【短編版】猫の国〜夢の世界と双子の猫〜
その日は雨が降っていた。しとしとと空から降る雨が、ましろの差す透明な傘を濡らし続ける。
いつも乗っているお気に入りの自転車も、こう雨に降られては出番がない。ましろにしては珍しく、歩いて買い出しに出掛けていた。その帰り道の途中。
「ーーー!」
道端に、灰色の身体が横たわっていた。
ましろは小走りに駆け寄り、買い物袋を落としてしゃがみ込む。
身体から血を流している灰色の猫。
ましろは灰色の猫を抱き抱え、指先を口に当てた。
「ーーーまだ息はある。間に合うかもしれない……!」
◇◇◇
「綺羅々さん!」
珍しく血相を変えてカフェに帰ってきたましろに呼ばれ、カウンターに座ってゲームをしていた綺羅々が白と黒のツインテールを揺らし、振り返る。
「お帰りましろ~。……どったの、そんなに顔色変えてーーー」
ましろの抱えている灰色の猫の容態を見るなり、ゲーム機をカウンターに置いて駆け寄る綺羅々。
「この猫、どうしたの……!?」
「道端に倒れてたんだ。たぶん、車に引かれたんだと思う」
受け答えしながらもましろは手拭き用に持ち歩いていた白いタオルを手に取り、灰色の猫を包み込んだ。
「ここは人が来たらマズいから、あたしの部屋で!」
「わかりました」
綺羅々の部屋に移動する際、ましろは店のタオルを多めに掴んで持って行く。
綺羅々の部屋に到着したましろは床にタオルを敷いて灰色の猫を横たわらせた。
「……まだ大丈夫だ、息がある」
「普通なら助からない傷だけど」
綺羅々がスペルカードを呼び出すと、スペルカードから光の粒子が降り注いで灰色の猫を包んだ。徐々に白い猫の傷口が塞がってゆく。白い猫の荒い息も、徐々に落ち着きを取り戻した。
「はぁ……、良かった。すぐ治療が出来て。助かったよ綺羅々さん」
「本当だよ。あたしが居なかったら助けられなくて、ましろが落ち込むところだったじゃん」
「うん。もし助けられてなかったら、もどかしい気持ちになっていただろうね」
灰色の猫は半開きだった目を今ではぱちくりさせ、綺羅々のゲーム部屋をぐるりと見渡した後、綺羅々を見、ましろを視界に入れる。そして、にゃおんとまるでお礼を言っているかのような鳴き声を上げた。
◇◇◇
「ーーーそれで?この猫、ましろくんが飼うのかい?」
急ぎで買ってきたキャットフードを灰色の猫に与えながら、鵜久森に問い掛けられ、ましろは考え込む。
「うーん、やっぱりそこが問題ですよねー。……飼い主でも募集してみようかなぁ」
すると、灰色の猫はまるで人間の言葉がわかるかのように嫌々と首を振った。
「イヤだってさ。拾ってくれたましろのこと、気に入ったのかな。ケガを治したのはあたしなんですけど~」
ぷくりと頬を膨らませ、綺羅々は不機嫌になる。
「まぁ、ましろさんがいなければ、そもそも回復能力がある綺羅々さんのもとにまで辿り着けなかったでしょうし」
椅子に座って本のページを巡りながら、来夢がチラリと灰色の猫を見た。灰色の猫は来夢と視線を合わせ、ましろの足元に擦り寄る。
林檎が猫じゃらしを持って灰色の猫に近づこうとしたが、ましろの後ろに隠れてしまい、なかなか懐いてもらえない。
「でも、勝手に物語の中にまでついてこられたりしたら困るんだよねー。幾ら怪我をしても綺羅々さんが治せるからって、それとこれとは別の問題だよ」
「ふむ。動物は気まぐれのものも多い。猫はその代表と言っても良いくらいだ。その可能性は大いにあるだろうね」
ましろの意見に対し、アーバンが顎を撫でながら言う。
『確かに、物語の中にまで入ってきて厄介事に巻き込まれるのはね……』
「……どうしたんだい、ラプス?」
灰色の猫を見つめて動かないラプスを見て、ましろは首を傾げた。
『上手くは言えないけれど、この猫から何か不思議な力を感じる……気がする』
「ええっ?」
『物語に似ているような、でも明確に違うなにか……』
「猫にまつわる物語と言えば、長靴を履いた猫とか、吾輩は猫であるとかありますけど……?」
来夢が席から立ち、灰色の猫に近寄ると、灰色の猫はすぐさまましろの後ろに隠れ、来夢を威嚇するかのように見上げた。見兼ねたましろは灰色の猫を持ち上げて、目線を合わせる。
「……仕方ないなぁ。今日一日はボクがこの子の面倒を見るよ。なにかあったら、みんなに報告する」
「うん。それが良いかもしれない……。もし物語に関係があるのなら、誰かに引き取らせるわけにもいかないしね」
鵜久森がキャットフードの余りを持って立ち上がる。
「さぁ、今日はもう遅い。みんな部屋に帰って寝る時間だよ」
アーバンが夜食のデザートに使っていた食器を片付ける。手伝います、と鵜久森が申し出た。来夢が本をパタンと閉じて、自分の手元に寄せる。林檎は猫じゃらしを寂しげに撫でていた。綺羅々は珍しくゲーム機を持ち歩いておらず、手ぶらのまま立ち上がる。ましろは灰色の猫を抱え直すと、自分の部屋へと向かった。
「寝る前にお風呂入らなきゃね。お湯が苦手じゃなければいいけど」
意外なことに、灰色の猫はお湯が苦手ではなく、ましろはすんなりと灰色の猫を綺麗に洗えた。風呂から上がり、パジャマに着替えてからタオルに包んだ灰色の猫を膝に置いてドライヤーで毛を乾かす。
「ラプスほどじゃないけど、フサフサだねー」
灰色の毛を優しく撫でるましろに反応を返す為か、灰色の猫はにゃあんと鳴く。どうやらドライヤーが気持ちいいようだ。
ドライヤーをかけ終えると、ましろはベッドの上に灰色の猫を降ろす。
