その心を、聞け
※本作には、死、暴力、復讐、精神的に不安定な描写を含みます。ご注意ください。
15歳以上推奨。
いつまで経っても、未来を見ないね
頭がクラクラして、倒れてしまいそうなほど眩しい日差しの中で、いつものように、私たちは鍛錬に励んでいた。
日が傾き始めた頃、漸く鍛錬が終わり、私たちは鉄板のように熱い地面に倒れ込んだ。
やけに眩しい日のことだった。
太陽の光が目を刺して、視界がチカチカした。
手を伸ばして、光を遮る。瞬きをひとつ。
泥だけの顔を手で拭いながら、じりじりと焼かれていた。
不意に、影が差し、水が降って、頬を伝った。
「生きてるか?」
なんて、冗談を言いながら同僚___優里は水を差し出した。
私は疲労と倦怠感に苛まれながらも、手を伸ばし、水を受け取った。
一口飲めば、喉が潤う。二口飲めば、極楽か。
気が付けば、水が入っていた容器は空となっていた。
優里は、大層可笑しそうに笑いながら
「がっつき過ぎだろ」
『……』
「おいおい、睨むなよ…」
優里は肩を竦めながら、「あー疲れた」とぼやきながら倒れるようにその場に座った。
滝のような汗を優里も俺も、他の奴もみんなかいていた。
『むさ苦しい』
「そりゃ、野郎しかいないからな」
優里はけらけらと、少し掠れた声を上げて笑った。
それに釣られて、頬が緩んだ。
不意に、言い合うような声がして、視線を向けた。
日陰の取り合いをしながら、楽しげに笑う同僚たちがいた。
『馬鹿だなぁ……あんな事してたら、より暑くなるだろうに』
馬鹿にしたような声が、喉から出てきた。
優里は、微かに首を横に振り、ウンザリするほど快晴な空を見上げながら言った。
「唯一の娯楽だからな」
『それもそうか』
いつ死ぬかも分からない時代。
それに加え、私たちは忍者だ。
長く使われるように今日もまた鍛錬を積み続けている。
『……鍛錬で、死にかけてたら意味無いけどな』
「言えてる…もう既に一人は土に帰ったよ」
『下らない理由でな』
「せめて……戦場で散れたら良かったのになぁ」
『お偉いさんも勿体ないことを』
語尾が微かに震えた。優里は、その震えに気付かぬ振りをしていた。
―――――
辺り一面が白に覆われた日のことだった。
蝋燭一本程度を灯した部屋の中、微かに白い息を吐きながら殿にとある城の偵察報告をしていた。
軽い報告を終え、次に今後の戦について議論する。
____あの城は此処が手薄だった。
____あの城にいた者は相当な手練そうだった。
日が昇るまで議論は続く。
出来るだけ、被害を最小限にするために。
不意に、殿が言った。
「もう良い。明日にまた話し合おう」
『飽きないでください、殿様』
「失礼な奴だ。飽きてなどおらぬわ」
軽い軽口を叩き合う。
「……白詰、面白い話をしろ」
『無茶振り辞めてください』
思わず眉を顰めると殿は面白そうに肩を揺らした。
『…………整いました』
「お、来たな?」
優里は目は片目を開き、わくわくとした表情で見た。
『裏切り者と掛けまして、私たちと解きます』
「その心は?」
殿が尋ねる。
『どちらも逃げられないでしょう』
隣にいた優里が思わず吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
それに伝染するかのように同僚たちは忍者らしからぬ風貌で笑いだした。
殿ですら、声を上げて笑っていた。
「なんて酷い冗談を言うんだ!」
優里が薄らと滲んだ涙を指で拭いながら言う。
他の同僚も、乱れた息を整えながら言う
「逃げられない!ああその通りだな!」
「やっぱ世の中は糞だよ」
「ははっ!!皮肉ーー!」
