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アナザーエピソード:観測者たちの円卓

 王宮の最奥、間取を把握する構造図にも記されていない一室がある。


 『円卓の間』。


 そこはエルグランド王国の真の心臓部。国王、王妃、そして宰相や騎士団長といった国家の最高意思決定者たちが、公式の歴史には決して残らない、国の根幹に関わる密議を行う場所だった。


 その夜、円卓を囲む顔ぶれはいつになく重苦しい沈黙に支配されていた。しかしそれは非常事態を危惧しているといった類のものではない。むしろ冷徹な、まるで極上の演劇のクライマックスを見守る監督のような緊張感だった。


 円卓の中央には、特殊な魔術で映像を映し出す水盤が置かれている。水面に映るのは王太子の私室。そこではアレクシスが、四人の側近たちに禁断の計画を打ち明けていた。


『……私は、イザベラ・フォン・ヴァインベルクとの婚約を破棄する』


 アレクシスの決死の覚悟に満ちた声が、円卓の間に響く。

 水盤を覗き込む国王エルグランド三世の口元に、かすかな、しかし確かな笑みが浮かんだ。


「……始まったか」


 その呟きに、隣に座る王妃が扇子で口元を隠しながら応える。


「ええ、陛下。ようやく。あの子もようやく、『天秤』の前に立つ時が来たようですわね」


 彼女の声には、息子の身を案じる母の響きなど微塵もない。それは息子が待ち望んでいた舞台の幕が上がったことへの、静かな満足感に満ちていた。


「しかし、陛下。側近候補があの四人とは……」


 口を開いたのは、騎士団長だった。水盤に映る自分の息子、ギルバートの真っ直ぐな瞳を見つめながら、彼は平坦な声で言う。


「我が息子ながら、少々情に厚すぎる。真っ先に殿下の愚かな計画に同調し、最初の贄となるでしょうな」

「構わん。贄は多い方がいい。痛みが深ければ深いほど、学びもまた深くなる」


 国王はこともなげに言い放った。騎士団長も黙ってうなずく。

 宰相――セオドアの父親――は、黙って水盤を見つめていた。その眼鏡の奥の瞳は、息子の未来ではなく、この事態が国家に与える影響を冷静に計算している。


「アシュフォード家の令嬢……リリアナ、でしたか。元平民の血が、ここまで王家の歴史を揺るがすとは。皮肉なものですな」

「だからこそ、良いのだ」


 王はこともなげに言い放つ。その態度に、王妃が思わず、くすりと笑った。


「高位貴族の令嬢相手では、殿下もここまで盲目にはなられなかったでしょう。身分違いの、叶わぬ恋だからこそ、炎は燃え上がる。そして、その炎でその身を焼かれ、灰の中から、真の『王』として生まれ変わる。これこそが、エルグランド王家に伝わる最高の帝王学ですもの」


 水盤の中で、四人の側近たちが、次々とアレクシスへの忠誠を誓っていく。


『我らの命、我らの未来、すべてを殿下に捧げます』


 その言葉が響いた瞬間、円卓の間の空気が、わずかに震えた。部屋の隅に置かれた、古びた天秤のオブジェが、キィ、と微かな音を立てて、ほんの少しだけ傾く。


『血盟の天秤』が、起動したのだ。


「さて、観測を始めるとしよう」


 国王はまるで新しい駒を盤上に並べるかのように、楽しげに言った。


「我が息子が、この試練を、いかに乗り越えるのか。あるいは乗り越えられずに、壊れてしまうのか。見ものだな」



 ―・―・―・―・―・―・―・―



 数日後。

 ギルバートが訓練場で命を落としたという報告が、円卓の間に届けられた。


「ふむ。予想通り、最初の贄は騎士団長の息子か」


 国王は、チェスの駒をひとつ盤上から取り除くように、淡々と言った。

 騎士団長は、息子の死の報告を受けても眉ひとつ動かさない。


「騎士として、王太子殿下の学びのために命を落とせたのです。ギルバートも本望でしょう」


 その言葉に、偽りはなかった。彼らにとって、個人の命や家族の情は、国家という巨大な機械を円滑に動かすための潤滑油か歯車でしかない。摩耗すれば交換すればいい。ただそれだけのことだ。


