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玲央君は約束した通り、私の知らない吸血鬼の姿を色々教えてくれた。
「世界中の吸血鬼が集まる事もあるんですよ。夏は島をひとつ貸し切るから、海で沢山遊べるんです」
島を貸し切る。何だそのセレブリティなバカンスは。
玲央君が言うには吸血鬼は社長さんだか会長さんボスさんだかが沢山いるらしい。つまり島ひとつ貸し切るくらい余裕という事だろうか。
呆気にとられていると、玲央君は笑顔を閃かせる。
「凛子さんならお父さんも連れて行ってくれると思います。だから一緒に行きましょう!」
「え……マジで?」
「はい!」
想像してみた。玲央君がこの人間離れした美しさなんだから、きっとお父さんもすんごい綺麗なんだろう。想像つくわ。
そんな顔面偏差値マックスが溢れるビーチ……?自分がチンパンジーとかオランウータンになった気分になりそうだ。
取り敢えず笑ってごまかした。
そろそろ昼食の用意をしようと立ち上がると、家のチャイムが鳴った。玲央君が過剰に反応したのは見ない振りをする。
玄関に行って戻ってくると、玲央君は不安そうに此方を見るのだった。
「見て見て。うちのばーちゃんからスイカが届いたよ。今日の夜食べよ」
箱を見せると、玲央君の強張った肩からあからさまに力が抜ける。
彼が東京に住んでいる時の環境が想像出来てしまい切なくなった。
吸血鬼といっても、恐ろしく顔がいい事と週に二回血を飲む以外、玲央君は至って普通の人間と変わらず過ごしている。
近所の小学生と遊べば、子供が軽い怪我するのも一度やニ度ではない。擦り傷から滲む血に対し、玲央君が心配して怪我した子を気遣う事はあっても、少なくとも目に見える形でおかしな反応をする事はなかった。
「いった……」
スイカを冷蔵庫に入れて箱の方は潰す。その時にうっかり段ボールで指に切り傷を作ってしまった。地味に痛いんだよなぁ。
赤くなっただけで血が出ていなかった指先を親指で強く押すと、じんわりと血が滲んだ。親指で拭えば血は出ずに赤いまま。絆創膏は貼るまでもないかな。
何となくまた血を滲ませて口に含んでみる。
うん、鉄臭いし不味い。
吸血鬼にはこれが美味しいのかな。
首を傾げつつ手を洗う。
ふと気配を感じて振り返る。すると玲央君が台所の入口で佇んでいた。恐ろしい程整った顔には表情がなく、真面目にびびった。
「玲央君?」
「え?あ、何でもないです」
玲央君はどこか硬い笑みを作り首を横に振る。
一方私は彼の顔に表情が表れた事に心底ホッとした。無表情だと等身大の人形みたいでちょっと怖い。夜じゃなくて良かった。
後で思い返せば子供らしくない笑みが気にはなったものの、その日の夜も今日あった事を母親に電話で報告する声はとても楽しそうだったから、どうやら杞憂のようだった。
*****
私は単発でバイトを入れ、教習所に通い時に友達と遊びながらも空いた時間は玲央君と過ごした。
玲央君もこの土地に多少慣れたとはいえ、ウチの誰かが一緒じゃないと外に出すのは心配だ。この年で友達と保護者連れで遊ぶのも嫌だろうが、そこは本人も受け入れている。
「玲央君って妹さんいるんだよね」
「はい。生まれたばかりで可愛いんです。でもお母さんは違うし、妹は海外で暮らしてるんです」
「君達。ここは喫茶店じゃないんだけどねぇ」
昼休みの診療所で先生が肩をすくめる。そうは言いつつも愛妻弁当を食べながら、先生は玲央君の話を興味深そうに聞いていた。
かくいう私も知らない世界を知るのは好奇心が擽られてわくわくしているのだけど。
玲央君の家族についてもっと聞こうとしたら、暁色の瞳が不安げに揺れている事に気が付いた。
「あの、お父さんは沢山愛人がいるけど、それは子孫を残すためなんです。吸血鬼の子供はとても出来にくいから。愛人は沢山いるけど、出来た子供は僕と妹だけで、だからその……」
「……へぇ~」
小学生の口から『愛人』という単語が飛び出るとちょっと気不味い。
「そういえば外国じゃ吸血鬼の一妻多夫、一夫多妻を認めてるとこもあるんだよね」
「はい。でも日本じゃ認められていないんです。だから妹とその母親は海外に住んでいるというのもあります」
「へ~。日本も認めちゃえばいいのにね」
「日本人はそこら辺潔癖なのよねぇ」
玲央君はちょっとばかり居心地が悪そうにする。
彼はごまかすように手元のアイスに口をつけた。『飲むアイス』と銘打つパックに入ったそれを飲む姿は、血液パックを吸う姿と重なり、私は何も考えず口に出してしまっていた。
「血って美味しい?」
