第八話 預言者と魔人
その炎は、黒く燃え上がっていた。
城の最奥にある玉座の間。
高い天井近くに、透明な宝玉が吊るされている。
その中心では、黒い火が踊っていた。
「聞いていますか、マージド!」
黒いフードを目深にかぶった小男が、怒りを露わにして叫んでいる。
いつにも増してうるさい男だ、と玉座に座る男は思った。
「なぜ、独角族に命じなかったのです! ラーカーンでも、ニザールでも、動かせたでしょう。あなたのお気に入りの女でもよかったんですよ!」
「例の神官の捕縛だろう? 命じたぞ、ニザールに。セパーハーンまで連れてこい、と」
ハダスに付き合っていたら、朝まで文句を言い続ける。
うんざりしたマージドは、遮るように喋った。
「ニザールが、勝手に部下に任せたのだ。おれは知らん。そんなに重要なら、貴様が行けばよかったのだ。貴様の部下を、連れてくればいいだろう」
「行ければ、誰も苦労しませんよ! くそっ、忌々しい砂漠め。ここまで来るのだって、死ぬ思いで来たんだ全く」
「ニザールも、同じ思いだったんだろうよ。まだカーバーザルト砦には赤蟲人を配備していないし、普通の蟲人を動かすしかあるまい」
正直、マージドはそんなにその女を重要視していなかった。
預言かなにか知らんが、たかが神官の生き残りであろう。
エスファンディアルが死に、イラを捕らえたいま、何を恐れると言うのか。
「とにかく、だ。東はおれの領分だ。貴様は、西が持ち場だろう。他人の領分にやってきて、あれこれ言うのはやめろ。おれは、貴様の部下じゃない」
「守護者を捕らえよというのは、双角神の御言葉なんですよ!」
「貴様に下された御言葉だろう。貴様がやれ」
双角族四人の中でも、マージドは最も自由奔放で、最も面倒くさがりな男である。
自分に興味があることしかやらないと言ってもいい。
この男の興味は戦い──というよりむしろ殺戮である。
大量の人を殺害し、その血を浴びながら飲むのが好きなのだ。
ゆえに、大規模な戦争こそ彼が望むものである。
そういう意味では、この百年は満足できずに苛立たしい日々を送っている。
「はあ。わかりましたよ。勝手にやらせてもらいます。ですが、ラエドへの報告はしますからね。あなた、サドシュトゥン砦を失ったばかりでしょう。ラエドも、いい顔をしないんじゃないですか?」
「聖地でのんびりしているだけのやつに、とやかく言われる筋合いはない。文句があるなら、魔鎧騎兵を持ってこいと言え。砂漠で使えるものならな!」
王国への侵攻は進んでいない。
厄介なのは、砂漠であった。
双角族も独角族も、膨大な魔力を持つ種族である。
人とは違い、口から食物を摂取することはない。
角から魔力を吸収し、稼働するエネルギーに変えているのだ。
だが、砂漠ではそれができない。
体内の魔力が尽きれば、そこで動けなくなってしまう。
だから、みな積極的に砂漠に出ていこうとしない。
侵攻が進まぬ所以である。
それでも、この百年でじりじりと領域は広げている。
セパーハーンの北に七つ、南に七つの砦を築き、レイとティラーズを臨める段階まで来ていたのだ。
だが、その南の最前線の砦、サドシュトゥン砦が先日落とされた。
砦を守っていたのは、独角族の猛将タイシル。
ティラーズ攻略の先鋒に目していた男である。
彼を失ったせいで、ティラーズへの出陣は遠くなった。
マージドの機嫌が悪いのも、そのせいである。
「失礼します」
大理石の床に、足音が響く。
入ってきたのは、黒い祭衣を着た独角族の上級神官である。
セパーハーンの治安を取り締まる長官クタイバ。
行政に興味のないマージドに代わり、実質的に王都を統治する男だ。
「何の用だ。見ての通り、いま忙しい」
マージドは、不機嫌を隠さない。
自分の感情に正直なのだ。
