第一話:死と再生
降りしきる雨が、病棟の窓ガラスを叩いていた。中條諭、31歳、独身。大学病院の血液内科に籍を置く彼は、窓の外の灰色にくすんだ景色をぼんやりと眺めていた。外来、病棟業務、そして深夜に及ぶ研究。それが彼の日常だ。いや、日常だった、と言うべきか。今の彼がいるのは、いつもの医局ではなく、殺風景な個室のベッドの上なのだから。
「中條先生、採血結果、出ています」
ノックと共に顔を出したのは、受け持ちの看護師だった。彼女の少し硬い表情に、諭はこれから告げられるであろう結果を察した。
「ああ、ありがとう。そこに置いといてくれ」
努めて平静を装い、手渡された検査レポートに目を落とす。そこに並ぶ数値は、彼が最も見慣れ、そして最も見たくなかった現実を突きつけていた。
白血球数、15万超。芽球、90%以上。血小板、1万未満。ヘモグロビン、7g/dL台。
「……はは、見事なまでの、急性骨髄性白血病(AML)だな」
乾いた笑いが漏れた。数週間前、外来で同じような数値を示した患者に、彼は冷静に、そして慎重に言葉を選びながら告知をしたばかりだ。「非常に厳しい状態ですが、一緒に頑張りましょう」と。その言葉が、今、虚しく自分に跳ね返ってくる。
思い返せば、予兆はあったのだ。ここ数ヶ月、妙に疲れやすく、当直明けでもないのに身体が鉛のように重かった。外来の合間に立ち上がると、くらりと眩暈がすることもあった。階段を上れば息が切れ、些細なことで動悸がした。一度、洗面所で鼻をかんだら、予期せぬ量の鼻血が出て止まらず、慌てたこともあった。腕には、ぶつけた覚えのない青あざがいくつもできていた。
(過労だ、ストレスだ、睡眠不足だ……そう自分に言い聞かせて、見て見ぬふりをしてきたんだ。医者の不養生、とはよく言ったものだな……)
専門家である自分が、自分の身体の悲鳴を聞き逃していた。いや、無意識のうちに、認めたくなかったのかもしれない。血液内科医として、この病の恐ろしさ、治療の過酷さ、そしてその予後を、誰よりもよく知っていたから。
諭が医師を目指したのは、高校生の時だった。快活でスポーツ万能だった友人が、同じ白血病で短い生涯を閉じた。何もできなかった無力感と、病への怒り。それが彼を医学の道へと駆り立てた。大学では寝る間も惜しんで勉強し、国家試験を突破。数ある診療科の中から血液内科を選んだのも、亡き友人への想いがあったからだ。
研修医時代は厳しかった。上級医に怒鳴られ、眠れない夜を過ごし、それでも必死に知識と技術を吸収した。担当した患者が亡くなるたびに、自分の無力さを呪った。それでも、寛解に至り、笑顔で退院していく患者を見送る時、何物にも代えがたい喜びを感じた。一人でも多くの患者を救いたい。その一心で、臨床の傍ら、研究にも没頭した。新しい治療法、分子標的薬、造血幹細胞移植……。医学は日進月歩だが、それでもまだ、白血病は多くの命を奪う難敵だった。
(あの時の、鈴木くん……。彼も、俺と同じくらいの年齢で発症して……寛解導入療法を乗り越えて、移植も成功したのに、数年後に再発して……最期は、緩和ケアだったな……)
(山田さんは、初回の治療がよく効いて、すっかり元気に退院したけど、数ヶ月後に感染症であっけなく……)
(佐藤老人の、「先生、もう十分生きました。あとは、孫の顔が見られれば満足です」という穏やかな笑顔が、忘れられない……)
脳裏に、これまで関わってきた患者たちの顔が次々と浮かぶ。喜びも、悲しみも、怒りも、諦めも。様々な感情が渦巻き、諭の心をかき乱した。
