安全は完璧ですね。正直、彼の安全さえ守ってくれていれば僕も安心なんで、そっちに集中して頂けたら幸せです。
仕事の割り振りをてきぱきとこなしながら、ロイヴァルの片手は僕の首根っこを掴んで離さない。真贋使いが大事だというのなら、敬いも大事だと思う。
「フェイ様、一つ宜しいでしょうか?」
「……口調だけ敬っても信じませんからね。で、なんでしょう」
「昨日身元確認の際に馬を出しましたが、フェイ様が故郷として書かれていたギーム村では、フェイ様を知る人間は確認できませんでした」
「ああ、すみません。故郷はダリ村なんです。地図はありますか?」
目の前に地図が広げられる。そのどこにも僕の故郷の名前はない。ロイヴァルも困惑の目を向けてくる。
「田舎過ぎて誰も知りませんし、地図にも載ってないんで、手前のギーム村の名前借りることが多いんですよぉ」
だってど田舎なのだ。地図に名前を書き忘れられるくらいのキングオブど田舎!
僕は地図の右隅を指さす。
「ギーム村よりもっと奥で、この辺りです。あ、この地図新しいんじゃないですか? 僕の故郷のダリ村は最近の地図に名前ありませんよ? 田舎過ぎて」
「……新しい物こそきちんと測量されているはずなんですが」
「同僚が持ってた二十年くらい前の地図には名前ありましたよ? まあ、道順はギームの人達に聞けば分かると思います。唯一の隣村ですし。まあ、隣村っていっても結構離れてますが」
古いぼろぼろの地図は、同僚が王都に初めて訪れる際に家族から貰ったそうだ。
いいなぁ。僕が貰ったのは胸元で揺れるお守りだけだ。地図があったら便利だったのだろうか。だって、こんな田舎から王都まで地図もなしに出てくるのは並大抵の苦労ではない。だって僕は田舎者。ど田舎から出てきたこともない田舎者。ちょっと町まで足を運ぶのに今まで困らなかったのは、必ず誰かが一緒に行ってくれたからだ。地図だって彼が見てくれたから、僕は周りの景色を楽しむだけでよかった。
「あ、あの、フェイさん」
「はい、なんでしょう……」
僕の返事で場所を確認したトゥールが、両手を伸ばして服の裾を見つけた。そのまま握り込まれたので、見えないと分かっていても同じ高さまで身体を屈める。
「はい、どうしました?」
「あ、あの、また、明日、来てくれますか?」
「はい、トゥール様がそう望んでくれるのなら、僕はいつでも参りますよ」
正直に答えたら、ぱっと布が揺れた。この下では笑顔になってくれているのだろうか。だったら嬉しい。動作が幼いのは、身長が伸びなくなったように、心の成長も止まってしまっているからだろうか。
十歳のまま成長していない小さな手を握り締めて、唇を噛み締める。本当に馬鹿な子どもだ。生き残ってくれた子どもの成長こそ、死んだ人達の喜びであり、供養になるというのに。彼の健やかな成長を誰より望んだ家族の悲願をどうか果たせるよう、彼の時も動き出して欲しい。
トゥールは、その柔らかい手できゅっと握り返してきた。あ、可愛い。
「でも、姉様は不器量ではありません。とてもお綺麗でした」
「…………なんか、すみません」
あんな非常事態でも姉への悪口は見逃さない。弟の鏡だ。
でも、君のお姉さん、ぶちゃいくでしたよ? 化粧したらど派手になる感じの顔で、太腿とかむちむちでしたよ。もっとこう、可憐にふわりと繊細で、華奢な可愛い顔が僕好みです。ほんわかした女の子が好きです。
どうしてこんなことになったんだろう。前髪を弄りながら、横を歩く人をちらりと見上げる。黒の騎士服ではないけれど、全身黒の服だ。私服でも黒なのか、この人。かっこいいけど。
「あの、家に食糧何もないんで、買い物して帰ってもいいですか?」
「勿論です。荷物持ちは私が」
「自分の生活用品くらい自分で持ちますよ!」
そもそも、当座の着替えなどが入ったトランクを持った相手に、両手が空いている人間が自分の荷物を押し付けられると思っているのだろうか。
「真贋使いは我らが主。主に荷を持たせるなど、騎士の名折れです」
思っているらしい。生真面目か! もっと砕けてくれたほうが日常生活しやすいのだけど、駄目なのだろうか。
荷物を背負い直しながら嘆息する。鞄の中でかちゃかちゃ音がして煩い。この鞄、安物だから最近ますます肩に合わなくて、よくずり落ちる。
「あ、あの、出来ればもうちょっとこう……親しみやすくお願いします。なんかこう、友達みたいなノリが過ごしやすいです」
「善処しますが、実行できるとは限りません」
そこはしてください。このきちきち生真面目な人と、あのせっまいふっるい部屋で二人暮らしするのか。……こんなことならさっさと寮に入っておくべきだったと、僕は深く後悔した。……まさか、寮にまで押しかけてくる気なのだろうか。そして、年頃の人間相手になんという遠慮のなさ! 相手が真贋使いなら誰だっていいのだろうか。そんなのトゥールが可哀想ではないか。いくら戦力を分散させないためにと、一番強いらしい隊長が出てきたといっても、真贋持ちと今日判明した程度の人間相手に隊長を割いてくるってどうなんだ。
