のりこと霧の部屋12
のりこはけげん顔で
「こわい?なんで?だって、あなたはあたしをおそおうなんて思ってないでしょう?」
先日、そして今さっきも、のりこはグールや人面犬におそわれておそろしい思いをしてきた。しかし、そのおそろしさはけっして彼らの見てくれから来たものではない。
自分に対して向けられた食欲がおそろしかっただけだ。
だから自分をおそう気配がちっともなかった人面の牛には、こわさなどちっとも感じていなかった。
「かじらない?」と聞いたのも、半分は冗談だったのだ。
のりこはもともと、どんな生きもの……虫や爬虫類、猛獣に対してでも、その見た目だけで恐怖や気もちわるさをおぼえたことは一度もない少女だった。
だから、このみょうちくりんな旅館にも、すぐに慣れることができたのだ。
そんなまっすぐな目で見てくるのりこを
「あんた、かわった子やねぇ……」
と、しげしげと見つめなおした口裂け女は、気がつきなおしたように
「その袢纏……あんた旅館のもん?けれど、ただのニンゲンが……まさか!?」
おどろく女に
のりこは
「うん……じゃない……はいっ!あたくしが綾石旅館の主人をつとめさせていただいております、のりこでございます!」
メッヒに教わったとおりに自己紹介をすると、ペコリッと頭を下げた。
「のり……じゃあ幹久ぼっちゃまのおじょうさま?」
のりこの素性を知った口裂け女は急に低姿勢になって
「あら、いややわ。そうとは知らず、とんだ粗相をいたしました。あたくしはこちらにつとめておりました、お美和ともうすいやしい女でございます」
指をそろえて頭を下げた。
「そんな。あたしこそ急に声をかけてごめんなさい」
おとなに頭を下げられてきょうしゅくする少女に
お美和は
「それより、なんでまたおじょうさまがこんな場所に?ここは『たそがれの間』。わすれられた過去の存在たちのために、あなたのお父さまが用意してくださった部屋ですぇ」
ウシさんの言ってたとおりだ。
「それは聞いたけど……でも、なんであなたまで引っこんでるの?だって、あなたは旅館ではたらいてたんでしょう?ぜんぜん過去の存在じゃない。
あたしは、あなたに従業員としてもどってきてほしくてやってきたの」
のりこの願いに、しかしお美和は顔をしかめて
「――いくらおじょうさんの願いでもそれはお断りします。ウチはもう世間……とくにニンゲンの前に顔は見せへんと決めたんどす」
「なんで?」
少女の問いに
お美和は、しばらくモジモジしていたが、そのあと、おもいきったようにさけんだ。
「ウチは人間のことが好きなんどす!……そやのに人間は、だれもウチのことを好いてくりゃしません。ただ人恋しうて声をかけただけやのに、ウチがちょっと口開けてわらうと、みな逃げだしてまう!
ひどいわ!なんも、わるいことしてへんのに!ウチが人間をおそうなんてデマやのよ!そんなおそろしいこと、するわけないやないの!」
口のなかの肉を見せて心のたけをはきだすと、つづけて
「つきあった人間もみんな、ウチの正体を知ったとたん逃げてしもた……この顔を見ておそれへんかった人間は幹久ぼっちゃまだけ。そやからウチはおつかえしたんだす。でも、そのぼっちゃまも旅館を出てもうて。ウチにはもうはたらく理由がありません……引っこんでます」
そう言ってマスクをはめなおそうとするお美和に、
のりこはさけんだ。
「でも、それならあたしだって、あなたのことこわくなんて思ってないよ!おとうさんのためにと思ったんなら、その娘のあたしのためにもはたらいてよ!」




