伯爵と第一の弟子
良ければ感想をください。
強風が物悲しい音色で吹き荒れ、雨がボタボタと屋根を執拗に打ちつける。
遠くで雷槌が大地を穿ち、闇夜を一瞬白く染めてから轟音をとどろかせる。
そう、こんな荒れた、嵐の夜だったな。私がアダムと出会ったのは。
そして、私が初めて殺人に手を染めた夜でもある。
グツグツと沸騰し出した卓上のポットから湯煙が陽炎の如くくねり、シャンデリアの光をぼやかせる。
成人男性ほどの直径がある小さい円卓は、質素ながらも最高級の霊樹で出来ており、特にその中心に空いている穴の周辺は、いかなる物をも沸かせられるようにアダマンタイトで念入りに補強されている。
件のポットはというと、さらに珍しい。
世界樹の花弁で出来ているために金属が融ける超高温でも決して燃えず、あらゆる毒や呪いをも浄化するという、神がかかった性能である。
そんな器具を贅沢に使い、古龍の血塊を熔かして飲むというのが私の数少ない娯楽の一つだ。
アダムにも毎日さり気なく飲ませているこの血塊は、もはや結晶といっても良い性質があり、マグマでも熔けぬほどに硬い。
魔石にも似たこの血塊を熔かし、ただの人間にも、すなわちアダムにも飲めるようにするというのが先述のポットという訳だ。
むろん、そう簡単に手に入れられるものではなく、世界に三つしかない。
何故私がこの様な宝を所有するかというと........、それはまた次の機会に話すとしょう。
さて。では、語るとしよう。
私と私の最初の弟子の、その出会いの顛末を。
哀しき夜の、幼子の物語を。
◆◇◆◇10年前、嵐の夜のスラム街にて◆◇◆◇
ある男と女の影が狭い路地裏に在った。
「おい、さっさとあの忌み子を捨ててしまえ。」
「まだ運び屋が来ないから仕方ないでしょ!」
男はイラついているのか、しきりに舌打ちをし、地面の小石をブーツで蹴っていた。
女は両腕に小包を忌々しそうにかかえ、今にもソレを地面に放り投げて打ちつけんとするばかりの、醜悪で険しい形相をしていた。
コツン、コツン、と硬質な音が汚れにまみれたタイルの上に響く。
「やっと来やしたか、のろまな旦那ァー、ッ!」
「あいにく私は貴方の知るのろまな旦那では無いのだがね、少々訪ねたいことがある。」
悠然と路地裏に、長身で体格の良い男性が入り込んだ。
逆光になっているがためにその顔は影に覆われ、表情は伺い知れない。
だが、その上質な帝国の軍服らしき様相から、位の高い人物であるに違いないと、学識のない男女も薄々と感づいた。
「へえ、どうぞなんなりと聞いて下せえ。」
男は、すぐさま頭を地面にこすりつけるが如くうやうやしく下げると、間髪入れずに胡麻をすった。
それに気づいてか、男性はフッと嗤った。
「では、遠慮なく聞かせてもらおうか。」
男性は右手にさり気なく持っていた革袋の口を緩めると、中から細長い西瓜らしきものを取り出した。
彼はポイっとそれを宙に放り投げると、紅い汁が放物線を描きながら飛び散り、西瓜がゴロゴロと男女の足元まで転がった。
「ひいッ!」と、彼らは悲鳴を上げた。
なぜならそこには、潰れた西瓜などではなく、彼らが到着を待っていた人物の生首だったからである。
その顔は血反吐や泥で汚れ、想像を絶する様な恐怖と苦痛に固まったまま、無残に下顎を破り捨てられていた。
「彼と面識があるようだね。それは良かった!」
男性は無邪気な声音で両手をパンッと打ちつけると、クスリと笑いをこぼした。
「恥ずかしながら、彼とお話をしている時についつい熱が入り過ぎてしまってね。大事な情報を全て聞き出さないうちに使い潰してしまったんだ。」
男はガクガクと震えながら生首を見てみると、なるほど、確かに所々皮膚が焼き焦がされ、剥がされている。
何としてでも自分の利用価値を示さねば死ぬ、と男の直感が囁く。
女の方も同様の結論に辿り着いたのか、男性の方までよろめきながら歩むと、腰が抜けたかのように媚びを必死に売った。
「ああ、貴方様のためであれば私は何でも致します。」
夜闇に妖しく煌々と光り、死神ですら射殺さんとする絶対零度の黄金の眼差しが、女に向けられた。
「何でもと言ったな?よろしい。ならば答えよッ!」
男性は先ほどまでの軽々しい雰囲気とは打って変わり、全身から凄まじい怒気をゴッと放つ。
その怒気は其れだけで神霊が放つ殺気と変わらず、身体をすり寄せていた女などは、鼻と眼から鮮血を噴き出す始末であった。
「答えよッッッ!!!」
一喝で突風が吹き荒れ、一帯の枯れ木が騒々しくざわめき、無数の鳥が天より墜ちた。
「誰が為に、幼子が、身体を裂かれ、千切られ、毟られ、炒められ、刺され、射られ、打たれ、潰され、毒され、剥がされ、祟られ、呪われ、生きる尊厳と、受けるべき愛と、見るべき世界を、信じるべき善意を、その人が人で在らんとする全てをッッッー!」
