ヒロインはモブ(?)に懸想する
「すみません、これ下さい」
随分品の良さそうなイケメンの男の子が入ってきたなーと思っていたら、1つのくるみパンを持ってレジにいるあたしのところにやってきてそう言った。
その声を聞いた瞬間…あたしは思い出した。
あれ?この声、あたしの推し声優No.2じゃね?
そうそう、そういえばあの時珍しく手を出した乙女ゲーも、彼がメインキャラの声を当ててるって聞いたからやり始めたんだよね。
…『おとめげー』とは、なんぞ?
「…130デール、です…」
「はい、130デール。…これ、美味しそうだね」
(『美味しいに決まってるわ!だってパパが一生懸命作ったパンだもの!』そう、僕はあの時から君に心を奪われてしまったんだ…なんて可愛い笑顔なんだろう、その無邪気な笑顔をずっと隣で見ていたいと…そう、思ったんだよ、アディ)
…フラッシュバック。
ただし、ゲーム機越しに見た景色だったけども。
そう、ここはあの乙女ゲーの世界だ。
そしてあたしはヒロインで、この目の前の彼は…攻略対象の1人、未来の王太子殿下。
殿下がヒロインを見初めた大事な場面。
それが、今、この場で起こってる…!!
あたしの名前はアデレード、愛称はアディ。
平民なので姓はなし。
ここいらの下町で1番可愛いとか言われてるけど、実際どうなのかしら?
めちゃくちゃ美人の母と、血は繋がってないけど優しくて頼りになる義父とともにパン屋さんを営んでいる。
と言ってもあたしがしてるのは店番くらいだけど。
後はたまにパンを作る手伝いしてるくらいか。
そして今唐突に思い出したけど、あたしは前世でこの世界がテーマの乙女ゲーをやった。
そうだよ、攻略対象が悉くあたしの好きな声優ばっかだったから…!!
見た目もカッコ良かったですし、スチルと一緒に聞けるボイスがやばい萌えたからやり込んだよね。
ヒロインの実の父親がガーラン伯爵という人で、色々あってそちらに引き取られる事になったヒロインが、貴族の子息令嬢の通う学校で運命の相手を見つける、よくある乙女ゲーだった。
でも、あたしは殿下推しじゃないのよ…!!
これから王妃教育とかふざけてるわ!!
というか普通に考えて教育済みの令嬢がいるのに他の女の子にちょっかいかけるのはいかがなの?!
勿論ここはルート変更させてもらいます!!
「…父が気持ちを込めて作ったパンですから。お買い上げありがとうございます」
セリフ変更&無邪気に笑うんではなく、ちょっとした微笑!!
殿下の好みは無邪気に笑ってくれる、自分を殿下扱いしない子なのは知ってるのよ!!
つまり他人行儀なセリフで言えば、別に記憶に残る事もナッシング!!
それに対して殿下の反応は…?!
「…あ、うん、どうも…」
…なんで少し頬を赤らめてるの?
しかもなんかちょっと照れてる感じ。
確かゲームだと真っ赤になって、会釈だけしてすぐに立ち去るのよね…?
「…君、名前は?」
なのになんで名前聞かれてんの…?!
ルートは変更するって言ってんでしょうがっ…!!
…いや、これは現実なんだから、そう簡単にはいかないのか…?
この殿下だってこの世界で生きてきた人間なんだし…
でも、不用意なフラグはへし折る…!!
「…初対面のお客様に名乗るほどのものでは…それに、お貴族様でございましょう?あまり不敬になるような事は申せませんので、ご容赦頂きたいのですが…」
「な、何故貴族だと?」
「身なりでわかります。いくら普通の服を着ても、質も違いますし、立ち振る舞いとか…」
カランカラーン…
言い淀んでいたところに、新しいお客様が入ってきた。
ナイスタイミング!!
「いらっしゃいませぇー」
「よっ」
「リック!いらっしゃい!」
お客様は幼馴染のリックだった。
ほぼ毎日のようにパン屋に通ってくる、3つ年上の男の子。
そう、彼こそがあたしの攻略したい人…片想いの相手なのだ!
なんせ声が押し声優No.1!!
なのにゲームでは攻略対象じゃなかったんだよねぇ。
なんでも、隠しルートに入ると対象に出来るとか都市伝説はあったけど…
この声を耳元で囁かれた日には、一瞬で腰が砕ける自信がある。
…まぁ、好きになった理由はそれだけじゃないんだけどさ。
「いつものやつ、まだ残ってる?」
「取っといてあるよ、来ると思ってたからね」
「さっすがアディ、俺の事よくわかってんじゃん!」
そう言って、あたしの頭をぐちゃぐちゃに撫でるリック。
あたしはやめてよっ、なんて言いつつ、内心ドキドキ。
こうやってリックに構ってもらうのが、何よりも好きなのだ。
「あ…えっと…わ、僕、失礼するよ…」
あたしとリックの絡みを見ていた殿下が、そそくさと退散していく。
よしよし、フラグはへし折れたかな?
