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血液内科医、異世界転生する  作者:
Principal Investigator
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第六十八話:帰郷の果実

ヴァルステリア領での父との対話は、レオナールの心に確かな道筋を示してくれた。勅許奏聞権という重すぎる栄誉を、自身の目標と家の立場、そして王国への貢献という三つの視点から捉え直し、具体的な願いへと昇華させることができたのだ。領地で目の当たりにした、ゴードンのような手の施しようのない病に苦しむ人の姿、そしてそれに対する自身の無力感は、医学研究を進める必要性を改めて強く彼に刻み付けていた。王都への帰路、馬車の窓から見える景色は来た時と同じはずなのに、彼の目にはより明るく、決意に満ちて映っていた。


数日間の旅を終え、再び王立アステリア学院の門をくぐったレオナールは、休む間もなく行動を開始した。まずは、彼の研究の師であり、最も信頼を寄せるターナー教授への報告だ。


物質科学研究センターの扉を叩くと、相変わらず元素の性質に関するデータとにらめっこをしていた教授が、顔を上げた。

「おお、戻ったか。して、辺境伯殿との話はどうなった?」

教授の声には、どこか心配と期待が入り混じった響きがあった。


「はい、父上とも十分に話し合い、願い出る内容について、ある結論に至りました」

レオナールは、父アルフォンスから提案された内容——王立学院内に、特異な才能を持つ学生のための新しい研究課程を創設すること——を、その意図や利点も含めて詳細に説明した。研究に集中できる環境、公的な大義名分、そして政治的な影響力の低さ。


話を聞き終えたターナー教授は、しばらくの間、黙って顎髭を捻っていたが、やがて、ふむ、と深く頷いた。

「なるほどな……新しい研究課程、か。確かに、それは面白い。そして、実に『らしい』落としどころかもしれんな」

教授は、レオナールの才能とその異質さを誰よりも理解していた。既存の学科の枠に収まらない彼の探求を、公的に支援するための仕組みを作る。それは、一見地味だが、極めて有効な策だと感じたのだろう。

「君が研究に没頭できる環境を作る、というのは、儂にとっても悪い話ではない。それに、特定の個人への過剰な支援という形を避けられる点も、貴族社会の面倒事を考えれば、賢明な判断だろう。やや無欲な印象も受けるが、まあ、君の年齢と立場を考えれば、それが最も無難で、かつ実利のある道かもしれん。儂は賛成だ」

ぶっきらぼうな言葉の中にも、弟子(のような存在)の将来を案じ、そのための環境が整うことを喜ぶ気持ちが窺えた。


ターナー教授の賛同を得て、次にレオナールが向かったのは、副学長の執務室だった。彼には、学院運営の視点からの意見と、今後の具体的な手続きに関する助言を仰ぎたかった。

副学長は、レオナールから父アルフォンスの提案を聞くと、穏やかな表情で何度か頷いた。以前ローネン州の件で話した時のような、親しみを込めた、それでいて鋭い視線がレオナールに向けられる。

「ほう……辺境伯殿も、なかなかに慧眼けいがんであられるな。これは、実に巧みな一手だ」

副学長は、その提案が持つ複数の意味合いを瞬時に見抜いていたようだった。

「若き才能を育成するという、誰にも異論の挟みようがない大義名分。特定の家系への利益誘導と見られにくい公的な枠組み。そして何より、ヴァルステリア公子、君のような規格外の才能が、既存の教育システムに縛られずに自由に研究できる環境を、学院として公式に用意することの意義……。これは、ファビアン殿が君にかける期待にも応える形になるだろう」

彼は、レオナールの若さを考慮した「無難さ」と、その裏にある戦略的な深さを評価した。

「『無欲』に見えるが、それがかえって君の立場を守り、真の目的を達成するための最善手かもしれんな。政治的な波風も最小限に抑えられるだろう。他の貴族たちも、表立って反対することは難しいはずだ。うむ、私もこの案を全面的に支持しよう」

以前と変わらぬ、穏やかだが核心を突く口調で、副学長は力強く請け負った。


「ありがとうございます。それで、今後の進め方についてですが」レオナールは続けた。「父からの提案は、この新しい課程の創設そのものを願い出る、というものです。つまり、奏聞の内容は、この課程の具体的な制度設計そのものになるかと存じます。つきましては、草案として宮内省に提出する前に、この課程の具体的な内容——例えば、その理念や対象とする学生像、カリキュラムの骨子、単位認定の方法、運営体制などについて——副学長先生や学院の関係者の皆様と十分に議論を重ねさせていただき、実現可能で効果的な制度の草案を練り上げたいと考えております」

彼の言葉には、単に承認を求めるのではなく、制度作りそのものに主体的に関わりたいという明確な意思が込められていた。


副学長は、レオナールのその申し出に、深く頷いた。

「なるほど、公子の言う通りだ。素晴らしい制度を作るためには、机上の空論ではなく、現場の意見、特に公子自身の考えを反映させることが不可欠だ。それに、奏聞内容が最終的に王令として発布されることを考えれば、その内容を具体的かつ実現可能なレベルまで事前に練り上げておくことは、むしろ重要だ。漠然とした願いでは、後々の解釈や運用で問題が生じかねんからな。事前に学院側で制度を練り上げ、宮内省ともすり合わせた上で陛下にご承認いただく。それが最も確実で、責任ある進め方だろう。よろしい、その方向で進めよう」

彼は力強く応じた。

「草案提出の期限まで、時間はまだある。まずは学院内で、関係者を集めた検討会のようなものを立ち上げるのが良いだろう。私が責任を持って、学長や事務局、そして関連するであろう分野の教授陣に働きかけ、調整する。公子には、その検討会に主体的に参加してもらい、共に最善の制度を作り上げていこうではないか。公子が納得のいく草案を作り上げるためのサポートは惜しまないつもりだ」


副学長の言葉は、レオナールが望んでいた以上の協力体制を示唆するものだった。一方的に制度が決まるのではなく、学院側と議論を重ね、共に作り上げていく。そのプロセス自体が、奏聞内容をより洗練させ、実現可能性を高めるだろう。

「ありがとうございます、副学長先生! そのように進めていただけると、大変心強いです」レオナールは深く頭を下げた。

「うむ。まずは公子が、この課程の第一号学生となることは既定路線として、具体的な議論を始めようではないか」


こうして、レオナールが勅許奏聞権で願い出る方向性は定まり、その具体的な制度設計を学院側と共同で進めるという、次なるステップが明確になった。ターナー教授、副学長という二人の重要な後見人から力強い支持を得て、レオナールは大きな安堵感を覚えていた。

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