「今日はもう寝る時間だよ。おやすみ……ええと……なんて呼べばいいのかなぁ」
下手に名前を自分で付けると、愛着が沸くかもしれない。この灰色の猫を飼う気が無い以上、それは避けたかった。
ましろは無言で灰色の猫にも毛布を掛けた。
◆◆◆
その日は、しとしとと雨が降っていた。
新作ゲームを買いに出掛けていた夜闇鴉は、黒い傘を差して歩いていた。
「今日は徹夜でクリアするか……、否か。物語に遭遇する気配も無さげだし、少しくらい徹夜でもーーー」
独り言を言う鴉は、誰かが見つめている気配を感じた。傘ごと視線を上げると、塀の上に1匹の黒猫が背筋を伸ばして鎮座している。黄色の瞳に射抜かれるも、鴉は「風邪を引くぞ」、と一言声を掛けてすたすたと歩いてゆく。
雨に打たれていた黒い猫は、塀から飛び降りると鴉の後ろをついて歩き出した。その気配に気付いているが、鴉は黒い猫を無視して歩く。
「……ふん。勝手にしろ。エサはやらんぞ」
◆◆◆
黒い猫はクォンタム社のビル前までついて来た。ビル前で身体に付着した雨粒を振るい落とし、エレベーターの中まで勝手に入ってくる。
「ーーーふーん。それでこの黒い猫を連れて来たってこと?」
鴉の部屋のクッションの上で丸まって寛ぐ黒い猫を見て、赤羽根榴姫は人差し指で黒い猫の顎を弄ろうと迫ったが、シャーッと威嚇され、人差し指を引っ込めた。
「おお、こわこわ。アタシとは馴れ合うつもりはないってさ」
「オレも馴れ合うつもりは無い。というか両方勝手に部屋に入ってくるな!オレは今から新作ゲームを楽しむのに忙しいんだ!」
「ハイハイ。邪魔者は退散するってーの!」
榴姫が部屋から出たのを確認すると、鴉はハサミを取り出し、ゲームの梱包を丁寧にあけていく。
黒い猫はその姿を静かに見つめていた。
◇◇◇
目が覚めると、夜だった。
部屋の外。通路に棒立ち。真夜中だからか、誰の気配もない。
「ーーー……アーバン・レジェンドは?みんなは?」
ましろは制服姿で外に放り出されていた。おかしい。さっきまで自分は寝ていた筈だ。制服を着て靴まで履いて、外に出掛けた記憶が無い。
「夢遊病ーーー?」
夜空を仰ぐ。月が綺麗だ。恐ろしくなる程の静けさ。
「ここ……、あの時の」
灰色の猫が倒れていたあの場所。
「はい!そうです!」
「うわぁ!?」
突然フッと沸いて出て来た明るい声に、らしくもなくましろはびくりと驚き目を見開く。
「き、キミは……?」
ましろが振り向くと、綺羅々とはまた違うツインテールの少女がそこに居た。
灰色がかった髪色に、灰色と白のグラデーションで統一されたニットにフワフワのスカートにブーツ。どこか現実味のない姿をしている。
少女は問い掛けに答えるかのように、くるりと一回転した。
「私?私はルタルって言います。あはっ、やっとましろさんに伝えられました!」
「る、ルタル?どうしてボクの名前を……?」
「やだなぁましろさん。私はあの時の灰色の猫ですよ」
「え……、」
あの時助けた灰色の猫が人間の姿になっている。突如として起きた出来事に、ましろは困惑する。
「ここはどこ?どうやら誰も姿が見当たらないけど、もしかして物語の中ーーー?」
「物語?まぁ、そう言われると確かに似てはいますけど……。ここはましろさんの夢の中ですよ」
「ボクの夢の中?」
「はい。正確に言えば、私が夢の中に誘い込んで導こうとしたんですが」
「導くって、どこへ?」
「猫の国へ!です」
曇りのない笑顔でルタルは答える。
「私、死にかけていたところを助けてくれたましろさんに恩返しがしたくて……。故郷の猫の国に連れて行こうとしました。でも、夢の中を渡って帰ろうとした最中に、なんだか別の夢の世界が混じっちゃって。それでこんななにもない場所に」
「お、恩返しにしてはホラー展開すぎない?」
いつもの街並み。しかし誰もいない真夜中。これがルタルにも原因がわからない。ルタルは首を傾げて「???」状態になる。
今まで経験したことがない状況に直面している。ましろはらしくもなく焦っていた。
「と、とにかく、ボクは猫の国に行く気はないーーー」
「ふええ……、そんなこと言わないでください……」
「恩返しなんてなくていいよ。そういうつもりでキミを助けたわけじゃないから」
「私、人間って優しいと思うから好きなんです」
「だからってこんな、攫うような真似はちょっと強引だと思うなぁ」
「ふええ……、そ、そんなあ……」
ましろが忠告すると、ルタルは灰色の瞳をうるうるさせ、涙を溢す。
「あ、いや、その、……泣かないで、ルタル」
制服のズボンのポケットに入っていた、白いハンカチを取り出し、ましろはルタルの涙を拭いた。
「ほら、やっぱり優しい……」
「そうかなぁ。ボクは冷たい人間寄りだと自分で思ってるけど……」
「いいえ!ましろさんは優しい人間です!私が保証します!」
「うん。とにかく、とりあえずここから出して……。夢の中なら目を覚ましたいんだけど」
「それが……、私にも出る方法がわからなくってぇ……」
再び泣き始めるルタルを見て、ましろは彼女は嘘をついてないと判断する。彼女は善意でましろを猫の国へ導こうとした。
「猫の国かぁ……。みんなで行けたら、ちょっと楽しいかもしれないね」
「皆さんを連れて行くには無理なんですぅ……。夢渡りは1人を対象にしか出来なくってぇ……」
「そうなんだ」
ましろは途方に暮れるルタルの頭を撫でながら落ち着かせる。
「ーーーねぇ、さっき、誰かの夢と混ざっているって言ったよね。それが誰だかはわからないけど、この誰もいないボクの夢の中に、最低でももう1人は居るってことだよね」
