第二十六話 クーサの門
クーサの女神の神殿は、王国で最も長い歴史を誇る。
一説によると、五千年前に建てられたとも言われているくらいだ。
当然、当時の建築のままではないのだが、王国建国より古い歴史を持っているのは確かだ。
かつては、別な王朝の都だったこともある。
それだけに、クーサの民は誇り高く他の都市を見下しがちだ。
セパーハーンなど都とは認めておらず、その民を野蛮人扱いするくらいである。
「だから、クーサの連中の褒め言葉は迂闊に信じちゃ駄目だぜ。やつらの言葉は、たいてい裏の意味がある。婉曲的に嫌みを言うのがクーサ流だ」
ティグヘフは、あまりクーサの人間が好きではないらしい。
過去の体験のせいだろうか。
怒りの色が滲む口調である。
「実際、ティグヘフも商いがお上手ですねって言われたな」
「ああ。金勘定に細かい守銭奴って意味だ」
「おれは、武芸が達者でうらやましいって言われたな」
「ろくに本も読めない莫迦って言われたんだ」
ザーミーンは、肩を落とした。
ティグヘフとオミードの話では、クーサが友好的とはあまり思えない。
そんな誇り高い都市の頂点に立つ老人は、どれだけ自尊心が強いのだろうか。
「ま、それでもケイヴァーン老はフィルーズ様の師匠だからな。あの二人には、昔からの絆がある。三十年前には、王都奪還の戦いを挑んだこともあるんだ」
「こちらから討って出たんですか?」
「ああ。ケイヴァーン老の主導の下、十都市が協力して北上したんだ。当時の神官長はあの方だった。だが、セパーハーンの南の平野での戦いに敗れた。軍は壊滅的な損害を受けたらしい。ケイヴァーン老は責任を取って、神官長をフィルーズ様に譲ったんだ。あの戦いに参加して生き残っている者は多くないが、ケイヴァーン老、フィルーズ様、ザーミーンの弟のファリド様、そして隊長。このあたりはその数少ない生き残りさ」
お陰で、各都市ともに物資も人員も底をついた、とティグヘフは悔しそうに言う。
今でこそティラーズは復興し、物資も流通しているように見えるが、それでも大人数で遠征をするほど潤沢ではないのだ。
「隊長もあまり当時のことは言いたがらないんだがね。左目を失ったのは、そのときだそうだ。ラエドの魔鎧騎兵の急襲を受け、部隊が崩壊したらしい。崩れる味方を逃がそうとラエドに立ち向かって、負わされた傷だって話だな」
「あのべバール殿に傷を負わせるとか、どんな化物かって話だよな。おれ、模擬戦でべバール殿から一本も取ったことないんだが」
「王国の剣の最強と言えば双剣の舞姫ナスリーン殿、槍の最強と言えば聖騎士ジャーカム殿だが、戦場で一番強いのは隊長だよ。それは間違いない」
「──そうですね。だらしなく座っているときでも、うちにも撃ち込む隙が見えません。黒炎珠を斬った手並みも鮮やかでした」
ティグヘフとオミードの二人も卓越した技倆を持っているが、それでもべバールには及ばない。
それは、ザーミーンも同じである。
「オミードさんなら、何回か当たりそうなんですけれどね」
「いや、守護者殿、おれもべバール殿以外に一本も許したことないんですよ。ボルールの兄君相手でも」
「いや、おまえシャーヒーン卿には負けていただろう」
「ルフ・シャリフを使うのはなしだろ……。あれは除外だよ除外」
聖鎧をまとった騎士は、別次元の強さとなる。
生身で立ち向かうのは、まず無理と言っていい。
対峙したことがあるザーミーンにも、それはよくわかっていた。
それでも、別に生身のシャーヒーンが弱いわけではない。
オミードが、それだけ強いと言うべきだろう。
強さの話になると、ボルールは頬が膨らませて無言になっていた。
シャーヒーンの妹だけあって、ボルールは剣も弓も基礎はしっかりしている。
