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血液内科医、異世界転生する  作者:
ローネン州の真実
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第四十七話:新設の研究棟、迫る分析の時

ターナー教授の研究室の隣で続けられていた喧騒は、ファビアンの予告通り、驚くほどの速さで収束に向かっていた。魔法建築術を駆使して建てられた新しい実験棟は、外装こそ質実剛健で飾り気がないものの、内部には最新の設備が整えられつつあった。数週間という、通常では考えられない短期間で、それはほぼ完成の域に達したのだ。


「ふん、やればできるではないか、王国の技術者どもも」

ターナー教授は、完成間近の建物を腕組みしながら眺め、憎まれ口を叩きながらも、その機能的な設計には感心している様子だった。特に、サンプル保管用の大規模な低温貯蔵庫や、換気設備の整った分析室は、これまでの彼の研究環境とは比較にならない。


プロジェクトの機密性を考慮し、落成式のような華やかなセレモニーは一切行われなかった。建物の引き渡しは、関係者のみが立ち会い、粛々と進められた。レオナール、ターナー教授、そして指導を受けていた五人の技術者たちは、真新しい実験棟へと足を踏み入れた。そこは、ターナー教授の古巣とは対照的に、整然として広く、明るい光が差し込む空間だった。壁にはまだ薬品の匂いもなく、ただ新しい建材と、微かな魔法触媒の残り香が漂っている。


「さて、引っ越しだ! エルミーラ君、君たちも手伝ってくれたまえ!」

ターナー教授の号令一下、旧研究室からの機材や薬品の移動が始まった。クロマトグラフィー関連の器具や試薬、改良された精密天秤、そしてレオナールが集めた文献資料などが、新しい分析室へと運び込まれていく。五人の技術者たちも、自らがこれから使うことになるであろう器具を、期待と緊張の入り混じった表情で丁寧に設置していく。レオナールは、広々とした実験台や、効率的に配置された設備を見て、これで研究がさらに加速するだろうと確かな手応えを感じていた。


その引っ越しの喧騒の最中、もう一つの移動も行われていた。旧ターナー研究室には、約束通り、セドリック・アシュトン博士が、自身の研究道具の一部を運び込み始めたのだ。貴族学院から運び込まれたのは、怪しげな液体が入ったフラスコ類、様々な生物(?)の乾燥標本が入った木箱、そして彼が「変形体」と呼んでいたアメーバ状の生物を培養するための器具一式など、相変わらず混沌とした品々だった。

「ふん、ターナーの奴め、ずいぶんと良い場所に移りおって……。まあいい、この古巣は儂が有効活用してくれるわい」

アシュトンは、一人ぶつぶつと文句を言いながら、しかしどこか楽しそうに、自分の「縄張り」を確保していく。レオナールが挨拶に行くと、彼は培養皿を片手に振り返った。

「おお、レオナール君か。君も新しい巣に移るのかね? それは結構なことだ。だが、儂との約束を忘れたわけではあるまいな? あの論文の助言、しっかり頼むぞ! ……ところで、儂の『深淵を覗く窓』だがね、あれは流石にまだ貴族学院に置いてある。ここには、儂の愛すべき被検体たちの世話に必要な最低限の道具しか持ってきておらんからな。あの至宝は、そう易々と移動させるわけにはいかんのだよ、ぐへへ」

彼は、最も重要な顕微鏡は持ってきていないことを、わざわざ強調するように言った。レオナールは、内心 (やはりな)と思いつつ、適当に相槌を打ってその場を離れた。アシュトン博士との付き合いは、今後も一筋縄ではいかないだろう。


新しい実験棟でのセットアップが一段落し、技術者たちがクロマトグラフィーの反復練習に励んでいた数日後。予告通り、ファビアンが視察に訪れた。彼は、新しい実験棟の設備を一つ一つ冷静な目で確認し、レオナールやエルミーラから進捗状況の報告を受けると、満足げに頷いた。

「うむ。設備、人員、そして技術指導、いずれも順調に進んでいるようだな。素晴らしい」

彼は、窓の外の空を見上げ、そして一同に向き直ると、その表情をわずかに引き締めた。

「改めて伝える。ローネン州の先遣隊からの第一報が入った。サンプルの採取は順調に進んでおり、第一弾がこちらに輸送される手筈が整った。おそらく、あと二週間以内には到着するだろう」

その言葉に、技術者たちの間に緊張が走る。ついに、本番が始まるのだ。

「送られてくるのは、主に汚染が疑われる地域の河川水、井戸水だ。それから、現地で捕獲された野生の小動物——鳥やネズミのようなものだな——が、組織分析用に冷凍状態で送られてくる。これらのサンプルから、原因物質の存在と、生物濃縮の可能性を探ることになる」

ファビアンは淡々と説明を続ける。

「患者の尿サンプルも、可能な限り確保して送る手筈にはなっている。だが、こちらは調査の秘匿性を維持させるため、サンプル数や付随する情報には限りがあるだろう。あまり期待はしないでほしい。まずは、環境サンプルと動物サンプルから、確実な証拠を押さえることが優先される」

「承知いたしました」レオナールが応じた。「それから、鉱滓、廃液といった発生源そのもののサンプルについてだが……」ファビアンは少しだけ難しい顔をした。「鉱山の管理権を持つローネン子爵家への立ち入り許可の要請は、現在も継続中だ。ゴルディン商会との癒着も噂されており、政治的な駆け引きもあって、まだ許可が下りていない。だが、諦めてはいない。許可が下り次第、こちらもサンプルを確保し、送ることになるだろう」

彼は、改めて技術者たち、そしてレオナールとターナー教授に視線を向けた。

「いずれにせよ、時間は限られている。エルミーラ君、君たち技術班は、残された時間で、分析技術の精度を最大限まで高めておいてほしい。サンプルが到着次第、迅速かつ正確な分析を開始できるように。ターナー教授、レオナール公子、引き続きのご指導、そして分析が始まった際の助言を頼む」

「「はっ」」

エルミーラを筆頭に、技術者たちが力強く返事をした。ターナー教授も、黙って頷いている。

ファビアンが退室した後、真新しい実験棟には、静かな、しかし確かな緊張感が満ちた。最新の設備、集められた専門家たち、そして国家の威信。ローネン州の悲劇を終わらせるための舞台は整った。あとは、彼らがその技術と知識をもって、隠された真実を白日の下に晒すだけだ。レオナールは、窓の外の空を見上げ、遠いローネン州の人々を思いながら、迫りくる分析の時に備え、静かに決意を新たにするのだった。


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