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Cross point

作者: ソラニン

     1



 午後六時四十分 渋谷 宇田川町


 夕日の沈みかけたセンター街は一番の混み合いを見せていた。

 沢山の人々がそれぞれ不規則にすれ違い、その中を栗色のポニーテールをした女子高校生――西野雪菜と短髪ツリ目の男子高校生――桂幸太郎は人の合間を縫うように駆け抜けていた。

 目的は宇田川町の外れにある喫茶店――ストレイ・キャッツ。

「あぁ……もうっ! どうしてこんな事になっちゃったのよ!」

「もうすぐ七時か。遅くなっちゃったな……みんな待ちくたびれてるかな?」

「幸太郎が悪いんでしょ! 部活終わって一時間も何してたのよ?」

「片付けだよ。ボールの後片付けとかグラウンド整備とか、大変な事はいつも男子ばっかりだよ。っていうか、雪菜も見てたでしょ?」

「早く終わらせないのが悪い! 待たせるのが悪い! 全て幸太郎が悪いのっ!」

「す、全て!? ……ちぇ、マネージャなのに雪菜はこれだよ」

「何独り言いってんのよ。先行っちゃうよ!」

 幸太郎の背中からはネットに入れられたサッカーボールと大きなエナメルバッグが下げられている。使い古されてハゲかけたバッグやボールには幸太郎の頑張りが如実に表れていて、それは雪菜にとっても誇らしい事だった。

 ――お疲れとか、言ってあげたいな。

 だが雪菜は言えずにいた。

 いつも喉の奥で言葉が詰まってしまい、何故か出るのは百八十度変換された、思ってもない攻撃的な言葉の数々。

 今日こそは言ってみせる。マネージャとかでは無く、彼が好きな自分として労ってあげるのだ。

 そう思い、幸太郎を見て口を開く。

「幸太郎……その、私……」

 遂に言葉が口から出ようという時、幸太郎が慌てて遮ったので飲み込んでしまった。

「雪菜、前! 前!」

「え?」

 前を向いた時には既に遅かった。

 前方の人混みに紛れてゆっくり歩いていたお婆さんに、雪菜は衝突してしまったのだ。

「きゃ! いたた……ご、ごめんなさいっ!」

 お婆さんはすぐに起き上がり、拳をぶんぶんと振り回して叫ぶ。

「こりゃ、前向いて歩きんしゃい!」

「ほ、本当にごめんなさい!」

「おばあちゃん、大丈夫ですか?」

 幸太郎はお婆さんに駆け寄り手を差し出すと、お婆さんは笑顔で手をとった。

「ありがとうなぁ。……とでも言うと思うてか! すぐそこに交番があるじゃけんね、突き出しちゃる!」

「え、ええっ!? そんな、幾らなんでもそこまで!?」

「人混みの中を前も見ずに走っとるのが悪いんじゃきに。自業自得じゃ!」

「ええー!? そ、そんなぁ」

 笑顔から豹変したお婆さんの怒りに、どうしたらいいのか分からず慌てふためく。

 すると突然、幸太郎が雪菜を手を引いた。

「雪菜、ごめん!」

 そう叫ぶと同時に、雪菜は幸太郎に連れられてその場を逃げ出すのだった。

「こら待て! 待ちんしゃい!」

 お婆さんを振り切り、店とは遠回りな道を駆け抜ける。

 最初は驚いていた雪菜も必死な幸太郎の顔を見て頬を染め、きゅっと手を握り返した。


     …


 気がつけばセンター街の最奥にある大型雑貨店――東京ハンドまで来ていた。

 心臓がバクバクと悲鳴を上げ、じっとりと汗ばんだ幸太郎の熱が手に伝わってきて恥ずかしい。

「ここまで来れば大丈夫だとは思うけど、参ったな……逃げる事に必死で店から大分離れちゃったな。雪菜、大丈夫?」

「うん……」

「とりあえず、みんなに連絡しとくか。……って、そういや電池切れてたんだった。雪菜、携帯貸してよ」

「うん……」

 ピンクの小さな携帯を渡すと幸太郎はすぐに電話を掛け始める。

「あ、田中? 悪い、遅れそうなんだ。うん、うん――」

 幸太郎が電話している最中、雪菜はある考えで頭が一杯だった。

 ――こ、これは……チャンスなんじゃあないかしら!?

 先ほどから心臓の鼓動は止まらない。

 と言っても走った所為では既に無く、あんな状況で手を引いて逃げ出すというロマンチックな状況に不覚にもときめいてしまったからだ。

 ――あーあ、これで追われてるのが黒服サングラスの悪い人とかだったら良かったのに。

「……卑怯だよ。普段へなちょこなのに、いきなり手を握るなんて」

 既にお婆さんの事など雪菜の脳裏から消えていた。今少女の頭にある事はただ一つ。助けてくれたお礼を言って、そしてあわよくば、その場の流れで告白を――。

「雪菜、電話ありがとう」

「え!? あ、いや、うん……」

 通話を終えた幸太郎から、しどろもどろになりながらも携帯を受け取る。

 ――さあ言うぞ、ほら言うぞ、すぐ言うぞ……!