「ーーーはい。多分、そうです」
「徒歩で地道に探すしかないか……」
空間に閉じ込められることには物語で慣れているが、ラプスもいないとなると流石のましろも心細かった。あんな小動物でも、いるといないでだいぶ差がある。
「来夢が一緒だったら、箒に乗って上空からその誰かを探すことも出来たのに……」
「あの……、その『誰か』ですけど、あっちの方角から匂いがします。というか、向かってきます」
「え?」
ましろが振り返ると、やや遠くからこちらに向かって走ってくる学生服の人の姿が見えた。
駆け寄って来た人物が、目を見開いて声を荒げる。
「ーーーお前は……!月影ましろ……!」
ましろも珍しく目を見開き、その人物の名を口にした。
「ーーー夜闇鴉……!」
月夜と電灯に照らされるは、2人の学生と1匹の猫。久々に顔を合わせた敵同士の両者は互いに警戒し、一歩も動かなかったのだが。
「あれ?ルタル?」
ルタルはいつの間にか猫の姿に戻り、ましろの背後に隠れている。
「まさか、こんなわけのわからない空間で貴様に会うとはな」
夜闇鴉は灰色の猫を気にかける事なく、ましろに話掛けた。
「こっちも驚いたよ。まさかキミの夢と混ざっているなんて……」
「夢と混ざって……?貴様、何を知っている?怪しい猫も連れているな。まさか貴様がこの変な世界を作った黒幕なのか?」
「そんなわけないでしょ!ボクがこんな大掛かりな能力を持ってたら、物語狩りに毎回苦労してる筈がないよ。それよりも、どうしてキミはここに?」
ましろの問い掛けに、鴉は鼻を鳴らす。
「ふん……、オレか。ーーー今日、怪しげな黒猫に会った場所まで来てみただけだ。他にこの変な世界に巻き込まれる原因が見当たらないからな」
「黒猫……!もしかして兄様……!?」
猫の姿のルタルが耳をピンと立てた。
「ほぅ……。その猫、喋るのか。やはり猫がこの異変の元凶なことは間違いなさそうだな」
鴉はスペルカードを呼び出し、ロングソードを具現化させ、その切先をルタルに向ける。灯に照らされ、ロングソードの切先がキラリと光った。
「その猫をこちらに寄越せ」
「ダメだよ!乱暴なことをするなら渡すわけにはいかないよ!」
「この変な世界から脱出する為だ!貴様もこのままだと困るだろう!少しは協力しろ!それとも何か、本当に黒幕じゃあないんだろうな?」
ルタルを庇うように背にして、ましろは鴉と向き合う。ましろもスペルカードを顕にし、攻撃体制を整える。
「ルタル、ここはボクに任せて早く逃げーーーえ……?」
ましろが背後をちらりと見ると、そこにはもう1匹の猫が居たーーー1匹だけじゃない、暗闇から猫、猫、猫ーーー。
「な、なんだ……?!わらわらと猫が沸いて出てきて……!?うわぁ!?」
猫達が一斉に、ルタルにロングソードを突き付けていた鴉に飛びかかった。
「ましろさん、こっちです!」
ましろのズボンの裾を口に咥えて引っ張るルタル。ルタルが向かおうとしている方角には駅がある。
「そっか!電車に乗れば彼を撒けるね」
「おい待て!月影ましろ……!俺様の話を聞け!はーなーせー猫ども!」
猫達に鴉を足止めしてもらった隙に、ましろはルタルに導かれ、電車のある方角へと走り出した。
◇◇◇
「ーーーない。電車がない……!」
駅へ向かえど、そこに電車はなかった。駅から更に遠くへ走りながら、気付いたことがある。どこの駐車場に何もないーーーこの夢の世界には自転車や車といった移動手段に関する物がない。
「空港までは流石に遠いから確認出来ないけど、もしかして飛行機もないんじゃ……!」
代わりにとは言い難いが、ありとあらゆるところに必ず猫が1匹以上居るようになっていた。
「る、ルタル、少し休もう!はあ、ボク、もうへとへとだよ……」
ましろは普段自転車を愛用している為、走るのは得意ではない。箒に乗れる来夢が居れば本当に楽なのだが。ないものねだりをしても仕方ない。
体力切れを起こしたましろは、図書館近くのベンチへと倒れ込んだ。
「ましろさん、立ってください~!あともう少しなんです……!」
「も、もう少しって、何が……!?」
少女の姿に戻ったルタルが、ましろの腕を引っ張る。
「私たちの故郷に関することが書かれた本の在処が、です!」
「本の在処……」
ましろはラプスがルタルから物語に似た雰囲気を感じると言っていたことを思い出す。この夢の世界に関しても、物語領域展開に似て非なるものであることには違いない。
「ーーーその前に、ちょっと一息いいかな……」
ふらふらと公園内にある自販機に近づくましろはポケットから財布を取り出すと、アイスカフェラテのボタンを押し、電子マネーの入ったカードをかざす。
「夢の中なのに、走って疲れたり、冷たい飲み物を触った感触とか、やけにリアルだなぁ……」
「普通の夢じゃないんです。夢渡りの特性で、現実と変わりないようになってます」
「へぇ……。ーーーまさかとは思うけど、もしこの世界で死んだら、本当に死ぬとか?」
「はい」
「そういうこと、さらりと言わないでよー!!」
ショッキングな事実を知らされ、ましろは項垂れて額に手を当てる。先程飲み込んだカフェラテを吐きそうな気分になった。
「ーーーやっと見つけたぞ!月影ましろ!」
「ええ!?もう追いつかれたの!?」
「貴様の足があまり速くなくて幸いだ」
ざ……っと砂埃を上げ、ましろの前に立つ夜闇鴉。手にはロングソードは持っていない。スペルを解除している。
「あの猫さんたちはどうしたんだい?」
