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血液内科医、異世界転生する  作者:
ローネン州の真実
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第三十三話:貴族学院の変人

ターナー教授にアシュトン博士への紹介状を書いてもらう約束を取り付けた数日後、レオナールは教授から古風な封蝋で封じられた一通の書状を手渡された。


「ほれ、アシュトン宛ての紹介状だ。まあ、会えるかどうかは分からんがな」教授は、紹介状をまるで汚物でも扱うかのようにレオナールに押し付けた。「なにせ、学生時代から筋金入りの変わり者で、まともに話が通じると思うなよ。素行も良くないと聞く…まあ、儂の知ったことではないが。とにかく、気をつけろ」


「は、はあ……肝に銘じておきます」

(学生時代から…? 素行も良くない…? ただの知り合いではなさそうだな…ターナー先生、かなり苦手にしているな?)

レオナールは内心で訝しみつつも、それ以上は追及せず、丁寧に礼を述べた。


「それと、貴族学院は王立学院とは少々勝手が違う。見栄と体面ばかり気にする連中が多いからな、その点も留意しておくことだ」

教授は、それだけ言い残すと、さっさと自分の研究に戻ってしまった。


レオナールは改めて礼を述べ、研究室を後にした。すぐにギルバートに指示を出し、貴族学院への訪問の準備を整えさせた。品の良い、しかし華美ではない上着を選び、身だしなみを整える。相手がどのような人物であれ、礼を失するわけにはいかない。


翌日の午後、レオナールはギルバートを伴い、馬車で貴族学院へと向かった。王立学院の広大でやや雑然とした雰囲気とは異なり、貴族学院の門構えは優美で、敷地内は手入れの行き届いた庭園と、歴史を感じさせる美しい石造りの建物が調和していた。研究が主体とはいえ、貴族の子弟教育も行う場としての品格が漂っている。


(クレア先生も、今はここで研究を続けているのだろうか…爆発魔法の研究は、どうなっているだろう)

かつての家庭教師の姿を思い浮かべながら、レオナールは受付でターナー教授の紹介状を提示し、アシュトン博士の研究室の場所を尋ねた。受付の職員は、アシュトンの名前を聞くと、一瞬、顔をしかめ、諦めたような、あるいは気の毒そうな複雑な表情を浮かべたが、すぐに業務用の笑顔で丁寧な物腰で場所を教えてくれた。どうやら、彼の「変人」ぶりは、学院内では広く知れ渡っているらしい。


案内されたのは、本館から少し離れた、古びた別棟の、さらに一番奥まった場所にある研究室だった。扉には、何の飾り気もなく、ただ「セドリック・アシュトン研究室」とだけ記された小さなプレートが、錆びた釘で打ち付けられている。そして、その下にはインクで殴り書きされたような、お世辞にも達筆とは言えない文字の羊皮紙が、無造作に貼り付けられていた。


『至高なる微小世界の探求を妨げる者は、末代まで祟られるであろう!無用な音や振動は、我が愛しき被検体たちの繊細な営みを乱す大罪なり!特に、扉を乱暴に叩くな!中の貴重な液体がこぼれるであろうが!用があるなら、まずは己の無知を恥じ、静粛を保つべし!あと、美味い酒なら歓迎する』


(……愛しき被検体…? 随分と独特な言い回しだ…最後の追伸も気になるが)

レオナールは苦笑いを浮かべつつ、静かに、しかし確実に届くように扉を三度ノックした。しばらく待っても、中から返事はない。もう一度ノックしようか迷った、その時。


「んあぁ?うるさいな…今、我が愛しの変形体が、実に優美な、こう…ぬらりくらりとした動きで、まさに分裂の佳境に入らんとしていたというのに…邪魔をするな、痴れ者が…!」


扉が内側からゆっくりと開き、隙間から現れたのは、寝癖なのか元々なのか判然としないぼさぼさの髪に無精髭、鼻先に引っかかった分厚い眼鏡をかけた痩身の男だった。着ている白衣は、様々な色の染みが飛び散っており、明らかに長い間洗濯されていない様子だった。手にはピンセットと、何やら得体のしれない、緑色がかったゼリー状の塊が乗ったシャーレを持っている。男は、シャーレの中身に異常なほど集中しており、レオナールの方を一瞥しただけだ。間違いなく、彼がセドリック・アシュトン博士本人だろう。


「あの、突然の訪問、失礼いたします。王立アステリア学院のレオナール・ヴァルステリアと申します。ターナー教授のご紹介で、アシュトン先生にお話を伺いたく…」

レオナールが礼儀正しく口上を述べ、ターナー教授からの紹介状を差し出す。


アシュトン博士は、シャーレから目を離さないまま、空いている手で紹介状をひったくるように受け取った。封蝋などお構いなしに、爪で乱暴に破り、中の文字にざっと目を走らせる。


「げっ! ターナーからだと? ふん、あの石頭が、まだ儂に用があったとはな。どうせ、また面倒事の押し付けだろう…」

紹介状を読み終えると、くしゃりと丸めて、その辺の得体のしれない器具の山にポイと投げ捨てた。そしてようやく顔を上げ、眼鏡の奥の細い目でレオナールを値踏みするように見た。その視線に敵意はないが、興味もなさそうだ。ただただ、自分の時間を邪魔されたことへの不快感が滲み出ている。


