木造船の消えた港
ピピピィーーッ
僕のいる教室から港が一望できます。小学校一年生のときは岸壁に接した校舎で、岸壁も低かったので授業中でも港を眺めていました。
その当時の港には、小型ヨットがたくさん浮かんでいました。
客船なんて見た記憶がないほど、貨物船がひしめいていました。
そうそう、笛の音を説明しなければいけませんね。授業中にぼおっと眺めては叱られていた、小学一年のある日の出来事です。
港のあちこちに黒く見える、大判焼きのような物が浮かんでいました。大判焼きとは、大鼓のような形をした焼き菓子で、皮も中身も鯛焼きと同じです。形が違うだけでした。
その大判焼きに太い綱をかけて貨物船が泊っていました。
ピピピィーーッ。
船までは少し離れているので微かにしか聞こえません。
貨物船に山と積まれた材木が海に落とされます。船の起重機が一度にたくさんの材木を海に落とすのですが、材木を載せた台を傾ける途中に笛の音が聞こえました。
そして、隣の山も傾けます。
ゴロゴロと材木が転がり、そのまま海にボトボト落ちてしまいます。太いのや細いのが混じって滝のようです。
海に落ちた材木はその場で跳ね上がったり、一旦沈み込んだ材木がまっすぐに飛び出したりもします。特に太い木が飛び上がると、本で読んだロケットのようでした。
バシャーン、バシャバシャ……
材木が落ちてくるのと、跳ね上がる水しぶきや材木がぶつかりあうさまは、一瞬たりとも目をはなせない光景でした。
船の上に積み上げられていた材木は、餌に群がる蟻のように貨物船を取り巻いています。それを集めて大きさを揃えるのは、長い竹竿を持ったおじさんたちでした。
六人ほどのおじさんが小船でやってきて、一斉に浮かんだ材木に飛び移りました。そして木を伝いながら散ってゆきます。
何の支えもない材木ですから、クルクル廻っているのがわかりました。
でも、よく見ていると、落ちないためにクルクル廻しているのではなく、廻しながら進んでいるのです。十分に隣の材木に近づいたら、竹竿の先につけた鉤を打ち込んで横に並べました。
おじさんたちはすごいです。
授業が終わるたびに材木を筏に組んでいました。そして、船の向こう側でも同じことをしていたようです。
おじさんたちが乗ってきた船が貨物船の陰から出てきました。
ドーナッツのような煙をポンポン吐きながら貨物船から遠ざかってゆきます。その船は、貨物船が向こう側に落とした材木を曳いていたのです。
ずいぶん沖へ出て向きを変えた船は、こっちの筏に近づいてきました。
曳かれてきた筏に乗っていたおじさんが飛び移りました。
太い綱を何本もかけ、一緒に引っ張ってゆくようです。
すっかり準備ができたらしく、船から荷物を受け取ったおじさんたちは、いかだの真ん中あたりの大きな材木に移りました。
船がゆっくり進んで、太い綱がピンと張りました。
煙突から真っ黒の煙がもうもうと上がると、船の後ろで水が盛り上がりました。遠くから見ていても、緑色をした海がそこだけ盛り上がっているのははっきり見えます。でも……。
舳先は水を切っていません。大型トラックの古タイヤを打ちつけた舳先は、ただブルブル震えるだけでした。
先生に名指しされ、黒板に答えを書いて席に戻る頃になってようやくゆっくり動き始めました。
もうもうと吐いていた煙がドーナッツになりました。そのドーナッツが機関銃のように飛び出しています。風に流されないドーナッツが一つ、二つ、三つ、四つ……。
たくさん数えられるほどありました。やがて、ドーナッツが船のお尻に流れていました。きっと船が進み始めたのです。
真っ黒だったドーナッツは、やがて茶色になり、薄い灰色に変りました。
おじさんたちは、七輪にヤカンをかけて弁当を食べています。貯木場に着くまでの間は休憩なのでしょう。
