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一期一会は飴細工

 秋が深まり、栗ご飯が食卓をにぎわすと、次には甘い柿がかっこうのおやつ。柿は霜を経験するたびに甘みを増す食べ物である。

 そして新芋もよく食べたものである。

 細い芋がほとんどだったが、ホクホクに蒸かして一つまみの塩をふりかけて食べたものである。


 いよいよ北風が冷たくなると、釜をリヤカーに載せて売り歩くのが焼き芋屋。舵棒に括り付けた鐘をチリンチリン鳴らしながら細い裏道にまで売り歩いたものである。

 この焼き芋、少々高額であった。小学生が自由にできる小遣い銭程度ではヘタの部分しか売ってくれない。一応はバネばかりで重さを量っているようだが、買う相手によって同じ金額でも大きさがうんと違う。まことにいいかげんな商売だったようだ。


 年の瀬ともなれば夜鳴きそばが廻ってきた。

 リヤカーに屋台を積んで、自転車をこぎながら器用にチャルメラを吹いていた。

 五回通って買うのは一回。四人家族で注文は二杯。それ以上の贅沢は許されなかったのである。

 四人家族とはいっても子供が二人である。半分づつ分け合っても十分に満足していた。

 断っておくが我が家だけが苦しかったのではない。断じて、ない。

 戦後復興がすすんではいたが、国に財力がなかった。道路や電気といったインフラを整備している真っ最中である。酷い不況を乗り越えて、ようやく希望がもてるようになった時代でもあった。

 その当時は合成繊維が出始めていて、羊毛というタグを付けておいて実は化繊だったということが横行していたし、安い革靴を買ったつもりが、スルメで作った靴だったという荒業を日本人はしていたのである。だから、外出着を新調するときなどは、生地から糸をちぎって火で炙ったりもしたものである。


 とんだ寄り道をしてしまった。どうも歳をとったせいか伝え残したいことが多くて困る。


 春はあまり思い出がなくて、夏になればわらび餅。これは焼き芋屋が夏向けに模様替えをしていただけ。中にはリヤカーに焼き芋と書いたままというのもあった。

 そして定番中の定番、アイスクリーム。

 自転車の荷台に保冷庫を積み、幟をはためかせて町を走っていた。

 アイスクリームと、アイスキャンデーの二種類だったが、駄菓子屋よりも高価だった。


 年中通してといえば豆腐屋さん。

 自転車の荷台に木製の引き出しがついた棚と一斗缶を二つ積み、薄汚れた帽子を腰に提げた手拭いがトレードマーク。首には角笛に似たラッパを提げていた。

 いや、あれは息を吸う時にも音が出てたから笛の仲間か……。


 そんなことはどうでもいい。ドシンとスタンドを跳ね上げ、前輪が浮かないように前のめりになって豆腐屋さんは決まった時刻に現れる。

 プーーフーーー、プーーフーーー……


 その音がすれば必ず何人もが鍋を持って集まったものである。


 今こうして思い出すと、なんと情緒が溢れていたのだと胸があつくなってくる。

 薄汚れたラッパの掛け紐。薄く緑青が滲んだ胴体。油揚げのせいで深みのある艶を放つ棚。

 コレクションにしたいくらいである。


 ところで、京都の豆腐屋は自転車ではなかった。なんとリヤカーを押して売り歩いていた。ラッパの口にはテニスボール。だから、京都でラッパを吹く豆腐屋を私は目撃していない。

 もちろん子供だったから行動範囲はしれたものである。そのために知らないだけかもしれないが……。


 さて真打登場となるわけだが、これまでは日常いくらでも目にすることができたものばかりである。が、これこそはただの一度しか遭遇していない貴重品なのである。


 あれは、たしかセーターを着ていたから寒い頃だったのだろう。今にも降りそうなどんよりした空模様だったのは覚えている。何が降りそうか、しきりと思い出そうとするのだが……。


 外で遊んでいたのではない。珍しく宿題をしている最中だった。

 いつもの紙芝居とは違う自転車が通りをゆっくり行き過ぎたのを見て、私は思わず通りに飛び出していた。

 脇道への辻に停めた自転車は、荷台に小さな舞台を組み立てて引き出しから串に挿した人形を立てたのである。


 俄か仕立ての舞台に、馬やら犬やら、鳥やら蛇やら……。

 さまざまな人形が勢揃いしたのである。


「どんなのでも作るよー。飴細工だよー」


 値段は二十円、二日分の小遣いに相当する。

 どうしようかな、子供心にも迷いがあったが、そういうときの決断が速いのが私の数少ない取り柄である。


 脱兎のごとくという言葉がある。常に運動会でビリを競う私でさえ、脱兎のごとく家へ駆け戻り、小さな手にしっかり小遣いを握り締めてきた。


 私の注文はニワトリだった。どうしてニワトリを選んだのか覚えていないが、ニワトリを注文したのは間違いない。


 飴屋さんは、引き出しにいっぱい詰まった飴をつまむと、キューッと引き伸ばして程よいところでパチンと切った。それを七輪で暖めながら何度も何度も延ばしたり丸めたりを繰り返し、初めは透けていた飴が白くなるまで繰り返した。そして、時折暖めながらあちこちを指で抓んで薄くした。パチン、パチン……。

 握り鋏で形を整えると立派なトサカである。

 同じように薄く長く延ばして上へ向けた。

 そこにも鋏で細かな切れ込みをいれれば、羽ばたくニワトリになった。


 胴体に串を突き入れた飴屋さんは、引き出しを空けて小筆を取り出し、食紅でトサカを赤く塗った。


 最後に目をいれて完成した飴細工を大事に持って、私はそろそろと家に帰った。


 本棚の目立つところに挿しておいて、宿題をするうちにすっかり忘れてしまったのはどういうことだろう。何を忘れたかって? 飴細工のことをだ。


 帰宅した父親は、それを見てもそっぽを向いたきり話題にもしない。母親も、計画性のない小遣いの使い方を愚痴るだけ。一人妹だけが鷹のような鋭い眼差しを向けていただけだった。


 それからこっち、飴細工に出会ったのは一度もない。まさに一期一会であった。

 おわり。


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