「幸太郎!」

「な、何!?」

「そ、その……さっきはありがとう」

「いや、別にいいよ。あのお婆ちゃんには悪い事しちゃったけどね」

 幸太郎が苦笑いを浮かべる。第一段階の成功に頭の中で変なファンファーレが鳴り響き、喜びのあまり強く拳を握り締めてしまう。そしてその痛みによって幸太郎は苦悶の表情を浮かべる。

 さて、ここからが核心だ。

「私と……」

 鼓動が早くなる。口の中が乾き、顔が茹で上がりそうな程熱い。

「雪菜……?」

「私と……」

 これまでの人生で培った勇気の全てを、今ここで――


「防犯グッズ買ってこ! そこのハンドで!」

「……防犯グッズ?」

 ――しまったあああああ!

 何故このタイミングで逃げ出してしまったのか。自分のチキンハートが目に見えるならば、今すぐデストロイしてやりたい所だ!

「何で防犯グッズ? ストーカーにでも狙われてるの?」

「う……あ……その、前々からストレイ・キャッツは防犯意識が薄い気がしてたのよね。だから店長に相談したら、お金あげるから適当に買って来てくれって頼まれてたの」

「それ、店長が買って来た方がいいんじゃない? そういう店は渋谷に沢山有るんだしさ」

「それはその……全然乗り気じゃないのよ! 必要最低限の設備は付いてるから大丈夫だって」

「ははは……店長らしいや。ともかくハンドに寄るってのは賛成。今電話したら、みんなもう少し待ってくれるってさ。それに僕も昨日店長に頼まれた事があってさ」

「幸太郎も?」

「うん。ストレイ・キャッツで飼ってる猫のタマ、アイツの首輪を新調してきて欲しいってさ。本当はもっと早く渋谷に来て買うつもりだったんだけどね」

「何で幸太郎に頼むのよ! それこそ店長が行けばいいじゃない!」

「店長が言うには、僕のデザインセンスを見込んでだってさ。タマのお世話も何度かしてるし、お金立て替えてくれるし、まあいいかなって」

 ――それ、絶対騙されてるし……。このお人好し。……そういう所が良いんだけど。

「……バカ」

「えぇぇ~?」

 肩を落とす幸太郎の横に寄り添い、二人で建物の中へと入っていく。

 顔の熱は依然として残っているが、何だかとても心地良い温度となって体を包んでいた。


     …


 二十分後 ストレイ・キャッツ前


「うう……ミスったぁ……」

 頭を抱える幸太郎に、雪菜は呆れ混じりの笑みを浮かべる。

「採寸用に持ってきた首輪落とすなんて、幸太郎バカすぎぃ」

「きっと走ってる最中に落としたんだ。うう……雪菜の前方不注意の所為だ……」

「何か言った?」

「いいや、なんも……」

 雪菜のひと睨みに小太郎の不満もへの字に曲げた口から出なくなった。

「幸太郎が名前負けして運が無いのはいつもの事なんだし、諦めたまへ」

 やりようのない気持ちにうなだれる幸太郎の頭を笑いながらてしてしと叩いた雪菜は、ストレイ・キャッツの前で動きを止めた。

「雪菜?」

「幸太郎……あれ」

「あれって……? なっ!?」

 雪菜が指さした先、それは雑居ビルの一階がイギリスの伝統民家を模したレンガ仕立ての店だった。

 いつもなら前面に木製の扉と大きな窓ガラスが嵌めこまれ、上にはなだらかな斜面を形成した雨よけが取り付けられているのだが、目の前に広がる光景は見慣れた物から一変していた。

 ストレイ・キャッツにはコンテナ搭載の中型トラックが突っ込んでいた。運転席付近は完全に店内にめり込み、周囲には瓦礫と木片、ガラス片などが散乱している。店の周囲には人だかりが作られ、何事かと目を凝らして中の様子を伺おうとしていた。

「な、なんだ…これ。あの、すみません!」

「ん?」

 側に居た見物人の男に幸太郎は声を掛けてみる。

「あの、ここで何があったんですか?」

「何がって……見ての通り、トラックが建物の中に突っ込んだんだ」

 血の気がサァと引くのが幸太郎と雪菜には分かった。体中を寒気が走り、開いた口が塞がらない。

「田中達は……中に居た人達は大丈夫なんですか!?」

「……事故が起こったのはついさっきで、警察と消防もまだ来てない状態だ。悪いけど分からないんだ」

「そんな……」

 二人は逸る気持ちに駆られる様に、人だかりの最前列に向かって人の間を強引に進んでいった。

 そしてやっとの思いで最前列に辿り着いた二人は目の前の光景に改めて言葉を失った。

 いつも通っていた店にトラックが突っ込んでいるという非現実的な光景はどうしようも無くそこに有って、近づいてなお突きつけられる現実に雪菜は顔を覆ってその場に崩れ落ちた。