「猫どもなら、オレがロングソードを引っ込めるや否や退散したぜ。オレに無闇に動物を傷付ける意図はないからな。ーーーそれよりも、さっきの話は本当か?ここで死んだら現実でも死ぬって話しだ」
鴉は人間の姿になったルタルを鋭く睨み付ける。と、同時に茂みや広場から猫たちが現れ、一斉に鴉を睨み付けた。
「ーーーちっ。どうやらそいつを敵対視すると猫どもがどこからともなく沸いてくるようだな」
「そうみたいだね。ルタルを守っているみたいだ」
「ということは、やっぱりそいつがこの世界を作っている元凶か!」
鴉はルタルを指差すと、ルタルは数歩たじろいだ。
「それが……ルタルが言うには、キミの夢とボクの夢がどうしてなのか混ざってるって話しだよ」
「……なるほど。道理で今までお前以外の人間を見かけなかったわけだ」
「それだけじゃない、乗り物がなくなってるんだ。自転車とか、車とか、電車とか……」
鴉がまともに話しを聞いてくれるようになり、ましろとルタルの警戒心が少し和らいだ。
「人間が使う危険な乗り物がなくなっている……。どこからともなくやってくる猫どもが住み易い街……さながら、ここは猫の国ってか?」
「いいえ。まだ猫の国には渡れてない筈……。ですが、ここはあなたが言う通り、現実世界より猫が住み易い街に違いありません」
「まぁ、手がかりに詰まっていることだし、ひとまずそこの図書館に行って、ルタルの故郷の国が書かれてるって本を探してみようか」
ましろはカフェラテを一口飲んで一息付く。ショッキングな事実は知れど、慌ててもどうしようもない。幸い、猫たちが姿を現す以外はこちらを攻撃してくる様子もない。どうやら、ルタルを敵対視さえしなければ見逃してくれるようである。
「……おい、なんでオレは財布を持ってないんだ」
自販機で飲み物を買おうとしたのか、ブレザーの上着やズボンのポケットを漁っていた鴉がルタルに問う。
「それは……。たぶん兄様のせいではないかと……。おそらくあなたの夢は、兄様が見せている夢だと思うので。兄様にはきっと人間がお金を使うという概念がないんです。兄様は……人間が嫌いなので」
見兼ねたましろが、やれやれとベンチから腰を上げて自販機の前に立つ。
「奢ってあげるよ。どれがいい?」
「コーヒー。ブラックだな」
「……はい、どうぞ」
ましろから差し出された缶コーヒーを受け取る鴉。物語粒子の奪い合いもなく、こうして見れば案外仲の良い学生同士に見えなくもない。
「オレが飲み終わったら図書館に行くぞ」
「はいはい」
ベンチに雑に腰掛けた鴉の横に、ましろがゆっくりと腰を再び降ろす。ルタルは気分か、再び猫の姿に戻って、ましろの足元に纏わりついてにゃあんと一鳴きした。
◆◆◆
「今更だけど、夜の図書館ってなんか怖いよねー」
「ふん。オレはホラーゲームで慣れているからなんとも思わないがな」
青白い月明かりに照らされる図書館。2人の足音が廊下に響く。プラス、1匹が居るはずだが、その足音はしない。
「猫の足音ってあまりしないよね。不思議だなぁ」
ルタルは猫の姿で先陣を切って進んでいる。しっぽはピンと立てた状態だ。
「ーーーこの部屋です。私たちの故郷が書かれている本は」
部屋の入り口には鍵が掛かっていなかった。2人と1匹は扉を開け、ぎっしりと詰まった本の匂いが充満した部屋に足を踏み入れる。
ルタルが指差したのは1番奥の本棚だった。ましろはその棚の中段から、厚みのある文庫本を手に取る。
「なになに……、クトゥルフ神話、作者……ラヴクラフト……」
ましろが手にした本の表紙には、蛸のような触手と宇宙人が混ざっているかのような生物が描かれていた。とてもじゃないが童話のようなファンシーな絵柄ではない。まるでオカルト本のような、異様な雰囲気のする本だった。
「クトゥルフか。なるほど……ゲームで少しは聞いたことがある。詳しくは知らんが、コズミックホラー……宇宙的恐怖と呼ばれるジャンルらしい。ーーーあまり詳しく読むなよ。情報は欲しいがこれ以上怪異が増えるのは困るって……、おい」
「未知なるカダスに夢を求めて……」
ルタルに指し示され、ましろが一冊のタイトルを手に取る。本のページを捲る音が、薄闇に微かに響いた。
「ドリームランド……、猫の国、ウルタール……」
ましろが猫の国の名前を口にすると、ルタルがキラキラと瞳を輝かせる。
「はい!ましろさんを連れて行きたいのはそこです!」
「そこです!じゃあないだろ!!そこに連れて行ってこいつに一体何をさせるつもりだ!?」
「たくさんの猫たちに囲まれながら、穏やかにゆったりとした異世界ライフを楽しんでいただければなと!」
「本当にそれだけなのか!?」
ルタルに疑いの眼差しを向ける鴉を他所に、必要な情報部分を読み終えたましろは、本のページをパラパラと捲り、パタンと閉じた。摂取した情報を呑み込み、顎に手を添える。
「ーーーうん。読んだ感じ、猫に酷いことをしなければ、本当にそう過ごせる場所みたいだ」
「ええ!」
「ーーーだけど、行かないよボクは」
「……どうして、ですか……?」
ルタルがどこか寂しげに首を傾げた。ましろはルタルに問い掛ける。
「だって、帰れなくなるんだよね?」
「……はい。片道です」
「アーバン・レジェンドのみんなと会えなくなるのは嫌だから」
そう言ってましろは本を棚に戻した。
「……そう、ですか」
ましろにはっきりと断られ、ルタルはしゅんと耳を垂らす。
「ルタルには悪いけど、恩返しはいらないよ。……ボクらが無事に目を覚ませる方法はないかな」
壁に背を預けていた鴉が口を開いた。
