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聖鱗の守護者 〜失われた女神と受け継ぎし巫女〜  作者: 島津恭介


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第三十二話 懐しい感触

ザーミーン 守護者 上級神官 神殿聖衛隊

挿絵(By みてみん)

ティグヘフ 笑う暗殺者 隻眼の狼隊傭兵

挿絵(By みてみん)

ケイヴァーン クーサ神殿長

挿絵(By みてみん) 

デルカシュ クーサの商人

挿絵(By みてみん)


 肩に疲労が重くのしかかる。


 導くのに、疲れていた。

 戦うのに、疲れていた。

 そして、生きることに疲れていた。


 三十年前の、あの日。

 ケイヴァーンは未来を摑み取るために前に出た。

 彼の隣には、経験豊かな半古代種の英雄の息子と、彼を慕う人に好かれる若者がいた。


 彼らに、夢を熱く語った。

 熱気はみなを巻き込み、王国中の軍勢が彼のもとに集まった。

 そう、彼は自分をエスファンディアルの再来と信じて疑わなかった。

 自分こそが英雄を継ぐ者だと、人にも信じさせた。


 舞台には、かつての自分がいた。

 それを、冷ややかな目でケイヴァーンは眺める。

 過去の自分。

 愚かな自分。

 自惚れた自分。

 何事も成し遂げられなかった男が、兵を率いて戦場へと向かう。


 それを見ても、辛くはなかった。

 嘆くほどの感情は、もう自分にはない。

 あの日、あの場所に、すべてを投げ捨ててきてしまった。

 ここにいるのは、抜け殻である。

 かつて、賢者と呼ばれた男。

 偉大と思われていた凡人。

 もう自分には、再び立ち上がるだけの力がない。

 それは、自分が一番よくわかっている。


 隣りにいるデルカシュが、自分を心配そうに見つめていた。

 彼女は、小さな少女の頃からの自分の信奉者だ。

 成人してからは、クーサの復興にも力を貸してくれた。

 彼女のために、何か報いてやりたい気持ちはある。

 だが、この震える手では、杯を持つことすらままならない。


 もう十年若ければ。

 この若きティラーズの傭兵の話にも、少しは耳を傾けられただろうか?


 王都の南に、各都市の軍勢が集結する。

 第四幕。

 あの日が、再びやってくる。

 中央に自分。

 右翼にフィルーズ。

 左翼にファリド。

 展開するマージドの軍を、半包囲で叩く。


 先手を取ったのは、右翼のフィルーズである。

 若き猛将べバール率いる傭兵団が、蟲人の前衛を噛み破る。

 剣を取っては並ぶものなしと豪語するこの男は、戦場では常に先陣に立って味方を鼓舞していた。

 

(勝てると思っていた)


 蟲人は人間より力が強く、硬い外骨格に守られている。

 同数で戦えば、人間の方が不利になる。

 だが、べバールはそんな前提を覆す働きをしてみせた。

 開戦から一時間が経過したあたりで、はっきりと味方が優勢となっていた。

 舞台のケイヴァーンが、待機していたエルク・カラの軍に前進を命じる。

 もう一押しで、敵は崩れる。

 そのための決戦戦力として残しておいたのが、エルク・カラの軍であった。


(動くのが早かった)


 あれは、誘いであった。

 予備戦力を前進させたことで、ケイヴァーンの本陣の横腹が空いた。

 それを、ずっと待っていた男がいたのだ。


(よせ)


 時間を戻せれば。

 あの命令を取り消せれば。

 今ならわかる。

 自分は、耐えきれなかったのだと。

 勝負を急ぎすぎた。

 だから、エルク・カラ軍に前進を命じてしまった。


 舞台が暗転する。


 そして、角笛が鳴り響く。

 あの音。

 あの角笛を何度夢の中で聞いただろう。

 恐怖と絶望。

 王国軍を蹂躙する、悪魔の軍勢。


 皇帝ラエドの魔鎧騎兵(ファリシャイターン)がやってくる。


 再び照明が灯ったとき、舞台は阿鼻叫喚と化していた。

 駆け抜ける魔鎧騎兵に、ケイヴァーンの本陣が食い破られる。

 ラエドの軍は、一人一人が独角族(ワヒドルクン)の騎士。

 並みの兵では、刃を交えることすらできない。


 ケイヴァーンは、自分がまた悪夢の中に囚われたのだと思った。

 この記憶から逃れることはできない。

 自分の決断が、王国の勝利の芽を断ち切った。

 死ぬまで、この炎に灼かれなければならないのか。


 王国軍が崩壊する。

 撤退の銅鑼が打ち鳴らされた。

 そしてそれは、前線で戦うフィルーズの右翼が孤立することを意味していた。


 マージドが、追撃に出る。

 撤退に移ったティラーズの軍団は、べバールを殿にしてその攻勢に耐えた。

 数多の勇士を討ち取るべバール。

 その奮闘に興味を惹かれたラエドが、自らべバールに相対する。


(やめてくれ)


 失った感情が、呼び覚まされる気がする。

 もう二度と、この場面は見たくはなかった。

 古い傷を抉り出され、目の前に突きつけられる。

 自分はもう、この傷に耐えられるほど頑健な肉体ではないのだ。


 ラエドとべバールの対峙。

 だが、それも長くは続かない。

 味方が蹴散らされて孤立したべバールが、左目を斬り裂かれる。

 絶体絶命の窮地。

 観客席からも、悲鳴が上がる。

 だが、フィルーズが戻ってきて、べバールを助ける。


 本来の筋書きでは、そうなっていたはずだ。


 振り下ろされるラエドの槍。

 それを受けたのは、小柄な兵士。


(ん……?)


