第四話:魔法という名の物理法則
クレア先生による魔法の授業は、レオナールの予想以上に体系的で、そして——興味深いものだった。最初の授業は、ヴァルステリア家の広大な庭園の一角にある、日当たりの良いテラスで行われた。
「さて、レオナール様。まずは魔法の最も基本的な要素、『魔力』を感じ、そして操作することから始めましょう」
クレアは穏やかな声で語りかけた。彼女の声には、聞く者を落ち着かせる不思議な響きがあった。王都の貴族学院で教鞭をとった経験もあるという彼女は、子供に教えることにも慣れているようだった。
「目を閉じて、ご自身の内側に意識を向けてみてください。身体の中を流れる血液とは別に、もう一つの温かな流れを感じませんか?それが『魔力』です。人によって感じ方は様々ですが、多くの場合、身体の中心——おへその少し下あたり——に源があり、そこから全身へと巡っているように感じられるはずです」
レオナールは言われた通りに目を閉じ、意識を集中させた。すでに自分なりに感じ取ろうとしていた魔力の流れ。クレアの言葉をガイドに、その感覚をより明確に捉えようと試みる。確かに、身体の中心から、温かいエネルギーがゆっくりと全身に広がっていくような感覚があった。
「素晴らしいですわ、レオナール様。その感覚を掴めているのですね。では次に、その魔力を、ご自身の意志で手のひらへと集めてみましょう。血管を通る血液のように、意識して流れを導くのです」
レオナールは、体内の微かな流れに意識を向け、それを右手へと導くイメージを描いた。最初はうまくいかなかったが、何度か繰り返すうちに、右の手のひらがほんのりと温かくなるのを感じた。
「見事です!その調子ですわ。魔力操作の基本は、この『集中』と『誘導』にあります。これができれば、様々な魔法を使うための第一歩を踏み出したことになります」
クレアは惜しみない賞賛を送ってくれた。そのことが、レオナールのモチベーションをさらに高めた。
そして、いよいよ最初の魔法——《スパーク》の練習が始まった。
「では、手のひらに集めた魔力を、『火花となれ』と強くイメージしながら、瞬間的に放出してみてください。呪文は必要ありません。明確な意志とイメージが、魔法を形作るのです」
レオナールは深呼吸し、教えられた通りに魔力を右手に集中させる。そして、脳裏に鮮やかな火花のイメージを描きながら、溜めた魔力を一気に解放する。
パチッ。
小さな、しかし確かな火花が、彼の手のひらで弾けた。淡いオレンジ色の光が、一瞬だけ空間を照らす。
「まあ……!」
クレアが驚きの声を上げた。無理もない。彼女がこれまで教えてきた多くの貴族の子弟たちの中でも、初日の最初の試みでスパークを成功させた者は、ほとんどいなかったのだから。
「素晴らしいです、レオナール様!なんという才能でしょう!あなたはきっと、偉大な魔法使いになれますわ!」
手放しの称賛に、レオナールは少し照れながらも、内心では興奮と達成感で満たされていた。
(できた……! これが、魔法……!)
それは、書物を読むだけでは決して得られない、リアルな体験だった。自分の意志が、目に見えないエネルギーを介して、物理的な現象を引き起こす。その事実に、彼は打ち震えるほどの感動を覚えていた。
「ありがとうございます、クレア先生。もう一度、試してみても?」
「ええ、もちろんです。その感覚を忘れないうちに、何度も繰り返して、ご自身のものにしてください」
レオナールはその後も、クレアの指導のもと、スパークの練習を繰り返した。すぐに安定して火花を出せるようになり、時には連続で、あるいは両手で同時に発動させることすら可能になった。クレアは、彼の驚異的な習得速度と集中力に舌を巻くばかりだった。
しかし、レオナールの探求は、そこで終わりではなかった。むしろ、それは始まりに過ぎなかったのだ。クレア先生との授業が終わった夜、彼は再び自室に籠り、一人での“研究”を開始した。
(スパーク……現象としては単純な火花だが、その原理は? クレア先生は“意志とイメージ”が重要だと言っていたが、それだけで物理現象が起こるというのは、やはり腑に落ちない。意志やイメージは、魔力を特定のパターンで操作するための“トリガー”や“プログラム言語”のようなものではないか?)