「貴様ーーー先程、兄がどうとかと言っていたな」
「ーーー兄様……、ノイシュは私の双子の兄で、私と正反対で人間が嫌いなんです」
「人間嫌い?なら何故オレの後をついてきたんだ?」
「兄様の考えは私にはわかりません。ただ、この混ざった夢が私たちの故郷ーーー猫の街ウルタールに近付いていることはわかります」
「どういうこと?まだ本に書いてあった階段を下りたわけでもないのに……」
ふとましろが足を組み替えると同時にふにゃあと声がした。足元の猫の気配に気付けなかった為、猫の胴体を少し蹴ってしまったようだ。
「あ、ごめんね。ケガしてないか……なーーー」
足元に居た猫を持ち上げ、ましろは硬直する。猫の頭には毒があるようなカラフルな色の花が咲いていた。おまけにカチカチとギザギザの歯を鳴らし、涎を垂らしている。
「う、うわぁ!?」
慌てて猫から手を離すましろ。頭に花が咲いている猫はましろの足首に噛みつこうとしたが、なんとか回避する。
「ちっ、本を読んで認識したことで怪異の侵食度が上がったのか!?」
今度は敵意を向けてきた鴉に飛びかかってくるも、鴉は再びロングソードを召喚して頭に花が咲いている猫の牙をかわした。ロングソードで猫の身体を押し除ける。猫はこちらに敵意を丸出しにしていた。
「どう見ても変異状態の猫だけど、キミが言う猫の国にもこんな猫はいるのかな!?」
「はい。人間が牙を剥いた時に姿を変える猫たちがいます」
「ちょっとつま先で小突いちゃっただけなんだけどなぁ!」
「ちっ、とにかく逃げるぞ!オレに動物を斬る趣味はない!」
部屋の扉を乱暴に開け、2人と1匹はバタバタと廊下を駆けてゆく。
◆◆◆
「ーーーっ、はあ……、さっきの猫は撒いたみたい?」
「油断するなよ。ーーー見ろ」
運動神経が無く、軽く走っただけで息を荒く上げるましろに鴉が声を掛ける。そこには木の茂みから、建物の中からーーー見渡す限り、あの頭に花が咲いている猫達が、瞳は無いーーーが、こちらを一斉に向いていた。
「ははっ……、花っていろんな種類があるんだねー……」
「感心している場合かっ!これじゃあ何処へ逃げても埒があかない。影を縫い止める技は使えるが、猫相手ではせいぜい5、6匹の足止めしか出来ん」
「だよねー。別に、キミには頼ってないつもりだけど、今回はボクの能力は役立たずみたいだし……」
「おい!役立たずの足手纏いだからってサボることは許さんぞ」
「うん……。ここは冷静になってーーーねぇ、ルタル。ノイシュの居場所の手掛かりはないのかな?」
中腰で息を整えるましろに、ルタルは小首をフルフルと振る。
「ノイシュ兄様は暗く、高いところが好きとしか……。この夢の世界で何処に居るかは検討もつきません」
「……ねぇ、鴉くん」
突然ましろにくん付けで呼ばれた鴉はたじろいだ。瞳を細め、苦い食べ物でも食べた表情でましろに言う。
「ーーーよせ。2度とオレをくん付けで呼ぶな。気分が悪い」
「じゃあ夜闇鴉」
ましろが言い直すと、鴉は普通に返事を返す。
「なんだ?」
「ノイシュは現実世界で、キミに付いて来たんだよね。この夢もルタルがボクに見せている夢と、ノイシュがキミに見せている夢が混ざっている……。だったら、ノイシュはキミに関する場所に居るんじゃないかな」
「ーーークォンタム社か!」
うん、とましろは相槌を打つ。
「なるほど。行ってみる価値はある」
「クォンタム社はエレベーターが使えるよね?よかったぁ。もう走らなくて済む……」
「この軟弱野郎が」
「なにか言った?」
「甘いものばかり食わずに、少しは運動してオレのように身体を鍛えたらどうだ?男として嘆かわしいぞ」
「む……。ボクは甘いものを食べて頭の回転を速くさせる頭脳派だからいいんだよ」
「言い訳するな!このドが付くほどの甘党が」
「……ましろさんは、甘いものがお好きなのですか?」
ルタルが不思議そうにましろを見上げる。
「残念ながら、猫は酸味、苦味、塩味、うま味を感じることは出来ますが、甘味を感じることは出来ないのです。食感や匂いで甘いものと認識することは出来ますが……。でも、健康的に猫に甘いものはNGです」
「と言うことは、この夢の世界に甘いものは……」
「ありません。猫の国ウルタールにも」
まさか甘いものが無い国に連れて行こうとされていたなんて。ましろにとって、味のしない食べ物だらけの国に行くなど、背筋が凍るような事実だ。一刻も早くこの夢の国からも抜け出さねば、と固く誓うましろであった。
◆◆◆
見渡す限り、青白い月明かりに照らされた街。人工的な灯りが一切ない。人間の気配がないことを思わされる、静けさに覆われた街。
そんな街をぐるりと見渡せる、クォンタム社ビルの最上階の社長室には、1匹の黒い猫がテーブルにちょこんと座っていた。
黒い猫は金色の瞳でガラス張りの壁の外の景色を見渡している。
その耳がぴくりと反応した。
「わあ、本当に居たね」
「見つけたぞ、お前が黒幕の猫か!」
ノックもなく部屋に入って来たのは2人の人間と1匹の白い猫。両者はお互い向き合う形になる。
「ノイシュ兄様!」
ルタルは一歩踏み出すと、人間の姿へと変化した。
「ふん、ルタルか」
テーブルから飛び降りると同時に、ノイシュも人間の姿へと変化する。長い黒髪に黒いロングコート。踵の高い黒いブーツ。
鴉がノイシュを指差して叫んだ。
「くっ……!貴様、オレとキャラが少しと言うよりガッツリ被ってないか!?!」
「あっちの方が背が高くて雰囲気がクールだよ」
「誰が口煩い厨二病だと!?」