筏が離れたところには、やっぱり船に曳かれた艀が何艘もつながってきます。
沖の船から荷物を積み替えて、岸壁に運ぶのが艀の役目だそうです。でも、確かに引っ張る船が大きいこともありますが、筏と違って船に違いありません。わりと船足が速いのです。
それぞれの艀では、おじさんが舵棒を握っていました。ご飯を炊いている艀や、洗濯物をひらひらさせている艀もあります。艀に人が住んでいるということを先生が教えてくれました。
外国から来る船は大きくて、鋼鉄で作ってあります。でも、近くの港へ荷物を運ぶ船は、半分くらいは木で造った船です。
鋼鉄船は、どれもこれも真っ黒の船体です。わずかに水との境目あたりが真っ赤でした。そして、人の乗る場所は白。十隻が十隻とも同じでした。わずかな違いは、煙突にかかれた模様や記号、それと船名くらいなものです。
そこへゆくと木造船は、明るい色に塗られている船が多かったように覚えています。濃い色としてはこげ茶くらいでした。
人の乗る場所ももちろん木造です。でも多くの木造船は、ペンキが剥げて板がむき出しになっていました。また、何の印なのか舳先に添って水色の小さな四角が並んでいたものです。
鋼鉄船のように波を圧し割って進む力強さはありませんが、水に浮いているのが当たり前に思うほど、スイスイ進んでいました。
僕の住む町内には海も貯木もありません。でも隣の町内に行けば、岸壁から海へ落ちる心配がないほどの艀が繋がれていたし、近くの船溜りも、わずかな水路を残して船で埋っていました。
どの艀も、船倉の真ん中に太い棟木が一本横たわっていました。そこに幅の狭い板を並べて蓋にしていました。
当然ですが、そこは子供の遊び場でもありました。艀同士はほぼぴったりとくっついていますし、艀が動き出すことは絶対にありません。だって、艀には自分で動くためのエンジンなんかないのです。
走っていて転ぶことがあっても、下が板ですから少し痛いだけ。鋼鉄船のように、ジーンとする痛みはありません。それに、滑りにくかったです。
幅の広い運河を埋め尽くすような艀の群れがありました。
……伊勢湾台風直前の光景でした。
伊勢湾台風は大きな被害をもたらしました。
満潮と重なった高潮は、名古屋の広い範囲を海に変えてしまいました。
貯木場の材木が電車通りに転がり、何隻もの艀は貯木場へ流されたあげくに、土手にのし上げてしまいました。
台風被害から復興してしばらくすると、防潮堤の建設やら木材港の新設が始まりました。木材港の新設は、これまでの貯木場を集約する狙いもあったようです。それほどに流出した材木による被害が大きかったのです。
そして、木材港が完成すると筏を組む作業も、筏を運ぶ作業もなくなってしまいました。
また、貨物船がコンテナを運ぶようになりました。
コンテナだと船から直接トラックに荷降しできるようになります。その便利さに、貨物船は荷物のバラ積みをしなくなったのです。
そうすると艀は必要なくなりました。
せっかく鋼鉄で頑丈な艀を造っても、仕事がなくなってしまいました。
同じように、近くの港へ荷を運んでいた小型貨物船もみるまに数を減らしてしまいました。
コンテナなら、港から直接届け先へ運ぶこともできたからです。
いつのまにか港内から停泊ブイが撤去され、ひしめくように行き来していた小型船もいなくなりました。そればかりか、臨海鉄道も廃止されてしまい、埠頭の間も埋め立てられてしまいました。つまり、貨物を扱わなくなってしまいました。
木造船が健在だったあの頃、人々は喧嘩しながらもイキイキと暮していました。
はるか遠くまで見通せる港を眺めながら、ドーナッツを吐きながら軽快に走る木造船を記憶の中で追っています。
おわり