虫に囲まれて
細い草が風になびいている。まばらに生えた草がにょきっと水面から頭を出し、そよぐ風に茎を一斉に傾ける。草がゆらぐから細い波がたつのだろう。幼い私はそう思っていた。
隣の町内との境目は、大きな水たまりとなっていた。端から端まで駆けると息がきれるほどの長さがあった。横幅だって大きかった。私が大股で歩いたって三十歩ではとても越えられないほどに大きかった。もちろん、小学校に上がったばかりの私なのだが。
ところどころに草がかたまっている。今思えば葦のような草であろう。その草はすべて水面から伸びていた。
風がそよぐと細かな皺が水面を流れてゆく。その中に、ポツンポツンと小さな輪が現れては消えていた。アメンボウである。風に立って軽快に進むのを飽きずに眺めたものだ。
水たまりには沢山の虫がいた。星のないてんとう虫のようなゲンゴロウ。もっと小型のミズスマシ。ヤゴもいたし、タガメもいた。一年生の私は、深みに行くのが怖くて浅いところばかりをジャブジャブ歩いたものだ。が、上級生は平気な様子で深みへ入って行き、トノサマガエルを捕まえたりしていた。そんな勇気のない私は、もっぱらアメンボウやオタマジャクシを追いかけていた。
春先には、草の根元に太いトコロテンをよく見たものだ。トコロテンの中に玉がぎっしりつまっていて、そのひとつづつに黒い点があった。それが蛙の卵だということを知ったのは、確か三年生になってからだっただろうか。当時の私には、気味の悪いものとしか捉えていなかった。もちろん、他の虫の名前を知ったのも、その頃のことだ。
針のような太さの足で水面に浮かぶアメンボウ。どうやって浮かぶのだろうかと見つめている間に、水に浸かった足が痒くなった。ふと見ると、緑色をしたナメクジが何匹か足に貼りついていた。緑のからだに黄色い線が入っている。
「ヒールだよ、ヒール」
それが何のことか、その時の私にはわからない。ただ、友達が教えてくれたので、貼りついているそれをつまんで水の中に投げた。
ペチョッと水に落ちたそれは、伸びたり縮んだりして草の中に消えた。
その日は、灰色の蛇が一匹出てきたことで水たまりから上がったことを覚えている。
そんな水たまりがあった場所は、自宅の目の前。隣の町内との境である。
昭和三十四年当時、名古屋の住宅街にはこんな自然が残っていた。
少し遠征すると鮒や鯉が住む大きな池があったのだが、その存在を知ったのは四年生になってからだった。
昔、映画の撮影所があったそうで、その名残りの池もあったが、私が通ったのは別の池。一辺が二百メートルほどの四角い池だった。
小学生の自分には釣り道具などあるわけがない。だけど、皆が楽しそうに釣りをしているのをみると、やってみたくなるのが人情というものである。そこで、友達の道具を真似て道具をこさえ、見様見真似でやってみた。
棒の先に糸を括り、その先に蛙の足を結わえて垂らすだけ。今考えれば何も釣れるわけがないのだが、そっと仕掛けを上げ下げしているうちに獲物がかかった。
小豆色をした大きな海老、ザリガニだった。
昭和三十四年といえば、どうしても忘れられないのが伊勢湾台風である。
名古屋南部に甚大な被害をもたらした台風は、大きな池のある地域を海に変えてしまった。どの家も軒まで水に浸かったそうだが、自分のような子供が近づくなど考えられない状況であった。
池の近くに住んでいた知人によると、階段の下を大きな鯉が悠々と泳いでいたとか。
ただ、どう考えてもわからないことがある。というのは、池の水は淡水で、鯉は淡水に棲んでいる。ところが、台風がもたらしたのは高潮なのだ。貯木場が破れたから水が押し寄せたのはわかる。しかし、貯木場は海とつながっているのだ。となると、軒を洗う水は海水のはず。なのに鯉が悠々と……
同じことが近所の水溜りでもおきていた。
いくら通過しただけとはいえ、我が家でも床上浸水の被害を受けた。酒屋の倉庫から流れ出た缶詰や酒ビンがそこらじゅうにころがっていたくらいだ。なのに、水溜りには虫が戻っていた。
台風が去った後は、皆生活を立て直すのに懸命で水溜りのことになど目を向ける者はいなかった。
そして翌年、春になるとオタマジャクシが泳ぎ、やがてケロケロと合唱が始まり、トンボが湧いたりした。
先日福岡へ出かけたおりに、道端に小さな水溜りを見つけた。信号待ちの短い時間しか見られなかったのだが、陽の光を浴び、適度に葦が生え、水面に水草が浮かんでいた。
「まだ水溜りが残っているんだね」
私の視線を追った妻が懐かしそうな顔でそれに見入った。目尻が下がり、子供の頃を思い出したように微笑んでいる。
「チッチッチ」
にんまりとした私は、妻の顔の前で指を振ってやった。
「ビオトープって呼んでくれるかなぁ」
折よく信号が青になり、最後の気力を振り絞るのだった。
まだ都市部以外には湿地も残っているだろうが、いつまで残ることやら。
虫に囲まれた生活。
どうか失くさないでいただきたいと願うものである。