「言ってない言ってない」
ノイシュは人間2人を無視して、ルタルに語り掛ける。
「ルタル……、また人間を我らの国へ連れて行こうとしたな」
「兄様……」
「「また」って……、」
ましろさんが初めてじゃないんです、とルタルは振り向いて呟いた。
「以前連れて帰って来た人間の女で懲りたと思ったが、どうやらその逆のようだ」
「おい、一体なんの話だ」
口を挟んだ鴉に答えたわけではないが、ノイシュは話を続ける。
「あの人間の女は最初こそ、我らと共に生きようとしていたが、時が経ち、やがて故郷に帰りたいと言い出した。家族に会いたいと。そしてーーー遂には発狂し、我らの同胞を殺し始めた。我らは同胞をこれ以上殺させない為にも、女を殺した」
ノイシュはましろを一瞥する。
「ふん。どうせ、その男も同じだ。時が経てばあの女と同様、発狂するに違いない」
「そんなことありません!ましろさんは良い人です!死にかけていた私を救ってくれた人です!」
「あの女もそう言って、ルタルは連れて帰って来た」
ノイシュはルタルに背を向けて俯く。
「ルタル。何故人間をそこまでして連れて帰って来ようとする?」
「それは、私が人間を好きだからです!」
「……」
胸を張って言い切るルタルを、ましろは静かに見つめる。言い淀み、何も言わないましろの代わりに、鴉が口を割った。
「……「気に入った人間を連れ去っていい」なんて考えは、根本的に狂っている。姿身なりは人間になれるようだが、人間としてこの女の考えは間違っているな」
「……!!私は間違ってなんかいません!!気に入った人を連れ帰って何が悪いんですか!?」
「ルタル……」
ましろは「ボクは恩返しを期待してキミを助けたんじゃない」とはっきりと言う。
「違うな、月影ましろ。この女は人間に助けられたことに漬け込んで、人攫いを楽しんでいるんだ」
「……、」
鴉と同じ答えに辿り着いていたましろは、言葉を呑み込んだ。
「ーーーどうして?どうしてわかってくれないの?ノイシュ兄様も、みんなも、ましろさんも……!!あの人はわかってくれたのに……!!」
「ルタル!?」
ルタルを中心にして白い渦が巻き起こる。ノイシュは動じず、片手を一振りし、その白い渦の流れを消し去った。
「この混ざった夢を無理矢理ウルタールに繋げようとしても無駄だ。我が居る限りはな」
「ッ……!!」
頭を花に彩られた灰色の猫たちが現れ、ノイシュに向かって牙を剥いた。ノイシュは同じく頭を花に彩られた黒い猫を召喚し、攻撃を相殺させる。
「ルタル!落ち着こう!」
「こいつら、仲の良い兄妹じゃなかったのか!?」
ノイシュとルタル。今まで退治してきた物語たちとは桁違いに規格外の能力を持っていると、ましろと鴉はピリピリとした空間に張り詰めた空気で感じ取る。
2匹には人間の夢に干渉する能力だけではない。その考え、感情すらも人間とはズレがある。
「ノイシュ兄様を殺せば、ましろさんを連れて故郷に帰れるんですね!」
ましろを振り返ったルタルの顔は黒く塗り潰されている。にたり、と笑う口からは不気味で理解不能な言葉が発せられた。
理解不能な言葉は命令のようだ。灰色の猫たちが黒い猫たちに噛みつき、その胴体を引き千切ってゆく。空間を切り裂くような鳴き声が響き渡った。
「さあ……、一緒に行きましょうましろさん。猫の国、ウルタールへ!!」
召喚された灰色の猫たちが、ましろに一斉に飛び掛かろうとする。
「月影ましろッ!!」
鴉がスペルカードを召喚し、闇のスペルで灰色の猫たちの影を束縛して身動きを取れなくするが、第2波は防げなかった。
「ーーー炎」
無数の炎の球が灰色の猫たちの頭に命中し、彩られた花を焼き払う。
「嫌だよ。これ以上、どうしてもって言うなら、ルタル。キミと戦わなくちゃいけない」
「どうして、どうして、どうしてーーー!!?」
「ちぃっ!貴様の妹、狂ってやがる!!」
オレの剣は猫の血肉で染め上げる為にあるんじゃあない、と鴉は剣を薙ぎ払う時に生じる闇の波動で、襲いくる灰色の猫たちを遇らっていた。
「ーーーついて来い、人間」
目の前で自身の妹が狂って暴れているというのに、ノイシュはやけに冷静だった。ノイシュは黒い猫の特に体躯が大きい猫たちをましろと鴉に突進させ、背中に乗せてガラス張りの壁を突き破る。背に黒い羽根を生やし、黒い猫たちは空を飛んでいた。
「ーーーわあ、来夢がいないのに、空を飛んでるよボク」
「おい、突然振り落としたりするなよ!」
「ーーーふ。どうかな……我は人間が嫌いだからな」
ノイシュも背中に黒い羽根を生やし、人間の姿で飛行している。
視界を振り返ってみれば、クォンタム社のビルの割れたガラス片を踏み付けたルタルが空を見上げていた。
「安心しろ。ルタルには飛行能力が無い。使い魔もだ」
「ひとまず、落ち着いて話が出来る場所まで移動したいな」
「なら心当たりがある。ついて来い」
◆◆◆
「ここはーーー」
駅から遠く離れた土地、先程の図書館とは規模が違う私立図書館へと黒い猫たちは降り立った。
「こちらの方が、我々について詳しく書かれた本が……本以外も多く貯蔵してあるのでな」
「またオレたちに本を読ませて、怪異の侵食度を高める気か?」
「ーーーそうだったな。では、マイルドに語るとしようか」
ノイシュは黒い羽根をしまい、彩られた花の頭を持つ猫たちも消えてゆく。
「その前に……、貴様、なぜ現実でオレの後をついて来た?」
鴉は現実でノイシュを拾ってきたこと思い出す。
