異世界へ。そして燃える俺(やる気的な意味と物理的な意味で)
『異世界にでも行ってみないか?』
狐はそう言った。
「異世界ってお前……どういう意味だ?」
『そのまんまの意味だよ。異世界だよ異世界。ここじゃない世界――剣と魔法のファンタジーワールド! やったね!』
「……新しいネトゲに誘ってるのか?」
『ちげーよwww実はな――』
狐の話をまとめてみる。
狐は昔、個人のホームページでここ数年流行になっている『異世界転生物』の小説を書いていた。
それはもう熱心に書いていて、それなりに固定ファンも付いていた。
が、狐は飽きやすい。別の物に興味の対象が移ったので、つい最近までそのホームページを放置していたのだ。
そして最近になってそのページに久しぶりにアクセスしたら、何か……ページが変化して、異世界への扉になっていた。
ということらしい。
『文字には魔力が宿るって昔から言うだろ? オレこのころ、マジで命かけて書いてたから多分知らない内に妖力とか籠めてたんだよきっと。で、その妖力が今になるまでジックリ熟成されて、いい具合に変化を起こしてこう……異世界に繋がったんだ。書いてたのも異世界物の小説だしなww』
「熟成って……カレーか何かかよ」
何言ってんだコイツ?
きっとアレだ。ゲームばっかしてる上に偏食家だから精神的なアレが失調したんだ。そうに違いない。
「油揚げばっかり食べて頭がおかしくなったのか?」
『失礼だなお前はwまあ、見てみろよwwwクリッククリックwww』
モニターに表示されたアドレスに仕方なくアクセスする。
昔懐かしいレイアウトのホームページ(無駄に重い、BGMがうるさい。文字のフォントがアホみたいにデカい、エフェクト使いすぎ)が表示され、その中心にはデカデカと――魔法陣があった。
この魔法陣が狐曰く、異世界への扉なんだろう。
……アスキーアートで形成された魔法陣が。
胡散臭い。
「これで異世界に行けるって……まだトラックに轢かれて神様に云々とかの方が信じられるわ。アホらしい」
『と思うじゃん? 行けたわ異世界』
「は?」
行けたって……どういう意味だ?
まるで実際に試したかのような言い方だ。
『だから実際に試したんだよ。ほらオレって妖狐じゃん? 尾を1本切り離してさ、そいつに試させたわけ。そしたら見事に異世界へまっすぐゴー! 異世界行った尾とはすぐに連絡取れなくなったけど、間違いなくここじゃない別の世界に行ったぜ。尾が伝えてきた最後のセリフは「ドラゴンに食べられてるなう」だったわw』
「食われてんじゃねーか。ていうか……え? マジで? マジで異世界?」
『マジマジ』
その話が本当なら、この怪しすぎる魔法陣は本当に……異世界への扉ってことか?
いやいや、異世界とか……そんなネット小説じゃあるまいし。
現実的じゃない……いや、現実的な存在から遠い吸血鬼の俺が言うのも変な話か。
世の中には現実では考えられない現象や存在が確かにある。今の時代、殆どが失われつつあるが確かにあるのだ。
そう考えると、異世界転移という非現実的な現象も満更ありえない話ではないのかもしれない。
『ちなみにこの魔法陣だけど、超不安定であと1回しか使えないっぽい。しかも使わなくても、そろそろ消えそうなわけだが』
集中してその魔法陣を見る。確かにその魔法陣には何かしらの力を感じた。狐曰く『妖力』、人外が使う力を感じる。
それもかなり集中しないと感じられないくらい今にも消えそうな力だ。
『で、どうする? 決めるなら今だぜ?』
「いやいきなりそんなこと言われても……」
よし分かった、といきなり挑戦する気にはなれない。
だが一方でこのままこの世界で燻って消えてなくなるなら、一縷の望みに賭けてもいいのではと囁く自分もいた。
確かにそうだ。このままただ消えるよりは、どんな世界かは分からないが、別の世界に行くのもいいかもしれない。
そもそも本当に異世界に行けるか分からないが……挑戦するならタダだ。
もし本当にゲームのような異世界に行けたとしたら……もう1度やり直せるかもしれない。
新しい人生を歩めるかもしれない。
「……ん? だけどお前はどうなんだ?」
『何がよ?』
「お前は異世界に行きたくないのか?」
『バッカお前。オレがいなくなったら誰がババアの面倒みんだよ。それにさ……オレ、異世界で剣振るよりも部屋に篭もってアニメ見てる方がいいし。もっとぴょんぴょんしたいし。○コ動のコメント職人としてのオレを待ってくれてるみんな達がいるし。○ウシュリーのゲーム全部終わってないし。……そういうわけでオレは行けねえ、悪いな』
「あ、そう……」
最初だけ聞いてたら凄くいい話なんだけどな。
まあ、確かにコイツはこういうやつだ。
『お、不味いな。消えるぞ』
「なに!?」
画面に映る魔法陣は今にも消えそうに点滅を繰り返していた。
いや、行くにしても準備とか……!
