のりことだんまりお客3
ガーナ生まれの蜘蛛の精で、男衆だったクワクはいま、綾石旅館にいない。
二週間前、旅館の長期滞在客だった堕天使・ルーシェにだまされて、のりこたちはひどい目にあった。
そしてそのとき、あろうことかクワクはルーシェに協力し、あるじをうらぎる行為をしたのだ。ただ、クワクがうらぎったのは「行方不明の兄をすくう」ためだったので、のりこは彼をゆるし従業員としてそのまま働かせることにした。
しかし、そんなあるじの好意に、ぎゃくにクワクの方がいたたまれなくなったらしい。
事件から二日後、彼は旅館からこつぜんとすがたを消したのだ。
置手紙によると、あるじをうらぎったのに、そのままでいることには彼の「サムライだましいがたえられない」らしく
「はずかしながら出奔いたしまする」と、あった。
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クワクがいなくなったことについて、メッヒは
「――そうですか。しかたありませんね」
と、特になにも反応をしめさず、クワクが担当だった玄関そうじや荷物はこびを自分でした。
おかげでクワクがいなくとも、綾石旅館の日々の業務は一見なにもとどこおりなくつづいているように見える。
……ただ、なんというのだろう?
あの、仕事はあまりしないが陽気なアフリカン・スパイダーがいないと、まるで館内の照明が一つ切れてしまったようだった。
のりこはクワクのとつぜんの失踪にショックを受けて、それこそ数日間ごはんもまんぞくにのどを通らないほどだった。
見ず知らずの旅館に来て、最初になかよくなった少年従業員とのあまりに早い別れは、いままで転校ばかりで、別れになれているはずの少女にとっても「こたえる」ものだったのだ。
今日のお出かけは、そんなあるじのようすを見かねたお美和が気ばらしにとつれだしたものだった。
ただひとりメッヒは「帳簿づけがあるのに……」とぶつくさ言っていたが、他の従業員はみんな心よく送り出してくれた。
そんな(ひとりをのぞく)従業員たちの心づかいは、少女もわかっていた。
(そうだ。あのろくでもない番頭以外は、みんな気をつかってくれてる。
あたしは旅館のあるじなんだから、いつまでもへこんでいてはいけない。がんばらないと……)
と気もちをいれかえて旅館への道を急ぐのりこだったが、公園の前を通りかかったとき、あるものが目に入って、お美和にささやいた。
「……ねえ。あそこにいるの、ウチにお泊まりのお客さまじゃない?」




