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血液内科医、異世界転生する  作者:
異世界での目覚めと決断
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第七話:誓いと道標

葬儀が終わった後も、ヴァルステリア家の屋敷には重苦しい空気が漂っていた。レオナールは、完全に自分の殻に閉じこもってしまった。食事もほとんど喉を通らず、誰とも言葉を交わさず、ただ自室のベッドの上で、暗闇の中にうずくまる日々が続いた。


眠れば、母の苦しむ姿や、助けを求める声が悪夢となって現れる。目覚めていても、ふとした瞬間に母の幻影を見たり、優しい声が聞こえたりする気がした。前世で経験した患者の死、そして自分自身の死の記憶までもが蘇り、現在の悲しみとないまぜになって、彼の精神を蝕んでいく。


(なぜ、母さんだったんだ……)

(俺の知識は、魔法は、何の意味もなかったのか……)

(あの時、もっと違うやり方があったんじゃないか……?)

(結局、俺は前世でも、今世でも、大切なものを守れない無力な存在なんだ……)


自問自答と自己嫌悪が、際限なく繰り返される。書庫へ行く気力も、魔法の練習をする気力も、完全に失せていた。彼の心は、深い悲しみと絶望の沼に沈み込んでいた。


父アルフォンスは、そんな息子を心配しながらも、無理に励ますことはせず、静かに見守る姿勢をとった。彼自身も、最愛の妻を失った悲しみの中にいたが、領主としての務めを放棄するわけにはいかなかった。使用人たちも、レオナールの部屋の前に食事を運び、そっと声をかけるだけで、彼の回復を辛抱強く待っていた。


そんな日々が、一週間ほど続いただろうか。ある夜、眠れずにベッドの上で悶々としていたレオナールの脳裏に、ふと、母エレオノーラがよく口にしていた言葉が蘇った。


『レオ、知識は力よ。でもね、本当の力は、その知識を使って、誰かのために何ができるかを考え、行動するところに宿るのよ』


母は、レオナールの知的好奇心を応援しながらも、それが単なる自己満足に終わることを、いつも少しだけ案じていた。彼女は、ヴァルステリア家の次期当主として、領民のためにその知識と力を使うことの重要性を、折に触れて説いていたのだ。


(母さんは……俺に、ただ知識を溜め込むだけでなく、それを使って人の役に立つことを望んでいた……)


その言葉が、レオナールの心に小さな光を灯した。そうだ、母はもういない。どれだけ悲しんでも、後悔しても、時間は戻らない。だが、母が残してくれたもの——愛情、教え、そしてこの命——は、確かにある。そして、母が望んだように、この知識と力を、誰かのために使うことはできるはずだ。


(母さんの死を……無駄にしちゃいけないんだ)


深い悲しみが消えたわけではない。だが、その悲しみの底から、新たな決意が芽生え始めていた。母を救えなかった無力感を、二度と繰り返さないために。この世界の、医療の限界に苦しむ人々を、一人でも多く救うために。


——俺が、この世界の医療を変える。


その誓いが、彼の心を再び奮い立たせた。


翌朝、レオナールは久しぶりに自室の扉を開け、顔を洗い、きちんとした服に着替えた。やつれてはいたが、その瞳には、以前とは違う、強い光が宿っていた。彼は、心配そうに駆け寄ってきた侍女に「朝食をお願いします」と静かに告げると、真っ直ぐに書庫へと向かった。


書庫での探求が、再び始まった。しかし、以前とは目的意識が明確に異なっていた。母を救えなかった悔しさを胸に、再び「医師」として立ち上がり、この世界の医療を根底から変革するという明確な目標を持って、彼は書物を読み解き始めたのだ。


まず、異世界の医学に関する書物を徹底的に洗い直した。そこから見えてきたのは、この世界の医療の「現実」だった。一般の診療は薬師が担い、その治療法は経験則に基づいた薬草の調合が中心で、病の根本原因を取り除くというよりは、症状を和らげる対症療法に留まっていた 。


(これでは、母さんのような急性の感染症や、外科的な処置が必要な病態には対応できない……)


彼は次に、「外科」に類する技術について、徹底的に調査を開始した。歴史書、地理書、王国の記録、ギルドの伝承……。その結果、体系化された学問としての外科は存在せず、多くは禁忌とされているか、あるいは戦場の傷病者治療などの必要性から、特定の家系や集団によって「秘伝の技」として、ごく限定的に受け継がれているに過ぎないことが分かった。腹部を開くような大掛かりな手術は、極めて危険な行為とされていた。