屋台がひしめく大通り、ではなく、そこから脇にそれた場所でひっそりやっている屋台の列に並ぶ。安くて大きめなので、いつもここにお世話になっているのだ。表通りにあるのは、美味しくて見た目も綺麗だけど、ここの二割増しなのだ。
いつも通り、うきうきと貧乏人の味方屋台に並んでいたけれど、ちらちら飛んでくる視線に気づく。同じように隣に並ぶ人をちらりと見上げる。どこからどう見ても場違いです。
仕事疲れで背が丸くなりがちな人々の中で、ぴしりと伸びた背中が異様に目立つ。顔の半分を隠す長い髪も目立つけれど、何より佇まいが、こんな裏路地の屋台に並んでいる人ではないと訴えている。
「あの、ロイヴァルさんはどうしますか?」
「ロイヴァルで結構です。作れと仰るなら作りますが、フェイ様の普段の食事が知りたいので、今日はご一緒させて頂きたいのですが」
「お口に合わないと思いますけど」
「どうぞお構いなく」
そう言いながら懐から財布を出してきたので、ありがたく一歩下がる。ロイヴァルはちょっと驚いて振り返った。
「フェイ様、私はフェイ様の好みを存じ上げませんが」
「あ、ここ一種類しかないので。おじさん、二つください」
大きなパンにハムと野菜が挟まっただけのサンドイッチ。パンは固くてモソモソしてるし、ハムも野菜も薄くて悲しいけれど、とても安いしお腹も膨れる。主にパンで。パンがモソモソしてるから水分も捗る。井戸水だけど。食べ終わった後はちゃぽちゃぽになって、お腹は張る。
おじさんは僕の顔を見て、おっ、と声を上げた。僕とロイヴァルを交互に見て、にかっと笑う。なんだろう。恋人と間違えられちゃった? そんな、まさか。だって僕らは年の差が。
「坊主、今日はいい顔してんなぁ。いつもは死人みたいに青白くてうつろって顔だし。隣は兄貴か? 兄ちゃん、弟の健康管理はしっかりしてやんな。こいつ見る度に痩せてるぞ」
「そうですか……しばらく一緒に暮らすことになったので、しっかり食べてもらおうと思っています」
「おう、そうしてやんな! ほら、今日は特別にハム二枚入れてやる!」
兄弟ですかそうですか。あなたも普通に返事しないでください。僕らは兄弟どころか、まともに話したのは今日が初めてじゃないですか。
「お待たせしました。では…………どうされましたか?」
「べっつに?」
「ですが、どう見てもふてくされ」
「てませんし!?」
凄く薄いハムが二枚に増えたのだ。普通のハムよりちょっと薄いレベルに進化したハムを前に、何を不貞腐れることがあるのだろう。
僕は、ふんっと鼻息荒く帰路についた。
たぶん、力任せに開ければ開いてしまう、鍵の意味があまりない鍵を開けて、来客を通す。
ロイヴァルは一礼して入って二歩で眉を顰めた。なんですか。住めば都の愛しの我が家に文句でもありますか。
「…………報告書でも拝見しましたが……その……家具は?」
「あるじゃないですか」
「…………机は?」
「高くて買えませんでした」
部屋の中心にぽつんと存在する我が家唯一の家具、その名も椅子。
「失礼ながら、寝具は」
「高くて買えませんでした」
「…………では、いつもはどうやって就寝を?」
「そこの盥にお湯を入れて、髪を洗って、身体を拭きます」
「…………はい?」
「洗ってる途中で、気が付いたら大体朝です」
「気絶ですね」
「疲れてるんです」
「栄養失調による貧血と過労で、どう考えても気絶ですね」
いいお生まれの騎士様には想像もつかない世界だろう。僕もここに来るまでこんな生活想像した事もなかった。だって、家では大きな風呂場があって、湯は既に用意されていたし、ベッドはいつもふかふかで、部屋中にはいい匂いがした。何せ村全体が貧しかったのだ。土地は痩せて自分達が食べる分さえ事欠く状況も少なくなかった。湯を沸かす薪さえ足らず、冬場でも冷たい水で身体を拭ったことも多い。
しかし、その騎士様達が、名誉であるといわれても真贋使いと一緒に片田舎の里で生活し、今では親衛隊として出世も何もない護衛についているのだ。不満がないのであろうことは、彼らの忠義の瞳を見ていれば分かるけれど、やっぱり申し訳ない。
真贋持ちは人の感情を見つけてしまいやすいので、嘘が丸裸になってしまう。一応故意に覗き見したりしないよう気をつけてはいるけれど、一緒に暮らすのはしんどいと思う。それでも真贋使いの親衛隊だからと、嫌がりもせずぼろ部屋に住もうというのだから、申し訳ないにも程がある。
あっという間に終わる食事を済ませたら、実はもうやることがない。いつもはこの後…………湯は寝る直前にするから、何してたっけ? 趣味がない人間はこれだから!
