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血液内科医、異世界転生する  作者:
新たなる出会いと研究
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第十一話:世界の法則、普遍の粒子

ターナー教授の研究室に通い始めて数週間が過ぎた。レオナールは、雑多ながらも知的な興奮に満ちたその空間に、すっかり馴染んでいた。教授から与えられる雑務や簡単な実験助手の仕事は、彼にとって苦痛どころか、未知の知識に触れる貴重な機会だった。薬品のラベルを整理しながらその組成を推測し、奇妙な実験器具の構造からその用途を考察し、そして何より、教授が書き留めた断片的なメモや、実験データの中に、この世界の物質観や法則性に関するヒントを探す。それは、まるで巨大なパズルのピースを一つ一つ集めていくような、根気のいる、しかし胸躍る作業だった。


ある日の午後、実験器具の洗浄を終え、窓から差し込む光の中で一息ついた時、レオナールはこれまでの自身の歩みを静かに振り返っていた。


(思えば、この世界に来てからずっと、俺はこの世界の『ことわり』を探ってきた……。最初は、ただ生き延びるために、そしてこの不可思議な現象——魔法——を理解するために)


脳裏に、幼い頃、初めて自分の手でスパークを放った時の感動が蘇る。あの小さな火花に、彼は世界の根源的な法則の一端を見たのだ。


(あのスパークの色とエネルギーの関係性……。魔力の込め方、集中度、放出のタイミング。それを変えるだけで、火花の色が白から黄色へ、そして青白い閃光へと変化した。高エネルギーなら短波長の青、低エネルギーなら長波長の赤……それは、前世で学んだ光子のエネルギーと波長の関係、物理学の基本的な法則そのものだった)


スパークだけではない。イル・スカルパ(火球魔法)が燃焼に酸素を必要とすること、リューメン(光魔法)が特定の波長の可視光線を生み出しているらしいこと、ソノール(音魔法)が空気の振動であること……。彼が検証してきた様々な魔法現象は、その根底に、彼が知る物理法則が存在することを強く示唆していた。


(魔法という、この世界独自の、不可思議な力。それが、皮肉なことに、その魔法が作用する世界の根源的な物理法則が、俺のいた元の世界と何ら変わらないことを証明するための、格好の実験ツールになっていたわけだ。魔法は物理法則を捻じ曲げるのではなく、むしろその法則に則って、未知のエネルギー(魔力)を用いて現象を発現させているに過ぎないのかもしれない)


そして、それは物理現象だけでなく、物質そのものの構成についても同様だった。


(物質の根源……原子、分子。そうだ、忘れもしない、母上の治療の時……。あの時、俺は必死で、魔法を使って生理食塩水を作り出した。純粋な水——H2Oの分子。そして塩化ナトリウム——Na+イオンとCl-イオンの結晶。あの単純な分子構造やイオン構造なら、魔力で空気中や周辺物質から必要な原子を集め、イメージ通りに組み替えて生成することができた。あれもまた、この世界の原子が、水素も、酸素も、ナトリウムも、塩素も、俺の知る原子と全く同じものであると、骨身に沁みて確信した瞬間だった)


彼は、静かに自分の手のひらを見つめた。この手で放つ魔法も、この手で触れる物質も、その根源にある法則は、前世と変わらない。


(物理法則も、物質を構成する原子も、基本的には同じだ。この世界は、見かけこそ違えど、俺がいた世界と地続きの、普遍的な法則の上で動いている。それは、ほぼ間違いない)


その確信があるからこそ、彼は医学知識の応用や、化学的なアプローチに希望を見出しているのだ。


だが、その確信は同時に、新たな、そしてより大きな疑問を生み出していた。


(だが、それならば……なぜこの世界では、四大元素論などという、前時代的な物質観が未だに主流なんだ? 科学的な思考法が育っていないのか? それとも、何か別の理由が……?)


(そして、魔法による物質操作……イル・スカルパのように、環境中の炭素原子や水素原子を取り出して、メタンやアセチレンのような可燃性ガスを合成する。このプロセスは、具体的にどう説明できる? 無から有を生み出しているわけではないことは分かっている。原子は保存されているはずだ。だが、その原子の選択、抽出、再結合のメカニズムは? エネルギー効率は? 魔力は、そのプロセスでどのような役割を果たしているんだ?)


