第三話:知的好奇心の扉
母エレオノーラが披露した「温め」の魔法。それは、レオナールにとって衝撃的な出来事だった。科学では説明できない現象が、目の前で、当たり前のように行われたのだ。その日から、彼の頭の中は「魔法」のことでいっぱいになった。
「母上、魔法って、どうやるのですか?」
「父上は、どんな魔法が使えるのですか?」
「お屋敷のランプがひとりでに点くのも、魔法ですか?」
「お庭の花が綺麗に咲いているのも?」
まだ舌足らずな口調で、彼は両親や乳母、近くにいる使用人たちに、質問攻めにした。大人たちは、彼の旺盛な好奇心に目を細めながらも、根気よく答えてくれた。
「魔法はね、特別な力よ。ええ、昔はね、神様から与えられた貴族だけの特権だと考えられていた時代もあったの」母は、歴史を語るように、優しく、そして少し誇らしげに教えた。「でも、時代が下って研究が進んで、今では魔力そのものは、多かれ少なかれ誰の体にも流れていることが分かっているの。だから、平民でも魔法を使える人はたくさんいるのよ」
「ただ」と彼女は続けた。「どんな魔法が得意か、どれだけ強い力を使えるか、といった『才能』には、やっぱり家系や血筋が関係してくることが多いわね。ヴァルステリア家の者が、代々、土や石を操る魔法に長けているようにね。この世界には『マナ』と呼ばれる目に見えない力が満ちていて、それを体の中に取り込んで、自分の『魔力』として操るの」
父アルフォンスは、書斎で古い地図を広げながら言った。「ヴァルステリア家の者は代々、土と鉱石を操る魔法に長けている。この領地の豊かさも、鉱山の富も、先祖たちが魔法の力で大地を切り拓き、守ってきたおかげなのだ」
使用人たちは、日常で使うささやかな魔法を見せてくれた。メイドが指先から小さな光を出して暗い廊下を照らしたり(《リューメン》)、庭師が呪文を唱えて植物の成長をわずかに促したり(《グロウ》)、料理人が火加減を魔法で微調整したり。それらは生活に密着した、地味だが便利な力だった。
レオナールは、それらの情報をスポンジのように吸収していった。魔法は、特別な奇跡ではなく、この世界の理の一部であり、人々の生活に深く根付いている技術なのだと理解した。そして同時に、自分の中にも、その「魔力」と呼ばれるものが存在するのではないか、と感じ始めていた。
目を閉じ、意識を集中させる。身体の奥深くを探るように、未知のエネルギーの流れを感じ取ろうとする。最初は何も分からなかったが、何度も繰り返すうちに、血液の流れとは違う、もう一つの微かな循環のようなものを感じるようになった。温かく、しかし時にピリピリと痺れるような、不思議な感覚。
(これが……魔力……?)
彼は、それを操作しようと試みた。指先に意識を集中し、母がやっていたように「温まれ」と念じてみる。だが、何も起こらない。光を出そうとしても、物を動かそうとしても、結果は同じだった。
(やはり、ただ念じるだけではダメなのか。特定のイメージ、あるいは“手順”のようなものが必要なのかもしれない)
魔法への興味は尽きることがなく、彼の知的好奇心はますます加速していった。幸い、学者の家系でもあるヴァルステリア家には広大な書庫があり、父アルフォンスはレオナールの知的好奇心を奨励してくれた。彼は、家庭教師から文字の読み書きを驚異的なスピードで習得すると、暇さえあれば書庫に籠るようになった。
そこには、異世界の歴史、地理、法律、文学、そして——魔法に関する書物が、膨大に収められていた。古めかしい羊皮紙に書かれた魔法理論書、歴代の当主が記したと思われる魔法の研究記録、属性ごとの魔法体系を解説した分厚い専門書。レオナールは、それらを夢中になって読み漁った。
この世界の魔法は、火・水・風・土の四大元素に基づく属性魔法が主流であること。それ以外に、光や闇、空間や精神に干渉する特殊な魔法が存在すること。魔法の発動には、詠唱(呪文)、印(手の形)、魔法陣、そして術者のイメージと魔力制御が重要であること。魔力量や属性適性は、血筋や才能に大きく左右されること……。
前世の科学知識とは全く異なる体系を持つ魔法の世界に、レオナールは完全に魅了された。だが同時に、いくつかの疑問も抱き始めていた。
(四大元素理論か……前世の古代ギリシャ哲学にも似たような考え方があったな。だが、物質の根源はもっと多様なはずだ。元素周期表にあった118の元素は、この世界には存在しないのか?それとも、魔法というフィルターを通すと、全てが四大元素に還元されてしまうのか?)
(詠唱や印は、単なる儀式的なものなのか、それとも魔力の発動や制御に不可欠な“コード”のような役割を果たしているのか?)
(治癒魔法に関する記述が、極端に少ないのはなぜだ?外傷を塞ぐ程度の魔法はあるようだが、病気を治す、あるいは組織を再生させるような高度な魔法は、伝説やおとぎ話の中にしか出てこない……)
疑問は尽きなかったが、それを解き明かすための知識も、実践する手段も、まだ彼にはなかった。
そんなレオナールの異質さは、同年代の子供たちとの間にも、微妙な壁を作り始めていた。領主の息子として、時折、他の貴族の子弟や、領内の有力者の子供たちと交流する機会があったが、レオナールは彼らの遊びにあまり興味を示さなかった。鬼ごっこや木登りよりも、書庫で本を読んだり、一人で思考に耽ったりすることを好んだ。大人びた言動や、難解な本を読んでいる姿は、他の子供たちから「変わり者」「気難しいやつ」と見られ、敬遠されることも少なくなかった。
レオナール自身も、彼らとの間に埋めがたいギャップを感じていた。精神年齢が違いすぎるのだ。無理に子供らしく振る舞うこともできたが、それは彼にとって苦痛でしかなかった。孤独を感じなかったわけではない。だが、それを埋めてくれたのが、知的好奇心と探求の喜びだった。魔法の謎、この世界の成り立ち、そしていつか——医学と魔法を融合させるという、壮大な目標。それらが、彼の心を支えていた。
そして、レオナールが5歳の誕生日を迎えた日。彼の人生における、新たな扉が開かれることになる。
「レオナール、今日からお前に、正式な魔法の家庭教師をつけることにした」
誕生日の祝宴の後、父アルフォンスはレオナールを書斎に呼び、そう告げた。隣には、穏やかな笑みを浮かべた、見慣れない女性が立っていた。
「紹介しよう、クレア先生だ。王都でも評判の高い、優秀な魔法使いだ。今日から、お前の魔法教育を担当していただく」
クレアと名乗った女性は、腰を屈めてレオナールと視線を合わせると、優しく微笑んだ。栗色の髪を上品にまとめ、知的な青い瞳をした、落ち着いた雰囲気の女性だった。歳は20代後半だろうか。
「レオナール様、はじめまして。クレアと申します。これから、魔法の基礎を丁寧にお教えいたします。どうぞ、よろしくお願いいたしますわ」
その丁寧な物腰と、知性を感じさせる佇まいに、レオナールは好感を抱いた。
「よろしくお願いします、クレア先生」
彼は、貴族の子息らしい、礼儀正しい挨拶を返した。
(いよいよか……!本格的な魔法の学習が、始まる!)
彼の胸は、期待と興奮で高鳴っていた。書物だけでは得られなかった、実践的な知識と技術。それを、このクレア先生から学ぶことができるのだ。そして、それは彼自身の魔法探求を、新たな段階へと進めるための、重要な第一歩となるはずだった。