のりことまるっこい客3
「『我が道を往く』だね。わたしもあの映画は大好きだよ。あの映画の彼のようにわたしも伝道にいそしみたいところだが、今回の任務は、ちょっとちがう。
せっかくだから、南米のカーニバルには参加しといたがね」
ふたりの会話は、のりこにはまったくちんぷんかんぷんだ。
ミゲルは続けて
「今回の任務のメインは『この旅館』に来ることだ……なんだ?そんないやな顔をしなくともいいだろう?おたがい古いつきあいだ」
にこやかな表情を絶やさない黒服に、しかし番頭はしかめ面で
「正直、あなたとはあまり良い思い出がありませんのでね。人の手にするはずのものだったものを横取りした方です」
「——あれは、うちのボスの命令さ。しかたなかったことさ」
ミゲルは首をすくめる。
なんだかふたりのあいだにはいろいろあったらしいが、いまは客と旅館従業員の関係だ。
綾石旅館のあるじとして、のりこは
「むかしのことは知らないけど、お客さまにそんな言いかたは失礼でしょ、メッヒ。ちゃんとおわびして、接客なさい」
注意すると、メッヒは眉を少しひそめたが、そのあとは素直に
「……そうですね。失礼いたしました、ミゲルさま。では昔のことはすべて無しにして、お客さまとして精一杯サービスいたします。——ようこそ綾石旅館へいらっしゃいました」
頭を下げる。
そんな番頭のようすに驚いたのはミゲルの方だった。少女を見ると
「ははっ!長く存在してみるものだね!まさかこの悪魔の口からこんなしおらしいことばが聞ける日が来るとは!あなたは噂どおりのすごいあるじだね、おじょうさん!」
番頭の正体も知っているらしいので、かくさず
「おとうさんが結んだ契約のおかげです。あたしはなにもしてません」
のりこが素直に言うと、歌手は首をふって
「いや。これはあなたの力ですよ、おじょうさん。わたしは今までこの悪魔が契約に基づいて様々な人間と接するのを見て来たが、彼自身の本質に影響を及ぼした者など、ひとりもいない。
この傲岸な悪魔の気質をいくばくかでも変えたとしたら、それはあなたのお力です。……あの妖女を送ったことといい、ほんとうにこの街は興味深いね」
リリスの一件も知っているとは、どうやらミゲルはこのかむのの街の事情にも通じているようだ。
番頭は、いぶかしげな顔で
「——それにしても、あなたさまがこの極東の地にお出ましとはいったいなんですか?また何も知らないうぶな少女をそそのかす気ですか?」
番頭の問いに、ミゲルは渋い顔になって
「あのオルレアンの乙女については、彼女が聖女に認定されたことで決着がついたはずだ」
またも、のりこにはわけのわからない会話をすると
「——今回は、いつもの『彼』との勝負さ」
つぶやいた。