「で? 何の用だね、ヴァルステリアの小僧。儂の研究の邪魔をしにきたのか? まさか、あの石頭に言われて、儂の粗探しでもしに来たとか? 言っておくが、儂は忙しいんだぞ?」


「とんでもない。先生が、肉眼では捉えられないような微小な世界を観察するための、大変優れた道具をお持ちだと伺いました。私自身、そうした世界に強い関心がありまして…特に、病の原因となるかもしれない、さらに小さな存在について、先生のお知恵を拝借できないかと思いまして」

レオナールは、相手の刺々しい態度にも冷静に対応した。


「ふーん。微小世界ねぇ」博士は鼻で笑った。「で? 小僧は何が見たいんだ? キラキラ光る宝石の亀裂かい? それとも、虫の羽の美しい模様でも観察したいのかね? まあ、そういう分かりやすい美しさは、素人には人気があるようだがな」

彼は再びシャーレに視線を戻し、ピンセットで中のゼリー状の塊を優しく、しかし執拗につつきながら続けた。


「だがな、真の深淵、真の神秘は、そういう上っ面のものではないのだよ。例えば、この変形体!見たまえ、この生命の原初の姿とも言える塊を!こいつはな、体が、まるで意志を持っているかのように、ぬぅ…っと動き、形を変え、環境に適応していくのだ!この複雑怪奇にして、究極的な生命の営み!これこそ宇宙の縮図!万物の理!だとは思わんかね? それに比べて、君が興味ありそうな『病の原因』などという、いかにも人の世の些事など、実に退屈で、つまらんとは思わんかね?」

一方的に、早口で、芝居がかったような大げさな口調でまくし立てる。自分の興味のあること以外には徹底的に無関心で、相手の都合などお構いなしに自分の世界を展開するタイプのようだ。


(やはり、粘菌かアメーバの類か。そして、この観察道具への自信…並々ならぬものがある。だが、この方の興味を引くには…)

レオナールは、博士の言葉尻をとらえるのではなく、彼の興味の対象と、その観察を可能にしているであろう道具に意識を集中させ、会話の糸口を探った。


「先生のおっしゃる通り、生命の多様性、特に微小な世界のそれは、驚異に満ちているのでしょうね。私も、以前、水溜まりの水を自作の簡単な拡大具で覗いた際、埃のような小さな生物が無数に蠢いているのを見て、世界の広大さに心を打たれた経験があります。あれは…草履のような形をして動き回っていました。先生がお使いの『拡大観察箱』…あるいは『顕微鏡』と呼ぶべきでしょうか、それを使えば、彼らのさらに詳細な姿や、あるいはもっと微細な…それこそ病の原因となるかもしれない存在まで見えるのではないかと、期待しているのです」

彼は、相手の土俵に乗りつつ、自身の目的(微生物観察)と、相手の持つ道具(顕微鏡)への関心を繋げた。そして、自作の観察道具での経験を話すことで、「同好の士」である可能性を示唆した。


その言葉に、アシュトン博士はピタリと動きを止め、初めてレオナールをまじまじと見た。分厚い眼鏡のレンズの奥で、細い目が驚きと興味で見開かれる。


「ほう……?君、自分で観察道具を自作したのかね?しかも、水中の微生物…インフゾリアの類を観察した、と? ……ふむ。ただの親の七光りで学院に入った小僧かと思っていたが、少しは骨があるようだねぇ。面白い!」

彼の目に、明らかに興味と好意の色が浮かんだ。警戒心が解け、同じ「微小世界の探求者」を見つけたかのような、奇妙な仲間意識を抱いたのかもしれない。


「よし、ならば見せてあげよう!このセドリック・アシュトン様が、長年の研究と、なけなしの財産をつぎ込み、改良に改良を重ねた、微小世界への扉を開く鍵!我が至宝!『深淵を覗く窓(アビス・ウィンドウ)』Mk-IIIの、その驚くべき性能をな!」

急にテンションが上がり、目をらんらんと輝かせながら、彼はレオナールの腕を掴まんばかりの勢いで研究室の奥へと誘った。その豹変ぶりは、常人には理解しがたいものだった。


「さあ、こっちだ!まずは、この美しい緑色の球状の群体から見せてあげよう!水の中をくるくると踊るように回転する、小さな緑の宝石だ!こいつの集合体としての完璧な調和! 実に精妙な構造をしているだろう!?これを見ずして微小世界は語れん!さあ!」

(緑色の球状群体…?ボルボックスか、類似の群体性藻類か…?いずれにせよ、これは…!)

レオナールは、その異様なまでの熱意に若干気圧されつつも、高性能(?)な観察装置への期待と、この奇妙な研究者との間に何かが始まりそうな予感に、胸を高鳴らせながら、足の踏み場もないほど雑然とした研究室の奥へと足を踏み入れた。床には古びた羊皮紙の巻物や、正体不明の乾燥した植物、そして空になった安酒の瓶らしきものまで転がっていた。

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