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第3話-9つ目の魂

——暗い。


どこまでも、静かな闇だった。

上下も、前後も分からない。ただ、深く沈んでいくような感覚だけがある。


(……ここは)


声にしようとしても、音にはならない。

けれど、不思議と恐怖はなかった。


代わりに、どこか懐かしい温もりがすぐ傍にある気がした。


「——目を覚ましたか」


ふいに、声が響いた。


それは耳から聞こえたものではない。

直接、意識に触れてくるような声だった。


ゆっくりと、視界が開ける。そこは闇ではなかった。

淡い光に満たされた、境界のない空間。

足元には何もなく、けれど落ちることもない。


そして


「……あなたは」


目の前に、一匹の猫がいた。


白い毛並み。

スカイブルーと琥珀の瞳。


庭園で出会った、あの猫だった。


「驚くのも無理はない。だが、今のお前は夢の中にいる」


猫は静かにそう言った。口は動いていない。

それでも言葉ははっきりと伝わってくる。


「夢……」


呟く。


けれど、それにしてはあまりにも鮮明だった。


風もないのに、毛が揺れる。

音もないのに、存在がはっきりと分かる。


「正確には、魂の狭間だ」


猫はゆっくりと歩み寄ってくる。

その足取りは、もはや死にかけていた時のものではない。静かで、確かな力を感じさせる。


「……あなたは、死んだはずでは」


「ああ」


猫はあっさりと頷いた。


「先ほど、八つ目の生を終えた」


「八つ目……?」


聞き慣れない言葉に、思わず繰り返す。

すると猫は、わずかに目を細めた。


「知らぬか。まあ、人の子であれば無理もない」


そして、淡々と語り始める。


「我ら猫は、生まれながらにして複数の魂を持つ」


その声は穏やかで、どこか誇りを含んでいた。


「一つの命が尽きても、次の魂で再び生きる。それを九度繰り返す」


「……九つの、命」


セレスティアは小さく息を呑む。

そんな話は、聞いたことがなかった。


けれど、不思議と納得してしまう。

目の前の存在が、それを否定させなかった。


「そして私は、今しがた八つ目を終えた」


猫は静かに続ける。


「本来であれば、次の九つ目の生へ移るはずだった」


「……だった?」


「そうだ」


その瞳が、まっすぐにセレスティアを見つめる。


「だが私は、それを選ばなかった」


空間が、わずかに静まり返る。


「なぜ……?」


問いかけは、自然と零れた。

猫は少しだけ視線を伏せ、そして言った。


「お前が、私を救ったからだ」


「……私は、ただ」


「苦痛を取り除いただけ、か」


言葉を引き取るように、猫は続ける。


「それでも十分だ」


その声には、確かな温度があった。


「人に傷つけられ、無惨に死ぬはずだった私にとってあれは救いだった」


セレスティアは、何も言えなかった。

ただ、胸の奥が静かに揺れる。


「だから私は、最後の魂を使うことをやめた」


「え……」


「その代わりにお前に譲った」


あまりにも静かに、けれど確定した言葉だった。


「……そんな」


理解が追いつかない。


命を、譲る。

そんなことが、本当に……


「すでに契約は成立している」


猫は淡々と言い切る。


「お前の内に、私の最後の魂はある」


その瞬間、胸の奥で何かがかすかに脈打った。

冷たく、硬い感覚の奥にもう一つの温もりが混じる。


「……どうして、そこまで」


やっとのことで絞り出した声は、わずかに震えていた。猫は少しだけ沈黙し、そして答えた。


「礼だと言っただろう」


それは簡潔で、けれど揺るぎない答えだった。


「それに……」


そこで言葉を切る。

ほんの僅かに、優しさの色を滲ませて。


「お前は、あまりにも空っぽに見えた」


「……え」


「生きているのに、生きていないような目をしていた」


心臓を掴まれたような感覚。否定しようとして、言葉が出ない。


「だからせめて、最後の一つくらいは」


猫は静かに言った。


「誰かのためではなく、お前自身のために使え」


その言葉は、優しくもあり、どこか残酷でもあった。


「……私は」


何かを言いかけて、止まる。

何を言えばいいのか、分からなかった。


猫はそれ以上何も言わず、ただ見つめていた。


やがて、ふっとその姿が薄れていく。


「待って……!」


思わず手を伸ばす。けれど、届かない。


「もう時間だ」


声だけが、静かに響く。


「その魂は、お前のものだ。どう使うかは自由だ」


「あなたは……どうなるの」


消えかけた存在に、必死に問いかける。

一瞬の沈黙。


そして


「ただ、眠るだけだ」


穏やかな答えだった。


「長い、長い眠りにな」


その言葉を最後に光は完全に消えた。

同時に、意識が浮かび上がる。沈んでいたはずの感覚が、急速に戻ってくる。


重い瞼。


微かな風の匂い。


草の感触。


そして、小さな体。


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