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血液内科医、異世界転生する  作者:
ローネン州の真実
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第三十二話:見えざる敵への宣戦布告

休日が明け、レオナールの心は新たな目標への決意で満ちていた。彼は朝一番に、ベルク紙に清書した『研究計画:感染症治療薬の開発に向けて』を手に、ターナー教授の研究室の扉を叩いた。


「失礼します、先生」

「うむ、入れ」


相変わらず雑然とした研究室で、教授は昨日完成したローネン州に関する論文の写しを読み返していた。レオナールは、教授の机の前に進み出ると、深呼吸を一つして切り出した。


「先生、本日は新たにご相談したい研究計画があり、参りました」

「ほう、休んで英気を養ったかと思えば、もう次の厄介事かね?」

教授は、やれやれといった表情を見せながらも、どこか面白そうな目でレオナールを見た。


レオナールは、持参した研究計画書を教授に示しながら、休日中の見聞と自身の考察、そして感染症と思われる病への新たなアプローチについて、慎重に言葉を選びながら説明し始めた。


「先生、ローネン州での経験や、昨日王都で見た光景…原因が分からないまま人々が苦しんでいる現状を見て、考えたことがあります。もしかしたら、多くの病気の原因として、我々がまだ認識していない、目に見えないほど小さな『何か』…仮に『微小なる存在』と呼びますが、それが関わっている可能性はないでしょうか? そして、もしそうだとしたら、その『微小なる存在』の活動を特異的に抑えたり、排除したりするような特別な物質…『対微小存在物質』とでも呼ぶべきものを見つけ出すことができれば、多くの原因不明の病に対する、全く新しい治療法に繋がるのではないかと考えたのです」


ターナー教授は、眉をひそめた。

「目に見えない小さな存在、だと? 病の原因が、そんなものだと? 瘴気や体液のバランスの乱れではなく?」

それは、やはりこの世界の常識からは突飛な考えだった。


「ええ、あくまで仮説です」レオナールは続けた。「しかし、先生と共に学んでいるように、物質も根源粒子という微小なものから成り立っています。ならば、生命現象や病の原因にも、我々がまだ捉えきれていない微小な要因が関わっていると考えても、おかしくはないのではないでしょうか?」

彼は言葉に力を込めた。

「そして、もしそうだとしたら、その『微小なる存在』に対抗する物質を見つけ出すことができれば、画期的な治療法になる可能性があると考えたのです」


教授は、しばらく黙ってレオナールの言葉を吟味するように腕を組んだ。そして、ローネン州でのレオナールの分析や、原子論に関する議論を思い返したのか、あるいは彼の熱意に押されたのか、少しだけ表情を和らげた。

「……ふむ。微小なる存在が病の原因、か。そして、それに対抗する物質…。荒唐無稽に聞こえるが、君の言うように、物質の根源を探る我々の研究と考え合わせれば、一考の価値はあるかもしれんな。確かに、原因不明の病は多い」

彼の研究者としての好奇心が、再び刺激されたようだった。


「それで、君の計画では、まずその『微小なる存在』とやらを観察する手段が必要だ、と?」

「はい。私が以前、針を磨くために作ったような簡易なものではなく、本格的な『顕微鏡』と呼べる観察装置が必要です。既存の観察道具についても調べてみようとは思いますが…」

レオナールがそこまで言うと、ターナー教授は顎髭を捻り、少し考え込む素振りを見せた。


「ふむ、既存の観察道具か…。この王立学院の中で、そのような特殊な研究をしているという話は、とんと聞かんな…」

教授はあくまで自身の知る範囲について述べた。レオナールは内心(やはり、ギルバートの調査通りか)と思いながら、黙って教授の次の言葉を待った。


「いや、待てよ…」教授がふと思い出したように顔を上げた。「学外になら、一人、心当たりがないでもない。たしか、貴族学院の方に、奇妙なものばかり覗いている男がおったはずだ」


「貴族学院、ですか?」レオナールの脳裏に、かつての家庭教師クレア先生の現在の職場でもある、あの研究主体の教育機関が浮かんだ。


「うむ」教授は頷いた。「名を、セドリック・アシュトンといったか。貴族学院の研究員…いや、教授だったかもしれん。専門は博物学で、特に植物や昆虫の微細構造を研究している、ということになっておる。だが、実際には研究室に籠って、自作だか改良だかした『拡大観察箱』なるもので、水溜まりにいるちりのように微小な生物だの、パンに生えたカビだの、地面を這う奇妙なアメーバ状の塊だのを、飽きもせずに一日中覗いているらしい」


「拡大観察箱…!」


「ああ。学会では『微小世界の覗き魔』などと揶揄され、変わり者扱いされておるようだ。貴族学院の中でも浮いた存在だろうな。儂も、若い頃に一度だけ学会で彼の発表…いや、奇妙なスケッチの展示を見たことがあるだけだが、その観察眼と、道具を作る手先の器用さは確かだと感じたのを覚えとる」

教授は、どこか遠い目をして言った。

「彼なら、君の言う『微小なる存在』とやらを観察するための道具について、何か知っているかもしれん。あるいは、既に君が見たいものを観察している可能性すらあるな。まあ、偏屈で人付き合いが良いとは言えん男だろうが……一度、話を聞いてみる価値はあるだろう」


予期せぬ情報、それも学院外部の研究者の情報に、レオナールの胸は高鳴った。王立学院内の調査では見つからなかった、彼の仮説検証の最初の大きなハードル「観察手段」への突破口が、思わぬところから現れたのかもしれない。


「先生、そのアシュトン先生に、ぜひお会いしたいのですが…!」

「ふむ。貴族学院は少々敷居が高いかもしれんが、まあ、儂から紹介状の一つでも書いてやらんこともない。ただし、あの男のことだ、君の仮説に興味を示すかどうかは分からんぞ。それに、彼の研究室も儂のところと同じくらい…いや、それ以上に奇妙なもので溢れ返っているかもしれんからな。覚悟しておくことだ」

ターナー教授は、悪戯っぽく笑いながら言った。


「ありがとうございます、先生!」

レオナールは、深く頭を下げた。「対微小存在物質」開発への道は、まだ仮説の段階で、その困難さは計り知れない。だが、ターナー教授という理解者に加え、新たな出会いの可能性が開けたことに、彼は強い希望を感じていた。


「見えざる敵」への挑戦が、今、具体的な一歩を踏み出そうとしていた。


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