だが、オミードを競争相手として見ているせいか、自分の技倆に不満を抱いているようだ。
ザーミーンとて、身体能力を底上げすることで優位を得てきただけという自覚はある。
単純な剣の技倆は、べバールのような達人とは比べものにならないだろう。
ボルールの悩みは、他人事ではない。
だが、気持ちがわかるなんて言ったら、ボルールは怒るだろう。
彼女は、ザーミーンに同情をされたいわけではないのだ。
自分を高めたくて、必死にもがいている。
キミヤーやオミードなど、自分と比べる理想が高すぎるとは思うが……。
自己を高めんと努力する姿勢は尊いものだ。
クーサまでの道中は、極めて順調であった。
ティグヘフやオミードは道を熟知していたし、食糧も十分持ってきている。
味気ない携帯用の食事も、ボルールがひと手間加えると魔法のように美味しくなった。
キミヤーの家事技能の全てをしっかりと叩き込まれたボルールならではの技に、ティグヘフやオミードも素直に褒めちぎっていた。
クーサの尖塔が見えてきたのは、十日目の午後である。
沈みかけた夕日を背に、長い影がザーミーンたちに向かって伸びてきていた。
日干し煉瓦ではなく、色彩豊かなタイルを使った建物の外壁が見える。
クーサは、長い歴史を背景にした高い文化と技術を持った都市だ。
郊外には、ティラーズほど農耕や牧畜に従事する民の姿は見えない。
食糧は、おそらく交易で賄っているのだろう。
街道には、ザーミーンたち以外にも街へ向かうラクダや荷馬車の姿があった。
「──嫌み屋だ。今日の門番は外れだぜ」
「あー、道理で門で列ができている」
クーサの門は、混雑していた。
入ろうとする隊商を誰何する門番を見たティグヘフが、両手を広げる。
どうやら、二人は門番を知っているらしい。
あまり、いい印象ではないようだ。
「あいつは、典型的なクーサ人なんだよ。お高くとまって、お上りさんを見下している。ザーミーンとボルールは下手に喋らなくていいぞ。おれが相手をする」
「すみません……。アレイヴァの田舎者じゃ余計に侮られそうですけん……」
「気にするな。連中、セパーハーン人も成り上がり者くらいにしか思ってないよ」
商隊の列は遅々として進まず、ザーミーンたちが門に着く頃には陽が沈んでしまっていた。
日没とともに門を閉めるのが、基本的な都市の規則である。
間を置くと閉められると思ったか、ティグヘフは前の商人が進むと素早く前に出た。
「これはパヤーム様、いつもお疲れ様です。ティラーズのティグヘフです、お久しぶりで。あ、これはホルマガンの菓子でして。おひとつ如何ですか。今日もさぞお疲れだったでしょう。疲れが吹き飛びますよ」
へらへらと笑いながら、門番に挨拶をする。
門番も薄い笑顔を浮かべたが、その瞳は冷たかった。
「おや、ティグヘフさんじゃないですか。久しぶりですなあ。遠いところをクーサにようこそ。クーサはいつでも歓迎致しますぞ。ただ、時間ですからな。今夜は門の外でゆっくりとお休みくださいませ」
「へっへっへっ。パヤーム様はいつも冗談がお好きで! ティグヘフの荷の中には、いつもクーサの貴人たちが喜ぶ素敵なものがたくさん入っているんですよ。皆様をお待たせするのは、このティグヘフも気が引けると言うもので……。どうですか、おひとつ」
重ねてティグヘフが勧めると、門番は菓子を受け取った。
この男が神殿と繋がりがあるのは、門番にもわかっているのだろう。
菓子を口に入れると、見下した視線をティグヘフに向け、仕方なさそうに口を開く。
「──へえ、これは甘いもんですな。クーサの味には敵わないですが、悪くはない。ふん、まあいいでしょう。ここでずっといられてもうるさいだけです。とっととお行きなさい」




