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血液内科医、異世界転生する  作者:
抗菌薬の光
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第百四十九話:混沌が生んだ秩序

「クラウスさん、お願いします。フィルター用に試作した素焼きの板の中から、最も硬く、多孔質なものをいくつか」

レオナールの指示を受け、クラウスは自らの工房と化した窯の中から、選りすぐりの試作品を持ってきた。

「これを、まず砕くのです」 レオナールは、金属製の乳鉢と乳棒を用意し、素焼きの板をその中に入れ、金槌で大まかに砕き、その後、乳棒でさらに細かく粉砕していく。ガリガリという硬い音が、分析室に響き渡った。

粉砕され、不揃いな粉末となったそれに、レオナールは「親水性コーティング」の魔法を丁寧にかけていく。ざらりとした乾いた粉末が、指先の水分を吸い取るような、独特のしっとりとした質感へと変化した。

その粉末は、目の粗さが異なる数種類の金属製の篩にかけられ、大まかに粒径が揃えられた。そして、その白くざらついた粉末を、ターナー教授が用意したガラス製のカラムに、溶媒と共に慎重に充填していく。


「さて、お手並み拝見といこうじゃないか」

ターナー教授が、面白そうに目を細める。性能評価のサンプルには、分離の様子が目で見て分かりやすい、夜想花の色素抽出液が選ばれた。


抽出液がカラムの上端に添加され、移動相となるアルコールがゆっくりと流し込まれる。その瞬間、レオナールたちは息をのんだ。これまでのリノ草の繊維を用いたカラムでは、色素の帯はぼんやりと広がりながら、ゆっくりと分離していた。だが、これは違う。注入された紫色の色素は、まるでスタートラインに吸い付くように、極めてシャープな一本の線を描いた。そして、アルコールが浸透していくにつれて、その線は内なる色彩を、驚くべき鮮やかさで解き放ち始めたのだ。


ピンク、赤紫、青紫、そして微かな黄色。それぞれの色の帯は、互いに混じり合うことなく、くっきりと分離したまま、白い固定相の上を滑るように下っていく。その分離能は、これまでのどの固定相とも比較にならない。まさに、別次元の性能だった。


「素晴らしい…!これならば、アヘンの中の微量な成分も、完全に分離できるかもしれない…!」

マルクスが感嘆の声を上げる。だが、レオナールの探求心は、この成功に満足してはいなかった。


(確かに、分離能は飛躍的に向上した。だが、粒子が不揃いなせいで、カラム内の溶媒の流れに僅かなムラが生じている。これが、バンドのわずかな広がりを生んでいるはずだ。もし、全ての粒子が完璧な球形で、均一な大きさだったなら…? より理想に近い、完璧な分離が実現できるはずだ)


彼の脳裏に、クレア先生が見せてくれた、あの「真球生成」の魔法が浮かんだ。


後日、レオナールは再びクラウスと共に、新たな試みに挑んでいた。今度は、親水性コーティングを施した素焼きの破片を、クレアから教わった魔法陣の上に置き、「真球生成」の魔法を発動させたのだ。狙いは、不揃いな破片を、均一な大きさの微細な球状粒子へと変換すること。


しかし、魔法陣の光が収まった後に現れたのは、彼の期待とは異なる、ただの白く滑らかな粉末だった。顕微鏡で観察しても、確かに粒子は球形に近い。だが、その表面からは、あの独特のしっとりとした親水性が失われていた。


「…だめか」レオナールは、その粉末を水に浮かべてみて、確信した。粉末は水を弾き、表面に膜を張るように浮いている。

「真球生成の魔法は、対象物を均質化するプロセスを含むようだ。その過程で、表面に施したコーティングが、粒子全体に均質に混ざり込んでしまい、表面の親水性が失われてしまったんだ」


失敗。だが、その原因を特定したことで、次なる一手が見えた。手順を逆にすればいい。

彼は、まずコーティングされていない素焼きの破片を、真球生成の魔法で微粉末にした。そして、その粉末に対して、後から「親水性コーティング」の魔法をかけたのだ。


結果として生まれたのは、奇妙な物質だった。純白の、極めて微細なその粉末は、スポイトで水を一滴垂らした瞬間、まるで渇いたスポンジのように、一瞬でその水分を吸収し、わずかに膨潤した。


(これは…!まるで、高吸水性ポリマーのようだ…!)


