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この国には、真贋使いの一族と幻術使いの一族がいる。
幻術使いは、まぼろしやまやかしを起こすことのできる一族だ。まるで現実に起こっているかのようなまぼろしを世界に映しだす。空の色を変え、死んだはずの人間が喋りだし、どんな世界でも作り出せる。
真贋使いは、幻術などのまやかしが一切通用しない眼を生まれながらに持つ一族のことだ。幻術を打ち破ることだけでなく、その瞳は人の心も映し出す。気持ちに敏く、嘘を暴く。
真贋使いの眼には、氷の結晶のような美しい花が咲いている。逆に幻術使いの眼には色がない。同じ色だけが瞼の下に広がっている。角度によって色を変える眼の中で花開く不思議な結晶を持つ瞳と、爬虫類のような瞳。幻術を使う人間の瞳に色がなく、それを見破る人間の方が鮮やかな瞳を持つのは、神々の悪戯心だったのか。
真贋使いと幻術使いは同じ異能を持つ一族として知られたが、いつからか幻術使いの一族は道を踏み外した。暗殺に手を貸し、賄賂を断る官僚の気を狂わせ、それらを打ち破る真贋使いを葬り去ろうとしたのだ。真贋使いと幻術使いは、同じ異能者でありながら、決して相容れぬものとなった。
しかし、いつ頃からか、真贋使いも幻術使いも後継者が生まれなくなっていった。異能を持って生まれた者は、たまの先祖返りがある以外は、代を重ねるごとに血が薄まりその力を失っていく。真贋使いがそうだった。かといって、幻術使いのように近親だけの婚姻を繰り返しても駄目だ。力は強まっても人としての身体が弱っていく。
先にその血を途絶えさせたのは幻術使いの一族だった。幻術使いの一族は子が生まれなくなっていったのだ。真贋使いは血を途絶えさせることはなかったが、最早その力を持つのは一族の中でも一家族に留まった。残り四人の真贋使いは国によって大切に守られながら、静かにその力を失おうとしていた。
そうして、異能の力を持って生まれた二つの一族は、歴史の中に静かに消えるはずだった。
三年前の、あの日が来るまでは。
「おーい、フェイ! ぼやっとしてんなよ!」
「あ、申し訳ありませーん!」
ぼーっとしていた僕は、抱えていた荷物を慌てて抱え直し、太い腕を振り回した男の元へと駆けだした。
僕の名前はフェイ。田舎から出稼ぎに出てきて、王都の城で下働きをしている。あんまり身体が大きくないから荷物運びの仕事は大変だけど、周りの人達はいい人だし、なんとか頑張ってやっている。城で働いている人には寮があるんだけど寮暮らしを希望する人が多く満員だったので、安い部屋を見つけて一人暮らしをしている。
「どこ行ってたんだよ。俺らの分来てるぜ。っと、その荷物どうした?」
「これですか? あっちに落ちてたんでぇ、後で警備に届けようかと思って」
「お前も人がいいなぁ。荷物忘れるようなまぬけほっときゃいいのに」
「分かりました。先輩の荷物は放っておきますね!」
「俺が悪かった」
色んな所から届けられた荷物を、各部署担当の場所にまで運んでいくのが僕の仕事だ。今日も予定通り届けられた荷物を配分し、各自運び始める。僕は、自分の担当になった飼葉を手押し車に入れて、先輩と同僚達と一緒に馬小屋まで運ぶ。他愛もない世間話をしていた先輩が、おっと、と声を上げて止まった。視線の先を辿って、僕も慌てて足を止める。
ぞろぞろと身なりの良い集団が通っていくのを見て、周りの人達も道を開けて頭を下げた。たくさんの騎士達は、たった一人の為の親衛隊だ。その隊長である男に手を引かれて真珠色の髪を揺らして歩いているのが、彼らの主、十三歳の少年トゥールだ。
世界でたった一人の真贋使い。
それが彼だ。身体が小さく、まるで十歳くらいの子どもに見えるのは、三年前の事件が原因だと言われている。最早宝石などとは比べようもないほど価値ある美しい瞳は、あの日から光を映さないと聞く。噂通り、細やかな刺繍が施された布を顔の前に垂らしているのは、瞳を開くことすらままならないからだと。
見えないからか、少年の歩幅は酷く小さく頼りない。そのゆっくりとした歩調を咎める人間は誰もいない。それどころか、痛ましいと憐れみの眼で静かに道を譲っていく。
