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「ソンナバカナ」

 思わず乾いた声が漏れる。そんな僕に返ってきたのは、優しい言葉どころか、ばぁん! と激しく叩かれた机の音だった。

「ふざけるな。お前が火をつけたのは分かってるんだ! さっさと白状しろ! トゥール様を殺そうとしたんだろう!? お前、幻術使いの仲間だな!?」

「違いますよぉ!」

 目の前のおじさんのあまりの迫力が恐ろしくてべそをかく僕の前に、僕が持っていた荷物が叩きつけられた。中身は別の箱に移しかえられていて瓶は無事だ。でも、そんなことが何の救いになるのだろう。

 僕が迷い込んだあの場所は、トゥール様が滞在されている棟だったのだそうだ。そんな馬鹿なと誰もが思うだろう。僕もそう思う。だって、トゥール様の居住区は、最後の真贋使いとして王族と同じくらい厳重に、また、彼を最後の一人にしてしまった親衛隊の厚い忠誠によって、下手すると王族より強固に守られているはずだ。

 すぐ消し止められたとはいえ、そんな場所に火をつけ、あまつさえその廊下で気絶しているなんて芸当、一体全体どうやったらしがない田舎者に可能だというんだ。



「吐け! 貴様の仲間はどこにいる!」

「仲間なんて知りませんよぉ!」

「嘘つけ! じゃあ、この瓶に入っている油は何だ! お前が火をつけたんだろう!?」

「拾ったから警備に届けようとしたんですよぉ!」

「じゃあ、どうしてあんな場所にいた!」

「貴族のお嬢様が馬小屋に迷ってきていたから、警備に案内してあげようと追いかけたら足が速くて追いつけなかったんですよ!」

 べそべそ泣きながら答えたら、唾が散るくらい詰め寄ってきていたおじさんは元の位置まで引いてくれた。そして、壁際で腕を組んだまま立っている人をちらりと見る。この人だけおじさん達と制服が違う。黒い騎士服は、喪に服しているから。

 つまり、真贋の一族の親衛隊だ。男は、三十前後だろうか。長い髪は後ろで纏めているが、前髪は横に流しても顔が半分隠れてしまっていた。この特徴的な姿は僕でも知っている。トゥール様の手を引いていた、親衛隊の隊長だ。



「何故貴族と分かった?」

 低い淡々とした声だったけれど、怒鳴るおじさんみたいに怖くなくて安心する。

「綺麗なドレスを着ていたから」

「どんな?」

「若草色の、綺麗なドレス。真珠色の髪には三日月型の髪飾りが」

 思い出しながら特徴を上げていると、さっきのおじさんと同じ距離に詰められた。せっかく安心していたのに一気に心臓が跳ねあがる。やめてください、また気絶しますよ!

「真珠色の、髪?」

 最初に呆然とした声を上げたのはおじさんだった。


「三日月形の、髪飾り、だと?」

 次に、目の前の人も思わず零したといった風に、呆然と呟いた。

 どうしたのだろうと首を傾げた肩を力任せに掴まれて、痛みに顔をしかめる。

「それは黄珊瑚の髪飾りか!?」

「そ、そこまでは。形しか……あ、でも、端が欠けていた、かな。後、半分以上煤けていたから、なんとも」

 肩を掴んでいた手に更に力が加わった。折れる。圧し折られる!

 骨の心配をしながら顔を上げると、見下ろしている人の顔がよく見えた。下から覗きこんで初めて、彼の前髪の理由が分かった。顔の半分に火傷を負っているのだ。

「ジェーン様……」

 きっと、彼がいま呟いた人達を守る為に負ったのだろう。

 真贋使いの一族が暮らしていた里では、火が使われたと聞いた。だから生き残りがほとんどいない。親衛隊は幻術で、真贋使いは煙によって視界を奪われた。そして、風上から降りてくる本物の炎の海に飲まれて死んだ。火は三日三晩燃え続け、遺体は区別のつけようもなかったと聞く。骨まで燃えてしまった人が多過ぎたのだ。

 里を燃やし尽くした火事の中、長の末息子と親衛隊が生き残ったのは、里が襲われた時、彼らが里ではなく裏山にいたからだという。人々はそれを幸いと呼んだけれど、三年経った今も黒の喪服に身を包み、言葉少なに歩く彼らを見ていると、とてもそうだとは思えなかった。


「お嬢様は、なんと」

 この時、僕がもう少し冷静だったら、もうちょっと言葉を選んだ。もう少しでも考えが足りていれば、周囲の状況に気づけただろう。

 でも、僕は混乱していたし、目の前の人があまりに真剣に問うてくるから、何も考えず答えてしまった。

「許さない」

 隣の部屋で何かが割れる音がしたのに、とにかくこの人にちゃんと答えてあげなければとそればかりで、気づくことができなかったのだ。

「殺してやる、と」

 僕はこの後、自分の至らなさをひどく後悔することになる。





 今日は疲れた。

 ようやく解放された僕がとぼとぼと帰路につけたのは、深夜も回って明け方に近かった。こんな時は寮がいいなとしみじみ思う。今からだと二時間もせず仕事に出なければならない。

 古いおかげで家賃も安い愛しの我が家。隣近所の迷惑にならないよう気をつけて、軋む階段を上がり、鍵をかけてもなくても大して変わらない扉を開ける。当然明かりのついていないしんっと静まり返った部屋に帰宅だ。どっと疲れが増す。

