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『女子児童連続殺人事件』
東京のとある私立学校に通う、小学6年生の女の子のみを狙った事件だ。
体を刃物で刺され、血を抜かれた状態で打ち捨てられるその事件は、7月から始まり、被害者は既に3人にも上っていた。
勿論器具を使って血を抜いた事は明かした上で、人権問題に関わるため『吸血鬼事件』などとは呼ばない。
しかしそうしたところで受け取り手が切り離して考えるかというと、そうはならない。
この被害者の子達の通う学校が玲央君の通う学校であり、また同じ学年である事が更に民衆の想像力を掻き立てていた。
結果玲央君は学校側から自宅謹慎を言い渡され、家の周りにはマスコミが押し寄せているため外出もままならず、塞ぎ込んで血を飲む事も拒否していたようだ。
「嫌な話」
「だよなぁ」
顔を顰める私の横で、兄が溜息混じりに同意した。
自分は人を襲っていないと必死に訴えてきたいたいけな少年は、一体どんな中傷を浴びたのだろうか。
知らなかったとはいえ昼間の無神経な自分の発言を思い出してかなり落ち込んだ。
とぼとぼ自室に戻る途中、客間から声がしたので思わず耳を澄ます。どうやら玲央君が電話をしているようだった。
「今日凛子さんと話したんだ。うん。テストで忙しかった人」
私の話だ。相手はお父さんかお母さんかな。
「凛子さんね、面白い人なんだよ。頭を棚にぶつけたから痛くないのかなって心配したら、笑っていい音だったでしょって」
その話しますかぁ。いやまあいいけどね。
「それに僕の事全然怖がらなかった。僕が血を飲むの嫌がったら、好き嫌いはダメだよって。ちゃんと飲んだら偉い偉いって褒めてくれたんだ」
楽し気に弾む声は年相応で、昼間の影を感じない。きっとあの可愛い笑顔で話しているんだろうな。
玲央君が家に来たキッカケは、父方の伯父が玲央君パパと一緒に仕事をしている縁だという。
詳しい話は分からないけれど、折角来たのだから楽しい思い出を作って帰してやりたい。
東京から離れた田舎町だって楽しめるはずだ。
私は心に決めて、明日の予定を思い返した。
*****
遅めに起きてリビングに降りると、玲央君がテーブルに向かって問題集を解いていた。わー、鉛筆使ってる。
「凛子さんおはようございます!」
「おはよー」
人形めいたド綺麗な顔が弾けんばかりの笑みを浮かべる。何この太陽を直視したかのような眩しさは。目が、目が……!
気分的に目をしぱしぱさせつつ冷蔵庫の麦茶をついで呷る。
そうだそうだ。
「今日遊びに行く?近所の小学生と野球する約束してるんだ」
奴ら、試験期間中こっちが必死こいて大学と家とを往復をしているところに、遊べ遊べとうるさいのである。自分達がとっくに夏休みに入っているからってさ。
玲央君は不安を浮かべて返答を躊躇する。
「野球なら帽子被っても問題ないし、バレないと思うんだよね」
そもそも吸血鬼の存在は一般的ではない。まさかこんな片田舎にいるとは思わないだろう。
「どうする?あ、太陽の光って大丈夫?」
吸血鬼は太陽の光がダメなんだっけ?でも昨日は普通に歩いていたな。
目を見開いていた玲央君は、次いで弱々しく眉を下げた。
「あの、苦手な吸血鬼もいるけど僕は大丈夫です。……でも、あの……」
玲央君は赤みがかった瞳をうろつかせてから、上目がちに恐る恐ると口を開いた。
「……僕、お父さんとキャッチボールしかやった事なくて……」
「体育でやらないの?」
「体育はいつも見学なんです。その……クラスメートが怪我したら危ないから」
吸血鬼は馬鹿力の持ち主だったな。
それはさぞかしつまらない学校生活だっただろう。私小学生だったら唯一の楽しみである体育が見学なんて、学校に行く意味を見出せないかもしれない。登校拒否レベルである。
「じゃあ早めに行って練習する?」
玲央君は宝石もかくやの綺麗な目をこぼれんばかりに開いて、おもむろに頷いた。
*****
「レオ!だから球はよく見ろって!」
ベンチから叱責が飛ぶ。玲央君は一瞬肩を竦めたが、すぐに表情を引き締めて頷いた。