集団が完全に城の中に姿を消してから、ようやく人々は動き始めた。
「今日は体調が宜しいのかねぇ」
「馬に乗っておられたのだからそうだろうな。喜ばしいことだ」
いつもは城から出てこないトゥールは、たまにこうやって姿を見せることがある。
「ああ……お可哀相になぁ。お淋しいだろうに」
「そうですね……。早く元気になればいいのに」
「……三年か。長いのやら、短いのやら」
先輩も、他の皆と同じように痛ましい眼で城を見上げた。
幻術使いが血を途絶えさせ、まやかしから人々を守る必要がなくなった真贋使いは、今までの功績を讃えられての王都での暮らしを辞退した。そうして一族は片田舎に移り住んだ。無論、国からは護衛の騎士がつけられていたが、それでも暮らしは穏やかで、彼等はこのまま静かに力を失っていくはずだった。
三年前、血を途切れさせたはずの幻術使いの襲撃を受け、真贋使いどころか一族諸共虐殺されるまでは。
真贋使いの四人は、両親と当時十五歳だった娘が死亡。一人生き残った真贋使いは、瞳の花結晶どころか、通常の視力さえ失ってしまった。医者の見立てでは眼球に傷がついているわけではなく、見えるはずだった。けれど、彼の少年の瞳は光すら映さない。
真贋使いの真贋なくしては、幻術使いのまやかしを見破る術がない。王都では姿の見えない襲撃が始まった。屋敷に賊が入り、貴金属が奪われる。それも白昼堂々と。だが、誰も賊の姿を見ていない。ただ、美しい花が空から降ってきた、地面から犬が生えてきた、等の現実ではありえない現象が発生している。それらは幻術でしかありえないのだが、そうと分かっていても対処の仕様がない。幸いにもまだ死傷者はなかったが、それも絶対とはいえない。王はすぐに、生き残った騎士の一団に固く守られていたトゥールを王城に召喚した。
幻術を敗れるのは真贋使いだけだ。それは周知の事実であり、また真実であった。生き残った真贋使いが彼一人なのだから当然の処置といえただろう。けれど少年は視力を失い、目蓋を開くことすらままならない。そんな状態の少年を城に縛り付けることへの批判もあってか、少年は城からの出入りを制限されることはなかった。けれど、心の傷は三年経っても癒えず、ほとんど城から出てくることはない。たまに外出しても、さっきのように周囲は騎士の集団が硬く固く守り、誰かと言葉を交わすこともなかった。
王城は、ぴりぴりとした緊張感を持ったまま、未だその尻尾の片鱗すら掴ませない賊の行方を追っている。
「よい、しょ! あー、重かった……」
「お前、ちびっこいからだぞ。もっと肉食え、肉」
「ぼろ部屋ですけど、寮より家賃かかるんですから仕方ないじゃありませんか」
先輩は、ははっと笑って僕の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。飼葉がいっぱい絡まったけど、悪い気はしない。皆からは弟みたいに可愛がってもらっている。先輩は僕の胸元で揺れる大きな白い石の首飾りを指でつついた。出稼ぎに出てくる時に家族がお守りとしてくれたものだ。
その様子を見ていた厩番の人がひょいっと話しに入ってきた。前に飴をくれたいい人だ。
「お前も物好きだよなぁ。寮の方が安いし、飯も出るから便利なのによ」
「だって、一人暮らししてみかったんですよぉ」
「兄弟多かったから一人で広々部屋使いたいって言ってな、そういや。そんないいもんじゃねぇだろ? ま、一人暮らし飽きたらいつでも寮にきな。部屋も結構空いてるし、四人部屋にゃなるが、そんな悪いもんじゃねぇぜ?」
故郷じゃ大家族には必須のぎゅうぎゅう部屋だったから、一人暮らしをしてみたくてたまらなかったけれど、確かに疲れて帰ってきてご飯の用意やら何やらいろいろするのはしんどい。そして、仕送りでカツカツの現状を考えると、やっぱり節約できるところはした方がいい。
「次の更新の時までに考えておきますね。あ、僕この荷物届けてくるんで、先に戻っていてください!」
「おう、早く戻れよ」
門が近いから警備の詰所も近い。そこに寄ってから行こうと、拾った荷物を肩にかけ直す。かちんかちんと音がしているから、何か瓶でも入っているのかもしれない。割らないように気をつけよう。
