俺は下駄屋
俺は下駄屋
ハアハアハアハア……
今日もリヤカーを曳いて出張販売。
まあ、販売もあるけどほとんどが修理。荷物を満載したリヤカーを曳くのは俺の務めだから仕方ないとして、店開きの準備くらい手伝ってもよさそうなのに。
とはいえ、一番若手の俺が怠けるわけにはいかないよな。
住宅地の広場を借りて店を広げる。テント地で作った敷き布を広げて商品を並べてゆくのだが、見栄えよく並べるにはコツがある。
比較的手頃な値段のものを一番前に出し、少しづつ高級なものを順番に。
最も高級な商品の周りには、見た目こそそっくりの安物を積み重ねた。
これがミソなのだ。品物としては一番客に近い物のほうがかえって長持ちするのだが、見た目の高級さにつられる客の多いこと。もちろん利幅も十分にある。
見るからに安物の品は、目玉商品として値引きしてあるし、元値が安いのでたいした利益にならない。ましてこんな場末では、最高級の品を買うような客などいやしない。
おっと、場末だなんて誰かに聞かれたら大事になるところだった。危ないあぶない……。
親方に殴られながら覚えたのだが、なるほどなと今にして思う。
俺の持ち場はそうして準備を終えた。あとは先輩の持ち場を支度しなければいけない。
敷き布の上に木箱を置いて椅子代わり。椅子の左に道具箱を置いた。
「聡史、あとはいいから、声かけしてこい」
いつの間にか、親方は七輪にヤカンをかけていた。
「下駄屋だよー。下駄――。鼻緒の挿げ替えから、こうもり傘の修繕だよーー。いつもの下駄屋が来たから見にきてちょうだーぃ。えぇ、下駄屋―――」
独特の調子をとりながらふれ回るのは俺の務めだ。店開きした町内だけでなく、隣の町内にもふれ回るのだから楽ではないが、俺の声を聞いて何人もが下駄やら傘を持って外に出てくるのを見ると、俺が来るのを待っていたことがわかり、まんざらでもない。
とにかく雨に降られなかっただけでもありがたいと思おうか。
「えぇ、下駄――。鼻緒の挿げ替えから、こーぅもり傘の修繕ーー。いつもの下駄屋が来たから見にきてちょうだーぃ」
広場に戻ると、すでにお客が何人か来ていた。
皆きまったようにチビた下駄を提げている。重ねて掴んでいるからいいようなものの、どれもこれも鼻緒が取れていたし、歯がなくなるほどチビている。手拭いで修理をした跡が痛々しいなぁ、そうは長持ちするものではないからな。
それにしても歯のチビていること。つま先も削れてしまって、どう見ても草履のようなものまである。なのに鼻緒を挿げ替えようというのだから首を捻ってしまう。いくらも違わずに新品が買えるのに……。
だから俺は新品を勧めたよ。でもな、その差額分が出せない人もいてな……。
そうかとおもえば、新品を気前よく買う客もいる。しかもだ、雨避けカバーをつけてくれという注文つきだ。
で、どれを買ったと思う? 笑っちゃうよ、最高級品の隣に並べた安物だ。そんなのを買うくらいなら一番安いのにしたほうがいいのに、見栄張りなんだな。
鼻緒の種類はいろいろ。雨に強いビニールもあれば、昔ながらのビロードもある。
黒、紺、赤、黄。色だってとりどりだ。
その挿げ替えは先輩の仕事だ。
千枚通し片手に古い鼻緒を引き抜いた。
鼻緒をすげるには、まずは後ろ穴から。
麻紐をほどいて下駄の裏でしっかり絡げる。絶対に解けないようにクルクル絡げてぐっと絞った。
難しいのは前穴だ。俺だって、後穴はうまくできるようになったが、前はまだまださせてもらえない。
穴に麻紐を通してググッと引っ張るだけなのだが、その加減が……。
締めすぎると下駄が履けないような気がしてつい遠慮してしまうんだ。すると親方から拳固がとんでくる。ギョロッとした目で睨みつけて、せっかく締めたところを解いてしまうんだ。
「聡史、こんなこと教えたか? こんな鼻緒だったらお前、一日履いたらユルユルになっちまう。遠慮せずに締めるんだ」
いつもそう叱られている。
丸一日履いて少しキツイくらいがちょうど良い加減だそうだが、その加減がつかめないのだ。現に先輩だって、毎回親方に仕上がりをみてもらわねば客に渡すことを許されていない。
その先輩が前穴の括りにかかった。
穴を通した麻紐を縄に撚って小さな輪をこしらえた。そこに縄を通して大きな結び目をつくる。その結び目を下駄の台すれすれに作れれば成功だが、どうしても隙間があいてしまう。
引っ張りあげる余裕をみこんだのだろう、先輩はそれを親方に渡した。
親指を挿し込んで鼻緒のきつさを確かめていた親方の顎が一瞬強張った。
頬がわずかに紅くなる。
裂帛の気合いというのか、何もしたようには見えなかったのに、親方はにっこりして客に履くよう促した。
少しキツメに仕上がっているから最初は爪先しかかからない。それが三日も履けば、自然と緩んで指の股にしっくりくるようになる。親方はそういう締め加減がとてもうまい。
一人ひとり足の大きさが違うというのに、きっちり合わせるんだからさすがだ。
「ちょっと、これ、いくら?」
「それはお値打ちですよ、三百三十円」
小さな子供の手を引いた若い奥さんだ。苦しいんだろうな、一番安いのを手に取った。
「ええっ? そんなに高いの? 少しくらい安くしてよ」
お定まりの値引き交渉ってやつだ。ある程度の値引きは俺に任されている。最低が二百五十円。だけど、俺が許されているのは三百円まで。二百五十円で売ったって八十円の儲けがあるのによ。
「そりゃあないですよ、十分値引きした値段なんですから。それに、値段の割にモノがいいんですから」
「ふぅん、じゃあいいわ。町の下駄屋で買うから」
手にしていた品物をそっと置いたよ。
申し訳なさそうな顔をして、俺は客の目を見つめたね。
もうバチバチ火花が散ってるんだ。ここで折れなきゃ帰りそうな素振りをみせる客。だけど、一旦値引きをしたら嵩にかかって値引きをせがむに違いない。とはいえ、帰られては商売にならない。
「じゃあ、子供の菓子代に十円。鼻緒はどれにしましょう」
紙箱をいくつか見せて勝負に出てやった。ここで鼻緒を指定してくれたらお買い上げということになる。だけど……
「子供ならここにもいるよ」
くるっと振り向くと歩けるとは思えないような子を背負っていた。
「ちょっと、そんな小さな子なら菓子なんか……」
「食べるよ、この子。家にもう二人いるから連れてこようか?」
て、手強い。なんて客だ。
「なぁ、鬼みたいなこと言わないから、二十円。いいでしょ?」
親方がクックッと忍び笑いをした。俺の負けだということらしい。
新しい下駄を手に帰る客が、勝ち誇っているように見えたことが忘れられない。
懐かしい記憶はまだありますが、ひとまずこれで完結とさせていただきます。
長らくお付き合いくださり、ありがとうございました。