 ざわざわと、観客席からも声が漏れる。

 名も知れぬ端役の兵士が、べバールをかばって立ちふさがっている。

 この劇の台本とは、明らかに違う。

 その戸惑いが、客席を駆け抜けた。


「バルフィード──」


 澄んだ高い声が、小柄な兵士から発せられる。


「バルフィード・サルバザーン・アレイエ!」


 声とともに、再び舞台が暗転する。

 ケイヴァーンは、眉をひそめて舞台の上を凝視した。

 いまの言葉は、劇の科白などではない。

 神官であるケイヴァーンには、それがよくわかっていた。


 舞台の上に光が照らされる。

 照明は、剣を掲げた兵士に集中して当たっていた。

 兜を脱ぎ去った兵士は、長い黒髪を露わにしている。

 見覚えのない少女であった。

 が、誰かに似ている気もする。


立てよ女神のつわものバルフィード・サルバザーン・アレイエ!」


 再び、少女が繰り返した。

 膨大な魔力が、少女の身体から沸き起こってくる。

 魔力を持たぬ民衆もそれを感じたか、ざわめいていた観客席が急速に静まっていった。


進め(エダメヒード)心に旗を立てダルシャーミ・ダール・ガルバム


 少女の声に合わせて、音楽が流れ出す。

 勇壮で躍動感のある拍子。

 実際に聞いたことはない。

 だが、これがかつて戦場で歌われていたものだということを、ケイヴァーンは知っていた。


上げよ(バランデシュ)剣持つその腕をバゾク・シャムシール・ラダールダルト


 少女の左手が振られる。

 静かな会場に、しゃんと鈴の音が響き渡った。

 少女の身体の魔力が膨れ上がり、全身が輝き始める。

 その威光に、ケイヴァーンは息を呑んだ。

 あれは、紛れもない女神の力である。


斃れし友に肩を貸せカマク・エスト・サフート・カルデフ


 少女の身体から放たれた輝きが、会場全体に放たれる。

 その光は観客一人一人に吸い込まれ、彼らの身体をも輝かせた。


いざや行かん剣林の中ハムレ・バルドガーフ・ダシュマン


 いつの間にか、舞台には逃げ去ったはずの王国軍の兵が戻ってきていた。

 ある者は傷つき、ある者は武器を失っていた。

 だが、彼らもまた少女の放った光を受け、戦う意志を取り戻していた。


(戦いの歌──あれが英雄の娘、ザーミーン)


 ケイヴァーンは、よろよろと立ち上がった。

 隣りにいたデルカシュが、手を貸そうとする。

 それを、ティグヘフが遮った。

 ティグヘフはデルカシュの手を止めると、ゆっくりと首を振った。


老いた手の(シェローク・デステ)皺も消え去り(・ピラーズミルド)


 少女が剣を振りながら舞う。

 華麗な舞は、神に捧げる踊り。

 しゃんしゃんと鈴の音が響くたびに、光の軌跡が宙空に描かれていく。


失われた英雄がハールマーン・ショデフいま立ち上がる・バルミ・フィーザード


 ケイヴァーンの身体もまた、淡い輝きを放っていた。

 思わず一歩前に出たケイヴァーンは、思ったよりしっかり歩けたことに驚いた。


萎えた足は(ローエ・シェル)大地を踏みしめ(・バイスティード)


 光の剣の軌跡が、ケイヴァーンの胸を打った。

 眩しい輝き。

 あれは、自分が置き去ってきたもの。

 あの場所に、自分は自分を置いてきてしまっていた。


その手は再び剣を取るダスト・シャムシール・ラ・バルミダード


 踊るザーミーンが、自分を見つめている。

 ケイヴァーンは、神の視線を感じていた。

 いま、自分を見ているのは少女ではない。

 少女の目を通して、女神が自分を見ているのだ。


その名はケイヴァーンナム・エスト・ケイヴァーンクーサの誇りフルール・アズ・クーサ!」


 ザーミーンの叫び。

 同時に、後ろに控えていた王国軍の兵たちが足を踏み鳴らして叫んだ。


「ケイヴァーン! クーサの誇りフルール・アズ・クーサ!」


 観客席のクーサの住民たちが、その熱気に当てられて立ち上がる。


「ケイヴァーン、クーサの勇気ショザート・アズ・クーサ!」


 ザーミーンが、再び叫ぶ。

 その声に、観客たちが一斉に立ち上がる。。

 彼らは大きく足を踏み鳴らし、それは落雷のように轟いた。


「ケイヴァーン、クーサの勇気ショザート・アズ・クーサ!」


 ケイヴァーンは、観客たちが舞台ではなく自分を見ているのに気づく。

 その目は、三十年前と同じであった。

 目をつむり、再び開く。

 控えていたティグヘフが、剣を差し出してきた。


 ゆっくりと、その剣を手に取る。

 懐しい感触が、掌から伝わってきた。

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