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血液内科医、異世界転生する  作者:
新たなる出会いと研究
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第八話:魔法適正

ヴァルステリア領の城門をくぐり、王都アステリアへと向かう馬車がゆっくりと動き出す。窓から身を乗り出し、見送る父アルフォンスと、涙ぐむ使用人たちの姿が小さくなっていくのを、レオナールは目に焼き付けた。寂しさがないと言えば嘘になる。慣れ親しんだ故郷、家族同然の使用人たち、そして何より、短い間だったが温かい愛情を注いでくれた母の記憶。それら全てが詰まった場所を離れるのは、12歳の少年には感傷的な思いを抱かせた。


しかし、それ以上に彼の心を占めていたのは、未来への期待と、胸に秘めた熱い決意だった。

(行くぞ、王都へ。そして、王立学院へ。俺の戦いは、ここから始まるんだ)


辺境伯領から王都までは、馬車で十日ほどの旅程だった。ヴァルステリア家の紋章を掲げた頑丈な馬車には、レオナールと、父が付けてくれた年配の従者、そして護衛を兼ねた数名の騎士が同乗した。道中は、街道沿いの宿場町に泊まりながら、比較的安全に進んだ。レオナールは、馬車の窓から見える景色——広大な麦畑、深い森、険しい山々、そして点在する村々——を観察し、この世界の地理や人々の暮らしについて、従者や騎士たちから話を聞き、知識を吸収していった。それは、書物だけでは得られない、生きた情報だった。


そして旅の十日目。遠くに、巨大な城壁と、天を突くような白い塔が見えてきた。王都アステリアだ。近づくにつれて、その圧倒的なスケールと活気に、レオナールは息をのんだ。城壁の高さ、厚さ、そしてそこに刻まれた魔法的な防御術式の痕跡。城門を通過する人々の多さ、服装の多様さ。石畳で舗装された幅の広い街路、立ち並ぶ壮麗な建物、そして空をゆっくりと行き交う、巨大な帆を持つ魔導船。何もかもが、彼が育った辺境の領都とは比較にならない。


(これが、王国の中心……。人も、物も、そしておそらく知識や技術も、全てがここに集まっているんだな)


馬車は、貴族街を抜け、王都の北部に位置する王立アステリア学院へと向かった。荘厳な正門を通過し、広大な敷地内へ。歴史を感じさせる石造りの校舎群、丹念に手入れされた庭園、そしてガラス張りの近代的な(この世界基準で)研究棟らしき建物が点在している。馬車が停められたのは、新入生が主に利用するという寄宿舎の前だった。


父が手配してくれた従者——名をギルバートという、実直そうな中年の男性——と共に、レオナールは入学手続きと寄宿舎の部屋の割り当てを済ませた。辺境伯の子息ということで、個室を与えられたのは幸いだった。部屋は広く、質素ながらも上質な木製のベッドと机、書棚、衣類箪笥が備え付けられている。窓からは、学院の緑豊かな中庭が見えた。


「レオナール様、長旅お疲れ様でした。まずは荷解きをなさいますか?」

ギルバートが気を遣って尋ねる。彼はレオナールの身の回りの世話をするために、共に王都へ来てくれたのだ。

「ああ、頼む、ギルバート。衣類や書物はこちらの棚に整理してくれ。私は少し、今後のことを考えたい」

レオナールはベッドに腰を下ろし、窓の外を眺めた。故郷の屋敷とは違う、自分だけの空間。従者はいるものの、実質的な一人暮らしの始まりだ。期待と共に、わずかな不安も感じる。だが、それ以上に、これから始まる未知の生活への高揚感が勝っていた。

「それと、ギルバート。時間がある時でいいのだが、学院の教授陣について調べてほしい。特に、物質の成り立ちや変化……そうだな、燃焼や気体、あるいは金属や鉱石の性質といった分野を専門に研究している方がいないか、情報を集めてみてくれないか。可能なら、その研究内容が分かるような資料も」

「物質の成り立ち、でございますか? かしこまりました。調べてみましょう」

ギルバートは少し不思議そうな顔をしたが、主の命に忠実に従った。


レオナールは、ギルバートが荷解きをする間、持参した羊皮紙に思考を整理し始めた。

(まずは、学院の図書館を徹底的に活用する。過去の医学文献、解剖図、外科に関する記述。薬草学。魔法理論、特に物質変換や生命力に関するもの。そして、化学の基礎となりうる分野の知識……。やることは山積みだ)


入学式までの数日間、レオナールはギルバートが集めてきた情報や学院の案内を手に、精力的に動き始めた。まず訪れたのは、学院の心臓部ともいえる大図書館だった。何層にもわたる吹き抜けの空間に、天井まで届く巨大な書架が並び、膨大な数の書物が収められている。静寂の中、魔法の灯りが古びた革装丁の本を照らし出し、知の探求に相応しい厳かな雰囲気を醸し出していた。彼はその規模と蔵書量に圧倒されつつも、数日かけて目録を調べ上げ、興味のある分野の書物がどこにあるかを把握した。