「ふ……。ルタルが我らの国へ連れて行こうとした、その人間の夢に干渉出来る夢を見れる人間が必要だったからだ。他にも候補は居たが、全員ルタルと同じ場所に居た為、離れた場所に居たお前の夢を利用して干渉することを決めた」
「つまり、ボクが猫の国ウルタールへ渡るのを阻止しに来た味方……ってことでいいのかな?」
「味方ではない。我は人間が嫌いだ。人間が我らの国へ渡ることを阻止したいだけ……偶々目的が一致したと思え」
ふいにノイシュは視線を逸らす。先程からましろや鴉と視線を合わせて話そうとしない。
「妹のことを話そう。ーーールタルがああも人間好きになったのには訳がある」
「ふむ。最初からじゃあないのか。てっきりオレはコズミックホラーの一部だからかと思ったのだがな」
「先程話した発狂した女の前に、人間の男が我らの故郷にやってきた。其奴は我らに優しく接し続けた。何年も、何年もだ。女と違い、男は発狂などしなかった。ーーーしかし、ある日突然、男は旅に出ると我らに告げた。男に1番よく懐いていたルタルは酷く悲しんだ」
「……ボクは、その男性の代わりなのかな」
「さあな。だが、その可能性が高いのは事実だ。あの頃はまだルタルも幼かった為か、あのような発狂をすることもなかった。徐々に発狂し始めたのだ」
「貴様は、その男が原因で人間嫌いになったのか?」
「ああ。あの男が我らの国に来なければ、ルタルとの関係が双子の兄妹でいられた。あの男のせいで、今では人間の夢渡りをめぐり殺し、殺されあう仲だ」
「待って。キミたちは殺されても死なないのかい?」
「夢の中ではな。殺されても何度でも再生する」
「オレたちは夢の中で殺されたら死ぬのに、敵は無限に再生するだと?クソゲーにも程があるぞ」
「じゃあ、さっきキミとルタルが召喚していた猫たちや、ボクが焼いた猫たちは再生してるってこと?」
ノイシュは肯定するように頷く。
「良かったと言うべきか、なんというか……。ああ、そうだ。さっきはありがとう」
「ふん。別に……貴様に死なれたら戦力が減るから助けたまでだ。夢の国から出る手立てもないしな」
ましろが助けてくれたお礼を言うと、鴉は照れ臭いのかましろから視線を逸らす。珍しくノイシュはその一連の動作をジッと見つめていた。
「この夢の国から出る方法は、どうやらルタルを止める以外には無いみたいだね」
「ああ。ルタルが人間を連れた夢渡りを諦めれば、貴様はこの夢から解放され、現代で目を覚ますことが出来るだろう。我はそちらの人間の夢への干渉を解除する」
「なら、戻るのかクォンタム社に」
「そうだね。エレベーターが封鎖とかされてなければいいけど……」
「いや、空を飛んで行けるんじゃないか」
「……」
「さっきからなんだ?オレたちを不思議そうに見て?」
ノイシュの視線に気付き、鴉が問い掛けた。
「……いや、貴様らは仲が悪いと認識していたのだが」
「どこをどう捉えたら仲良く見えるんだ!?」
「あはは。仲良くはないかなぁ……。協力関係なのも、夢の世界だからだし。普段は敵対関係だからね」
「そうだ!オレのパートナーはお前も見ただろう!チェリーブロンドの女であり、決して月影ましろではない!」
「……ふ。そういうことにしておこう」
ノイシュは再び黒い羽根を広げた。指を鳴らした合図と共に、使い魔が街路樹の茂みから飛び出してくる。
「敵対しても殺し合わない仲か……。なるほど。少し羨ましいな」
「?何か言ったか」
「いいや。何も」
遠くを見上げたノイシュの呟きは、虚空へと消え去った。
◇◇◇
ましろたちはノイシュの使い魔の背に乗り、クォンタム社の壊れたガラス張りのビルの最上階へと降り立つ。
「……ルタル?」
「おかしい。反応がないな」
てっきり怪異に塗れた世界が出迎えてくるものだと警戒していた2人と1匹が、警戒心を緩めた。
「場所を移動したのか?」
「でもどこに?」
「……」
ましろは部屋の隅に落ちていたメモ用紙を手に取る。逆さまに書かれている文字。大きなガラス片に照らし合わせ、文章を読む。
「……アーバン・レジェンドだ」
◇◇◇
「♪♪♪」
アーバン・レジェンドへと移動したルタルはご機嫌だった。やはり兄様の趣味はあまり好きではない。こちらの方が住みやすそうな物件だとルタルは思った。
「大丈夫?」
ルタルはノイシュの使い魔に噛まれた傷を負った猫たちと、ましろの放った炎に焼かれた猫たちの手当をしていた。包帯をぐるぐると胴体や顔に巻いていく。
「padp@qapdppd@jxtm」
「jmhqjmjpjqjmpjm」
「jmjqeapaqadadp」
猫たちはルタルやノイシュでなければ聞き取れない、理解不能な言葉を発する。
「私が諦めない限り、兄様もましろさんもわかってくれる……。ごめんね。もう少しだけ頑張って」
包帯に血を滲ませた猫たちは、弱った身体で人の姿のルタルに擦り寄った。淡い灰色の猫たちはルタルと同じく人間が好きな派閥の猫である。本来ならば争いを好まない、優しい気質の猫たち。
「兄様とは、いっつも殺し合いになって。私、本当は殺し合いなんてしたくないのに……兄様の分からずや」
「ーーー分からずやで悪かったな」
猫の姿でノイシュはルタルの目の前に現れた。ルタルは涙を袖で拭いて、ノイシュと向き合う。
「ノイシュ兄様」
「ルタル。諦めろ。この人間は我らの国、ウルタールへ渡るのを良しとしていない」
「……じゃあ、ましろさんじゃない他の人を」
震える声でルタルが言う。
「それも駄目だ。あの最初に我らの国を訪れた男が特殊だったのだ。普通の人間は、我らの国を訪れれば発狂してしまうに違いない」