「凛子ちゃん」
普段のんびり口調の先生が鋭く窘める。
やっちまった。だから周りから散々アホだなんだと言われるのだ。
「ごめん!何でもないから!」
玲央君は苦笑する。そんな複雑な顔、近所の小学生達はしないぞ。
「よく聞かれるから大丈夫です。いつも飲む血液パックは美味しくないですね」
「あれは確か人工ものだよねぇ」
「そうですね。本物とは全然違います。血液パックを飲める年になるまでは、お母さんの血を分けてもらっていたんですけど、お母さんのがずっと美味しかったです」
相槌は先生と重なった。どちらも問いを重ねなかったのは、玲央君が縋るように私達を――私を見ていたからだ。
「でも、これだけは信じてください。僕達は絶対に無理やり血は奪いません。僕だってお母さん以外からは誰も……クラスの子からだって奪った事はないんです」
ニュースでは明言されないが、ネットを見れば被害に遭った子達の学校に吸血鬼が通っていた事が簡単に分かる。
分かってしまうのだ。
母のパート先やご近所でもこの話題が出るらしく、玲央君が客間に引っ込むなり愚痴っている。
家の手伝いを進んでする玲央君は、実の子供よりもずっと可愛いようだった。最近じゃあ私や兄に孫が欲しいと言う始末である。やめてくれ。私はまだ19だ。
ウチの父だって、家族の誰も聞かない趣味の釣り話を楽しそうに聞いてくれる玲央君にメロメロだ。今度海釣りに連れて行く約束だってしていた。
ちなみに兄はゲームの腕を誉められ鼻高々だ。近々その鼻っ柱を折ってやる予定である。
玲央君はウチの家族にすっかり馴染んで可愛がられている。誰もこの子が悪さするなんて考えもしていない。
だというのに、目の前の玲央君は不安げに暁の瞳を揺らしている。
私は玲央君の黒髪をわしゃわしゃと撫でてやる。本来ならこの子は金髪らしい。一応正体は隠しているし、田舎では目立つので染められているのだ。
瞬いた金の睫毛がキラキラ光って見える。
私は奥にある瞳を真っ直ぐ見つめた。
「信じてるよ。玲央君はそんな事しないって。ウチの家族はみんな信じてる。先生もだよね」
玲央君が目を丸くして先生を見ると、先生は笑みを浮かべて深く頷いた。
玲央君は白い肌をほんのりと赤く染め、期待と、そして僅かに混じる不安を此方に向ける。
「凛子さんは?」
「私も信じてるよ。当たり前でしょ」
家族でさえもやらなかった、試験期間中のお世話をやってくれた子だぞ。絶対良い子だと確信以外持つ余地がない。
玲央君は唇を引き結び、俄かに目を潤ませる。顔を逸らしてこっそり目を拭った後、へらりと気の抜けるような笑みを見せた。
「前にお父さんが言ってました。血は、好きな人のが一番甘いって。……お父さんの好きな人は亡くなっているから、もう分けてもらえないみたいなんですけど」
これまたなかなか興味深い。人によって味が変わるなんて事があるのか。人それぞれ味が違うのかなぁ。ドロドロ血液はカロリーが高そうだ。
などと考える私が如何に乙女度が足りないかという事は、玲央君見ていれば分かる。
「僕は……。血を分けてもらうなら好きな子からだけがいいな」
頬を仄かに染めてはにかむ美しい少年にノックアウトされない女子がいるだろうか。
「なかなかロマンチックだねぇ」
先生がのほほんと呟いた。
*****
診療所から家へと帰る道すがら、私と玲央君は並んで歩く。
昼下がりと言えども夏の太陽に容赦はない。私は額からだらだらと汗を掻いている一方、玲央君は随分と涼しい顔をしていた。
吸血鬼の太陽の苦手度は個人差があるが、純粋な吸血鬼の血を継いでいる者でない限り肌が文字通り焼けて爛れる程のダメージを負う者はいないのだという。
そして現在の吸血鬼の多くは人間と交配を重ねて種を繋いでおり、純潔な吸血鬼などほとんどいないようだ。それに伴い馬鹿力や治癒力の高さは受け継いでも昔程寿命も長くなくなった。
聞けば500年が200年ぐらいに縮んだとか。それでも充分長いよね?
「凛子さん凛子さん」
「なに?」
「凛子さん凛子さん」
「だからなに」
「えへへ。呼んでみただけです」
うわっ。今キュンときた。この可愛い顔ではにかみ笑いは反則でしょう。
思わず頭を撫で回したら、玲央君は擽ったそうにくすくすと笑った。実に愛らしい。
人の形をしていながら、人とは違う生き物。
私の知る吸血鬼は玲央君一人しかいない。だけどたった一人知ってしまっただけで、吸血鬼全体がそう怖いものでもないんじゃないかと、単純にも思ってしまう。
そして私は思い知る。
化け物なんて、人間も吸血鬼もないのだ。
理性を失った者こそ、化け物と呼ぶに相応しいのだと。




