第十五話 闇の魔術
ザーミーン 守護者 上級神官 神殿聖衛隊
べバール 隻目 隻眼の狼隊隊長
キミヤー ティラーズ神殿長補佐 上級神官
ティグヘフ 笑う暗殺者 隻眼の狼隊傭兵
マージアール ティラーズ副神殿長 上級神官
ボルール ティラーズ下級神官
黒衣の魔術師
ザーミーンが、宙を舞う。
軽やかな動きが戻り、華麗に黒衣の剣がかわされる。
呪詛の影響は、もはやない。
逆に、戦いの歌が力を与えてくる。
だが、魔術師の持つ剣は要注意であった。
先ほどと違い、黒い呪詛が渦巻いている。
あれは、双角神の力だ。
ザーミーンの聖鱗にも、何らかの影響を与えるかもしれない。
着地するザーミーンに、追撃が迫る。
髪の毛の上を、刃が通り過ぎる。
身を沈めたザーミーンを狙い、矢継ぎ早に剣が突き込まれる。
それを回転し、回避。
黒衣の者の剣の腕は、かなりのものであった。
女神の力で身体能力が上がっているザーミーンでも、反撃の隙がない。
「ちょこまかと」
「おい、あれで動きを止めろ!」
「承知」
連撃を繰り出しながら、黒衣の者が会話する。
仕掛けてくるか。
ザーミーンも、警戒を強める。
黒衣が剣を振りかぶった。
予備動作が、大きい。
振り下ろしの斬撃を回避するのは、ザーミーンには容易かった。
だが、この斬撃の狙いは、ザーミーンの身体ではなかった。
「影斬り!」
大地に残るザーミーンの影に、黒衣の刃が食い込む。
同時に、ザーミーンの背中から血しぶきが上がった。
「きゃうっ!」
ザーミーンの口から、悲鳴が漏れる。
背中が、灼けるように熱い。
斬られた?
影を斬ることで実体を斬る魔術があるとは知らなかった。
もんどり打って倒れる少女に、もう一人の黒衣が追撃をかけようとする。
──刹那。
黒衣の足下の影から、手が伸びる。
その手には、黒い刃の短剣が握られていた。
「なに!」
影から飛び出した男が、黒衣の男の喉を斬り裂く。
赤黒い血が噴き出す。
目の光が消え、黒衣は操られたかのように一歩前に出る。
そして、崩れるように倒れた。
男の口角が上がる。
「笑う暗殺者!」
血しぶきを浴び、ティグヘフが嗤う。
黒衣の魔術師が、目に見えて狼狽した。
「きさま……なぜ、闇の魔術を……!」
「知る必要はないだろう? どうせ死ぬんだからさ!」
黒衣の刃が突き出される。
剣身は、敵のほうが長い。
だが、攻撃が届くより早く、ティグヘフの身体が影の中に沈んでいく。
「逃がすか!」
黒衣の刃が、影を斬る。
血しぶきは、倒れた仲間から上がった。
すでに、ティグヘフの姿はない。
「影渡り……! どうやって……」
後ろに飛び退き、黒衣が左右を見回す。
その足下から、再び手が現れる。
咄嗟に跳躍する黒衣。
だが、ティグヘフの動きの方が速い。
空中で、ふたつの影が交錯する。
回転し、ティグヘフが大地に降り立った。
その後方に、胸から血を噴き出した黒衣が落下する。
ちらりと黒衣を見たティグヘフの目には、憎悪の光があった。
「──ハダスめ。まだ東でうろちょろしているのか」
そう呟いたティグヘフの声は、ぞっとするほど冷たかった。
黒衣の絶命を確かめると、ティグヘフはザーミーンに駆け寄った。
「大丈夫か?」
身を起こしたザーミーンが、痛みに顔を歪める。
深くはないが、まだ血は止まっていなかった。
「──動けはします。でも、まさか影を斬って実体を傷つけるなんて」
「嬢ちゃんは、ハダスの部下とは戦ったことがなかったか。マージドの部下は、正面からぶつかってくるやつが多いからな」
ティグヘフが傷を確認し、悪かったと頭を掻いた。
「もう少し、おれが早く来ればよかったな。砦の偵察に行っていたんだが、嬢ちゃんが斬られて慌てて戻ってきたんだ」
以前、嬢ちゃんの影に潜ったときに、感覚を繋げておいたんだ、と申し訳なさそうに言う。
影斬りで異常を感じたのだろう。
潜入していた砦から、影渡りで移動してきたのだ。
「ザーミーン、あんた、大丈夫?」
キミヤーが、ボルールと一緒にやってくる。
ザーミーンの傷を見て、ボルールは青ざめた。
だが、キミヤーは落ち着いて傷を検めると、安心したかのように息を吐く。
「大丈夫。見た目よりひどくはないわ。ボルール、あれを」
キミヤーの指示で、ボルールはアルコールを取り出す。
キミヤーは、遠慮なくそれを傷にぶちまけた。
「ひゃああ!」
傷の痛みに、ザーミーンが悲鳴を上げる。
「大丈夫、この程度で死にはしないわ」
腰に付けた袋から軟膏を取り出すと、ザーミーンの傷口に塗る。
塗布を終えると、ボルールと協力して手早く包帯を巻き終えた。
「す、すみません。ティグヘフ様は砦内への潜入任務を命じられていたのに……」
「いや、もともとおれたちはザーミーンの警護が主任務だからな。気にするなよ」
ティグヘフが笑う。
ザーミーンには、その笑顔が本物には思えなかった。
彼の笑顔は、いつも目が笑っていない。
それだけに、どこか怖さも感じる。
「──べバール様は大丈夫でしたか?」
「ええ。べバールなら大丈夫よ。暗闇に閉ざされたまま、蟲人を一人倒していたわ」
「意味わかんねえですよ。あの人、見えてなくても斬れるんですぜ」
「まあ、べバールだから」
二人のべバールへの深い信頼が感じ取れる。
痛みに顔をしかめながら、ザーミーンは立ち上がった。
ちょっと痛むが、動けないことはない。
「筋は斬られてなかったから大丈夫だけれど、もうじっとしててもいいのよ。ティグヘフの代わりに、べバールが砦の中に向かったわ」
「いえ、そういうわけにもいきません。本番は、これからですけん。マージアール様にも、申し訳ないです」
「まあ、副神殿長だったら、守護者と言ってもこの程度ですか、とか眼鏡をくいっとやりそうですぜ」
「そういうことを言うもんじゃないわ、ティグヘフ。あれで彼も真摯に職務を遂行しているのよ」
副神殿長は、かなり現実的な考え方の人のようだ。
それに、物事を数字で判断していそうでもある。
確かに、ここで脱落すれば、彼の中でザーミーンの存在が軽くなりそうな予感はあった。
「──行きますよ、大丈夫です。アレイヴァの女は、このくらいじゃへこたれないですけん」
力こぶを作って笑う。
キミヤーは、目を瞬かせた。
優等生のお嬢さんだと思っていたのかもしれない。
だが、ザーミーンは田舎育ちだ。
根性で、都会者に負けたりはしない。
「──わたしが駄目だと言ったときは、引き返すのよ」
キミヤーはそう言うと、ザーミーンの従軍の許可を出した。