楽しそうな声が、御殿に似つかわしくないほど響く。
「はっはっはっ、それは殿にならざるを得なかった儂に対する皮肉か?白詰」
殿の瞳が鋭く俺を刺す。ほんの一瞬、息が止まった。
だが、すぐに息を吐き、殿の顔を見た。
『それもありますが…俺たちはこの城に生涯尽くします』
目を伏せる。喉が、冬だというのにやけに渇いた。
『……此処から逃げれたとしても、抜け忍として殺されます。』
目を開け、視線を同僚たちに、そして殿に移す。
『死にたくなくても、死なねばなりません…他でもない、貴方のために』
嘲笑的な笑みが漏れる。
『どう転んでも、私たちは死ぬ以外の道がありません。』
殿の目が、細まるのを感じた。
「白詰」
不意に、名を呼ばれた。
「……儂の為に死んでくれるか?」
そんな問に思わず微笑む。
『無論』
_______貴方の思うがままに
ほんの僅かに殿が顔を歪めたような気がした。
それが悔恨だったのか、憐憫だったのか、それともただの幻覚だったのか。
私には、とっくのとうに分からなかった。
―――――――
桜が、散った。桜の花弁が宙を舞う。
暗闇でもわかる、美しい色だった。
赤色と桃色が視界を覆い尽くした。
最早、今己は何色に染っているかすらもわからなかった。
爆裂弾の音が耳を劈く。
戦場の真っ只中、無我夢中で苦無を握りに締めていた。
走れ、走れ。
脳が警報を鳴らす。
視界がブレる。喉が突然熱くなった。張り裂けそうなほど、私は口を開けていた。
優里に手を伸ばす。
朱が舞った。
その朱は、私を染めた。
視界が霞む。咆哮も怒号も、その何方も私の喉を突き刺した。
血で血を洗う、激しい戦であった。
敵の、味方の屍が積み重なっていく。
私は全てを呑み込んで、真っ赤に染った。
朝日が辺りを無邪気に照らす。
最早、この場に立っているのは己だけであった。
視界が赤い、真っ赤だ。
己は、今、何色か?
_____『かえ、らなければ』
任務は遂行した。
戦に勝った、勝ったのだ。
私を残して、戦は終わった。
足が竦む。手が震えて、苦無が地面に突き刺さった。
声が震えた。息を吐く。
吐いて、吐いて、吐いて、吐いて、吐いた。
酸素が不足して、足元が覚束無い。
それでも、私はこの赤と桃色で染まりきった道に、ゆっくりと足を踏み入れた。
『整いました』
声を絞り出す。自分でも驚くほど掠れていて、聞き取りにくい声であった。
『枯れた植物と、解きまして。』
左目を閉じた。右目は決して閉じなかった。
『今のお前らと解きます』
優里の声はしなかった。同僚たちの笑う声も、全てが過去のモノとなった。
酷い耳鳴りがして、顔を歪めた。
『その、心は、』
朝雨が、私の頬を濡らした。
『どちらも動かないでしょう』
ほら、いつものように笑ってくれよ。
――――――
春も秋はきっと、白詰には二度と来ない。
過去に、赤と桃色で彩られた道を男は歩いていた。
夏の日差しが男を刺していた。男は、額に流れた汗を拭いながら、しっかりとした足取りで歩き続けていた。
そして、数刻は歩いただろう時、男は漸く足を止めた。
一番見晴らしが良く、辺りを一望でき、美しい景色が広がる崖近く。
男の視線の先には、石が数個積み上げられた物が、何十、何百個と無造作に置かれていた。
そんな石たちの間を縫って、男は、一番奥にある積み上げられた石に向かった。
「おはよう、優里」
何とも間抜けな挨拶をひとつ零した。
造作のない話をする。
返事は無論ない。
しかし、男はそれでも言葉を紡ぎ続けた。
不意に、男の口が止まった。
「……また来るよ」
男は石をひと撫ですると、さっさと背を向けた。