「ええい! こうなりゃヤケだ!」
俺は半ばヤケクソ気味に魔法陣にアクセスした。
瞬間、部屋の中にまばゆい光が満ちる。
生まれてから浴びたことの無い、全身を包む光。太陽のような眩くて暖かい光。
その光に、自分の体が溶けていくような不思議な感覚。
『じゃあなー。せいぜい楽しんでこいよー。あ、オレの尾にもよろしくなー、生きてるか知らんけどw』
狐は最後まで普段と変わらないノリの軽い口調でそう言った。
長い間付き合ってきたが、別れの瞬間まで相変わらずだ。
俺は言い返そうとしたが、その時には既にこの世界から消失していた。
■■■
光の奔流が収まり、目を開くと、薄暗い森の中にいた。
周りを木々に囲まれた森。
鬱蒼と生い茂った、太陽の光が一切差し込まない森の中。
俺はそんな森の地面の上に寝そべっていた。
「ここは……?」
体を起こして周囲を見渡す。
一見どこにでもある普通の森にしか見えない。
先ほどまで俺は自分の部屋にいたはずだ。
そして狐の言葉を信じて、異世界の門とやらにアクセスした。
ということは、本当にここは異世界なのか?
本当に……異世界なのか?
もしかしたら狐に騙されて、ただ日本の別の場所に飛ばされただけなんじゃ?
死ぬなら樹海に行けば……って感じで気を遣われたんじゃないか?
「……ふぅ」
真実は分からない。だがすぐに分かるだろう。
取り合えず一旦落ち着くために深呼吸をした。
深く息を吸う。
新鮮な空気を取り込む。
――瞬間、脳裏に衝撃が走った。
「なんだこれ……空気うまっ!」
空気が美味い。尋常じゃない美味さだ。
そしてどこか懐かしさを感じる。
そう、これは昔、それもずっと昔の地球の空気。
まだ俺たち幻想の生き物が至るところにいた時代の空気。
あの頃の懐かしい空気が当たり前のように満ちている。
いや、もっとだ。もっと濃い。
空気に混じっている幻想が、俺が知っている昔以上に濃い。
「すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁっぁぁぁ」
思い切り深呼吸をする。
どこまでも体に馴染む空気。例えるならそう――実家のような安心感。浸っているだけで落ち着く穏やかな雰囲気。
そんな空気が充満していた。
これだけでここが異世界であることの証明になった。
そう、ここは異世界だ。
幻想が失われつつある元の世界とは違う。未だ幻想が在り続けている世界。
俺が望んでいた世界。
「本当に異世界なんだな……」
つまりここには、俺を追う『連中』もいない。
最近、俺を見る目が『家賃が払えないなら……分かるよな?』と怪しい大家もいない。
朝から晩まで覚えてたての猿のように○ックスしまくるクソうざいカップルもいない。
昼間歩いてるだけで通報する失礼な奴らもいない。
一見すると処女に見える詐欺染みた非処女も……いない!