「そんな……みんな、みんなぁ……! 田中、龍宮寺、店長、タマぁ……」

「雪菜……」

 涙が溢れて止まらない。幸太郎が気を使って肩に手を置いてくれるが、それも気休めにすらならない。

 するとそんな二人の元へ、電柱の影から猫が駆け寄って来た。

 俊敏で滑らかな身のこなしで人の間抜け出してきた、それは――

「タマ、無事だったのか!」

 オスの三毛猫――タマは何事も無かったかのように雪菜の膝元に乗ると、雪菜の腕をぺろりと舐めた。

「みんなは…みんなは大丈夫なの!?」

 猫に聞いても無駄だという事は雪菜にも分かっている。だがこんな常識外れの非常事態には、常に何かしてないと、何かに頼らないと正気ではいられない気がした。

「とにかくタマが無事でよかったよ……」

 雪菜はそう言ってタマを抱きかかえると、おもむろに店内へと目を凝らし、衝撃的な光景を目撃した。

「な、中に店長と誰か居る!」

「本当か!?」

 瓦礫の隙間、その奥に見える店内。そこで三人の人影が有った。

 一つは筋骨隆々の体に美しい曲線を描いたハゲ頭。特徴的なそれをよく知る幸太郎と雪菜には、それが店長だと一目で理解できた。

 残り二つの影は全体が黒い為、それが服なのか影なのか判別がつかない。

 彼らは外の状態など意に介さないかのように、何かを話しているらしかった。

「田中と龍宮寺かな……?」

「きっとそうだよ。店に客なんて、あの二人しか考えられないよ!」

「中の様子が確認できたらいいのに……」

 確信が欲しかった。二人の姿をこの目で見るまでは、安心していられなかった。

「ニャッ!!」

「きゃっ! タマ、どこいくの!?」

 突然たまが雪菜の懐から抜け出し、そのまま店内へと走り出したのだ。

「待ってタマ、危ない!」

 雪菜は急いでタマを追う。それと同時に突然メキメキという鈍い音が響いた。

「何だ、この音……?」

 幸太郎は辺りを見回し、次に音が鳴った時にその元に気がついた。

 店の上に取り付けられた雨よけ。それが事故の衝撃で今にも外れそうになっていた。

「雪菜危ない! 引き返して!」

「え?」

 雪菜がタマを捕まえて抱きかかえたのは、運の悪いことに、丁度雨よけの真下だった。

「雪菜!」

 雪菜が真上から迫る危機に気がついた直後、留めていた金具はとうとうバキンと音を立てて外れ、鉄の骨組みを含んだ雨よけが雪菜とタマに襲いかかる。

 まるでスローモーションのように雪菜には感じられた。世界が速度を緩め、まるで押し潰される事をじっくり味わえとでも言うかのような、そんな残酷な猶予が与えられたかのようだ。

 だがあくまでそう感じるだけで、雪菜は茫然と目を見開いたまま、動く事が出来なかった。

「雪菜、ゆきなあああああああああああああ!」

 駆け出していた幸太郎は叫ぶ。必死に伸ばした手が彼女を求める。

 しかし無情にも瓦礫は速度を緩めず、一人と一匹へと落ちていった。


     2


 同日 午後六時二十分 スクランブル交差点


 時は遡り、別の視点へと移る。

 中島トメはスクランブル交差点を渡りきった所で溜息をつく。

 初めての東京。それもとびきりの大都市――渋谷を前に呆然と目を丸くしていた。

 視界から尽きることのない人の波やチカチカする光だらけの街。

 森や畑に囲まれて生活していた彼女にとって、この光景は恐ろしく不気味で居心地が悪い。

「ハァ……東京はおっそろしいところじゃ。目ぇ回しそうじゃけん」

 それでもトメはどうしてもここに来たかった。

 昔家を出た息子が店を立ち上げたという手紙を寄越して、いてもたってもいられなかった。

「はて、確か店の名前は…ストレイ・キャッツ? へんちくりんな名前じゃけんね」

 同封されていた地図に書かれた名前を読み、センスの無さにトメは呆れる。

「しかしこの宇田川町というのは、どこじゃ?……人に聞いてみるかのぉ」

 地図とのにらめっこに白旗を上げ、トメは辺りを見回す。

 ――幸いこれだけの人がおるけんね。できるかぎり暇そうで迷惑にならなさそうな人がよいかのぅ。

 ふと、前方の道路に止まるトラックの傍でタバコをふかす二人組の男がいた。片方は金髪に色黒の肌、細身の黒スーツという出で立ちの男。もう一人はスキンヘッドの大男で、顔に大きな傷が有る。

 どちらもカタギとは言い難い風貌をしており、普通であれば避けるべき人種だった。

 しかしトメは初めての都会に常識がやや麻痺しており、その普通が考えられず、無防備に話しかけるのだった。

「すみませぬ。道をお聞きしたいのですが……」

「…んあ?」

 金髪の男は加えたタバコを加えながらトメを睨みつける。

しかしその視線にトメは何の凄みもせずに「この場所なのですが……」と地図を見せながら更に接近し、二人組を呆れさせる。

「ずうずうしいばあさんだな。いいぜ、教えてやるよ」

「ケンにしちゃ珍しいな。この前なんて爺さんをボコボコに殴って病院送りにしてたのによ」

「ははは、マサオミ……そりゃ俺たちから借りた金返さなかったからだっつーの。普段の俺はごく普通の善良な市民だぜ。困ったヤツの一人や二人片手間で助ける、器の大きいタフガイだぜ」

 自分で器の大きさを語る間抜けな金髪の男――ケンは、ケラケラと小馬鹿にした笑みを浮かべながらまじまじと地図を見た。

「そこは…ああ、そこのセンター街を入って最初の十字路を右に曲がって次を左に曲がって真っすぐ進むんだな。そっから先はY字路に交番があるからそこで聞きな」

「へぇへぇ、どうもありがとうございます。――脳みそ空っぽのガキ共めが」

「ん? 何か言ったか?」

「いえいえ。それでは、失礼しますじゃ」

 二人に頭を下げると、トメはセンター街へと足を向けた。

 トメが去った後、巨体の男――マサオミがケンに耳打ちする。

「おい、あの場所は――」


     …


 背が低くゆったりとしたトメの歩行速度は周囲の人々から明らかに遅れていた。

 突然視界の隅から現れたかと思うと、せかせかと四方八方の人ごみに消えていく。トメの感覚からすれば行動の速度が二倍から三倍にまで感じられる。

 ――何で都会の人は、こんなに急いどるんじゃけんのぅ?