自分の診断が確定し、諭はすぐさま患者の立場になった。同僚であり、上司でもある教授から、治療方針の説明を受ける。「中條先生、君の病状は…正直に言って、非常に厳しい。白血球数が極めて高く、芽球の所見も芳しくない。何よりスクリーニングPCRではFLT3-ITD陽性、DEK-NUP214陽性で予後不良群と予測される。まずは標準的なAraCとIDRによる7+3療法にキザルチニブを追加した寛解導入を行う。厳しい治療になるが、耐えてくれ」
抗がん剤の点滴が始まると、想像を絶する副作用が彼を襲った。吐き気、嘔吐、食欲不振、全身倦怠感、脱毛……。そして、最も恐れていた合併症がやってきた。発熱だ。
治療開始から一週間後、体温はあっという間に39℃を超えた。骨髄抑制——抗がん剤によって正常な白血球も破壊され、免疫力が極限まで低下した状態——に陥っていた。血液培養からは、緑膿菌が検出された。日和見感染だ。
「先生、血圧80台まで低下! SpO2も90%切りました!」
「まずいな……septic shockだ。外液全開でICUへ移送!挿管準備!」
かつて自分が何度も指示を出した言葉が、今度は自分に向けられる。鎮静剤で意識が遠のく中、気管にチューブが挿入される苦痛と、人工呼吸器の機械的な送気音が、悪夢のように感じられた。
ICUのベッドの上。身体には無数のチューブやコードが繋がれ、モニターからは絶えず電子音が鳴り響く。昇圧剤の点滴が続けられ、人工呼吸器が肺に酸素を送り込む。しかし、状態は一向に改善しなかった。肺炎は悪化し、腎機能も急速に低下。尿量が減り、身体はむくみ、血液中の老廃物の数値は上昇の一途をたどった。
「急性腎障害……このままでは透析が必要になる。CHDF(持続的血液濾過透析)の準備を急いでくれ」
かつての同僚たちの懸命な治療の声が、鎮静剤で霞む意識の中に響く。腎臓の代わりを務める機械が、ゆっくりと血液を浄化し始める。体内の水分バランスを調整し、腎機能の回復を待つための時間稼ぎだ。
だが、諭は医師として、冷徹に自分の状態を分析していた。
(重症敗血症、多臓器不全……ここまで来てしまうと、救命は極めて困難だ。統計的に見ても、生存率は……かなり低い)
肺も、腎臓も、そして血液そのものも、もう限界だった。抗がん剤と感染症によって、身体の根幹が破壊され尽くしている。あらゆる治療は、崩れゆくダムの決壊を、わずかに遅らせているに過ぎない。
(俺の人生、これで終わりか……。まだ、やりたいことも、やり残したことも、たくさんあったのに……)
結婚もせず、研究と臨床に明け暮れた31年間。両親には心配ばかりかけてきた。もっと親孝行もしたかった。いつか自分の家庭を持ちたいとも思っていた。そして何より、医師として、まだ道半ばだった。新しい治療法で、一人でも多くの患者を救いたかった。
(もし……もし、もう一度、人生をやり直せるなら……)
それは、科学者としての彼らしからぬ、非現実的な願望だった。だが、死の淵に立つ今、そう願わずにはいられなかった。
(今度こそ……後悔しない生き方を。そして、もっと……もっと深く、命というものに向き合えるような……そんな人生を……)
視界が急速に暗転していく。モニターの電子音も、人々の声も、全てが遠ざかっていく。苦痛は感じなかった。ただ、深い、深い闇へと意識が溶けていくような、不思議な感覚があった。
最後に感じたのは、後悔か、諦観か、それとも——微かな希望の光だったのか。
中條諭の意識は、そこで完全に途絶えた。
なるべく科学的に正しい記載を心がけてますが、作劇の都合上あえて嘘ついたりするかもしれないので信じないでください。あと単純にミスもある。