第二十九話 クーサの巨商
朝食の少なさに、オミードがため息を吐く。
取られる前にと、ボルールが急いでパンを口に入れ、喉に詰まって噎せていた。
「慌てすぎですよ、ボルールさん」
冷ました紅茶を差し出すと、急いで飲み干している。
しかし、クーサの物資不足が深刻な状況だと改めて思う。
「それで、商会長とは、すぐに会えるのか?」
物足りなさそうな顔を隠そうともせず、オミードが問う。
ティグヘフは、仮面のような笑顔でそれに答えた。
「クーサにいるうちの商会員を走らせてある。朝食後訪ねよう。オミードは、デルカシュには会ったことなかったか?」
「ああ。噂は聞いたことあるがな。クーサの巨人とか何とか……」
「ああ、大きくはあるがな……。だが、気を付けろよ。大きさのことを言ったやつは、みなサバクオオカミの餌になったからな」
ティグヘフの脅しに、ザーミーンは微妙な表情を作った。
本気か冗談か、よくわからなかったのだ。
だが、ボルールは本気にしたようだ。
青い顔で口を固く閉ざしている。
まだ早いだろう、とザーミーンも苦笑した。
デルカシュの館は、劇場の隣であった。
さすがにいい立地に構えている。
正面の扉の左右には青い玻璃の窓が構えられており、見るからに高級そうな雰囲気がたたえられていた。
扉の中に入ると、正面の壁には絵が飾られていた。
勇壮な兵が、神官に率いられて出陣する光景である。
ケイヴァーンの若き日の姿であろう。
群衆が並び、送り出す姿も描かれている。
その絵の下の絨毯を敷いた床に、よく肥えた女性が座っていた。
腕まわりなど、ザーミーンの腰以上ある。
悠然と水煙管をくゆらせる態度に、風格を感じさせた。
「お久しぶりです、デルカシュ殿。今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」
ティグヘフが一礼すると、オミードとボルールも頭を下げる。
ザーミーンも、慌てて後に続いた。
「ああ、来ると思っていたよ、ティグヘフ。あんたが昨夜クーサに入ったのは知っていた」
「相変わらずお耳が早い。クーサであなたの目をごまかすことはできないですね」
「ま、うちの店の前を通っていったしね。座りなよ。茶でも用意させるさ」
ティグヘフ、ザーミーン、ボルールは靴を脱いで一段高くなっている床に上がり、絨毯に座った。
オミードは、靴を履いたまま高床の端に腰掛ける。
神官というより、護衛の傭兵のような行動である。
だが、この男らしい。
茶が運ばれてくる間、ザーミーンは物珍しげに周囲を見回した。
最高級のグアシールの刺繍布、エルク・カラから運ばれてくる東方の陶磁器、古代種の森に住まう猛獣の毛皮。
どれひとつ取っても目の玉が飛び出るほど高額の品であろう。
デルカシュの財力をうかがわせる。
「ホルマガンのビジャンが、あんたのことをよく言ってくるんだよ。青二才の割には、商売がよくわかっているってね」
「ビジャンはいい友人ですが、王国一の商人は自分だと言って譲らんのですよ。おれもビジャンも、所詮神官や傭兵の片手間に商売をやっているに過ぎない。デルカシュ殿には敵わないんだぞって、言っているんですがね」
「なに、海の上ではあの男が一番さ」
雑談の間に、使用人が紅茶を運んでくる。
陶器の器に入った紅茶は程よく冷えており、乾いた喉に染みわたった。
紅茶の器を置くと、ティグヘフが居住まいをただし、デルカシュに向き直る。
相変わらず笑顔の仮面をつけているが、その目は強く光っていた。
「で、デルカシュ殿。王国一の商人であり、ケイヴァーン殿の最大の支援者であるあなたが、なぜクーサの景気を悪化させるような真似をなさるのです? 確かに、やり方は巧妙だ。少しずつ遅延した物流の影響が、クーサの血流を滞らせて病に陥らせている。直ちに死に至ることはないが、立ち上がることができない。そんな絶妙な調整、あなたじゃないと不可能なんですよ」