 生活習慣がまるで違うトメには都会の事情を全く知らず、のんびりと教えられた道を進んでいった。

 そうして宇田川町の交番前まで辿り着いた時だった。

「雪菜、前! 前!」

「おや?」

 横から何やら大声が聞こえ、ゆっくりとそちらに顔を向けた。と同時に走ってきた女子高生が目の前にまで迫っており、トメと少女はぶつかって倒れてしまう。

「いたた……ご、ごめんなさいっ!」

 栗色のポニーテールをした制服姿の少女はお尻を擦りながら言う。

「こりゃ、前向いて歩きんしゃい!」

「ご、ごめんなさい!」

「おばあちゃん、大丈夫ですか?」

 少女の連れらしき短髪ツリ目の少年が手を差し出してきて、トメはありがたくその手を握った。

「ありがとうなぁ」

 ――こんな若くてカッコええ子の手ぇ握れるとは、役得役得! ふぇふぇふぇ。

 申し訳無さそうに顔を伺ってくる二人に対し、トメは心の中でいたずら心を発揮する。

「……とでも言うと思うてか! すぐそこにお巡りさんがおるけんね、突き出しちゃる!」

「え、ええっ!? そんな、幾らなんでもそこまで!?」

「人混みの中を前も見ずに走っとるのが悪いんじゃきに。自業自得じゃ!」

 本当は怒ってはいないのだが、こうして若い子と話せる機会は田舎に帰れば無いだろう。そう考えたいたずら心だったのだが――

「雪菜、ごめん!」

 少年が突然少女の手を引いて、その場を逃げ出した。

「こら待て! 待ちんしゃい!」

 叫んではみたものの、老人の足が若者の足に届くはずも無く、早々に追うことを諦めた。

 ――うーむ、ちょっとふざけ過ぎたかね。

 気を取り直して店へと向かおうとしたが、ふと足元に何やらベルトのような物が落ちていた。

「何じゃえ、あの子の落し物かえ?」

 手にとって見てみると、それは犬や猫の首輪のようだった。ベルトには銀色のタグが付いており、表にタマという名前、裏に住所が書かれている。

「はて、ここはこれから行く店の在る場所じゃないかえ?」

 住所は間違いなくストレイ・キャッツを示していた。何故あの子供が持っていたのかちっとも分からず、トメは首を傾げる。

「何であの子が持ってるかしらんが、どうせここに行くんじゃきに。持ってってやるかのぉ」

 純粋な親切心で首輪を懐に収めてまた歩き出した。


     …


 十分後 ストレイ・キャッツ店内


 扉に取り付けられた鈴が来客を店中に知らせる。

「ごめんくださいな」

 ようやく着いたトメは、落ち着いたカフェテリアの店内を見回し、空いている席に腰を落ち着けた。

 フローリングや木製のテーブルなどのログハウスを彷彿とさせる広い店内には、蝋燭の火の色に限りなく近づけた電球が煌々と店内を照らす。そして空間を持て余す様に、客は離れた所に高校生が二人居るだけだ。

 ふと、奥から見慣れたハゲ頭の大男がにこやかに歩み寄ってきた。

「いらっしゃいませ。ご注文は……って母ちゃん!?」

「おお、修一郎や。ホントに久しぶりじゃけんね」

「来るなら来るって連絡してくれればいいじゃねえか。そしたら迎えに行ったぞ」

「いやいや、こうして一人で来られたんじゃ。問題なかろうての」

 一人息子の顔を実際に見るのは十数年ぶりだ。十六の時に家を出て行ったきりあまり連絡も寄越さず、何をしているか心配だったが、こうして元気そうな顔を見ればそれまでの心配など吹き飛んでしまうものだ。

「全く、よく飛行機とか電車に乗れたよな。人混みに潰されなかったか?」

「子供の頃に銀座に行った事があるもんでの、これぐらいへっちゃらじゃ。知っとるか分からんが、わたしたちゃ三種の神器っちゅー呼んどった物を買いに行ってのぉ」

「どんだけ昔なんだよ。つーかあのテレビと冷蔵庫と洗濯機、俺のガキの頃もあったけどまだ使ってんのか?」

「もちろんじゃ。まだまだ現役じゃぞ」

「しぶとすぎんだろ……あれ、俺より年寄りだってのによ」

 懐かしさに会話が弾む。

 そんな間を割って、ひょうきんそうな少年の声が店内に響き渡る。

「店長ー! 水おかわりー!」

「ウチはセルフだっつってんだろ! つか、いい加減ウチで長時間たむろってんのやめろ! 何時間居るんだテメーら!」

「ええー、いいじゃん。こんなガラガラなんだし」

「うるせー!」

 ツンツンした金髪――田中は空のグラスを挙げてヘラヘラと笑う。もう一人の大人しそうな童顔黒髪――龍宮寺も「またか」と呆れつつ笑っている所を見ると、修一郎と親しい間柄のようだ。

 ――はて、あの子達の制服……さっきぶつかってきた子達と同じじゃけんのう。

 そんな風に首を傾げながら、水を取りに席を立った。

 その時だ。


 ドガァシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!