「そ、そんなの、呼んでみなきゃ分からないじゃないですか!」
「いいや。わかり切っている。だからこそ我はお前が人間を連れて夢渡りをしようとするのを、未然に防いでいるのだからな」
「……」
ルタルはキッとノイシュを睨んだ。人間を猫の国へ連れて帰る最大の難関。自分の双子の兄。ルタルは今までに何度も挑戦してはいるが、兄に勝てたのはあの女性を連れて帰れた1度だけである。
「ましろさん、魔法みたいな技が使えるのは想定外だったな……」
少なくとも、あの時の女性と違い、ましろには抵抗手段がある。説得する以外に連れて帰るのはやや難しいと、ルタルは密かに感じていた。
「そうだ。奴に発狂されたら、あの女が発狂した時以上の被害が出る。お前が従える人間好きの猫たちからも、人間嫌いが現れるかもしれん」
「……兄様って、本当は人間、好きですよね」
「!?」
「人間のこと、沢山観察出来てて、心情を把握出来てて……。私には出来ないや。羨ましいなぁ」
ルタルはソファに座りながら、膝元にいる手当した猫の首をくすぐった。
「ごめんね。無理に戦わせちゃって。でも、兄様やましろさんのことは、嫌いにならないでほしいな」
「ーーー凄まじい程の人間推し、拗らせるとここまでなるとは」
「はいはい。今良いシーンだから、外野は黙っておこうね」
部屋の外で聞き耳を立てていた、ましろと鴉は黙って続きを促す。
「気は済んだか、ルタル?」
「ーーーええ。兄様、私……暫くの間、ここに住んでみようと思います!あ、夢の中ではなく現実で!」
「「ーーーはぁ?!」」
「だって、連れて帰れないのでしょう?だったら私が人間の世界で暮らせば良いじゃないですか!」
「ま、待てルタル!人間……現実の世界は危険で溢れている!現にお前は車に轢かれて死にかけていたのだぞ!」
「アーバン・レジェンド付近に住んでいれば治してもらえます」
「そういう問題ではなく!」
狼狽えるノイシュ。ため息を吐くましろと鴉。
「兄様。私、決めましたから。じゃ、そういうことで!」
「待てルタル!話はまだ終わってないぞ!?」
ルタルがパチンと指を鳴らす。空間が白い渦と混ざり合い、ましろは徐々に目覚めの気配を感じるようになった。
「……仕方がない!」
ノイシュも一歩踏み出すと空間と黒い渦とを混ぜ合わせ、鴉の夢への干渉の解除を試みた。鴉もましろ同様目覚めの気配を感じる。
「いやー、今回はいつにも増して物騒な話だったけどね。ただ、ラプスが居ないから物語粒子が回収出来ないっていう」
「くっ!かなり粒子回収出来そうな案件なのだがな!」
目覚める直前、2人はどうにかしてこの物語を回収出来ないものかと思い悩んでいた。
◇◇◇
「ーーーという、夢を見てたんだけど……」
『コズミックホラー……宇宙的恐怖か。なるほど。今までにはない物語のタイプだ』
「ラプスが居たら粒子回収可能だったのかなぁ?」
『そもそも僕をましろの夢の世界にどうやって連れていくのさ?他人の夢の世界に入る手段が無いとどうしようもないよ』
「そっかー。あれだけ恐怖を味わったのに、残るのは恐怖体験だけだなんて……」
アーバン・レジェンドの住人全員揃っての朝食。食べながらする話の内容ではないが、ましろはマイルドに夢の中での出来事をみんなに言い聞かせていた。
「クトゥルフならあたしもちょっとわかるよ。ゲームで少し出てくる時あるし」
サンドイッチを食べながら綺羅々が言う。
「そうなんだ。僕はそういうのは初耳だなぁ」
鵜久森はコーヒーを啜り終えて首を傾げた。
「私も専門外のジャンルでしたわ。今から読んでも遅くなくって?」
『いや。あまりおすすめはしないよ。夢の中で夜闇鴉が言っていた通り、怪異の侵食度が上がる可能性が高い』
「ーーー今回の件は一応本部にも報告させてもらうよ。今後ももしこの系統の物語に遭遇した時の対処法などを決めなくてはね」
食器を片付けながら、アーバンが口にする。
「ふふ。それにしても、あの夜闇鴉さんと仲良くなれたのは良かったのでは?」
「林檎、夢の中での話だよ」
「はい。夢の中でも、自分と同年代の同性と仲良くなれて素敵だなと思いました」
林檎がカップに手を付ける前にふふふと笑う。
(やっぱり、夜闇鴉のことは省いて話すべきだったかなぁ……)
話したましろ本人としては、あまり重要なことではないと認識しながら話していた為、そこを拾われるとは思わず、後から後悔する。
「コズミックホラーだなんて、私はまだ体験したことがない未知の領域です。一体どういう衣装を作れば良いのかしら……」
「紬さん、まず夢の中にどうやって入ろうって話からだからね。衣装がどうのってレベルじゃないから」
紬は連日のイベント続きで、いつものことだが衣装を作ることしか頭に入ってきてないようだ。ましろのツッコミも届いているかどうか。
『ノイシュとルタルか……』
「今頃どうしてるんだろう?何処からかボク達を見てるのかもしれないね」
ましろがチラリと窓の外を見ると、灰色の猫の姿が見えた。ーーー目が合うと灰色の猫がウインクをする。隣には黒い猫。どうやら灰色の猫を側から見張っているようだ。
「ああ……、また厄介な人物(?)がボクの側に増えたみたい」
ぐったりとプラチナブロンドをテーブルに寝そべらせたましろの元に、食後のプリンが運ばれる。
甘いものがない国に、連れ去られなかっただけでも幸いか。
気を取り直してましろは背筋を伸ばした。
「……食後のスイーツを豪華にする為にも、なんとかクトゥルフの物語を回収する方法を考えないとね」