ザーミーンの目が、驚きで丸くなる。
ティグヘフは、そこまで自分たちに話していなかった。
この物資不足の裏にいるのが、デルカシュだというのか。
確かに、そんな芸当ができるのはクーサでも有力商人である彼女だけであろうが……。
「ティグヘフ、あんたはいい目をしとるよ。若いのにえらいもんさ」
水煙管の吸い口から、悠然と煙を吸い込む。
デルカシュは余裕を崩さなかった。
(クーサでは、婉曲的に表現するけん……)
要するに、何も知らない若造が出しゃばるなって意味だろうか。
役者が違うと言いたげである。
「それじゃ、そっちの嬢ちゃんはどう思っているんだい。ご意見を聞こうじゃないか」
デルカシュの視線が、ザーミーンに向けられる。
突然振られたザーミーンは、びっくりして身体を震わせた。
「わた、わたしですか?」
「ああ、あんたさ。英雄エスファンディアルの子なんだろう? お人形のようにかわいらしい別嬪さんじゃないか。あたしとは大違いさ」
お飾りの人形じゃないなら、自分の意見を言ってみろ。
ザーミーンは、そう受け取った。
「デルカシュ様がクーサの物流を遅延させた……。でも、そんなことをすれば商人は儲けが減ってしまうけんデルカシュ様の利益にはならない……。それに、ケイヴァーン様の最大の協力者であるデルカシュ様が、クーサの不利益なことをする理由がない……」
自分の考えを整理しながらザーミーンが口を開く。
言いながら、視線はデルカシュから正面の壁の絵画へと移る。
三十年前のケイヴァーンの出征の光景。
歓呼で送るクーサの群衆たち。
彼らは、ケイヴァーンが王都を奪還すると信じて送り出した。
クーサの民は、みなケイヴァーンを信じ、支持しているのだ。
(……?)
その群衆の中に、一人だけ少女が混ざっている。
面影はないが、髪の色はデルカシュと同じ黄金の色彩であった。
(デルカシュ様がケイヴァーン様を見捨てるはずがない……。あんな絵を一番目立つところに飾っているくらいじゃけん)
ならば、なぜ。
ザーミーンは緊張をほぐそうと綱を飲み込んだ。
戦場で敵と戦うよりも、いまこの瞬間の方が恐ろしい。
今まで、こんな場面に遭遇することはなかったのだ。
「──つまり、デルカシュ様の行動が、ケイヴァーン様の考えと同じってこと……?」
ふと口に出た言葉だが、言った瞬間にザーミーンは自分の言葉に雷に撃たれたような衝撃を味わった。
「ああっ、そうじゃけん……。デルカシュ様がクーサの物流を遅延させることが、ケイヴァーン様の望みをかなえることになるんですね。食糧事情が悪化すれば、クーサはティラーズの援軍の要請に応えることができなくなる……。ケイヴァーン様が欲していたのは、ティラーズに対して断りを入れる理由!」
ザーミーンの指摘に、デルカシュは一瞬目を大きく見開いた。
だが、すぐにまた悠然と水煙管から煙を吸い込み、大きく吐いた。
「かしこい娘さんじゃないか。でも、わかるだろう、ティグヘフ。それがわかったって、結局手詰まりになるだけだってね」
「──御老体が出陣したくない。その気持ちが覆らない限り、どうしようもないってことですかね」
ティグヘフも、大きく息を吐く。
高揚して叫んだザーミーンであったが、二人の会話を聞き、一気に上がった気分が下降した。
問題は、何も解決していない。
日頃「聖鱗の守護者」を御愛読頂き、誠に有難うございます。 ページ下部から、ブックマーク、評価、リアクションなど頂ければ作者の励みになりますので、できましたらお願い致します。 (要ログインです)