 壮絶な轟音、舞い上がる粉塵と瓦礫。

 一体何が起こったのか理解できず、トメの体は店の奥へと吹き飛ばされてしまう。

「母ちゃん!」

 壁へと叩きつけられる瞬間、修一郎が身を挺してトメを受け止める。

「母ちゃん、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫じゃけん……」

 落ち着いて周囲を見回すと、入り口にトラックが突っ込んできていた。

 運転席の部分は天井まで届いており、車体の後ろにあるコンテナは建物に引っかかっていて、それ以上店内に入って来れないようになっていた。

「イテテ……畜生、あの猫、何てトコに居やがる」

「どうすんだよマサオミ!! これじゃ取り立てに成功しても警察に捕まってジエンドじゃねーか!!」

 運転席から這い出てきたのは、先ほど道を聞いた大男と金髪の男だ。金髪の男は運転していたらしき大男に罵声を浴びせている。

「いや、だから道の真ん中に猫が居てだな……」

「そのままひき殺しゃあよかったじゃねぇか!!」

「いや……ネコ好きに対してその意見は、その、無理だ」

「アホか!!」

「お前さん達!」

 トメは怒りの声を二人に投げかける。周囲を見た時、先ほどの学生二人が倒れているのを見て、現行犯の彼らに怒りをぶつけずにはいられなかった。

「お前さん達、これはどういう事なんじゃ!? どうしてこんな事……!」

「おお、さっきの婆さんじゃねえか。今日はご縁がありますね」

「母ちゃん、下がっててくれ」

「修一郎……!」

 修一郎は二人に悠然と歩み寄っていく。

「俺たちが何でここに来たのか、お前はちゃんと分かってるだろ? 俺たちから借りておいて、ちゃんと返済できないヤツは……ってな」

「でも関係ないヤツらを巻き込む事は無いじゃねえか! あいつら子供まで巻き込むなんて、お前らそれでも人間か!」

「いや、まあ、こんな事になったのは事故なんだけどな……。まあいいじゃねえか、どうせお前は死ぬんだしよ」

「待て、約束の日までまだ時間があるじゃねえか!」

「……あと一日か二日の違いじゃねえか。細けえ事は気にすんな。」

 ニヤリと下卑た笑みを浮かべ、ケンは懐から拳銃を取り出し、修一郎に突きつける。

「ぐ……」

「グズグズしてたら警察が来ちまうしな。とっとと終わらせてもらうぜ」

 修一郎の腹部目掛けて引き金に力が込められ、そして、空間に乾いた音が鳴り響いた。

 弾の向かう先は――

「そんな……母ちゃん!」

 とっさに間に入ったトメが身を挺して修一郎を守った。弾を受けたトメはその場に崩れ落ち、掠れた息を漏らす。

 外の方で何か大きな物が落ちる音が聞こえたが、その音も修一郎の叫び声でかき消される。彼が小さい頃から幾度となく聞いた、母ちゃん、母ちゃんという言葉がぼやける視界と混じって共に遠ざかる。

 なぜこんなことになったのか。

 先ほどまで日常に居たはずなのに。

 そんな事を思いながら、トメの意識は途絶えた。


     3


 そして時間は最後の視点にて遡る。


 同日 午後六時五十分 ストレイ・キャッツ店内


「フニュン……ゴロゴロゴロ……」

 猫のタマは今日も店のカウンターで寝ていた。寝床として用意された楕円のバスケットにはふかふかのクッションが入っており、ついついそこで寝てしまうのだ。

 ――今日は何て良い日だ。息苦しい首輪も無いし、今日の我輩は気分が清々しい。このまま一日中ゴロゴロしているのも悪くなかろう。

 そんな事を考えていると、ふと、カウンターで頬杖をつく男――中島修一郎が愚痴を漏らす。

「チッ…今日もまた客はあいつらのみかよ」

 ハゲ頭に筋骨隆々の大男だが、これでも彼はこの喫茶店ストレイ・キャッツの店長である。

 フロアには一角を数時間占拠している学生二人のみ。その学生もドリンクを数杯頼んではそのまま夕方まで居座り続けるのだから商売あがったりのようだ。

 何故追い出さないかというと、彼らいつもの四人組はアルバイトでも無いというのに色々手伝ってくれているからだ。これから来る桂幸太郎にはタマの首輪を新調してきてもらっている。そんな彼らをむげに追い出す事は流石に出来なかったのだ。