(やはり……。外科的アプローチが存在しないか、あるいは極めて未熟だ。これでは、助かるはずの命も助からない)


しかし、調査の中で、彼は一つの奇妙な発見をする。ごく一部の書物の中に、驚くべきほど精密な人体解剖図が、いくつか存在したのだ。

(これは……実際に解剖を行って描かれたものか?魔法による透視の類かと思ったが、この精密さは、直接観察しなければ描けないだろう。だとすれば、この世界にも、かつて、あるいは今もどこかで、人体解剖が行われているということか……?だが、書物にはその記録がほとんど見当たらない。禁忌とされているのか、あるいは秘匿されているのか……?)


解剖学的知識が存在する一方で、生理学、病理学、微生物学といった基礎医学が絶望的に足りていない。そして何より、それを臨床に応用する外科技術が確立されていない。それが、この世界の医療の歪な実態だった。


次に、魔法理論書を読み返し、医療に応用できそうな技術を探した。光魔法による殺菌、水魔法による洗浄や輸液生成、風魔法による換気や呼吸補助……。そして、彼が最も注目したのは、「物質変換」や「生命力操作」を示唆する、古代魔法や禁術に関する断片的な記述だった。

(治癒魔法が廃れた、あるいは禁忌とされているのは、生命そのものに深く干渉する危険性と、制御の難しさ故か……?だが、もしその原理の一部でも解明できれば、組織再生や、あるいは抗菌作用を持つ物質の生成も可能になるかもしれない……)


これらの調査を経て、レオナールの目標は、より明確な輪郭を結んだ。


基礎医学の再構築: 前世の知識を基盤に、この世界の法則(解剖学、薬草学、魔法を含む)を取り込み、新たな医学体系を構築する。

魔法による診断・治療補助技術の開発: 特に、前世のX線や超音波のような画像診断技術を魔法で実現すること。そして、精密な薬物投与、低侵襲治療(内視鏡手術の魔法版など)、滅菌環境の構築などを目指す。

医学と外科学についての情報収集: 王立学院の書物を手始めに、この世界に存在するかもしれない外科的技術の痕跡を探し、その原理と限界について調査する。


彼が目指すのは、単なる内科医でも外科医でもない。病の原因を正確に診断し、内科的な治療も外科的な治療も、そして魔法による独自の治療法も、患者にとって最善の形で提供できる、新しい医療の担い手。内科と外科の垣根を越え、魔法と医学知識を統合して人命を救う——それこそが、母の死を乗り越えて彼が見出した、この世界での使命だった。


だが、彼の決意は揺るがなかった。母の死を乗り越え、明確な目標を見出したレオナールの姿に、父アルフォンスも最初は戸惑いながらも、やがてその強い意志を認め、支援を約束してくれた。

「お前が選んだ道が、いかに困難かは分かっているつもりだ。だが、ヴァルステリア家の者は、一度決めた道を貫く。……エレオノーラも、きっとそれを望んでいるだろう。王都へ行く準備を進めなさい。必要な支援は惜しまない」


家庭教師のエルバンも、レオナールの目標を知り、驚きながらも、彼が習得すべき魔法について助言を与えてくれるようになった。戦闘魔法だけでなく、より精密な魔力制御や、物質の性質変化に関する魔法なども、彼の将来に役立つだろう、と。


そして、レオナールが12歳になった春。

王都の王立学院への入学許可が届いた。貴族の子弟として、将来領地を治めるための学問を修める、というのが表向きの理由。しかし、レオナールの胸の内には、それとは全く別の、熱い想いが燃え盛っていた。


「行ってきます、父上」

「うむ。達者でな、レオナール。ヴァルステリア家の名を汚さぬよう、励むのだぞ」


父と固い握手を交わし、慣れ親しんだ屋敷と、母の眠る墓地に別れを告げる。寂しさがないわけではない。だが、それ以上に、未知の世界への期待と、自らが切り拓く未来への決意が、彼を突き動かしていた。


王都へ向かう馬車の中から、レオナールは遠ざかる故郷の景色を見つめていた。その瞳には、もう迷いはなかった。


(待っていろ、王都。そして、この世界の“病”よ。俺が必ず、変えてみせる——!)


魔法と医学の融合。それは、まだ誰も見たことのない、新たな医療の夜明け。

前世の知識と異世界の魔法、そして母を救えなかった悔しさを胸に、若き魔法医の挑戦が、今、始まろうとしていた。

おれたた

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