田舎にいるときは、たくさんの兄弟の世話に追われてそれどころじゃなかった。たくさんの弟妹の世話、食事の後片付けや洗濯物、動物の世話、やるべきことは溢れていて、座っていることすらできなかった。だから今は時間が余って困る。夜の時間は、本を読んだり、家族でゆっくり話しながら遊戯をしたりと穏やかな時間に当てていたのに、今は本は高くて買えないし、家族はいないし、本当にすることがない。
ロイヴァルは沈黙を打ち破ろうという気配を見せず、壁を背に膝を立てて剣を握っている。とても、警戒されています。
もう、さっさと寝てしまったほうがいいかもしれない。お互いの為にもそれがいいだろう。
「あ」
「どうされました?」
「ロイヴァルは、湯をどうします? 近くに共同風呂屋がありますが」
「フェイ様は?」
「僕はいつも通り湯で身体を拭きますが」
風呂屋に行くお金はない。悲しく財布の中を見つめる僕に、ロイヴァルはみっちり詰まった財布を開いた。格差とはこういうことである。泣ける。
「全てこちらで負担しますが」
「勘弁してくださいな」
真贋使いは国から特別予算が出るとはいえ、僕は認知されていない真贋使いだし、真贋使いだと名乗る気もなかったのだ。
いつも通りお湯を沸かす準備を始めると、財布をしまったロイヴァルが横に立っていた。
「では、せめて用意くらいは私にさせてください」
「え、座っていてくださいよ。お客様にそんなことさせるわけには」
どうぞどうぞ、何もありませんが寛いでください。本当に何もありませんが。見事なまでに何もありませんが、どうぞ我が家唯一の椅子を使ってください。
もてなしの心をいかんなく発揮して、いそいそと椅子を引っ張ってきたら盛大に眉を顰められた。はて、どうしたのだろう。首を傾げている間に大きな手で掌を掬い取られた。そのまま、あれよあれよと視界が回って、気が付いたときは椅子に座らされていた。主の意思を尊重しない敬いとはなんだったのか。
「どうぞ、座ってお待ちください」
「…………どうも」
客人に風呂の用意をさせる部屋主になってしまった。拗ねたい。
ロイヴァルは、里での生活でなれているのか、あっという間に湯浴みの準備をしてしまった。僕が用意するより断然早い。何だろう。格差は炎の勢いまで違うというのだろうか。
しかも、温度もちょうど良い。その指は温度計ですか?
お湯の中に掌を突っ込んで揺らしていると、ばさりと重たい布がはためく音がする。
振り向けば、ロイヴァルがマントを広げて後ろを向くところだった。
「何やってるんですか?」
「この部屋はカーテンもありませんので」
世界唯一の真贋使い親衛隊隊長を壁に使う田舎者。……極刑ものだな!
「あの、いつもこれなんで、どうぞお気になさらず」
「……それが異常なのです。フェイ様こそ、どうぞお気になさらず」
気にならずにいられるかと言いたいけれど、問答するのも無駄な気がする。だって、今日真贋持ちだと判明した程度の相手に、まるで主にするかのように丁寧な対応を取る男だ。
それに、ありがたいといえばありがたいのだ。
僕はうーんと唸ってから、この部屋で一番高い布をカーテン代わりにすることを決めた。