 だがそれでも修一郎は快く置いているわけでもなく、時折彼らを睨みつけて圧力をかけているのだ。

「チッ……クソが……!」

 今日の修一郎はいつもと違う。常にイライラと不機嫌な顔をしており、意識は集団よりも入口のドアに向けられている。

 ――全く、この男のイライラには付き合いきれん。何か飛び火してこない内に退散するとしよう。

 のっそりと起き上がると物音を立てずにカウンターから華麗に飛び降りる。修一郎は特に気がついていないらしい。

「今月借金が返せなかったら、アイツらが来る……何時来る……何時来る……!?」

 怯え混じりの声を修一郎は漏らすが、タマは気に留める事無く外へと向かう。

 ドアに取り付けられたたま専用の出入り口をくぐると、表通りと比較してずいぶんと寂れた通りに出た。

 通りの先にはコンビニとファミレスがある。以前そこには古着屋があったのだが、閉店してから出来た二店舗に数少ない客を根こそぎ奪い取られてしまった。それが今のストレイ・キャッツの現状へと繋がっている。

 何か一目を引く何かが無い限り、この店に人は来ないだろう。幸太郎達もそんな状態と知っているからこそ穴場として集まるのだが。

 ――修一郎には悪いが、喫茶店など彼には向いてないな。まああの容姿で喫茶店の店員だと、客が驚いて逃げてしまうだろうに。全くお笑いだ。

 上機嫌のタマは通りを横断しようとした。その時――


 ガァアアアアアアアアアアアア!!


 突然表通りの方からシルバーのコンテナ付きトラックが侵入してきた。

 静かな裏通りに轟音が響き、タマへと向かってくる。

「ニャギャー!!」

「うわわわわわわ!?」

 タマと運転手のマサオミは悲鳴という点でシンクロする。

 驚いたタマは怯んで動けず、トラックの方は急ブレーキをかけて路肩へと進路を捻じ曲げる。その先がたまたまストレイ・キャッツだった。

 急ブレーキの甲斐無く、トラックは店に激突する。鳴り響く轟音、舞い上がる粉塵、飛び散る瓦礫。トラックの運転席部分は完全に店内に埋まってしまい、中から出てきた二人の様子は窺い知れなかった。

 怯えていたタマは急いで電柱の側に隠れてジッと店を見つめる。

 ――あ、危なかった……。もう少しで轢き殺される所だった。全く、吾輩の大事な毛が汚れてしまったでは無いか。おーよちよち、可哀想な我輩の尻尾ちゃん。

 尻尾の毛並みを整え終わる頃には十分程が経過し、気が付くと周囲には人集りが出来上がっていた。その中に見慣れた学生二人が居る事に気がつき、タマは二人に駆け寄る。

「タマ、無事だったのか!」

 ――むむっ! 幸太郎ではないか。昨日頼まれた首輪、よもや買って来てはいないだろうな?

「みんなは…みんなは大丈夫なの!?」

 ――いや、そんなのは知らん。

 幸太郎と雪菜の側でちょこんと座る。二人を含めた四人組には何時も世話をしてもらっており、自分としても挨拶ぐらいはしておくべきだと思った。

「とにかくタマが無事でよかったよ……」

 そう言って雪菜は抱きかかえてくる。二人が浮かべる不安がタマにも伝わってきて、雪菜の体をてしてしと叩く。

 ――そうかそうか、そんなに不安か。ならば吾輩の美しい毛並みと体温で存分に癒やされよ……。

「な、中に店長と誰か二人居る!」

「本当か!?」

 ――え、生きてんの?

 瓦礫の隙間から見える店内には三人の人影が有る。一人は修一郎、後の二人は黒っぽくって判別できない。

「田中と龍宮寺かな……?」

 不安そうな雪菜を励ますように幸太郎は笑顔を浮かべる。

「きっとそうだよ。店に客なんて、あの二人しか考えられないよ!」

「中の様子が確認できたらいいのに……」

 ――仕方ない。ならばここは吾輩が一肌脱いで、中の様子を調べてこようではないか。

 生きているならば、助けがいるのは間違いない。だからこそタマは自身の小さな体が役に立つのではと考えた。

 それが結果として危険を招く事になるのだが。

「ニャッ!!(シュワッチ!!)」

「きゃっ! タマ、どこいくの!? 待ってタマ、危ない!」

 ――ヘルパーキャッツのお通りだ!

 勇猛果敢に店へと駈け出したが、情けない事にすぐに雪菜に捕まってしまう。

 ――むぅ……最近運動しなかった結果がここに出たか。にしてもそこまで我輩が必要かね。ならば仕方ない、遠くで困ってる者よりも第一に目の前の者を優先する、それが人助けというものだ。

 タマ自身は人じゃないとか、そもそも何の助けにもならないという事はこの先も気付く事は無い。

「雪菜危ない! 引き返して!」

「え?」

 何が危ないのか分からない。タマと雪菜は困惑していたが、真上から聞こえてくる鈍い音が大きくなり、そこでようやく何が起こっているのか気がついた。

「雪菜!」

 幸太郎の声に呼応するかのように、店の入口に付けられてた雨よけの留め金具がバキンと音をたてて外れた。鉄の骨組みを含んだ雨よけが雪菜とタマに襲いかかる。

「雪菜、ゆきなあああああああああああああ!」

 ――嘘だー! 嘘だー!!