さて詰所に行こうと回れ右したら、視界の端にドレスの裾が見えた。綺麗な若草色のドレスだ。ここは王城だからドレスを着たお嬢様がいてもおかしくはない。けれど、そんなお嬢様が馬小屋にいるはずがないのだ。
首を傾げながら後を追う。すると、ちょうど角を曲がったドレスの裾が見えた。あっちはゴミ置き場だ。ますますお嬢様の向かう先として相応しくない。もしかして道に迷ったのだろうか。お供の人とも逸れてしまって、馬小屋を見て、余計に慌ててしまったのかもしれない。
「うーんと」
せめて警備のところまでは連れていってあげるべきだろう。
僕はぽりぽりと頭を掻いて、ドレスの後を追った。
何だか慌ただしい声が後ろの方で聞こえてきたけれど、僕はドレスの裾が気になって、そのどれも気にすることはなかった。
しかしこのドレス足が速い。どんなに急いでも裾だけしか見えない。走って角を曲がっても、次の角でドレスがひらり。扉が閉まる瞬間にひらり。開けた瞬間窓からひらり。どれだけ翻しているというのか。お嬢様の脚力凄い。
「ちょ、待ってください!」
ひいこら言いながら追いかけても、相手は止まるどころかますます速度を上げている。あれ? この人本当に迷っていたのだろうか。
切れた息の端でそんなことを思ったら、自然と足が止まってしまった。ドレスの裾はひらりと角の向こうに消えていったけれど、もう追う気は起きない。それどころか、僕の背中を流れる汗がひやりと冷えていく。そろりと踏み出した足元は、転びそうなほどふかふか。往来が激しいはずの廊下にこんな高級な絨毯を使うなんてもったいない。さっさと通り過ぎるだけの廊下の壁に、こんな高そうな絵とか壺とか置いておく理由は何だ。それはきっと、廊下をさっさと進む必要のない人達の目を楽しませるための物だ。
ここ、もしかしなくても、僕が入っていい場所じゃないのではなかろうか。そして、もしかしなくても、いま迷っているのは僕じゃなかろうか。
冷え切った背中を、さっきまでとは違う汗が伝い落ちていく。
「ま、まずいまずいまずい! これ、見つかったら牢屋だ!」
牢屋に放り込まれるだけで済むのだろうか。済まなかったらどうしよう!
僕は、冷や汗を流しながらせかせかと廊下を進んだ。一刻も早くこの場を立ち去らなければならない。頑張れ、僕の脚力。もしも警備の人に見つかって、その人が話聞いてくれなさそうな人だった場合、君を酷使して走り去る所存だから頑張って! なんかもう、さっきのでガクガクするほど疲れ切っているけど、折れる直前まで頑張って!
足を叱咤しながら廊下を突き進む。窓を見つけて喜んで出ようとしたら、まさかの三階だった。いったい全体いつ階段を昇ったというのか。なんだか泣けてきた。ちょっとした親切のつもりで迷子のお嬢様に声をかけようと思った結果がこれだよ!
いい年こいてべそをかきそうになりがら窓に手をつく。そこには情けない顔が映っていて、目を瞠る。さっきまで飛び降りるには高すぎる景色が見えていたはずなのに、まるで鏡のように僕の顔が映し出されている。茶色の髪と低い鼻の上に散ったそばかすだけが特徴の、まるで案山子みたいにがりがりの情けない僕。
見ているだけで落ち込みそうなので、早々に視線を外そうとしたら、僕以外の何かが映っているのに気付く。慌てて後ろを振り向いても誰もいない。なのに、もう一度視線を戻した窓には、若草色のドレスを着た少女が映っていた。
俯いた少女は、長い真珠色の髪を揺らしている。
『……るさない』
「え?」
突如がばりと顔を上げた少女は、血走った目をこちらに向けてしゃがれ声でがなる。
『ゆ る さ な い』
「え˝」
少女は、力が入りすぎて鉤爪のように歪に曲がった指をぎちぎちと動かし、僕に向けて走り出した。
『ころしてやるっ……!』
「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!」
さっきまでこそこそしていたのも頭から吹っ飛び、全力で悲鳴を上げた。警備の人、お願いだから今すぐここにきて! そして僕を捕まえて! 逮捕していいから僕を助けてぇえええ!
無意識に、神への祈りと警備への祈り両方を捧げた僕は、そのままふわぁと浮き上がった意識を見送った。
つまり、気絶したのである。
目を覚ましたら取調室でした。
めでたし、めでたし。