この驚異的な吸水性を持つ粉末こそ、理想の固定相かもしれない。レオナールは期待に胸を膨らませ、それをカラムに充填した。だが、新たな問題が発生する。移動相となるアルコールを流し込んでも、液体がカラムを全く通過しないのだ。粒子が微細すぎて隙間なく充填され、さらに溶媒を吸収して膨潤したことで、カラム内が完全に詰まってしまったのだ。


「圧損が、高すぎる…!」

クラウスが、圧力をかけて移動相を送り込もうとするが、ガラス製のカラムが軋むだけで、液体は一滴も流れ落ちてこない。


「仕方ない。粒径を大きくして、粒子間の隙間を確保しよう」

レオナールは、真球生成の魔法で、より大きな粒子を作り、同様に後からコーティングを施した。今度は、移動相はゆっくりと流れる。だが、夜想花の色素を流してみると、その結果は芳しくなかった。粒子が大きすぎ、物質が吸着する表面積が減少したためか、分離能は最初の「砕いただけの粒子」よりも明らかに劣っていた。


「……結局、最初に試した、ただハンマーで砕いただけの、あの不揃いな粉末が、現時点では最も性能が良い、ということか」

数週間にわたる試行錯誤の末、レオナールは意外な結論にたどり着いた。技術者として均一性を追求してきたクラウスは、その結果に首を傾げている。


「なぜでしょう、レオナール様。理論的には、均一な球状粒子の方が、より理想的な分離を示しそうですが…」


「おそらく…」レオナールは、ベルク紙にスケッチを描きながら考察を始めた。「まさにトレードオフの状態と言えるでしょう。それぞれの方法に、利点と、それを打ち消すほどの欠点があるのです」


彼は、まず最初に成功した「砕いただけの粉末」から言及を開始した。

「この方法は、素焼きが元々持っている内部の無数の微細な孔、つまり広大な表面積を維持できます。その上で、砕いただけの不揃いな粒子は、カラムに充填した際に粒子間に大小様々な隙間を作り出し、移動相がスムーズに流れるための適度な流路を確保してくれます。表面積と圧損、この二つのバランスが、偶然にも良い具合になっていたのですね」


次に、真球魔法で作った粒子に言及する。

「一方で、真球魔法で微細な粒子を作るアプローチには、大きな壁が立ちはだかりました。理論上、微細な粒子は莫大な表面積をもたらすはずでしたが、均一な球状粒子はカラム内で最密充填に近い状態で積み重なり、粒子間の隙間が極端に狭くなります。その結果、移動相がほとんど流れなくなり、圧損が極大化してしまうという、最初の大きな問題に直面したのだと思います」


「なるほど…」クラウスが唸った。「粒子が均一すぎることが、かえって移動相の流れを妨げてしまうのですね。技術者としては、均一性こそが正義だと考えてしまいがちですが…」


レオナールは頷くと、最後の試作品を指差した。

「その致命的な圧損を解決するため、次に試したのが粒径を大きくすることでした。これで移動相は流れるようになりましたが、今度は第二の、そしてより根本的な問題が露呈しました。真球魔法は物質を均一化する過程で、素焼きの生命線であるはずの内部の微細な孔を完全に消し去ってしまうのです。つまり、吸着に使えるのは粒子の外表面だけ。その状態で粒径を大きくすれば、全体の表面積は壊滅的に減少し、分離能が犠牲になるのは当然の結果でした」


「つまり、圧損の問題を解決するために粒径を大きくした結果、今度は分離能の源である表面積が失われてしまった、と。まさに、あちらを立てればこちらが立たず、ですね。真球魔法には、そのような性質があったとは…」クラウスは、そのジレンマに改めて感心したように呟いた。


レオナールは続ける。「ええ。結局、砕いただけの粒子が持つ『内部の多孔質性』と『不揃いによる流路確保』という二つの利点には、遠く及ばない結果になってしまった。これが、現時点での最適解となっている理由でしょう」


「砕いただけの不揃いさが、結果的に多孔質という利点を活かし、さらに粒子間の不規則な隙間が適度な流路を確保していた…。偶然の産物とはいえ、実に合理的な結果だったのですね。勉強になります」クラウスは、その結論に深く納得した様子で頷いた。


「ええ。品質を均一化するという点では、真球魔法の応用は魅力的です。ですが、それを活かすには、圧損の問題を解決する、また別の技術が必要になるでしょうね。ひとまずは、この『砕いただけの固定相』を、我々の標準として採用しましょう。これもまた、探求すべき課題が一つ増えたということですから」


不揃いな粒子がもたらした、予期せぬ最高の性能。それは、世界の理が、常に人間の理論通りに進むわけではないことを、レオナールに改めて教えているかのようだった。

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