夜のランニング
2章開始ですね。
~前回までのあらすじ~
現代社会に生きる数少ない吸血鬼こと俺『ハイガ』は、知り合いの妖狐の誘いに乗って異世界に渡った。
森の中で目覚め取り合えず太陽の光で焼死しかけたり、餓死しそうになって土を食べようとしたり色々あったが、初めて出会った異世界の少女『ミリア』に助けられ、何とか生きながらえた。
そんな俺達の前に現れた敵『ウッドベアー』。俺とミリアは文字通り『瀕死』になりながらも、ウッドベアーを撃退した。
その過程で俺は死にかけのミリアを眷属にした。
眷属は1日に1度、主ある吸血鬼――この場合は俺から、血を吸わなければ、消滅してしまう。
遠まわしながらもそうミリアに伝えたのがここまでのお話。
■■■
ウッドベアーを倒し、眷属化の事を話し合った俺達だが、現在は森の中を走っていた。
消滅を防ぐための吸血をする段階になって、ミリアが「森の中でなんて嫌です! 初めては自分の部屋で!」とか言い出したからだ。
そういうわけで、ミリアが今住んでいる村へと戻っている途中だ。
薄暗い森の中をミリアが先導する。
道には岩やら倒木が散らばっているが、ミリアはそれらを器用に避けながら駆け抜けている。
本人も気づいていないだろうが、眷属化したことで夜目が利いているのだろう。
「ハイガさん、もう少しで森を抜けます。しっかり着いてきて下さいね!」
背を向けたまま走るミリアが言った。
俺は「オッケーミリア!」と元気よく返事をしたかったが、正直置いていかれないように走るだけでいっぱいいっぱいだった。
暫く走ると、ミリアの言う通り森を抜けた。
森を抜けた俺の目に飛び込んできたのは――異世界の空だ。
異世界に来て見た、2回目の空。1度目は雲一つ無い青空と太陽にこんがり焼かれたが、今回は夜だったのでその心配はなかった。
「うわ……」
夜空を見上げ、立ち止まってしまう。
それほどまでに綺麗な夜空だった。元いた世界とは違って、一切汚れていない綺麗な空。
空に瞬く星がとてもクリアに見える。
懐かしい空だ。元の世界で失われた澄み切った空。
純粋に綺麗なものを見た感動で、思わず心が揺れる。
「凄い綺麗だ……。まるで真っ黒な絨毯に金平糖をばら撒いたみたい……」
あまりの感動に、自分の中に眠って久しいポエミーな部分が出てきてしまった。
やばい、ミリアに聞かれたか!? これは恥ずかしい……!
とミリアを探すと、俺がポエムを奏でている間に、随分先に行ってしまっていた。
「ハイガさーん! 何やってるんです? 置いていきますよー」
俺が立ち止まっていることに気づいたのか、ミリアがぶんぶんと手を振りながら言った。
俺は恥ずかしいポエムを聞かれなかったことに安堵しつつ、内心ちょっとポエムの評価をして欲しかった……と相反する感情を抱きながら、ミリアの元へ向かった。
星の光だけが照らす道を駆け抜ける。
森から村へ続く道は、それなりに舗装されており、障害物の多い森を走るよりも随分楽だった。
だが、それでも軽く2時間近くは走り続けている。
ただひたすら言葉もなく、延々と走り続ける。
流石に辛くなってきたので、休憩を申し出ようとするも、言葉を発すると別の物が発射されてしまいそうになる。
だからと言って立ち止まると、先ほどから何だかそわそわ落ち着かず余裕のないミリアは俺に気づかず走り去ってしまうだろう。
こんな道のど真ん中に放置されたら、恐らく次の朝に冷たくなって発見されるだろう。いや、朝になったら太陽に晒されて、灰すら残らない。
故にただ黙って走るしかなかった。
いつまでも続くと思われたマラソンも終わりを迎えた。
ゴールであるリッカの村にたどり着いたのだ。
「さあ着きました。ここがリッカの村です。……ふぅ、疲れたです」
「そうか……オエェェ」
結局3時間近く休憩なしで走り続けることになった。
あまりの疲労と辿り着いたことに対する安堵で膝が折れ、地面に手を着く俺。
一方ミリアは疲れたとは言っているが、殆ど息があがっていない。うっすらと汗をかいている程度だ。
「随分早く着きましたね。それにずっと走ってたのに、思ったより疲れてないです」
ミリアが不思議そうな顔で呟いた。
それはね。眷属化したことで、身体能力が上がってるんだよ? ついでに言うと内臓とか神経も強化されてるからね。免疫も強くなってるから病気にもかかりにくいんだよ?