空間が男性の覇気で軋みを上げ、周囲の石畳が蜘蛛の巣状に粉砕し、飛散した。
「奪われなければならないと言うのだッッ?!?!! 答えよッッ!!!!」
文字通りに男性の怒髪は天を衝き、その様は正に、世界に破滅をもたらさんとする終焉の使者が如く。
遥か高きに座す雲海をすらも乱し歪ませ、ありとあらゆる生物を根源の恐怖へと叩き堕とす神秘が彼の器より溢れ出す。
その神秘は呪いとして姿形を取り、百足や蜂、蠍に蟻、狼や蛇と化して男女を襲う。これらの悍ましき化生どもは、男女がこれまでに絶望をもたらした幼き命たちの、怨嗟と無念そのもの。因果応報の呪怨である。
それらの魑魅魍魎は、彼らの筋肉を生きしままに腐らせ、内臓を食み、骨をしゃぶり、脊髄を砕き、また全てを再生した。
その様は正に生き地獄、終わりなき餓鬼道。
彼らは喉元が絶叫で千切れようとも、のたうち回り、藻掻き苦しみ、慈悲を男性に乞う。
対して、男性は一瞥もせずに、女の腕より零れ落ちた包みをそっとその腕に抱きかかえた。
「嗚呼、哀れな子よ。嗚呼、憐れな子よ。生みの親にも憎まれ疎まれ、本来は称賛されてしかるべきの天賦の才までをも奪われようとした、幼子よ。」
愛おしみと慈しみをその胸に秘め、自らの無力を懺悔するかの様に、男性は囁く。
その包みより、痩せこけた骨と皮しか残らぬ、痛ましい顔が覗いた。
赤子の、生命と活力に満ち溢れるべきであった双眸は昏く澱んで沈み、まるで生ける屍にさえ思える。
生まれた瞬間から精霊と通じ合い、猛獣でさえも従わせる、極東の忌み子。成人した彼らは、やがて竜種とすら心を通わせる力を得るという。
帝都では巫女や使者と持てはやされる存在であるが、極東では忌み嫌われ、世界総じての憎悪の対象として、無意味かつ無慈悲に軽蔑される。
ある所では嫌われ、ある所では好かれる。するとどうなると言うか?
需要と供給の関係が成り立ってしまうのである。
極東で要らぬのなら、帝都で買ってしまえばよい。
帝都の巫女や使者に無体を働けぬと言うのであれば、極東の蛮族を買ってしまえばよい。
帝都の巫女や使者はただでさえ数が少ない。ならば、人工的に作ってしまえばよいのではないか。
幸いな事に、実験材料は輸入できる。使わない手はない。
そうして、幼子はゴミ同然に使い潰され、全てを奪われる。肉体的にも精神的にも、文字通り全て。
誰が為に? 国のため? ふざけるな。
私服を肥やし、汚濁を啜り、不幸を嘲笑い、命を踏みにじる人でなしを、どうして許せようか。
殺す。殺し尽くす。この世の悪全てを。吐き気を催す邪悪を。
必ずや根絶せねばならぬ。
そう、男性は決心した。身勝手に、独善的に、周囲を顧みずに。
何百年も、絶大な力を振るい続けた。
しかし、悪を根絶できなかった。
善人が悪人に豹変する時も、悪人が善人に改心する時も視た。消えぬ業火のように、憎悪の連鎖は燃え燻り続けた。
ついに、男性は気付いた。嗚呼、人間は人間の手で裁かねばならぬ、と。
ヒトは自らの幼年期を乗り越え、蝶に孵化せねばならぬのだ。ただただ絶大な力で抑制し、舵を切る時代はとうに過ぎ去った。
故に、先導する者を育てねばならぬと男性は決意した。
人類に啓蒙をもたらし、幾たびもの挫折を越えてなお折れぬ開拓者が必要だと、やっと気付いたのだ。
ならば育てよう、その希望の星を。
人々の英雄を。
真なる勇者を。
その誓いを胸に、男性はそっと自らの指を異様に長い犬歯で噛みちぎって、赤子へと与えた。
想いを託すかの様に、乞い願うかの様に。人類史は変えるであろう赤子に、彼のみぞ知る名を与えた。
「アダムよ、神と決別せし先駆者と成れ。」
◆◇◆◇ 現代 ◆◇◆◇
古き夢を視ていた気がする。
地平線はすっかり明るみに満ち、嵐はとうに止んだ。
茶がすっかり冷えてしまった。思わずため息をつく。
やれやれ、もう一回沸かせねばならないようだ。
スッと立ち上がり、鏡に映った己の容姿を確認する。
白銀と真紅のグラデーションに輝く髪に、太陽を想起させる黄金の眼、ゾッとする程端正でエキゾチックな顔立ちに、完璧なる黄金比の肢体。
フッ、と自嘲的に己の姿で失笑する。
既に無き人間性。
神に近しい、権能を授かった転生者。
耐え切れずに視線を外に向けると、地平線より朝日が昇る様を見た。
嵐の後に、必ずや朝日は昇る。
アダム、私の太陽、私の希望。
願わくば、どうか私をー。
救っておくれ。
「よし、カット!!」
『カァアアアア!!(回想重いわボケェェッッ!!)』
感のいい方ならもうヴラドの本当の目的に気付いたことでしょう。(本当にシリアスかと聞いてはならぬ)