「…アイツ、なんか言ってたか?」
「え?あー、なんか名前聞かれて…」
「…答えたのか?」
「お貴族様っぽかったし、名乗ってないよ」
「そうか、ならいい」
「…知ってるの?あの人」
「…まぁ、見た事ある顔だな、と思ってな」
ほう、リックが見た事ある顔とな。
リックって普段何してるかわかんないけど、もしかして王城に出入りでもしてるんだろうか。
…え?もしかしてリックって貴族とか?
いやいやいや、そんな情報ゲームになかったし…
ゲームではプロローグとヒロインの過去編しか出てこないんだよね…
エンディングの卒業パーティーとか途中にあるイベントの王城でのお茶会とかにもいなかったはずだし。
まぁそれだけであたしは一目惚れしたんだけど。
…リックは成長したら、どんな風になるんだろ。
「アディ?」
「へ?」
「何か悩み事か?俺でよければ聞くぞ?」
「ううん、なんでもないの!ありがとう、リック」
「…まぁ、アディだからこんな事言うんだけどな」
「え?」
「…なぁ、アディ、あのさ…アディは好きな奴とかいる…?」
リックが少し照れたようにあたしに質問する。
そ、そんな事急に言われても、目の前のリックだなんて言えるわけなくない?!
「え、えーと…なんで突然?」
「いや、さっきの奴、アディに惚れてんのかなって…」
「まさか!さっき初めて会ったのよ?」
「アディ、お前、自分の容姿わかってんの?」
よ、容姿?
そりゃそんなに悪くはないと思うけど…
「…多分、お前が貴族令嬢並みに着飾ったら、めちゃくちゃ可愛くなると思うぞ」
「か、かわっ…?!」
り、リックがなんか嬉しい事言ってる…!!
熱くなっていく顔を隠したくて、両手で頬を覆う。
うわぁ、絶対真っ赤だよぉ…!!
「…アディ?」
「っひゃい!」
「…お前、りんごみたいに真っ赤だな。そんなに美味そうにしてると…」
「ふぇっ?…ぅわ?!」
レジ台の向こう側から、腕を引かれて前のめりになる。
するとリックは突然、自分の顔をあたしの顔の横まで近付けると…
「…食っちまうぞ?」
「っふぁっ!!」
耳元で、囁いた。
初めて生で囁かれたっ…!!
あの声優さんの別キャラでそういうのは聞いた事あったけど、生の破壊力やべぇ…!!
つい、変な声出ちゃったし…
そして、力が抜けてそのままレジ台に倒れこむあたし。
「…大丈夫か?」
「…気に、しないで…くだしゃい…」
うぅ、不覚…
ちょっと腰抜けた…
「…前から思ってたけど、お前、俺の声好きだよな?」
「…否定は、しない…」
「…なら、使えるもんは使っとくか」
「へ?」
軽く顔を上げてリックを見ると、少し意地悪そうに笑う姿が見えた。
あぁ、その顔もカッコいい…!!
このスチル欲しい…!!
なーんて思ってたら、またリックがあたしの耳にあの声で囁いてきた。
「…これから毎日、こうやって囁いてやるから、覚悟しろよ?」
「んぁっ…!」
「…しかもお前、耳弱いのな…かーわいっ」
「んっ…やめっ…!」
「…はー、ちょっとやり過ぎるとこっちがヤバいな。とりあえず…早く俺に堕ちてくれよ?愛しのアデレード」
「あっ…?!」
は?!今『愛しの』って言った?!
ちょ、もう混乱して何がなんだかわかんないんだけど?!
混乱するあたしを横目に、リックはパンの料金を机に置いてそのまま立ち去っていく。
「…ガーラン伯爵にも、勿論殿下にだって。お前を渡すなんて事はさせないさ、二度と、な」
小声で呟いたリックの言葉は聞こえなかった。
いやいやそれより問題は明日からでしょ?!
なんで毎日囁くのさ?!
え、実はリックってあたしが好きだったの?!
待って、なら両想いだから!!
囁かなくてもリックが大好きだから!!
力の入らなくなっていたあたしの声では、そんな切なる訴えがリックに届く事はなく、翌日から毎日のように腰が砕けるという事案が発生するのであった。
そしてこの後、毎日愛を囁きにくるリックに物申す前に腰を砕かれるヒロイン。
そしてそんなヒロインを見て満足するリック。
実の父親が突撃してきたり、殿下が他の攻略対象達とまたお忍びで訪ねてきたり、リックが自分の正体を明かしてヒロインにプロポーズしたりと、色々破茶滅茶しながらハッピーエンドを迎えます。特に続きはありませんので悪しからず。
2019.11.2 追記
なんとなく続きを書いてみました!