「おやおや、今日は随分と遅かったね」

「ただいま戻りました、兄様」

 部屋に一つしかない椅子に座っている兄は、くすくすと笑っておかえりと迎えてくれた。

「何かあったのかい?」

「はい、色々とありました。でも、本当に疲れていて……先に湯を失礼しても宜しいでしょうか」

「ああ、いっておいで」

 兄は快く許してくれた。湯といってもそこは安物件。トイレは共同、風呂は近所の共同風呂に足を運ばなければならない。でもそんなお金はないのでいつも沸かした湯で身体を拭いて、髪を洗うだけだ。

 朝に汲み置きしていた水を沸かす。降りそうになる目蓋を叱咤して、ごとごとと用意して身体を洗う。先に洗った髪を頭の上に纏めて、温かいタオルで身体を擦っていると、またとろんと目蓋が落ちる。

 疲れた。かくんかくんと頭が揺れる度、胸元で揺れる首飾りがぺたんぺたんと素肌に触れる。駄目だ、眠い。でも、寝ちゃ駄目だ。ちゃんと身体を洗ってしまわないと。だって、きっと明日……今日か……も、あの人達に会う予感がする。一応解放されたけど、絶対怪しまれていると思うのだ。貧乏であろうがせめて最低限の身嗜みくらいはちゃんとしたい。だって、あのロイヴァルという名の隊長、距離が近いのだ。動揺していたのもあるのだろうけど、肩を掴まれた距離があんな間近で、臭いとか思われたら立ち直れない。

 フローラルな香りとまでは言わないけれど、せめて汗臭くないくらいにはしておきたい。頑張ってせっせと身体を洗って、爪を確認すると泥が入っていたのでそこもせっせと洗う。それにしても、今日は本当に疲れた。

 そして僕は盥に腕が落ち、頑張りが水泡に帰した音を聞いた。



 べんべんと、薄くて古い扉が叩かれている音で目が覚める。

 一瞬状況が把握できなかったけれど、すっかり冷え切った盥の水と、横に落ちている乾いてしまったタオルを見て湯浴みの途中で寝てしまったのだと気が付いた。

「フェイ!? フェイ、いるかい!?」

「は、はーい! います! 少々お待ちください!」

 慌てて服を着て、ボタン止める。軽く櫛で髪を梳きながら玄関に駆け寄り、櫛はポケットに突っ込む。来客を前に櫛を握り締めているわけにもいかない。



 扉の先にいたのは、恰幅のよい初老の女性だ。いつでも怒っているみたいに眉がきりりと吊り上っているのが特徴だ。

「お、おはようございます、大家さん」

「ちょっとフェイ、昨日は何事だい!」

 怒っているみたいにというのは語弊があるかもしれない。わりと、いつでも怒っている。

「き、昨日、ですか?」

 寝不足からの睡眠を強引に覚まされた余韻も吹き飛ぶ矢継ぎ早の怒声に混乱した。だって、心当たりがないのだ。昨日は早朝に家を出て、帰ってきたのは一時間ほど前なのである。それなのに、どうして夜も明けきらない内から怒鳴り込まれてしまったのだろう。

 大家さんは、重量感ある二の腕をふんっと組んだ。

「ずっとごとごとごとごとうるさかったって、あちこちから苦情があったんだよ! 夜仕事のやつもいるんだから、ちょっとは気を使ってもらわないと困るんだよ!」

「は、はあ。申し訳ありません」

 よく分からないけど謝っておこう。貧乏田舎者は小心者で、事なかれ主義である。

 へこへこと頭を下げていると、大家さんはふと何かに気付いたように片眉を上げた。更に吊り上るか、この眉毛。僕の驚愕をよそに、大家さんは疑うように扉の奥を覗きこんできて、慌てて身体で隠す。

「な、なんでしょう?」

「……そういやあんた、一人暮らしだったよね?」

「は、はい。そうですがぁ?」

「……昼間は仕事だしねぇ。あんたまさか、犬でも飼ってるんじゃないだろうね!」

「ええ!?」

 予想だにしなかった怒声に素っ頓狂な声を上げてしまう。それを見て、大家さんは違うと分かってくれたのか、ちょっと眉が落ち着いた。

「なんだ、違うのかい? ……猫かい?」

「違います! 寮はいっぱいで入れないしぃ、家族に仕送りしなくてはいけないでぇ、そんな余裕はありませんよぉ!」

 犬猫なんて飼っていたら問答無用で追い出されるだろう。更に、無実なのだから悲しすぎる。

「……まあ、それならいいんだけどね? 客を迎えるにしろ、ここにいる以上はうちの規則に従ってもらうよ!」

「は、はい!」

 無実の罪で追い出されるわけにはいかないと必死に言い募っていると、まだ疑わしい眉ではあったけれど、一応納得はしてくれたようだ。

「でもあんた、ちょくちょくうっとうしい喋り方するねぇ。いらっとくるから気をつけな!」

「は、はい!」

 結局最後まで怒られた。

 大家さんを見送る為に下げていた頭を上げて、一体何がいけなかったのか玄関で考え込んでいると、後ろから声がかけられた。

「フェイ、おはよう」

 振り向くと、兄が椅子に座って笑っている。

「兄様、おはようございます」

「おはよう、フェイ。今日もよく眠れたかな?」

「はい、兄様のおかげで、とてもよく眠れました」

「そうか、それはよかった。ところでフェイ、扉を開け放してどうしたんだい?」

 穏やかな兄の言葉に、開けっ放しだった扉にようやく気付き、慌てて閉めた。


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