第三十四話 北の女傑
マラケフは歯噛みをし、天を仰いだ。
人馬族の襲撃。
その一報を聞き、急遽出兵を決めて飛び出てきた。
だが、間に合わなかった。
すでにニサの門は破られ、城塞都市からは煙が上がっている。
「ニサの門が破られるとは!」
城塞都市ニサは、王国北方の防備の要である。
南の砂漠と北の草原との境に位置し、草原の人馬族からの侵略を長く防いできていた。
その堅牢な城壁は、剽悍な人馬族でも乗り越えることは能わずと称されてきた代物である。
「人馬族はもう撤収したようです。ですが……」
報告にきた兵が言葉を詰まらせる。
不機嫌そうな視線を向けると、慌てて言葉を続けた。
「神殿長のペイマーン様が、敵将シュルガに討ち取られたそうです。一通り街を掠奪した人馬族はすでに撤収し、街はペイマーン様のご子息のハシュヤール殿が取りまとめておられるとか」
「ペイマーンが討たれただと」
ニサの神殿長ペイマーンは、武勇も知識も兼ね備えた立派な男であった。
マラケフとは年も近く、気も合って親しく交流した仲である。
同じ王国北方を護る神殿長として、これからもともに肩を並べていけると思っていたのだが……。
「しかし、あのハシュヤールが取りまとめているのか。大丈夫かな。よし、急いでニサに向かえ。ハシュヤールには、エルク・カラのマラケフが来たと伝えろ」
「はっ、もう伝えております。鬼より怖い教官殿が来られたか、と仰っていました」
「ふん、軽口は相変わらずよ」
マラケフはラクダに騎乗し、兵に進発を命じた。
エルク・カラの誇るラクダ騎兵である。
人馬族と野戦で戦っても、遅れを取るつもりはない。
男装で騎乗し、先頭を駆ける。
そのマラケフの姿に兵は心酔し、どこまでも付いてくるのだ。
ニサの門が、破壊されていた。
遠目でも見えていたが、近づくとはっきりとわかる。
潰れた破城槌が、いくつも放置されているようだ。
人馬族が使ったものであろう。
鉄製の門を破壊するとは、どれだけの魔力をこめたのだろうか。
「新たな人馬族の覇王、やはりただ者ではないか」
人馬族がニサを襲ったのは、掠奪が目的であろう。
市街にはかなりの被害が出たようだ。
至るところに物品が散乱し、まだ生々しい死骸も放置されている。
神殿に近づくにつれ、儀式を行う神官が目につくようになってくる。
彼らはマラケフを見ると一礼するが、儀式を中断はしなかった。
手が足りないのであろう。
マラケフは、連れてきた神官たちに、儀式を手伝うように命じる。
ニサとエルク・カラの神官は、大抵顔見知りだ。
すぐに彼らは儀式に参加し、遺骸の魂を導き始めた。
「やあ、教官殿。来訪に感謝したいところですが、こんな状況なんでなんのもてなしもできそうもありません。申し訳ない」
神殿の前には、戦死した神官たちと一緒にペイマーンの遺骸も並べられていた。
刺繍布に包まれたペイマーンは、思ったより穏やかな表情をしていた。
マラケフはラクダを降りると、手綱を麾下の兵に預ける。
「意外と元気そうではないか、ハシュヤール。もっと泣き喚いているかと思ったが」
マラケフが近づくと、ハシュヤールは場所を開けた。
ペイマーンの傍らに跪き、マラケフはその手を握る。
掌はすでに冷たかった。
「ペイマーンは、王国でも屈指の軍人でもあった。生半な者に遅れをとるような男ではなかったはずだ。シュルガは、そんなに勁かったのか?」
「人馬族の騎兵が子供に見えるような巨躯の戦士でした。斧槍の一撃で、十人の兵が吹き飛ばされましたよ。門を破られた後は一方的で。親父は味方の兵を鼓舞するために立ち向かいましたが、三合撃ち合うのがやっとでした」
「──よく,我慢したな」
マラケフが褒めると、青年神官は後ろ髪を掻いた後に手を振った。
「親父で勝てないんじゃ、おれが立ち向かっても無理なのはわかってましたからね。しょうがないんで、エルク・カラの援軍が来たぞ、と大声で触れて回りました。連中、掠奪を途中で諦めて帰りましたよ。教官殿とまともにぶつかる気はなかったようで」
「本腰ではなかったということだな」
本気の侵攻ではなかった。
それでもニサの門を破り、神殿長ペイマーンを討ち取ったのだ。
草原の覇王として、シュルガという男が台頭してきていたのは知っていた。
だが、ここまでの人物だとは思っていなかった。
これから先を考えると、暗澹たる思いになる。
「ティラーズから支援要請が来ていたところですが、とてもそんな場合じゃありませんや。逆に、フィルーズ様に援軍を送ってくださるよう言っておいてもらえませんかね」
「それよ」
クーサのケイヴァーンが、再び立ち上がった。
三十年前の戦いでは、まだ十五歳であったマラケフは参陣していない。
だが、当時のケイヴァーンが、どれだけ信望を集めていたかは知っている。
エルク・カラのラクダ騎兵を率い、マラケフの父も参陣していたのだ。
しかし、父は帰ってこなかった。
マラケフには、父を死に追いやったケイヴァーンに対し、根強い不信感がある。
「北部には北部の事情がある。ティラーズやクーサの都合だけ言われてもな。レイのシェルヴィンは王都からの北進を受けているし、ニサは北から人馬族の襲撃を喰らっている。腹背に敵を抱えているこちらの方が、支援を必要としているのだ。フィルーズの招集に応えるつもりはない」
「ただ、例の英雄の娘ってのは気になりますね。あのアレイヴァのファリド様の姉君でしょう? 古代種の血を引く巫女の力、見てみたいものですね」
「百年前から来たなどという戯言を信じるのか? 所詮は虚言。士気高揚の策の一つだろう。取り合う必要はない」
マラケフは、ゆっくりとペイマーンの手を胸の上で組み合わせた。
長くともに北部を支えてきた盟友の死。
それは、マラケフにとっても衝撃である。
だが、自分はこの北部三都市の命運をその両肩に背負っているのだ。
泣き言を言っているほどの余裕はなかった。
「女神の下に還れ、ペイマーン」
哀調を込めた詠唱が始まる。
送魂の儀式。
女神のために命を落とした魂を、輪廻の輪に返さねばならぬ。
魂が異形の神の手に落ちれば、正しい流れから外れてしまうことになる。
それは、死ぬことよりも恐ろしいことだ。
だからこそ、神官が必要とされる。
そして、その神官を束ねる各都市の神殿長は、より一層大きな責任を負っているのだ。
「戦士に暫しの休息を。──親父、ニサはおれが何とかするよ。教官殿もいるしさ。心配するな」
ハシュヤールが唇を噛み締めている。
マラケフは軽い男と思っていたが、鍛えた甲斐があったようだ。
若い神殿長とともにどう北部を護っていくか。
マラケフが悩む間に、光に包まれた神官たちの遺骸が土の中に吸い込まれていく。
消えていくペイマーンに、マラケフは心の中で別れを告げた。
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