 落下物がどんどん迫ってくる。逃げ出したかったが、何故か呆然としている雪菜に抱き止められて動けない。

 こんな物に潰されたらひとたまりもないだろう。死んでしまうだろう。

 死にたく無かった。

 寝るなら生きたままが良い。

 誰か助けてくれと、タマは強く強く願った。


     4


 ――そして、三つの視点は集束する――


「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 幸太郎は声を張り上げながら雪菜とタマへ走り、看板が落下する直前、勢いをつけて雪菜の体を抱きしめ、同時に店側へと飛び移り、地面に倒れ込んだ。

 直後、雪菜達が居た場所で壮絶な音を立てながら雨よけが落ちた。間一髪、幸太郎は二人を助け出す事に成功したのだ。

「無事か、雪菜!」

「う、うん……」

 雪菜の体は小さく震えていた。曲がりなりにも死の瀬戸際に立ち、死んでいたかもしれないという恐怖が今頃になって雪菜を襲っているのだ。

 そんな彼女を幸太郎は再度強く抱きしめた。

「良かった……無事で良かったよ」

「うん……幸太郎、ありがとう」

 雪菜は頬を赤らめ、二人とも涙を浮かべて互いの無事を喜び合っていた。

「にゃにゃぁ!(ありがとー! よくやった幸太郎くん! 君は命の恩人だー!)」

「あ、悪いタマ。お前も無事でよかったなぁ」

 割って入るようにタマも大きく鳴き、きょとんとしていた幸太郎はタマの頭を優しく撫でる。

「お前ら、母ちゃんを……母ちゃんを殺すなんて!!」

 突然店の奥から、修一郎の声が響く。

「この声…店長か?」

 幸太郎達は瓦礫の隙間から店内を覗くと、そこには拳を握りしめて怒る修一郎と拳銃を構えたケンとマサオミの二人組が居た。

 修一郎の後ろには何故か先ほど道でぶつかったトメが横たわっていて、何が起こっているのか全く理解できなかった。

「チッ、無駄弾出しやがって。殺しの処理は一人だけでも大変なんだぞっと」

 ケンはケラケラと笑う。その声からは、やけっぱちな気持ちが見え隠れしている。

「丁度いいや。あそこでノビてるガキ二人も殺して、これで目撃者ゼロだ」

 処理が大変と言っておきながら更に犠牲者を増やすなど、いよいよケンは頭に血が上りすぎて錯乱状態となっていた。

 幸太郎の脳裏に嫌な予感がよぎる。

「やばい。きっとあのお婆さんはあいつらに殺されたんだ。店長が殺されちゃう…みんなも殺されちゃう」

「それじゃあ、アイツらを追っ払わないと……!」

「でも大の大人二人相手にどうしろっていうんだ……!」

「それは……」

「何か、何か無いのか……!」

 何か策を練ろうとするが、このような非常事態に頭がうまく回転する筈も無い。使えそうな物は無いかとやけっぱちにバッグの中を漁るが、出てきたのは筆記用具、教科書にノート、運動着、プロテクターくらいだ。

「雪菜、何か無い?」

「何かって言われても……あ!」

 何か思いつき、雪菜が取り出した物は――


     …


「んじゃ、死ね」

 ケンは拳銃を構える。追い詰められた修一郎の首筋に汗が滴り落ちる。

 だが、引き金に力が入れられる直前――


 ビィイイイイイイイイイイイイイイイ!!


