異世界人が流す涙は苦い
俺は少女に運んでもらい、少女が拠点としているキャンプに招かれた。
てっきり引きずって運ばれると思いきや、普通に肩に担がれて移動したのでかなり驚いた。
椅子がわりの切り株に座らされる。
少女が手早く焚き火に火を灯した。
「ちょっと待っててくださいね」
そう言うと少女は腰に下げていた袋から野菜や肉などを取り出し、慣れた手つきでそれを包丁で切って鍋に放り込んでいった。
空腹でぼんやりしていると、いつの間にか鍋が火にかけられて、いい匂いが漂っていた。
少女が鍋の中身をスプーンで掬い口に含んでから「よし」と笑顔で頷く。
「はい、お待たせしました。熱いので気をつけて下さいね?」
「は、どうも」
少女が鍋からスープ的なものを掬い器に入れ、俺に渡した。
熱々の湯気と共に、空腹を刺激するいい香りが鼻腔に漂ってきた。
木でできたスプーンを器に差し込み、湯気を立てるスープを啜る。
――美味い。
五臓六腑に染み渡る美味さだ。
温かいスープに体の芯まで温まる。久しぶりの口に入れた食事による歓喜で頭の先から足の先までびりびりと痺れた。
よかった……異世界最初の食事がこれで。土を食べなくて本当によかった。
「……泣くほど美味しかったです?」
「え?」
少女が困ったように言ったので、自分頬の辺りに触れると涙が流れていた。
そういえば、手作りの物を食べたのも久しぶりだ。
自炊をしなくなって随分経つ。最近はもっぱら半額の弁当やら菓子パンで済ませていた。
人の手が入った食事がこんなに温かく、美味しかったとは……そりゃ感動して涙も出る。
俺は自分の涙を止めることができず、ただ食事を食べた。
「それだけ喜んでくれると……流石に嬉しいです。お代わりはどうです?」
少女は照れくさそうにはにかんだ。
気がつくといつの間にか、器の中が空っぽになっていた。
空腹の余り、半ば無意識に食べてしまったらしい。
好意に甘えて、お代わりを頼む。
やはり美味い。特にこの柔らかい肉、一体なんだろうか。牛肉でも豚肉でもない、そこそこ筋はあるが、歯応えがあってそこがいい。
「それ、グラスラビットのお肉です」
「グラスラビット?」
「この森に生息している魔物です。見たことないです?」
……ああ、あのすぐに逃げられるウサギか。
あれそんな名前だったんだ。ステータスは近くに行かないと出ないから、知らなかった。
こんなに美味かったのかアイツら。
「よっぽどお腹が好いてたんですね。はい、お代わりです」
結局追加で3杯食べて、一息つく。
焚き火を挟んで向かい合う少女に向かって、頭を下げた。
「ごちそうさまでした。本当に美味かった。マジで生き返ったよ。助けれくれた上にこんな美味い飯まで食わせてくれて……本当に感謝してる」
「いえ、気にしないで下さい。困ったときはお互い様です」
少女は本当に気にして居ない様子で笑顔を浮かべた。
歳相応の幼さの残る笑顔だ。
元の世界なら学校に通っていてもおかしくない年齢の見た目。こんな森の中で何をしてるのか。
「えっと、君……」
「ああ、名前です? 私はミリア。この森にはギルドの依頼で来ました」
ギルド……っていうとやっぱアレだよな。
冒険者ギルドってやつか?
つまりこの子は冒険者?
魔物にギルド、冒険者か。随分となじみ深い異世界だ。
少女――ミリアは何かを促すように、ジッと俺を見ていた。
ああ、そうか。俺の自己紹介か。
「俺はハイガ。ここには――」
異世界からやってきましたーいえーい(ダブルピース)
とか言ったらまず間違いなく頭のおかしいやつ扱いされるだろうな。
かと言って適当に「東の方から旅して……」とか適当な説明をして「東のどこです?」みたいに突っ込んだ質問されたら困る。
そもそもこの世界の地理も状況も情勢も全く把握してないしな。適当に答えて「東の国、だと? 貴様! あの国のスパイか! ええーい、叩きKILL!」とか剣を向けられても困る。
だが、こういう時に非常に便利な設定がある。
身元を探られることもなく、それでいてこの世界の情報も教えてもらえる、まさに一石二鳥の設定。
それは――
「――どうしてここにいるのか分からない」
「え? ど、どういうことです?」
「名前以外、何も思い出せないんだ」
俺がそう言うと、ミリアは目を見開いた。
「そ、それって……」
「記憶喪失、ってやつだと思う」
これだ。
身元の説明もいらず、それでいて記憶が無いから一方的に相手から情報を引き出せる、まさにアルティメット設定。
問題は相手に信じてもらえるかって点だけど……どうやら心配ないようだ。
目は口ほどに物を言う。
ミリアの瞳に、俺を疑うような感情は微塵も見えない。