1週間前に遭遇して以来、銀のフォーク片手に徐々に俺の家へとその捜索範囲を近づけている女子高生非処女もいない。いないのだ。
そういった面倒なしがらみから開放されたのだ。
「よっしゃ!」
現金なものでそう考えた瞬間、俺の体には気力と精神力が一気に満ちた。
ついさっきまで消滅することを受け入れていた自分がいたとは思えない。
正月明けに新しい下着に履き替えたような清清しい気分。
まるで生まれ変わったような気持ちだ。
いや、生まれ変わったのだろう。
この世界でやり直すために、生まれ変わったのだ。
「座ってる場合じゃねえ!」
俺は立ち上がり、駆け出した。
目的などない。
ただ走り出しただけだ。
走っているだけでも気持ちがいい。
幻想に満ちた空気の中を駆け抜ける快楽。こんなに気持ちいいのは久しぶりだ。
俺は走った。
足が軽い。体も軽い。まるで羽のようだ。
異世界の土を踏みしめ、異世界の空気を肌で感じ、異世界の匂いを吸い込んだ。
胸に灯っているのは今にも爆発しそうな感情――希望だ。
無くなって久しい希望という感情が胸の中を暴れまわっている。
今もし鏡で自分の目を見たなら、きっと希望の光でキラキラと輝いているだろう。
もう死んだ魚のような目とは言わせない。
つまり――
「超楽しい!」
それだ。
声に出して分かった。俺は今超楽しい。
失われた懐かしい空気の中で生きている。こんなに楽しいことはない。
生きている実感を全身で感じている。
俺は森の中を駆け抜けた。
駆けていると木々の先に光が見えた。
その光に向かって走り抜ける。
光にたどり着き、その光が俺の体を包む。暖かな光。
「……ははは」
光が収まり、目に入ってきたのは――空。
どこまでも突き抜ける――青い空。
先が見えないほど広がっている――広大な草原。
体に降り注いでいるのは――眩い太陽の光。
元の世界で汚染されていた空とは比べ物にならないくらい、鮮やかな光景。
生まれて初めて海を見たような、そんな原初的な感動が胸に広がった。
興奮からか足がぶるぶる震える。
空を見上げると、見たことの無い巨大な鳥がギーギーと鳴きながら自由に羽ばたいていた。
俺は笑った。数百年ぶりに大声をあげて本気で笑った。
何だか分からないが、楽しくてしょうがなかったのだ。
疲れるまで笑って、改めて世界を見た。
これから俺が生きていく世界だ。
新たな人生を歩む世界。
さあ何をしようか。
そう、夢だ。あの日の夢をもう1度叶えよう。
世界を旅して、色んな人に会って……ハーレムを作る。
ここでならそれが出来るはずだ。
誰も俺を知らない、この真っ白な世界でなら。
この世界を俺という色で塗りつぶす。
「やってやるぞ! ハーレム王に、俺はなる!」
――完
いやいや終わらないから。
これからが始まりだから。
「……ん?」
ふと美味しい空気の中に、何やら香ばしい匂いが混じっていることに気づいた。
何かが焼けるような匂い。
食欲を誘う匂いだ。『普通の食事』を最後にしたのはいつだっただろうか。
確かこの世界に来る前、ネットゲームをしながら賞味期限が切れた半額の菓子パンを食べただけだ。パサパサと味気ないジャムパン。
うん、そりゃ腹が減る。
しかしこの肉が焼ける匂いは一体どこから……?
BBQか……? 異世界人がBBQをやっているのか!? こんな昼間から……流石異世界だ……こんな昼間からBBQを……けしからん。
是非ともご相伴に預かるとしよう。
どんな異世界人かは分からないが、BBQ好きに悪い人はいないはず。
初めての異世界人遭遇だ。異世界代表として平和的に行きたいものだ。
吸血鬼らしく紳士的に行こう。
さて、この匂いは一体どこから……ん?
