のりこと無量の部屋12
「日本の落語ってやつでは、ただ商売道具をとられて舞台に立つことができずチャンがこまった……ってことになってるが、ほんとはそれどこじゃねぇ。
あの一枚の紙には、張果老が数百年かけて練った仙術がこめられている。
そんな、仙人にとっては命よりもだいじな宝貝を盗られたとあっちゃあ、そりゃやつも怒るぜ。
――まあ、そんな大事な宝を盗まれるということ自体、チャンの修行がなってねえってことだがよ」
ロイはそこでクピッと酒を飲む。
番頭は
「落語……『鉄拐』ではおよそそこまでのことしか述べられていませんでしたが、今ああして張果老人が仙紙を持っているところを見ると、ちゃんと取り返していたんですね。
さては、八仙のリーダーたるあなたが仲介に入ったというわけですか?呂洞賓道人」
番頭に言われた呂は、ひげをしごきながら笑みをうかべ
「さすが、名高い綾石旅館の番頭には見ぬかれるな。
まあ、そんな事件があったと知ってすぐ、おれがリーをどやしつけて紙をチャンのもとにもどしたんだが……やっぱり仙人と言えど、人間関係は一度こじれるとむずかしい。
ほかの八仙……鍾離権や何仙姑やらがあいだに立って仲直りするように言ってもうまくいかず、長いことふたりのあいだは絶縁状態だった。
それが今回、またおれが強引に引っ張って、なんとか顔をあわすところまでこぎつけたんだが……会ったとたんに、あれさ」
今、空中の仙人ふたりはその身をむかしのプロペラ飛行機に変じてドッグ・ファイトをくり広げている。
「――あれは、フォッカー・アインデッカーとニュー・ポールですな。
第一次世界大戦のころの」
「そうか?おれは泰西のことはうとくてよく知らんが、あのふたりはアヘン戦争が始まる前から西洋かぶれだからな。
……さすが、あんたはあの大戦にはくわしいな。あのときは、だいぶんいそがしく立ち回ったんだろう?」
皮肉めいた口調に、番頭は眉をひそめて
「――たしかにあの戦争には私も少しは関わりましたが、あんなふうに人間が意味もなく多く死ぬだけの事象に強い興味はありません。
われわれが欲するのは人間の魂であって、生物学的な意味での生命ではありません。忙しかったのは、死神だけです」
お客に対してめずらしくきびしい口調で返すのに、のりこはおどろいた。
さすがのメッヒでも、旅館の番頭である前にその属する種族としてのプライドがあるらしい。




