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転把のあった頃

 皆さんは転把をご存知だろうか。テンパと呼んでいただきたい。

 転は回転のテンのこと。把は把握のハ、つまり、握り部のことだ。その二つをつなげて転把。今は絶滅してしまったこの名称を、ふと思い出してしまった。


 あれは小学校の四年生だった……ように覚えている。

 当時、新モノが好きな父が、中古の自動車を買ってしまったのだ。営業部長と名前がついてもしがない町工場の従業員だった父が、なんとも思い切ったことをしたものである。

 小学校四年というと、昭和三十七年頃である。弟が生まれたのが昭和三十八年で、その時は五年生だったから間違いないだろう。

 その当時は、ダイハツのミゼットが街中をミズスマシのように走り回っていた。愛知機械のコニーなどは新進気鋭の自動車だった。スバルだって初期型の、スライド窓だったように記憶している。立派な乗用車は、日野ルノー。初期型のブルーバードがタクシーとして活躍する中で、ルノーのタクシーは一段と流麗に見えたものだ。

 もちろんバスはボンネットバス。非常口がついたのもこの頃ではなかったろうか。

 道路は……

 主要道路はコンクリート舗装されていたが、そんなものは僅かしかなく、近くの工場へ通勤する自転車が黒い帯になっていた。その自転車に小型エンジンを取り付けた乗り物が走っていたが、その頃にはスクーターに主役を奪われていた。そのスクーターの群れの中に、ホンダのスーパーカブが混じっていた。そのカブがスクーターを駆逐するのに、長い時間はかからなかったように思う。

 とはいえ、舗装されていなくても、長年踏み固められた道路は土埃と水溜りさえ気にしなければ丈夫な道だった。


 さて、秋が深まった頃だったように覚えている。いや、もう北風が冷たくなっていた。

 ある朝、父が出勤のためにエンジンをかけようとした。

 ウーーーウンウンウン……

 ウーーーウンウンウン……


 一度でエンジンが掛かったことは稀だったが、二度目にはバタバタバタバタと乾いた音をたててエンジンが生き返ったものである。それが二度目のスターターでもかからなかった。

 ウーーーウンウンウー……

 次第にスターターの音が重くなり、ついにウッといったきり動かなくなった。


「一明、ちょっと来い!」

 父の呼び声に、私は箸をおいて表に飛び出した。


「どうしたの?」

 後ろのフードを開けて父がごそごそやっていた。

「バッテリーがあがった。プラグが濡れているかもしれないから掃除する。そっちのプラグを抜いてくれ」

 早くも片方の点火プラグを抜いた父は、レンチを私に手渡すとマッチでプラグを焼いた。今思えば単純な構造だが、V型二気筒エンジンが大きく見えたものだ。

 手際よく点火プラグを外す小学生と不思議に思わないでほしい。四年生の私が手際よく作業するなりの理由があったのだ。つまり、こういうことは日常茶飯事だったということだ。

 じっとりと濡れたプラグを焼き、端子を紙やすりでこすり、点火隙間を調整して組み付けるのに熟練してしまっていた。


「よし、回してみるからな」

 祈るような気持ちだっただろう父がキーを捻る。が、天の仕打ちは冷酷だった。

 ウッ、ウッ……。

 それきりスターターはびくともしなかった。完全にバッテリーがあがってしまったのだ。

 しかしっ! 齋藤家はそれくらいのことで怯みはしない。

「一明、テンパでまわせ!」

 そう、奇跡のアイテムがあり、使い方を知り、幾度とない経験があったのだ。


 エンジンルームの壁に一本の鉄棒が備えてある。鍵型に曲がった鉄棒の先端には細いピンがささっていた。それをエンジンに突っ込んで回すのだ。


 棒を突っ込んで回すと、軽く回るところがある。その次は急に重くなって回りにくくなる。その重いところで勢いよく回せば、うまくすると見事解決となるのだが……。


「やるよ!」

 しっかり棒を掴んで声をかけた。

「ムッ!」

 重いハンドルをググッと回すと、一瞬だけどブルブルッとエンジンが動きそうになった。

「惜しい! もう一回!」

 何度回してもエンジンがかからない。

 最後の手段、押しがけである。疲れるテンパを続けた私を気遣って、父は後ろに回った。となると、運転席が私の持ち場ということになる。

「いくぞ!」

 まだ父は若かった。裂ぱくの気合とともに自動車を押し始めた。


 朝早い住宅地のこと、通りには人影がないことが幸いだった。十mも押せばけっこうな勢いがついてくる。私は、かねて教えられていたように高速側のギアにつないだ。

 ウーーーーーッ……バタバタバタバタ……

 見事に息を吹き返した自動車を玄関先までもってきて父と交替した。狭い通りでUターンする技量などない私は、町内を一周してきたのだ。

 たしかに当時のバッテリーは性能の悪いものだった。それに値段が高くて新品など買うことはできなかった。だから、町にはバッテリー屋というのがあって、気軽に充電していたものだ。

 それにしても、そんな子供の頃から機械に馴染んでいるのだから、私は根っからの機械屋なのだろう。


 日本の自動車は急速に進歩した。大きく、重く、静かで多くの人数を一度に載せられるようになった。

 パンクもしない。バッテリーなど、車を買い替えるまで使えるくらい耐久性が増している。そして、故障しない。

 しかし、マニュアル車が絶滅しようとしている今、押しがけという高等テクニックは滅んでしまった。テンパなど、古い記録にしか残っていない。

 それでも、我が家の愛車第一号がユーチューブで見られるだけましかもしれない。

 マツダR360クーペ。本来二人乗りの車に、家族四人が乗って名神高速を走ったことを忘れない。


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