見ず知らずの行き倒れ男を助ける辺り、とんでもなく純真無垢で優しい少女のようだ。
俺の言葉を心の底から信じているらしく、息を呑んだ表情で俺を見つめている。
ミリアは震える唇で言葉を紡いだ。
「な、名前以外何も覚えていないんです? こ、故郷は……?」
「分からない」
「か、家族の顔は? お父さんやお母さんの名前はっ?」
「すまない……全く覚えていないんだ……すまない」
ミリアの質問に答えていく。
この辺り、別に嘘を吐いているわけではない。
昔の記憶は殆ど無い。家族の顔もぼんやりとしか覚えていないし、名前も同じだ。薄情と思われても仕方がないが、最後に会ったのは何世紀も前なんだ。流石に覚えていない。
ただ優しくて時に厳しかった記憶はある。
そして家族に纏わる印象的な出来事はハッキリと覚えている。
父親は一言で言うなら「気合」の人だった。
俺の非処女アレルギーが分かったとき、根性論信者の父親が国中から非処女を100人くらい連れてきて「さあ血を飲め! 飲めば強くなる!」とか酒を強要してくる大学の先輩みたいに面倒くさいことを言い出した記憶はハッキリ残っている。
あの時に出来事のせいで、非処女の血に対するアレルギーだけでなく、非処女自体に苦手意識を持ってしまった。
集まったのは美人だったが、いくら美人だろうと非処女は非処女。彼女達に流れる血は、一切受け付けない。そんな彼女達の血を次々飲まされ、俺は非処女に対して完全にトラウマを持ってしまった。
その出来事から分かるように、俺の父親は『獅子は我が子を千尋の谷へ突き落とす』を地で行ってる人だった。
一方母親は正反対に優しく、その優しさは過保護染みていた。
俺がどこへ行くにも自身の使い魔を警護につけ、その過保護っぷりたるや完全にプライベートが存在しなかった。
自分の部屋どころかトイレですら1人になれない。そんな環境はストレスの溜まるものだった。
そんな両極端な親に育てられた俺が、成人と共に実家を出たのは当然だった。
実家を出た俺がその後どうしたか、それはまた別のお話(というか殆ど覚えてない)
俺が懐かしい過去の回想から現代に戻ってくると――何故かミリアが泣いていた。
口を手で覆い、ぼろぼろと大きな涙の粒を止め処なく零している。
「ええ……? な、なんで泣いてるの……?」
「だ、だって、そんなの……辛すぎるです……! 生まれた場所も、お父さんやお母さんのことも覚えてないなんて……もし私がそうなったら……ひぐっ」
自分の境遇に置き換えたのか、更にボロボロ涙を流す。
い、痛い……。心が痛い……。
俺が吐いた嘘のせいで、目の前の少女を泣かせていると考えると、胃がキリキリ痛む。
かと言って、今更訂正することもできない。
嘘でしたーってドッキリ看板出した瞬間に「なに、嘘だと!? ええーい捻りKILL!」みたいな展開になったら困る。
ミリアは泣き続ける。
気のせいかさっきより涙の勢いが強くなっていた。
「ご、ごめんなさい……! ふぐっ、ハ、ハイガさんの話を聞いて故郷のことを思い出したら、急に寂しくなって……ひっく。故郷を離れて1年経つんだなぁって思ったら……ぐすっ」
そういえばミリアはかなり若く見えるが、実際の年齢はいくつくらいなんだろうか。
見た目は元の世界なら○学校に通っていてもおかしくないような年齢だ。
もしそんな年齢だったら、1年も故郷を離れて暮らすのは相当辛いだろう。
だがここは異世界。目の前の相手が見た目通りの年齢とは限らない。
もしかしたらこんなナリで200歳とか超えている、そんな馬鹿みたいな想像は否定できない。
暫くして泣き止んだミリアは、まだ赤い瞳をぐしぐし拭い、俺の手を力強く握った。
「ここで会ったのも何かの縁です。私が力になるです。ハイガさんが記憶を取り戻すまで、私が側にいるです……!」
「い、いや流石に会ったばかりの子にそこまでさせるわけには」
「困ったときはお互い様です! それに私は困ってる人を助けるために冒険者になったんです! エミリア様のように!」
そう言って、握った手を更に強く握り締める。
ミリアの瞳に悪意や下心なんて淀んだ感情は全くなく、彼女は心の底から俺を助けたいと、そう思っていた。
長年人間を見つめ続けてきた俺には、その人間の目を見てどんな人間なのかが大体分かる。
彼女――ミリアは底抜けにいい子だ。
しかしエミリア様って誰だ?
まあ、あとで聞けばいいか。
ここは当初の予定通り、助けてもらうことにしよう。
俺はこの世界のことを何も知らない。
是非ともお願いしたい。
「じゃ、じゃあ……お世話になろうかな?」
「はい! 色々大変だと思いますけど、頑張りましょう!」
そういうわけで、俺は異世界に来て初めての知り合いができたのだった。