よくある、強い風が吹くわけでも、慰めるような風が男の頬を撫でることもなかった。
無音で無風。
されど、男にとってはそれが一番だった。
男は、己の潰れた左目に軽く触れた。
男は、目を伏せた。
――――――
ある春のことだった。
いつものように、石が積まれた見晴らしの良い場所に男は訪れていた。
後数歩で石が見えてくるであろう位置から、赤子の泣き声がすっと耳に入ってきた。
思わず、男は足を止めた。
息を呑む。呼吸の方法すらも忘れて、ゆっくりと、慎重に声のする方へと歩いていく。
声の主は、丁度優里の眠る石の前に贈り物のように置かれていた。
一歩、二歩。
男は確かな足取りで赤子に近づく。
赤子の前に立ち、見下ろした。
優里に似ても似つかないただの赤子。
それでも、男は手を伸ばした。
赤子には、確かな重みがあった。
赤子を抱きあげれば、あれ程大きな声で泣いていたというのにすっと泣き止み、不思議そうに白詰を見上げた。
そして、それはそれは大層嬉しそうに手を伸ばした。
白詰は、その赤子の温もりを知っていた。
優里の、かつての同僚たちの温もりであり、生命の温もりであった。
白詰は、左目を開けることはない。
涙もとうの昔に枯れて乾ききっている。
喜びも悲しみも、全てがこの地で洗い流されている。
されど、白詰は、しっかりと顔を上げた。
もう後戻りすらもできないぬくもりが白詰の頬を撫でた。
_____『秋人』
赤子の名を口にする。今付けた、ただの呼び名に過ぎない。
しかし、白詰はその重みを感じていた。
白詰は、優里に背を向けた。
ただ、石の傍に静かに咲いていた白詰草だけが、優しく事の顛末を見守っていた。
――――――
「父上」
子供が、親を呼ぶ。
しかし、親は子供を見なかった。
夏が来て、
冬は去り、
春風が頬を撫で、
秋は来る。
しかし、それはただの運命に過ぎない。
白詰には、人の心を理解することが出来なかった。
白詰は、とうの昔に捨てていたのだ。
それ故に、子が親を呼ぶ声にも気付くことが出来なかった。
白詰は死んだ。
春が来て、桜に埋もれて眠っていた。
安らかな最期だった。
子供は、秋人は天涯孤独となった。
秋人に残されたのは、唯一父に教わった刀の振るい方だけであった。
その事実を知った殿は、大層可笑しそうに肩を揺らして、憐れむような声で言った。
「何とも、愚かな男であった」
秋人には、その意味が理解できなかった。
理解知り得なかった。
――――――
長い月日が経った。
秋人は少年になり、青年となって、やがて壮年となった。
今日も、秋人は刀を振るう。
父に教わったやり方で人を斬り、城の手足となって動き続ける。
壮年は、何時の間にか「東雲の侍」と呼ばれるようになっていた。
その名で呼ばれるようになった経緯も、全てが秋人にとってはどうでも良かった。
どんな名で呼ばれたとしても、父は己を見ないのだから。
ある日のことだった。
とある、ひとりの忍者に出会ったのは_____。
その刹那、秋人の時は急激に動き出した。
その男の瞳を、秋人は知っていた。
その男の余裕を、秋人は感じていた。
その男の横顔を、秋人は見続けていた。
_______「父上?」
掠れた声は、音にはならず。
刀を握り直した。かつて、父が己に教えた剣筋だった。
(ねぇ、父上)
秋人の瞳には、忍者は居ない。
敬愛し、焦がれに焦がれた男のみが居た。
合図もなく、言葉もなく。
二人は同時に動き出した。
これが、完全無欠の忍者に咎を背負わせた侍の話である。
――――――
太陽と掛けまして、父上と解きます。
その心は、どちらも私を見ないでしょう
月は、私を見つけてくれたのに