新米吸血鬼にそう優しく伝えたいが、今の俺はゲロ吐く一歩手前なので、その余裕はない。
ちなみに同じ吸血鬼の俺が、どうしてここまでバテてるのかと言うと……単に運動不足なだけだ。昼間は家に篭もってネットゲームして、夜はバイトするだけの生活だからね。しょうがないね。
ようやく息も整ったので、立ち上がり周囲を見た。
今は村の門をくぐってすぐの中心にある広場のようなところにいた。
辺りに人影はない。
当たり前だ。今はもうすぐ日が変わる深夜。村人はもう眠っているのだろう。『夜』になって感覚が鋭敏になっているので、家屋に眠る村人の気配をうっすら感じる。結構大きな村のようだ。
「……じゃ、じゃあ……私が泊まってる宿屋に行くです。……うぅ、後少しで……き、緊張するです」
やはり落ち着かない様子のミリアが、頬を赤く染めながら歩き始めた。
村の中を暫く歩き、1軒の宿屋に辿り着いた。
看板に文字が書いてあるが、当然のように読めない。異世界の文字のようだ。
「入るですよ」
ミリアが宿屋の扉を開き入る。
俺も続いて中に入ろうとするが――見えない壁にぶつかったように進むことができなかった。
「あ、あれ? 入れないぞ?」
目の前には何も無い。
扉が収まっていた長方形の空間があるだけだ。だが、その空間には確かな壁があった。固い透明の壁が俺を遮っている。
「あ」
そこで俺は自分の――吸血鬼の弱点を思い出した。
吸血鬼という種族は入ったことのない建物には、その建物の主人の招きがない限り入れないのだ。
大変面倒くさい弱点である。お陰様で空き巣もできない。いや、するつもりはないけど。
この建物の主人は……宿屋の主人か。
呼んできて貰うのも面倒くさいし。
そうだな。
既に宿屋の中に入り、不思議そうな目で俺を見ているミリアに言った。
「なあミリア。ここはミリアが泊まってる宿屋だな?」
「はい。そうですけど」
「いわばミリアの家と言ってもいいな?」
「家って……まあ、村を出てから1年、この宿屋でお世話になってるですし、第2の家と言ってもいいですけど……」
よし、なら大丈夫だ。多分。
「招いてくれ」
「は?」
「どうぞって。俺を宿屋の中に招いてくれ」
「……遊んでないで行くですよ」
呆れた表情のミリアが俺の手を掴んだ。
そのままグイっと部屋の中に引きずり込んでくる。
「いたたたたっ! む、無理なんだって! 折れる! 腕が折れる!」
ミリアが無理やりに引っ張るので、透明の壁に押し付けられ、体がミシミシと音を立てた。
このままだと見えない壁に押し潰され、全身が粉砕骨折してしまう。
俺はミリアに自分の弱点について説明した。
怪訝そうな目でそれを聞いていたミリアだが、俺が言っていることが本当だと分かったのか首を傾げながら納得した。
「鏡に映らなかったり、招かれないと建物に入れなかったり……変な種族ですね、吸血鬼って」
「フフフ……ミリアよ。吸血鬼にはまだまだ多くの弱点があるんだぞ? それくらいで驚いていたら……この先やっていけないぜ?」
「……言ってて悲しくないです?」
「ちょっとな」
建物の主人に対する判定は割りとガバガバなので、宿泊客であるミリア相手でも招かれて宿屋に入ることができた。
入ってすぐに簡単な受付があった。受付の左に階段があり、右は奥に向かう通路がある。通路の向こうからはガヤガヤと複数の人間の話す声が聞こえた。そちらからは食事の匂いもする。宿屋の中にある食堂だろう。
受付は無人だった。
「エレナさーん! ただいまですー!」
食堂に向かって叫ぶようにミリアが言った。
暫くして、ドタドタとヘビーな音が近づいてきた。
ヘビーな音の正体――エプロンを着けた巨体が駆け寄ってきて、そのままの勢いでミリアに抱きついた。
ミリアの小さな体がふわりと宙に浮いた。
