第四話 神官長フィルーズ
ザーミーン 守護者 上級神官 神殿聖衛隊
べバール 隻目 隻眼の狼隊隊長
キミヤー ティラーズ神殿長補佐 上級神官
ティグヘフ 笑う暗殺者 隻眼の狼隊傭兵
フィルーズ 王国神官長 ティラーズ神殿長
バーバク 勇敢なる獅子隊隊長
マラケフ エルク・カラ神殿長
シェルヴィン レイ神殿長
ペイマーン ニサ神殿長
「もう専制君主の時代ではない、だろ。理解はしているぞフィルーズ。十都市会議なんてもんを作ったのはあんただからな」
十都市会議とはなんだろう、とザーミーンは首をかしげた。
百年前には、そんな機関はなかった。
王国は、その名の通り王が支配する国だったからだ。
「──ああ、ザーミーンは知らぬか。王都が落ち、吸魔の砂漠が王国の大半を占めたとき、人間に残された領域は十個の都市だけだった。各都市の神殿の長を集めて旧王国の最高意志決定期間とするのに七十年。フィルーズが神官長として成した最大の功績だな」
「わしは凡人なんでな。みなの意見を聞かねばやっていけんだけだ」
べバールとフィルーズの間には、長年の戦友とも呼べるような気安い雰囲気がある。
二人が信頼し合っているのを感じ、ザーミーンの頬も緩んだ。
「いずれにせよ、よくやってくれた。女神の託宣によると、敵の預言者が守護者を狙っているという話であった。ザーミーンは、女神が遣わした人類反撃の切り札。敵に渡すわけにはいかぬ」
「確かに、彼女はエスファンディアルの神殿聖衛隊の一員だったくらいだし、個人戦力としては飛び抜けているんだろう。だが、切り札というほどのものか? 戦いは、一人でやるものではなかろう」
「そうだな、べバール。彼女は確かに騎士に匹敵する武勇を持っているのだろうが、それは本質ではない。彼女の真価は、動く魔力の泉だという点にある」
「なんだと!」
べバールの隻眼が、異様な輝きを放つ。
決して背が高くはないこの男が、いきなり膨れ上がったように見えた。
その迫力は、そのまま彼の衝撃の大きさだ。
「おい、そりゃあ、戦いが変わるぞ」
「ああ。まず、騎士が前線に出られる。砦の守将は手ごわい独角族だが、シャーヒーン卿であれば、討ち取れるだろう」
「はっ、事前に手袋を届けないか見張ってないといけないがな」
にやりとべバールが笑う。
「やっこさん、敵にも騎士道を求めやがる。なあ、ザーミーン。あれは、百年前には流行っていたのか?」
「シャーヒーン卿のふるまい、でしょうか。そ、そうですね。あのような騎士の方は、たくさんいらっしゃったと思います」
「百年前の流行ってやつさ。誰しもかかる流行り病だ。できれば、おむつが取れたら治ってほしいものだが」
べバールは煙草を取り出し、悠然と火を点ける。
神官長の前でも、気にしていないようだ。
「で、これからどうするんだ。切り札は手に入れた。だが、一気に反攻ってわけにもいかんだろう。ザーミーンは、まだ状況がほとんどわかってない。いきなり担ぎ上げるのは無理だ」
「うむ。まずは、彼女に百年前何が起こったかを説明しなければならん」
フィルーズは立ち上がると、棚から灰皿を取り出し、机の上に置いた。
慣れた手つきである。
「歴史上、守護者はナマク湖の決戦で亡くなったことになっておる。あの戦いは、悲惨な負け戦であった。エスファンディアルが蟲人の前衛を破り、敵将マージドの本陣に突入しようとしたとき。マージドの本隊が、新兵器の炎魔砲を王国軍に撃ち込んだ。それによって足が止まったところに、皇帝ラエド率いる魔鎧騎兵が横から突っ込んだのだ。陣形を崩した王国軍は、その奇襲を止められなかった。名だたる騎士が大勢討ち死にしたという。エスファンディアルも、ラエドによって斃された。そして、マージドの軍が王都に進軍したのだ」
「──炎魔砲……。そう言うのですね。その衝撃は、覚えています。いきなり撃ち込まれ、うちの隣で同僚が燃え上がりました。悲鳴と伸ばされた手。あの声は、忘れられない。でも、あのときの光は、敵の砲撃のものだけではなかった気がします」
父親の戦死は、聞いていた。
だから、まだ耐えられる。
昨日の夜に、散々泣いたのだから。
「王都に残っていた王が防衛したが、兵が少なく王都は陥落。その最期のときに、王が命を賭けて行った秘術がこの吸魔の砂漠だ。本来地上には地下の神脈から魔力が供給されるのだが、その流れが逆流しておる。だから、魔力を持つ者は長く砂漠に留まることを厭うのだ。それは、人も異形も同じ」
「神脈が人の魔力を吸い上げるのですか……。なんて恐ろしいことを」
「人だけではない。全ての魔力を吸い、そして都市の魔力の泉に供給しておる」
都市が簡単に攻略されないのは、神脈からの魔力の供給があるからだ。
騎士の聖鎧も、神官の魔術も都市であれば制限なく行使できる。
むろん、敵も条件を満たせば使用できるが、使いにくいのは確かだ。
これは、黒炎珠の魔力が人には馴染みにくいのと同じである。
「砂漠のお陰で、敵の侵攻の足はかなりおそくなった。魔人マージドも、セパーハーンから動いておらん。だが、王都の南に七つの砦を築き、徐々に南下してきておる。そのうちのひとつが、ザーミーン、そなたが助け出された地じゃ。あそこは、かつてサドシュトゥン砦があった場所。異形の帝国の先鋒、独角族のタイシルが進出してきておった。だが、それをこのべバール率いる傭兵部隊が攻略したのだ」
「やつは、天井に頭がぶつかって苦労してそうだったからな。ちょっと手伝って楽にしてやっただけさ」
べバールは、平然と煙を吐いている。
誇るでもなく、悠然とした態度だ。
それが、一層バーバクの癇に障るのだろう。
ぎりぎりと歯を食いしばり、今にも卒倒しそうなほど顔を赤くしている。
「やつらは、北にも手を伸ばしておる。北にも七つの砦が築かれ、都市レイの眼前に迫っていてな。レイの神殿長シェルヴィンからは、十都市会議に救援の要請が何度も出ていた。だが、こちらも余力がなかった。同じ北部の都市エルク・カラの神殿長マラケフと、都市ニサの神殿長ペイマーンだけが、救援に動いておる」
十都市会議なんて一枚岩じゃないさ、とティグヘフが呟いた。
どこも、自分の都市で精一杯なのだ。
各地の都市に出向いた経験が、ティグヘフにそう言わせるのだろう。
それが、ザーミーンには悲しかった。
「このまま手を拱いていては、次はティラーズかレイが陥ちる。ここは、人類の最前線だ。戦いは、今なお続いておる。まだ人は、完全に敗れ去ったわけではない。女神は、決戦での敗北から人類が立ち直る猶予を与えてくださった。そして、今こそ反撃せよと仰っておられる」
「次はカーバーザルト砦だろ! このバーバクが、攻め落としてやる! 老いぼれはサドシュトゥン砦攻略で疲れただろう。労ってやらんとなあ!」
ここぞとばかりに、バーバクが神官長に掴みかからんばかりの勢いで名乗り上げた。
「助かるよ、バーバク。フィルーズはわしをこき使いすぎる」
いきり立つバーバクを前に、べバールはまた煙草をふかした。