彼は羊皮紙を取り出し、木炭ペンで思考を整理し始めた。前世の科学的思考プロセスが、自然と頭をもたげてくる。
《魔法発動のプロセス(仮説)》
術者が魔法の効果(例:火花を出す)を明確にイメージする。
術者が特定のトリガー(詠唱、印、あるいは単なる意志)を用いる。
トリガーによって、体内の魔力が特定のパターンで励起・制御される。
制御された魔力が体外に放出され、周囲の物理法則に干渉する。
結果として、意図した魔法現象(火花)が発現する。
(つまり、魔法とは、術者の精神エネルギーを魔力という媒体を通して物理エネルギーに変換する技術体系なのではないか?だとすれば、その変換効率や変換法則が存在するはずだ)
彼は、スパークを繰り返し放ちながら、その性質を詳細に観察した。発光、僅かな発熱、鋭い破裂音、ごく微細な衝撃…。燃焼とは明らかに異なる、複合的なエネルギー放出現象だ 。
そして、彼はスパークの色が変わる現象に特に注目した。
(光の色は波長で決まり、波長は光子一個が持つエネルギーと逆相関の関係にある。つまり、魔力の出力密度、エネルギーの集中度を調整すれば、発生する光エネルギーのスペクトルを変化させられるのではないか?)
彼は、前世の物理学の知識を基に、仮説を立てて検証を試みた。まず、指先に針の先ほどの点に魔力を極限まで集中させ、一気に解放する。
パチッ!
瞬間、青白い閃光が走った。通常のスパークよりも明らかに短波長、高エネルギーの光だ 。
次に、手のひら全体に魔力を薄く広げ、ゆっくりと、持続的に流すようにイメージしてスパークを放つ。
パチ……。
今度は、弱々しいが、赤みを帯びたオレンジ色の火花が現れた。長波長、低エネルギーの光だ 。
(……間違いない!)
この発見は、レオナールを狂喜させた。それは単に一つの魔法を深く理解しただけでなく、この世界の根幹に関わる、ある重大な可能性を示唆していたからだ。
(待て……。この現象は……前世の物理法則と、全く同じじゃないか?)
彼の脳裏に、医師として、そして科学の徒として学んだ知識が鮮明に蘇る。光のエネルギーと、その色(波長)の関係性。高エネルギーの光ほど波長は短く青色に近づき、低エネルギーの光ほど波長は長く赤色に近づく。それは、彼がいた世界では普遍的な物理法則だった。そして今、目の前で、魔力という未知のエネルギーによって引き起こされた現象が、その法則と寸分違わぬ結果を示している。
(もし、この光の法則が同じなのであれば、他の物理法則も…?重力は?熱力学は?電磁気学は?まさか……この世界の物理法則は、俺がいた世界と、根源的には同一なのかもしれない)
その考えは、彼の全身を貫く、雷のような衝撃だった。だとすれば、魔法とは、理解不能な奇跡などではない。魔力という未知のエネルギーを用いて、前世と同じ物理法則の上で現象を発現させる、一種の高度な『技術体系』なのだ。
この途方もない仮説は、彼の胸に新たな、そして燃えるような探求心の炎を灯した。
(もし、そうなら……!俺が持つ前世の知識は、この世界でも通用する!医学も、化学も、物理学も、全てが! そして、この世界の魔法という技術と組み合わせれば……!)
その先には、医療への応用という、彼の最終目標が見えていた。
(例えば、特定の波長の光を作り出せるなら、殺菌灯や、あるいはレーザーメスのような使い方も……? いや、まだ気が早いか。今は、この基本的な原理を、一つ一つ解き明かしていくことが先決だ)
この発見と仮説は、レオナールの今後の探求の、揺るぎないコンパスとなった。魔法を、単なる不思議な力としてではなく、科学の目で分析し、その法則性を解き明かし、応用する。それこそが、自分がこの世界で成すべきことなのだと、彼は強く確信した。
昼間、クレア先生の前では、レオナールはあくまで「才能はあるが、まだ幼い生徒」を演じた。だがその頭の中では、異世界の魔法という名の物理法則を解明し、医学と融合させるという、壮大な未来図が、確かな輪郭を持って描き出され始めていた。スパークという小さな火花は、彼にとって、二つの世界の理を繋ぐ、偉大な発見の第一歩となったのである。