また、気分転換も兼ねて、ギルバート供で王都の街にも足を運んだ。中央広場に面した大通りには、高級な服飾店や宝飾店、貴族向けのサロンなどが軒を連ねる一方で、一歩裏通りに入れば、活気あふれる市場が広がり、様々な地方からの産物や、怪しげな露店、そして多様な人種(獣人やエルフらしき姿も稀に見かけた)が行き交っていた。魔道具を専門に扱う店では、見たこともないような道具や素材が並び、レオナールの好奇心を刺激した。乗り合いの大型馬車や、貴族が使う個人用の小型魔導リフトなど、交通機関の違いも興味深かった。辺境とは違う、王都の喧騒と多様性は、彼にとって新鮮な驚きと発見の連続だった。


学院内も散策した。講義棟の配置、学生たちが集う食堂の賑わい、騎士団コースの学生が訓練に励むであろう広大な訓練場、そして様々な研究室が入っていると思われる実験棟。どこも活気に満ちていたが、レオナールはまだ、自分がどこに属するのか、漠然とした感覚しか持てずにいた。


そして、入学式当日。

学院の大講堂には、真新しい制服に身を包んだ数百名の新入生が集まっていた。緊張した面持ちの者、期待に胸を膨らませる者、友人同士で談笑する者。様々な表情がそこにはあった。壇上には学院長をはじめとする教授陣が並び、厳かな雰囲気の中で式典は進行した。学院長による歓迎の言葉、新入生代表の誓いの言葉。レオナールは、その全てを冷静に観察しながら聞いていた。


入学式の翌日から、新入生を対象とした様々なオリエンテーションと、そして最も重要な「魔法適性検査」が始まった。この検査の結果によって、専門的な魔法訓練コースに進めるかどうかが決まり、学院内での序列にも大きく影響するため、多くの学生が緊張した面持ちで検査に臨んでいた。検査会場の前には長い列ができ、自分の番を待つ間、他の学生たちの力量を目の当たりにすることになった。ある者は巨大な火球を軽々と生み出し、またある者は複雑な紋様を持つ防御障壁を展開してみせる。そのレベルの高さに、レオナールは内心で舌を巻いた。


ついにレオナールの番がやってきた。彼は落ち着いた様子で検査場に入った。担当するのは、入学案内にも名前が載っていた、老練な宮廷魔術師でもある魔術理論の教授だった。白く長い髭を蓄え、鋭いながらもどこか温和な眼差しをしている。


「ヴァルステリア辺境伯子息、レオナール殿だな。まずは、スパークを発動してみよ」

教授の指示に従い、レオナールは右手に意識を集中し、スパークを放った。パチッ、と鮮やかな火花が散る。

「ふむ。次は、その火花の色を、できるだけ青くしてみよ」

レオナールは、魔力の集中度と放出速度を精密に制御し、青白い閃光に近いスパークを放ってみせた。

「ほう……。では、逆に赤く」

彼は、今度は魔力を薄く広げ、持続的に流すイメージで、赤みを帯びた弱いスパークを発生させた。


教授は、目を見張り、隣にいた助手に何かを書き留めるよう指示した。

「見事な制御力だ。この歳で、これほど精密に魔力を操るとは……。魔法原理への理解力も相当に高いと見える」

賞賛の言葉に、レオナールは内心で少し誇らしさを感じた。やはり、自分の探求は間違っていなかったのだ、と。


しかし、最後の魔力量測定で、現実は彼の小さな自尊心を打ち砕いた。水晶球に手をかざすと、それは確かに輝きを放ったが、その光の強さは、先に検査を受けていた他のいくつかの貴族の子弟たち——特に、代々強力な魔法使いを輩出している家系の者たち——が見せた圧倒的な輝きには、遠く及ばなかったのだ。


「……むぅ」教授は水晶の輝きを観察し、記録を確認しながら唸った。「魔力量は……アステリア貴族の平均値よりはやや上回る、といったところか。悪くはない。悪くはないのだが……騎士団や宮廷魔術師団が求める基準には、正直なところ、ちと足りんな」


その言葉は、レオナールにとって、ある程度予想していたものではあった。自分の魔力量が多くないことは、これまでの経験で分かっていたからだ。それでも、明確な形で「不足している」と判定されたことには、わずかながら落胆と、そして焦りのような感情が湧き上がった。


教授は、レオナールの才能を惜しむように続けた。

「しかし、君のその卓越した制御力と理解力は、特筆すべきものだ。力ではなく、技と知恵で魔法を操る道もある。例えば、魔道具の開発や、古代魔法の文献研究など……。学院には、様々な専門分野を探求しておられる教授が大勢おられる。君自身の興味関心に従って、いずれかの研究室の門を叩いてみるのも、良い経験になるだろう。きっと、君の才能を活かせる場所が見つかるはずだ」


教授の言葉は、特定の人物を推薦するものではなかったが、レオナールの進むべき道を肯定し、後押ししてくれるものだった。彼は、自分の武器が魔力量ではなく、知識とそれを応用する知恵であることを再確認した。専門的な魔法訓練が受けられないのなら、その時間を他の探求に費やせばいい。


検査結果を受け取り、会場を後にするレオナールの足取りは、もはや重くはなかった。むしろ、自分の進むべき道がより明確になったような、清々しさすら感じていた。彼の主戦場は、魔力をぶつけ合う訓練場ではない。静かな図書館の書架と、そしてこれから見つけ出すであろう、未知の法則を探求する研究室にあるのだ。

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