これらの疑問——異世界の常識と自身の知識とのギャップ、そして魔法と化学法則との具体的な関連性——を解き明かすこと。それが、今のレオナールにとって最も重要な課題だった。


(その答えのヒントが、あるいはターナー先生の研究室にあるのかもしれない。先生は四大元素論に疑問を持ち、物質の根源を独自に探求している。先生と共に、この世界の化学を、魔法との関連も含めて、一から解き明かしていく必要がある。手探りになるだろうが、やるしかない)


レオナールは、窓の外に広がる学院の景色に視線を戻した。空は青く、木々は緑に輝き、学生たちの喧騒が遠くに聞こえる。一見、平和な学び舎。だが、彼の内には、世界の真理を探求し、そしていつか多くの命を救うための、静かで熱い闘志が燃えていた。彼は立ち上がり、再び実験台へと向かった。


ターナー教授の研究室に通い始めて数ヶ月が経った。レオナールは、当初の雑用係から、徐々に教授の信頼を得て、本格的な実験の助手としても活動するようになっていた。彼の知識の吸収速度、実験手技の正確さ、そして何よりも、時折見せる鋭い洞察力は、偏屈な老教授をも唸らせるものがあった。


二人の間では、日夜、活発な議論が交わされるようになった。議論の中心は、やはり「物質の成り立ち」についてだった。レオナールは、これまでの魔法の検証を通して、基本的な物理法則や原子・分子レベルでの世界の同一性を確信していたが、それを体系的な理論として説明することはできなかった。彼の疑問は、その先にある、この世界独自の現象との整合性に向けられていた。


ある日、実験の後片付けをしながら、レオナールは意を決して、自身が抱える最も大きな疑問を教授にぶつけてみた。


「先生、物質が何らかの『根源粒子』から出来ているとして……やはり腑に落ちないのは、四大元素論との関係なのです。なぜ、これほど違う考え方が、この世界では広く受け入れられているのでしょうか?そして、魔法です。全く新しい性質を持つ『複合粒子』を合成するような現象は、一体どういう仕組みで起こっているのでしょう?」


ターナー教授は、レオナールの問いかけに、深く頷いた。

「うむ……それは、我々が解き明かさねばならん、最も大きな謎の一つだろうな。四大元素論が長く信じられてきたのは、君も気づいているように、精密な測定技術がなかったからだ。目に見えるマクロな変化を説明するには、あれはあれで便利な考え方だった。だが、君が指摘するように、魔法による物質生成……あれは、四大元素論だけでは説明がつかん」


教授は、自身の古い実験記録を指差した。「例えば、アクアの魔法で生み出される『水』だ。あれは、空気中の水分を集めているだけでは説明できないほどの量が、時には何もない空間から現れる。かといって、四大元素論で言う『水の精髄』なるものが、どこからともなく集まってきている、というのも、どうにも腑に落ちん。物質が根源粒子から成るならば、あの『水』を構成する粒子は、一体どこから供給されているのか……」


レオナールは続けた。「そして、イル・スカルパです。あれは、私の実験結果からは環境中から『何か』を集めて燃える気体を作っていると考えられますが、その『何か』とは具体的にどの粒子なのか? 空気中の粒子なのか、地中の粒子なのか? そして、それをどうやって選び出し、組み替えているのか? 魔力は、そのエネルギー源なのでしょうか?」


二人の疑問は尽きなかった。彼らは、これらの謎に挑むため、まず「根源粒子」の存在とその基本的な性質を、より確かな証拠として確立することから始めることにした。


「先生、もし物質が根源粒子から出来ていて、それらが決まった比率で結合・分離するのなら、反応の前後で、物質の『重さ』や、気体であれば『体積』に、何らかの明確な法則性が見られるはずです。それを、可能な限り精密に測定してみませんか?」レオナールは提案した。


「ふむ、定量的な検証、か。言うは易しだが……既存の器具では限界があるぞ」


「はい。ですから、まずは器具の改良から試みましょう。例えば、この天秤です。支点の摩擦を減らし、もっと軽くて精密なおもりを使えば、微量な質量の変化も捉えられるかもしれません。気体の体積測定も、もっと細いガラス管に精密な目盛りを刻めば精度が上がるはずです。魔法で温度や圧力を一定に保つ補助も有効かもしれません」


「なるほど……魔法を測定の補助に、か。面白い。よし、やってみよう!」


二人は、学院の魔道具工房の助けも借りながら、実験器具の改良と試作に取り組んだ。より精密な天秤、目盛りの細かいガラス製の気体計量管、そして実験環境(温度・圧力)を安定させるための簡易的な魔法装置。それらを用いて、彼らは再び基本的な化学反応の測定に挑んだ。