「な、何だ!? 今頃警報!?」

 音の元はハンズで購入していた小型警報機だった。

 響き渡る突然の警報音に、ケンとマサオミはビクリと反応し辺りを見回す。

 そのスキを狙い、音とは別の物陰に移動していた幸太郎がケンにタックルをお見舞いする。

「がっ!! ってーな、ごらぁあああ!」

 ぐらりと男の体は傾き、そしてドシンと足をついて踏ん張る。そして反撃にグリップの底を幸太郎の頭に叩き込む。

「ぐあっ!」

「幸太郎!」

 思わず声を上げた雪菜にケンとマサオミはニタリと口元をつり上げる。

「まだ生き残りがいたのか。いや、侵入者か。まあどっちでもいい。目撃者は全員殺してやる。先ずはお前からだ!」

 銃口が幸太郎へと向かう。地面に倒れる幸太郎は奥歯を噛み締めてケンを睨むが、そんな事をしても幸太郎にはどうしようも無い。

 そう、幸太郎には。

「今だ店長!」

 掛け声と共に、銃口が離された修一郎がケンの頭に一撃必殺の拳を叩き込む。

 たった一撃で脳震盪を起こし、ケンは白目をむいてその場に倒れた。

「てめえ!」

 マサオミは修一郎に掴みかかるが、それを両手で受け止める。力と力のぶつかり合い、筋肉の躍動がここに繰り広げられている。

「観念しろ、お前らはトカゲの尻尾扱いされて終わりだ」

「うるせえ!」

 掴み合いを同時に解き、修一郎が右ストレートを振りかぶるが、マサオミはそれを避けて左ジャブを数発腹へ当てる。

 一発一発が重い攻撃に修一郎はよろけ、そのスキに顔面に左フックが入る。

「かはっ!」

「おら、トドメだ!」

 マサオミは右腕を大きく振りかぶり、右ストレートが放たれた。そのまま真っ直ぐ修一郎へと向かい、トドメかと思われた。

 だがその直前、タマがマサオミの頭にかじりついた。

「あだだだだだだだ!」

 思わず攻撃を解除し、頭を抱えて痛みに悲鳴を上げる。

 タマが作ったスキが、修一郎に間合いをとる時間を用意し、同時に一撃必殺の右ストレートを振りかぶるタイミングを用意した。

「しまっ――」

「ここは俺の店だ、出て行けー!」

 直撃の瞬間タマが頭から離れ、モロに顔面で受けたマサオミは、ぐらりとよろめくとその場に倒れた。

「二度と俺の店の敷居を跨ぐな、このハゲ!」

 その場の誰もが(タマでさえも)ハゲは修一郎の方だと思った。だがそれはすぐに忘れ去られた。

「店長やっる―!」

「カッコ良かったよ店長! すごいや右ストレート一発でのしちゃうなんて」

「ああ、見たかお前ら。……ぐっ」

 修一郎は痛みに顔を歪め、右腕を抱える。

「店長、大丈夫なの?」

「ああ。悪いな幸太郎、雪菜も巻き込んですまない」

「この見るからに危なそうな人達、誰?」

「こいつらは借金取りだ。どこから嗅ぎつけたかしらないが、今月の返済が滞る事を見越して取り立てにきたらしい」

「何でこんな危ない人達から借りたの!?」

「その……ここを作る時に収入安定してなかったから、悪徳金融に借りざるをえなかったんだ」

「ハァ!? それ自業自得じゃない!」

 修一郎の説明は確かに腹立たしかったが、幸太郎は今にも掴みかかりそうな雪菜をなだめる事に専念した。

「確かに自業自得だな。俺の所為で母ちゃんが死んだ。立派に成功したって喜ばせたかったのになぁ。俺が見栄なんて張らなければ……」

 修一郎はお婆さんへと歩み寄り抱き寄せた。胸のポケットの辺りに小さな穴が空き、そこを見た修一郎は小さく肩を震わせて泣き出した。

「くそっ……母ちゃん……」

「店長……」

 腹立たしさはもう消えていた。今はただ、修一郎の悲しみに口を閉ざす事しかできなかった。

「わたしゃまだ……死んどりゃせん」

「っ!?」

 お婆さんは震える手で胸ポケットから、猫の首輪を取り出した。

「それ、落としたタマの首輪!?」

 首輪に取り付けられた銀のタグには大きな凹みが有り、恐らくそのタグがお婆さんの命を守ったのだろう。胸ポケットの中には一発の銃弾も入っている。

「そんなちっちゃな板一枚でよく無事だったわね……」

 涙ぐむ雪菜に修一郎は自慢げに答える。

「このタグ、奮発してスチール製にしてたんだ。しかも薄いようで何重にも層がある頑丈なヤツをな。タマに対する愛の証ってヤツよ」

「タマを戦場にでも送りこむつもりだったの……?」

「フギャ!?(冗談だろう!?)」

 タマの悲鳴を皮切りに、みんなは笑い出した。事件は無事に解決した。皆がそう思った。

 だが次の瞬間――

「うおおおおおおおお!!」

「なっ!?」

 ケンが突然大声を上げて立ちあがり、銃を修一郎に突き付けた。

「しにゃあああああああああああ!!」

 金切り声を上げながら引き金に力を入れる。とっさの事に誰一人として行動できなかった。ケンとの距離が何時の間にか開きすぎていた。

「くっ……ここまで来て……!」

 修一郎は悔しさに奥歯を噛みしめる。


 ゴガッ!!


 鈍い打撃音と共にケンは再度白眼をむき、今度こそそのまま崩れ落ちた。

 その後ろから現れたのは、ぜぃぜぃと息を切らす血だらけの友人達――田中と龍宮寺だった。

「ざまぁみやがれ!!」

 両手に持てる程の大きい瓦礫を実行犯の田中は地面に投げ捨て、幸太郎達に歩み寄る。頭からは血が出て、ふらふらして今にも倒れてしまいそうな程弱っている。

「二人共、大丈夫なのか!?」

「うん、僕達は平気だよ」

「見たか、このグッドタイミングな活躍ぶり! 流石俺!」

 幸太郎と雪菜、それに修一郎は呆然としていたが、ふとした事で笑い出した。

「はははは、みんな無事でよかったよ!」

「ほんとに! でも田中、血だらけで格好つかないよ!」

「ええ……? そうかぁ。まあいっか。ははは」

 みんなの心に安心感が満ち溢れた。今度こそ完全に完璧に、事件は解決したのだ。

 丁度その時、店の前にようやくパトカーや消防車が到着した。


     …


 こうして事件は幕を閉じた。

 お婆さんと田中、龍宮寺はしばらく入院する事となった。お婆さんは今、田中達を含めた病院の若者をからかって遊んでいるという。

 闇金業者のケンとマサオミは警察に捕まり、その過程で闇金業者も数々の悪事が露呈して壊滅した。

 修一郎は闇金業者が結果として潰れた事で、借金の帳消しと保険が入った事でまた一からやり直しを考えているという。相変わらず喫茶店だが「雰囲気が好きでやめられない」のだという。

 いつも集まっていた場所はしばらく消えて一ヶ月が経ち、退院した二人を含めて幸太郎達はまた渋谷の街を歩き出す。

 こんな事件はもうこりごりと、四人で笑いながら時々思いだす。

 彼らの体験した非日常は日常に圧迫され、そしていつの日か消えていく。

 これはそんな一度だけの非日常の物語。

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