「ほう、面白い」


 水盤には、リリアナがアレクシスに、ギルバートの死を予知していたと泣きながら告白する場面が映し出された。

 王のつぶやきに反応するように、王妃も興味深そうに身を乗り出す。


「あの娘、呪いの『観測者』としての役割も担っているのか」

「これは、王太子にとっては、より過酷な試練になりますわね。死の筋書きを知らされながら、それを止められない無力感を、何度も味わうことになるのですから」

「ですが王妃様、その『観測者』の存在が、殿下に呪いの正体を気づかせる最大のヒントにもなり得ます」


 王妃は弾むような声を出し、我が子でもある王太子の悲惨な未来を予想した。

 そんな彼女と対比的に、宰相は冷静に分析する。


「試練であると同時に、救済への糸口でもある。実に精巧な仕組みですな、この呪いは」


 王国の中枢そのものである円卓を囲みながら、王たちはうなずきを返した。


 さほど日を置かずして。次はフェリクスに死が訪れた。音楽堂のシャンデリアの下で、無残に圧し潰されたという報告がなされる。


「宮廷音楽家の息子は、心が繊細すぎた。早々に壊れるとは思っていたが……」


 国王は、まるで批評家のように呟いた。

 円卓の間の誰もが、若者たちの死を悼むことはない。彼らの関心はただひとつ。この連続する死という「圧力」によって、アレクシスの精神がどのように変化していくのか。その一点にのみに注がれていた。


 さらに数日後。

 今度はセオドアが禁書庫で死んだ。

 宰相は、自らの息子の死の報告を、自らの口で、淡々と読み上げた。


「――以上により、禁書庫は現在、崩落の危険があるため、無期限の封鎖となりました」


 報告を終えた宰相に、王妃がねぎらいの言葉をかける。


「ご苦労様でした、宰相。あなたも、息子を立派な『礎』として捧げましたわね」

「恐悦至極に存じます」


 宰相は深く頭を下げた。その横顔には悲しみのかけらも見当たらない。むしろ、自分の息子がこの王家の重要な儀式において、計画通りにその役割を果たしたことへの静かな誇りさえ感じさせた。彼は父親である前に、この国のシステムを守る、忠実な部品なのだ。


 水盤には、アレクシスとルーカスが恐怖に打ちのめされている姿が映っている。セオドアの死によって、彼らは完全に呪いの存在を確信したのだ。

 その様子に、国王は満足げにうなずいてみせる。


「良い顔になってきたではないか。恋に浮かれた甘さは消え失せ、死と絶望を知った、王の顔つきに近づいてきた」

「ええ。ですが、まだ足りませんわ」


 王妃が、扇子で口元を弄ぶ。


「まだ、彼は『仲間』という甘えに浸っている。最後の側近が死に、完全に孤独になった時、どのような決断を下すのか。それこそが最大の見せ場ですわね」


 王妃はさも楽しそうに言う。それこそ、目をつけていた舞台役者が初めて主役を演じるのを見守るような、そんな心持ちで。


 そして、ルーカスの死。これは円卓の間に、ある種の達成感をもたらした。

 市場での、あまりに凄惨で、しかし完璧に計算された「事故」。その一部始終を水盤で観測していた王たちは、まるで芸術品を鑑賞するかのように、その手際の見事さを称え合った。


「見事なものだ。『天秤』の因果操作は、何百年経っても衰えを知らんな」

「これで駒はすべて、盤上から消えました。残るは『王』と、『王』を惑わせた魔女だけ」

「さあ、アレクシス。お前の番だ」


 国王は、水盤に語り掛ける。そこには絶望の淵に沈む息子、未来の王になるであろう青年が映っている。


「友の屍を乗り越え、責務を選ぶか。あるいは愚かな恋に殉じ、自らも屍となるか。お前の『王』としての器、この父に示してみせよ」



 ―・―・―・―・―・―・―・―



 そして、アレクシスが、すべてを告白するために執務室を訪れた時。国王や王妃、宰相が見せた冷酷な反応は、この『円卓の間』であらかじめ決められていたものだった。彼らは、アレクシスの心を最後の力でへし折り、彼に残されたわずかな人間性の甘えを完全に削ぎ落とす必要があったのだ。


 王とは、孤独なもの。

 王とは、非情なもの。

 王とは、国家というシステムそのもの。


 その真実を、魂の最も深い場所に、死の恐怖と裏切りの絶望をもって刻み込む。それが、この『観測者たちの円卓』が何世代にもわたって行ってきたことだった。


 アレクシスが人形のようにふらつきながら執務室を去った後。国王は、水盤の映像を消した。


「……これで、終わりだ」

「ええ。立派な『王』が、またひとり、誕生しましたわね」


 王妃は、心底満足そうに微笑んだ。

 円卓の間は再び、静寂に包まれた。


 これで、しばしの平穏が訪れる。何十年後か、あるいは何百年後か。再び王家の誰かが、私情に溺れ、この『血盟の天秤』の前に立たされる、その時まで。


 彼らはエルグランド王国の、永遠の観測者。

 この国の存続こそが、何よりも優先される。


 未来を担う若者たちの死。

 愛し合う男女の悲劇。


 なるほど、確かに見聞きする者の感情を揺さぶる出来事なのかもしれない。

 だがそれらはすべて、この国の平穏な未来を繋ぎ留めるために消費される、取るに足らないエピソードに過ぎなかった。



 -了-


 ※これにて『婚約破棄と王家の呪い』は完結です。

  読んでいただきありがとうございました。

  少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

  感想や評価などいただけると励みになります。よろしくお願いします。


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