2-5.
* * *
カミリアが後ろ髪をひかれつつアリスたちに背を向けたあと。
彼女の後ろ姿が図書館棟に消えるのを待たずに、アーサライルがアリスに向き直った。
かすり傷ひとつ見落とさないとでも言うように、アリスの手をとり、頬にかかる髪を耳にかけてやり、それぞれにじっと視線を注いでいく。
照れたのか、アリスは俯いて居心地悪そうに鞄を胸に抱きしめている。
「アーサー様、本当にカミリア様があの黒い狼たちをけしかけてるというのでしょうか」
「まだ定かではない。だが、現場にあの者が常に居合わせているのなら、可能性は誰よりも高いだろう」
「本当の術者が、近くに隠れている可能性もありますよね?」
「もちろんだ。……だがあの者がお前を害そうと考えているのは間違ってはいないと思うが」
アーサライルの眼差しが、アリスの抱えた鞄に注がれる。
「その鞄はなぜ汚れている?」
「あっ、これは……」
アリスが言い淀んだ。
アーサライルの身分が身分だけに、他の女生徒たちにされたことを言うのは告げ口のような気がするのだろう。
その隙に、ギルベルトが脇からひょいとアリスの腕をつかんで鞄を取り上げる。
「あっ、ギルベルト様っ」
「汚れてるし、擦り傷もついてるな。アーサー様、やっぱりあの女を放っておいたら駄目ですよ。今からでも追いかけてとっちめた方が──」
「ギルベルトお前、握力の加減を覚えるまでアリスに触れるなと言っただろ」
「あっえーとそんなことより今は魔法獣の犯人をっ」
「いいから離せ!」
「いててててて」
じゃれる二人をよそに、クラウスはひとり、カミリアが去った方を顔を向けたまま考え込んでいた。
「クラウス様?」
アリスに呼ばれると、すぐになんでもないふうに笑顔で振り返る。
クラウスは中性的な魅力をもっていた。いつも穏やかな笑顔を絶やさず、しかし代わりになにを考えているのかを読み取らせない。
──クラウス様もカミリア様を疑っておられるのかな。
アリスはそう考えて、寂しさを覚えていた。
「二人とも。今はアリス嬢も疲れているだろうし、寮に送り届けるのが先じゃあないかな?」
「そんな、わたしは大丈夫ですから──」
遠慮しようとするアリスを他所に、力比べのように仲良く押し合いをしていたアーサライルとギルベルトが同意する。
「僕は少しここに残るから、アリス嬢を頼むね」
クラウスが言うと、アーサライルが訝しむように片眉をあげる。
「なにか問題が?」
「いや、魔法樹に被害が及んでないか、確認しておこうと思ってね」
「よーし、アリスのことは俺にまかせろ!」
ギルベルトが無邪気に請け負う。
アーサライルだけはしばらくクラウスを見つめていたが、やがて身を翻してギルベルトとアリスの間に割って入っていった。
「アリスの隣は私だ」
「えーっアリスが真ん中でいいじゃないですか!」
「えっと、わたしはどこでも……」
結局二人に挟まれて渡り廊下へと向かうアリスが、一瞬だけ振り返ってカミリアが倒れていた場所に目を向けるのをクラウスは見た。
三人が賑やかに去っていったあと、クラウスはふうとひとつ息を吐いてカミリアが倒れていた場所に向かう。
ふたつの魔法樹の間。
地面に盛り上がった根元のうろに手を伸ばすと、なにかを拾い上げた。
それは指の爪程度の小さな赤い石だった。
つるりと磨きあげられた表面が光を反射している。
クラウスが軽く指先に魔力を込めると、石自身に光が宿ってあやしく輝いた。
「魔法石か。けど、なんの効果も付与されていない」
特別に研磨された宝石に魔法を込めると魔法石になる。
たとえばそれは、投げると爆発するようにしたり、水の流れをせき止めたりと、込める魔法と術式によって様々な効果をもたらす。
「……?いや、これは……」
指先に違和感を感じてクラウスは魔力を止める。
途端に魔法石は輝きを失ってもとの沈んだ赤色の石に戻った。
「使用者の魔力を吸収して、魔を引き寄せるようになっているのか」
再び、今度は別の意思をもって指先に魔力を込めると、ぴしっと石にひびがはしった。
乾いた音を立てて小さな魔法石は粉々に砕け散る。
クラウスはなにも掴むものがなくなった指先を鼻先にやって、深く息を吸った。
それから軽く手をはたいて、魔法石が四散してあとかたもなくなった地面を、冷たい瞳で見下ろした。
「──ふうん」