水の分解・合成実験。改良された器具と魔法による環境制御のおかげで、発生・消費される二種類の気体の体積比が「2:1」であることが、以前よりも遥かに高い精度で確認できた。さらに、質量測定においても、反応前後で質量が変化しないこと——質量保存の法則が、この世界でも厳密に成り立っていることが示された。


次に、木炭(純度の高いものを選んだ)や硫黄の燃焼実験。一定量の試料を、様々な量の「空気を助ける粒子(酸素に相当)」と反応させ、生成物の質量と組成(まだ定性的だが)を調べた。その結果、試料と「空気を助ける粒子」は、常に特定の単純な質量比で結合し、複数の化合物が生成される場合(例えば、炭素から二種類の気体が生じる場合)も、それらの間で倍数比例の関係が見られることが明らかになった。


「やはり……! 物質は、固有の『重さ』を持つ根源粒子から出来ている! そして、それらは、まるで相手を選ぶかのように、決まった個数、決まった重さの比率でしか結合しないのだ!」

ターナー教授は、積み上げられた実験データを前に、興奮を隠しきれなかった。レオナールも、前世の知識がこの世界で実証されていく様に、静かな感動を覚えていた。


彼らは、これらのデータに基づき、「根源粒子(原子)」の相対的な重さを推定する作業に取り掛かった。最も軽いと思われる「燃える空気の粒子」の重さを基準の「1」と定め、他の粒子の重さを計算していく。


「水の複合粒子が『基準粒子2』と『重さ約16の粒子1』から出来ていると仮定すると、実験結果とよく合う」

「木炭の粒子は、重さが約12。これが『重さ約16の粒子』と1対1で結合した複合粒子と、1対2で結合した複合粒子が存在するようだ」

「硫黄の粒子は、重さが約32……これも『重さ約16の粒子』と様々な比率で結合するな」


具体的な元素名は使わず、あくまで観測された性質と推定される相対的な重さに基づいて、彼らは未知の粒子に記号や番号を割り振り、それらがどのように組み合わさって「複合粒子(分子)」を形成するか、そのモデルを構築していった。それは、前世の科学史をなぞるようでいて、しかし魔法という未知の要素が存在する異世界独自の、手探りの化学体系構築作業だった。


原子・分子レベルでの世界の理解は、着実に深まっていった。だが、それは同時に、新たな問いを生み出すことにも繋がった。


「先生、この原子モデルで考えると、四大元素論は、やはり現象のマクロな側面を捉えただけの古いモデル、ということになりそうですね」とレオナールが言うと、

「うむ。おそらくはそうだろうな。例えば『土』元素とは、実際には地殻を構成する様々な種類の原子(例:ケイ素や金属の粒子)が複雑に組み合わさったものの総称、『風』元素(空気)は、我々が今『重さ約14の粒子』や『重さ約16の粒子』と呼んでいるものの混合気体、といった具合にな。だが、問題は、なぜそのような分類が生まれ、そして魔法がその分類(属性)に基づいて体系化されているのか、だ」と教授は答えた。


「魔法による物質生成についても、謎は深まるばかりです。イル・スカルパは、環境中から『重さ約12の粒子』と『基準粒子(重さ1)』を集めて、燃える複合粒子を作っていると考えられますが、その原料となる粒子は、空気中にも、地中にも、あるいは水の中にも存在するはずです。魔法は、どのようにしてそれらを選び出し、効率よく集め、そして結合させているのか……。そのプロセスを解明しない限り、魔法と化学の本当の関係は見えてきません」


化学の基礎が見え始めたことで、逆に魔法の不可解さが際立ってくる。そして、その魔法現象を詳しく分析するためには、現状の実験技術では限界があることも明らかになってきた。


「先生、イル・スカルパで生成される『燃える気体』も、もしかしたら一種類ではなく、いくつかの種類の複合粒子が混ざっているのかもしれません。あるいは、薬草から抽出した液体にしても……。これらの複雑な混合物の中から、目的の複合粒子だけを純粋に取り出すことができれば、我々の研究は大きく進展するはずなのですが……」


レオナールは、新たな壁に直面していることを感じていた。より精密な分析のためには、より高度な分離・精製技術が必要だ。彼の思考は、自然と、前世の記憶の片隅にあった、あのカラムと溶媒を使う分離法——クロマトグラフィーへと向かい始めていた。


世界の根源法則への理解は深まった。だがそれは、さらなる謎と、それを解き明かすための新たな挑戦の始まりを告げるものでもあった。レオナールとターナー教授の探求は、まだ緒に就いたばかりだった。


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