第三十話 ティグヘフの招待
「いい推察だったな、ザーミーン。その通りだと思う。おそらく、ケイヴァーン殿は老いたのだ。かつては王国中の勇士たちを束ねた覇気も、萎えてしまったのだろう」
ティグヘフの口調が、苦い。
デルカシュの表情は変わらなかったが、二人の言葉を否定する様子もなかった。
「ティラーズの若者は才気があるものよ。その才気に免じて、馳走してやらねばならないかねえ。ドスターヴ産の葉でも用意させようか。べバールがよく喫るんだよ」
「ありがたい申し出です、デルカシュ殿。ですが、おれらは隊長と違って煙草は吸ってないんですよ」
ティグヘフとデルカシュが、静かに睨み合う。
ザーミーンは、ティグヘフから教えてもらったクーサの婉曲表現を思い出した。
クーサ人が煙草を勧めるときは、帰れと言っている場合もあると。
いつもなら、ティグヘフは素直に帰ったであろう。
だが、今回はそう簡単に引き下がるわけにもいかない。
「確認なんですがね、デルカシュ殿。要するに、神殿長がその気になれば、何の問題もないわけですよね? ケイヴァーン殿が出陣する気概を取り戻されたら、クーサの物流を戻してくださる……。その認識でよろしいですな?」
「クーサの民は、常に神殿長を敬愛しているんだよ、ティグヘフ。そして、あたしは生粋のクーサっ子なんだ」
「ありがとうございます。それを聞いて安心しました。ならば、おれたちがやることはひとつです」
ティグヘフの笑みに、余裕が戻ってくる。
なにか、方策を思いついたのかもしれない。
「ケイヴァーン殿に、かつての覇気を取り戻してさしあげましょう。あの絵のように──」
ティグヘフが、出征の絵に視線を向ける。
すると、デルカシュが表情を真摯なものに変えた。
その目には、哀願とも取れる強い感情がある。
数秒の沈黙が続く。
そして、デルカシュは吸い口を離すと身を起こした。
「本当にできるなら喜んで協力するよ、ティグヘフ。神殿長は、あたしらの希望の象徴、憧れの星なんだ。それは、敗れた後でも変わらない。でも、あの方は今でも王国を勝利に導けなかったことを悔いておられる。ご自分を、許せなく思ってらっしゃる。再び立ち上がったフィルーズ殿はたいしたもんだよ。ケイヴァーン様は、まだ立ち直れていない。物的損失は取り戻せても、心は戻ってきていないんだ」
ザーミーンには、ケイヴァーンの心がよくわかった。
ザーミーン自身は百年前の決戦は途中までしか参戦していないが、そこで父を失った。
それを知ったときは深い喪失感と、自分がその場にいることができなかった悔悟の念に囚われたものだ。
いまでも、その思いはある。
だからこそ、三十年前の敗戦を引きずるケイヴァーンの気持ちが理解できるのだ。
「で、どうやって神殿長の気持ちを変えるつもりだい、ティグヘフ。残念ながら、あんたが言う通りあの御方はご高齢さ。気持ちを奮い立たせるのは、かなり難しい状況にある。並大抵の説得ではうまくいかないよ」
「大丈夫ですよ、デルカシュ殿。おれたちには、ザーミーンがいるんですから」
とぼけた表情で言い放つティグヘフを、ザーミーンは目を見開いて睨みつける。
まさか、ここで自分の名前が出てくるとは、思わなかったのだ。
ええええと叫びたい。
だが、デルカシュの前ではできない。
どういうことですかと心の中で連呼しつつ、ザーミーンは懸命に表情を取り繕った。
「それじゃ、一週間後、神殿長を招待しますよ。デルカシュ殿も、来てください」
「招待って、どこにだい」
デルカシュの目に、面白そうな色が浮かぶ。
ティグヘフの話に興味が出てきたのだろう。
「すぐ隣ですよ、デルカシュ殿。劇場です。確か、ザカリヤーの一座が公演をしてますよね。観劇をともにするというのも、クーサらしくていいでしょう」
「観劇って……いまやっている舞台は、ドスターヴの盗賊王の芝居じゃないか。あたしも観たことあるが、ケイヴァーン様の趣味とは違うんじゃないかい?」
「いまの舞台とは、違う内容にしますよ。ザカリヤーとは、旧知の仲なんです。多少の無理は、聞いてくれますからね」
「はっ!」
デルカシュが、膝を叩いて笑う。
明らかに、ティグヘフの提案に惹き込まれているようだ。
「なにか企んでいるね、ティグヘフ。面白い、乗ってやろうじゃないか。一週間後、劇場でザカリヤーの一座の新公演。楽しみにしているよ」
「デルカシュの美しい瞳にかけて! 損はさせませんよ」
にこやかに笑ったティグヘフは、紅茶を一気に呷ると器を勢いよく置く。
そのまま立ち上がると、見事な作法で一礼した。
「それではごきげんよう、デルカシュ殿。招待状は、後でお送りいたしますよ」
「年甲斐もなく、胸が弾むようだね。ティグヘフ、あんた気をつけたほうがいいよ。あちこちで女を泣かせることになるよ」
「残念ながら、決まった相手もいない寂しい独り身でして」
はじめの緊迫した雰囲気は消え去り、二人は和やかに会話しながら別れの挨拶をかわす。
ザーミーンも慌てて立ち上がり、座を辞すことにした。
隣で立ち上がったオミードが、小さい声でティグヘフへの呪詛を呟いていたのは、聞かなかったことにする。
デルカシュの館を出る。
と、ティグヘフがザカリヤーの一座に行くから、と去っていった。
説明を求めようとしていたザーミーンは、振り上げた手が下ろせずにぶるぶると震える。
「──どういうつもりですかね、ティグヘフさんは!」
「なにか、考えがあるんですよ。まあ、あいつに任せておけば大丈夫です」
オミードの言葉は、さっきまで呪っていた男のものとは思えなかった。