「げほっ、げほっ!」
何だこの煙? 煙たいぞ。ていうか煙に包まれているんですけど。
どんだけ近くでBBQやってんだよ。風向きとか考えろよな。
……いや、待てよ。
この匂いと煙……近すぎる。
まるで至近距離でBBQをやっているような……。
「至近距離?」
俺は脳裏に浮かんだ灯台下暗しという言葉に従い、自分の足元を見た。
――燃えていた。
足が燃えていた。
俺の脚が燃えていたのだ。
ついでに言うと、足から上、腹、手……あ、顔も燃えた。
視界が炎で染まっていた。
燃えていたのは俺だった。
全身が炎に包まれていた。
200X年、俺は炎に包まれた……!とかナレーションを入れてみたくなる、豪快な燃え方だ。
つまり俺はセルフBBQをしていたのだ。
そりゃすぐ近くから匂いやら煙が出るわね。
「うおおおおおおおい!? 燃えてるぞ俺えええええ!?」
ようやく自分の状況を認識する。
自分の体に着いた火を消そうと草原と転がりまわる。
今の俺は動くキャンプファイヤーだ。
しかしいくら転がり回ろうと、火が消えることはなかった。
それどころかどんどん勢いを増している。
何だコレ!? え、マジでなんなの!? 異世界に来てテンション上げすぎたから神様が『コイツうぜえ』って感じる怒って天罰でも食らわせたの? いや、確かについ最近まで『ハイガです……もうすぐ消えてしましそうです……ハイガです……』が口癖の根暗ボーイだったけど……いいじゃんか。異世界デビューしてちょっと調子に乗るくらい許してくれや。そんな燃やすくらい罪深いか俺? 燃やす……火……熱い――太陽?
と、そこでようやく自分が発火している原因に思い立った。
俺は吸血鬼だ。
吸血鬼の一番有名な弱点は……そう太陽の光だ。
俺は異世界に来ようが吸血鬼であることに変わらず、異世界の太陽だろうが関係なく弱点になっているようだ。
そうと分かれば、撤収だ。
「……はぁ、はぁ……はぁ。し、死ぬかと思った」
太陽の光から逃げるため、再び薄暗い森の中に逃げ込んだ俺。
森の中に入った瞬間、体に纏わり着いていた火は嘘のように消えてしまった。
常識的に考えるとありえない現象だが、これが吸血鬼という存在だ。
「あ、危うく異世界に来て速攻で人体発火からの昇天コンボを決めるところだった。……落ち着こう俺」
冷静に行こう。
さっきはちょっとおかしかった。
異世界に来たことの感動で、明らかにおかしなテンションになってた。ハーレム王に俺はなる、とか言ってたし。アホか。
自分の最大の弱点である太陽のことを忘れるなんて、間抜け以外の何者でもない。
落ち着いて自分の状況を再確認することに。
俺は狐の言った通り異世界に来た。
別に異世界に転生して新しい肉体に生まれ変わったわけではなく、そのまま吸血鬼としてこの世界に来た。
吸血鬼としての弱点はそのままだ。
太陽で発火したってことは、他にもアレやコレなど色々な弱点はそのままなんだろう。
せっかくだから、今まで読んだネット小説のように、新しい自分に生まれ変わりたかったという思いはあるが……まあしょうがない。
「しかし凄い火傷だな……よく生きてたな俺」
体を見ると普通の人間だったら再起不能になるレベルの火傷を負っていた。全体的に重症だ。一部、炭化してしまってる所もある。こんな風に太陽の光で火傷を負ったのはいつ振りだろうか。
実際死にそうなくらい痛い。そしてかなりグロイ。ブラクラレベルのグロさだ。
しかし吸血鬼としての弱点がそのままなら、特性もそのままのはず。
火傷を負った体を見ていると、ゆっくりとだが確実に傷が癒えていた。
重度の火傷を負った皮膚が、少しずつ元の皮膚に戻っている。
よかった。ちゃんと治ってる。
吸血鬼の特性は限りなく不死に近い不死。
昔と比べて『死ににくさ』は随分控えめになったが、それでも死なない限り、こうして体は癒える。
こうして俺の異世界ライフは、とりあえず自分の火傷が治っていくのを見ながら待機することから始まった。