「ハダス様が来ておられると伺いまして。実は、部下から苦情が上がっておりましてな。ハダス様の直属の人間が、手前どもが内偵していた不穏分子の身柄を押さえて闇の塔に持っていかれたとか。セパーハーンは、わたくしどもの法で運用しております。あまり、気ままに振る舞われても困りますぞ」
「聞いたか、ハダス。いくら預言者といえど、勝手な行動は困る。少しは慎むようにな」
抜け抜けとマージドが言う。
どの口が、とハダスは思った。
身勝手な行動は、マージドのお得意ではないか。
「所詮人間のことではありませぬか。あなたは、人間の一人や二人、どうなろうと興味なんかないでしょう」
「まあな。だが、セパーハーンはおれの縄張りだ。そこでよそ者がでかい顔をするのは困る。おれの権威が損なわれるじゃないか」
双角族というのは、どいつもこいつも自分勝手な連中である。
魔人の言葉を聞きながら、クタイバは静かに独りごちた。
独角族の上級神官であるクタイバは、五人目の双角族に昇格する競争に、最も近い位置にいると言っていいだろう。
神に認められ、角をもう一本与えられれば。
この二人など顎でこき使ってやるという野望が、クタイバにはあった。
「わたしがここにいるのは、あくまで神の御言葉に従ったまでです。神は、太陽神の巫女をお望みだ。あの女を取り込むため、ザーミーンを手に入れる必要があったんですよ。この失態、神は不快に思われるでしょうな、マージド」
「神の代弁者気取りか、ハダス。西方都市国家群を落とした功績で満足していればいいものを。ラエドとて、貴様の野心を聞けばいい顔はしないであろうよ」
「何のことですかな。わたしは忠実な神のしもべにすぎませぬ。ラエドもあなたもそれは変わりないはず」
「おれをラエドのような単純な武人だと思うなよ。肉を喰らうけだものは、鼻が利くんだよ」
皇帝ラエドと魔人マージドは、どちらも戦闘を好む性であるがその中身は若干違う。
芸術家気質のラエドは、おのれの魔鎧騎兵の一撃で戦局を決着するのを好む。
聖地でもひたすら麾下の軍の調練に明け暮れ、それ以外のことはあまり興味がない。
マージドは、何より血の臭いを嗅ぐのが好きなタイプである。
殺戮を繰り返し、勝利を摑み取る。
そのための手段にはこだわらない。
危険を察知する嗅覚を持ち、理屈より直感で正解を探し当てる。
ハダスにしてみれば、ラエドよりマージドのがやりにくかった。
「それでは、ハダス様。まずは、闇の塔に連れ込まれた人間を手前どもにお引渡しを──」
高慢な口調でクタイバが身を乗り出す。
それを見たハダスは、すっと目を細めて唇を尖らせた。
マージドは彼と対等であるが、クタイバはそうではない。
出過ぎた真似を、とハダスは口の中で呟いた。
預言者は、右手を上げた。
クタイバの足下の影から、いきなり複数の黒い腕が飛び出す。
ぎょっとして足を上げた瞬間、腕はクタイバを捕らえて床に抑え込む。
厳しく締め上げられ、神官は無様に悲鳴を上げた。
「言葉には気をつけなさいよ、クタイバさん。わたしは神のご指示に従って行動している。あなた程度の浅知恵で意見できると思われても困りますよ」
ぎちぎちと影の腕がクタイバを絞り上げる。
全く身動きができず、神官は哀れに許しを請うた。
だが、ハダスは薄い笑みを浮かべ、その様子を愉しんでいる。
「もういいだろう、ハダス。クタイバはこれで役に立つ。許してやれ」
マージドがどんと右足を振り下ろす。
同時に、影の腕が粉々に砕け、四散する。
解放されたクタイバは荒く息を吐き、マージドに謝意を述べた。
ハダスは前に出ると、身を屈めてクタイバ顔を覗き込む。
「もう少し力を付けてから出直してきなさいね、クタイバさん。一本角とはいえ、あれ程度は簡単に外してくれないとねえ」
「──ご指導ありがとうございます、ハダス様」
クタイバが喘ぐ。
言葉では謝辞を述べていたが、その目は決して許さないと雄弁に語っていた。