玲央君は人見知りらしく、公園の広場に今日の野球メンバーが集まるなり、私の後ろに隠れていた。
しかし相手は子供。図々しいまでの積極性で引き回され打ち解けるのは早かった。
スコアは4対1、1アウト満塁。負けている今打てばヒーローだ。
さて。一時間の練習の成果は出せるか。
ピッチャーが振りかぶって投げる。玲央君はしっかりボールを見極めてバットを緩く振った。
ぽてんと当たった球は、ぽてんぽてんと地面を跳ねるところを拾われた。勿論アウトである。
玲央君もフルスイング出来ないから仕方ないね。練習でボールが景気よく弾けたのを思い出して思わず遠い目になる。
「凛子姉ちゃん頼む!」
「任せとけ!」
回数制限有り助っ人外国人の切り札をここで切るようだ。
マイバットを握り打席に立つ。
「凛子が来たぞ!バックバック!」
ふふふふふ。小学生と言えども容赦はしない。みんな私を超えて中学生になったのだ。君らの最初の壁として立ちはだかるのが私の務め。
大ボス気取りで構える。
ピッチャー振りかぶって、投げました。
私の振ったバットは芯を捉え、球は大きく伸びていく。ついには外野手の頭上を越えて広場の端にある木に落ちた。
逆転に湧き上がる攻撃チーム。マウンドに立つピッチャーは悔しそうに私を睨んでいた。
私は知っている。あの子が私を打ち取るべく日夜練習を重ねている事を。あの子の母親が笑いながら教えてくれた。
ふはは。抜かれる日が楽しみだぜ。
最後にベースを踏んだ私は、チームのみんなとハイタッチした。
「凛子姉ちゃんナイス!よっしゃ、どんどん点取るぞ!」
俄然やる気になるみんなが離れた頃合に、後ろでタイミングを窺っていた玲央君がきた。
「凛子さん凛子さん!凄いですね!ホームランですよホームラン!」
興奮気味に拳を跳ねさす玲央君の頭を撫でてやる。よしよし。何だかお父さんになった気分だ。
「僕もホームラン打ちたいなぁ」
「よし。目指せメジャーリーガー!」
みるみるうちに顔を曇らせていく。
やっべ。もしかしてまたしても地雷を踏んでしまったか。
「吸血鬼は、人間の試合には出られないから……」
はい踏んでましたー。見事ど真ん中踏み抜きましたー。
改めて話を聞くと、人の社会に混ざるための弊害はなかなかに多く、ややこしい。
そうかと頷くしかない私に、玲央君は縋るように詰め寄った。
「でも、小さい頃ならともかく、今は怪我させる事はないんですよ!バットだってちゃんと壊さずに触れました」
吸血鬼の握力はギネスを軽く超えると聞く。バトル漫画よろしく花を手折るように人間の首をへし折れるらしい。
「だからもう僕、誰も傷つける事はないんです。誰も傷つけてません」
膝の上で握られた拳には、どれだけの思いが詰まっているのか。
分かった気にはなるものの、実際のところは計り知れないのだ。
本当に安い正義感だった。
私のした事は十円を募金する程度のものでしかなく、力にならないとは言わないが根本的な問題を解決する程ではない。
そしてそれをどうこうしたいと思う程正義感には溢れていなかった。
だけどそれは、決して無関心の表れではない。
私は納得したのだ。
彼らが人間社会に溶け込む努力をしているからこそ、私が吸血鬼という存在を半空想として片付けられていたのだという事を。
人間を簡単に捻り潰せる力を持っていながら、彼らは人間に危害を加えない。
脅威ではないから、学校では吸血鬼の安全性を教えているのだ。そうでなければとっくに隔離されている。
こんな事今まで意識しなかったのは、知らなかったからに他ならない。
無知による無関心。無関心から起こる歪んだ関心。
それが今玲央君を一番キズつけているのかもしれない。
「吸血鬼の事、もっと知りたいな」
知れる機会があるのなら、上手く使わない手はない。
「レオ!」
攻守交代のようだ。私は両チームの打撃専門助っ人外国人なので、広場に散っていく子供達を座って眺める。そこで動く気配のない玲央君を振り返った。玲央君はキャップの鍔を押さえて俯いている。
「玲央君?」
「何やってんだレオ!」
「う、うん!」
玲央君は相手チームの子からグローブを借り、慌てて広場へ駆けていった。




