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血液内科医、異世界転生する  作者:
Principal Investigator
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第六十二話:茶館の密談

冬の陽光が弱々しく差し込む王都。王立アステリア学院では、三年次への進級を控えた静かな、しかしどこか浮足立った空気が漂い始めていた。レオナールは、山積みだった課題レポートの最後の仕上げに追われながらも、頭の片隅では常にターナー教授と共に進める元素の研究と、自身の最終目標である医療への道を思い描いていた。そんな中、彼は気分転換も兼ねて、友人であり重要な情報源でもあるトーマス=ベルクと、学院近くの静かな茶館で落ち合った。定期的な情報交換は、彼にとって研究室の外の世界を知るための貴重な機会となっていた。


温かいハーブティーの湯気が立ち上る個室で、トーマスはいつものように落ち着いた様子ながらも、その目には商人としての鋭い光が宿っていた。

「レオナール様、例のローネン州の件ですが、その後の動きについて、いくつか興味深い情報が入ってきました」

トーマスは、周囲に軽く視線を配り、声を潜めて切り出した。

「やはり、鉱山の操業停止は、ローネン子爵家にとっても、そして何よりゴルディン商会にとっても、相当な打撃となっているようです。子爵家は領地収入の柱を失い、ゴルディン商会に至っては…正直なところ、今回の件が引き金となり、倒産の危機に瀕している、と」

「ゴルディン商会が、倒産寸前に?」レオナールの眉がわずかに動いた。あの強大に見えた商業組織が、そこまで追い詰められているとは。アシュトン博士襲撃未遂の件もあり、彼らに対する警戒心は強かったが、その経営基盤が揺らいでいるという情報は意外だった。

「ええ。鉱山からの利益が途絶えただけでなく、これまでの強引な経営や、今回の汚染問題に対する不手際が明るみに出たことで、他の取引先からの信用も失墜したようです。融資の引き上げも相次いでいるとか…。そして、今回の責任を取る形で、ゴルディン商会のあの強欲な会長は辞任に追い込まれ、後任には比較的穏健派とされる人物が就いたようです。」

トーマスは淡々と状況を説明する。しかし、その口調からは、巨大な組織が傾いていく様を目の当たりにする商人としての、ある種の興奮と冷徹な分析が感じられた。

「ですが」とトーマスは続けた。「話は単純ではありません。ゴルディン商会ほどの規模になると、もし本当に潰れてしまえば、その影響は計り知れません。取引先や雇用、流通網への打撃は王都経済全体に波及し、それこそ連鎖倒産を引き起こしかねないのです」

「それは……確かに厄介な事態だ」レオナールも頷いた。単に敵対組織が潰れることを喜んでいられる状況ではない。

「そこで、です」トーマスの目が、一層鋭く光った。「水面下で、大きな動きがありました。このままゴルディンを潰すわけにはいかない、と。王都の有力な商会…我がベルク商会も含めてですが、複数が連携し、ゴルディン商会に対して共同で出資を行い、事実上、その経営権を掌握し、再建を目指すという方針が固まったのです」

「ベルク商会も参加して、共同で再建を?」

「はい。もちろん、慈善事業ではありません。ゴルディンが持っていた利権や販路の一部を確保し、市場の混乱を最小限に抑えつつ、我々自身の勢力を拡大する好機でもある、という打算もあります。父も、この再建計画にはかなり積極的です」

トーマスは、ビジネスの冷徹な側面も隠さずに語った。

「そして、この異例の事態に対処するため、ついに『王令』が発布されました」

「王令? ローネン州に対してか?」レオナールは驚いた。レオナールも学院の法学の講義で学んだ通り、通常、国王の直接命令である王令が、ローネン州のような自治権を持つ辺境領に直接適用されることは、国家の非常事態でもない限り、極めて稀なはずだ。

「ええ。表向きは『ローネン州における経済危機及び環境問題への対処に関する特別措置法』といったところでしょうか。内容は、ゴルディン商会の再建計画に対する王家の承認と支援、そして汚染された環境の調査・浄化に対する国の関与を明記するものです」

「だが、なぜ王令が……。それは、ローネン子爵の自治権を侵害することにならないのか?」

「そこが、今回の政治的な『落としどころ』なのです」トーマスは、複雑な表情で説明した。「ローネン子爵は、今回の事態の責任を取る形で、自ら王家に対して支援を要請し、この王令、つまり中央政府の介入を受け入れるという体裁を取ったのです。体面上は、自らの判断で国の力を借りて領地の危機を乗り越えようとしている、ということになります。しかし実質的には、領地の重要産業と環境問題の管理権の一部を、中央に委ねることに同意したわけです。彼の貴族としての権威は保たれましたが、領主としての実権は大きく削がれることになるでしょう」

(なるほど……。責任を取る形で、自ら国の介入を招き入れた、か。ローネン子爵にとっては苦渋の決断だろうが、それしか道がなかったのかもしれないな。そして、王国政府にとっては、これを機に辺境領への影響力を強める絶好の機会でもあるわけだ)

レオナールは、水面下で繰り広げられたであろう複雑な政治的駆け引きを想像した。自分たちの科学的な分析結果が、このような大きな経済的・政治的な波紋を呼んでいるという事実に、改めて身が引き締まる思いだった。

「ゴルディン商会の再建は、ベルク商会を含む複数の商会が主導することになる。そして、ローネン州の環境問題には国が直接関与する……。状況は大きく変わったな」

「はい。ゴルディン商会の旧経営陣の影響力は、これで大幅に削がれることになるでしょう。レオナール様に対する直接的な脅威も、少しは和らぐかもしれません。ですが、新たな体制の下で、どのような動きが出てくるかは未知数です。引き続き、警戒は必要かと」

トーマスの冷静な分析は、的を射ていた。

「ありがとう、トーマス。君の情報は、いつもながら非常に貴重だ。状況を把握する上で、大いに助かる」

レオナールは、友人であり優れた情報提供者でもあるトーマスに、改めて感謝の意を伝えた。

茶館を出ると、冬の冷たい空気が火照った思考を冷ましてくれた。ローネン州の鉱山は止まり、ゴルディン商会は事実上解体・再編される。一つの戦いは終わったのかもしれない。だが、それは同時に、新たな秩序と、それに伴う新たな課題の始まりでもあった。

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