「ミリアッ! あんた無事だったのかい!? 1週間も帰って来なくて心配したんだよ!」
「ご、ごめんなさいエレナさん。……あ、あと恥ずかしいので、下ろして欲しいです」
一瞬一回り小さい言葉を喋るウッドベアーだと思ったが、普通に恰幅のいいオバサンだった。
ミリアは子供のように抱き絞められるのが恥ずかしいのか、頬を赤く染めちらちらとこちらに視線をよこしてくる。
オバサン……この宿屋の女将であるエレナさんが、ゆっくりとミリアから離れた。
「すまないねぇ。ミリアは小さいから、いつまで経っても子供扱いしちまう。あたしの悪い癖だね。でも本当によかったよ。怪我なく帰ってきて」
どうやらミリアはこの女将に相当気に入られているようだ。
確かに真っ直ぐな性格で優しく、小さくて可愛いミリアは可愛がり甲斐があるだろう。
ミリアが無事に帰ってきたのが嬉しいのか、ほっこりした笑みを浮かべる女将さん。
そしてようやくその視線が俺に向けられた。「誰だコイツ。いつからいたの?」みたいな視線だ。
「あ、エレナさん。この人は――」
ミリアが寄ってきて、俺の自己紹介をしてくれた。
森で倒れていたこと。記憶喪失であり、名前しか分からないこと。
それを聞いたエレナさんの表情が不審者を見る目に変わった。
「記憶喪失ぅ? 本当かいそれ? 怪しいもんだねぇ」
ですよね。普通はそうですよね。
速攻で信じちゃうミリアがおかしいんだよね。
「なあアンタ。もしかしてこの子の優しさに付け込んで、騙してるんじゃないのかい? もしそうだったらこのあたしが許さないからね」
睨みつけながらこちらに近寄ってくるエレナさん。
不審者を叩きのめしてやろう、そんな雰囲気を感じる。
怖い。ウッドベアーが迫ってきたときの恐怖が蘇る。
エレナさんが腕まくりをして丸太のようにぶっとい二の腕を露出させながら凄んできた。
「本当のことを言うなら今だからね。今なら腕の1本や2本で済ませてあげる」
「う、腕の1本や2本を……お、折られるんですか?」
「違うね。――えぐり出してスープの出汁にしてやんのさ!」
「ひぃっ!」
エレナさんの眼からは冗談を感じ取れず、マジでやってやるという凄みを感じた。
怖い。思わず自分がやっていない罪から何かまでを暴露してしまいそうなる。
その時、俺とエレナさんの間に小さな影が割って入った。
ミリアだ。
「エレナさん! ハイガさんは悪い人じゃないです! 私の夢を笑ったりせず真剣に聞いてくれる優しい人です! そ、それに私のことを命を賭けて助けてくれたです!」
ミリアが俺の手を握った。
「いくらエレナさんでもハイガさんのことを悪く言うなら、私……怒るですよ!」
「ミ、ミリア?」
エレナさんが驚いた表儒でミリアを見た。
ぱちくりと目を開閉させる。
そんなエレナさんを涙目のミリアが睨みつける。
「……そうかい。疑って悪かったね、あんた……ハイガ、だっけ?」
「あ、はい」
俺に声がかけられた。
先ほどまでの殺る気満々の声ではなく、申し訳なさそうな声だ。
「すまなかったね。1週間ぶりに帰ってきたミリアがいきなり見ず知らずの男を連れて帰ってきたもんだから、あたしもちょっと気が動転して……酷いことを言っちまったね」
申し訳なさそうに頭を下げるエレナさん。
いや、実際見ず知らずで怪しいし、不信感を持ってもおかしくは無い。
「気にしてないですから。怪しいのは自分でも分かってますし」
「そうかい? そう言ってもらえると助かるよ。ミリアもすまなかったね。アンタがこんな風に怒るところなんて初めて見たよ。それくらいこの男が大切なんだね」
エレナさんの言葉に、ミリアが恥ずかしそうに頬を染めた。
「い、いや大切というか何というか、その……」
「そんな大切な男に失礼なこと言っちまって本当に悪かったね」
「そ、そんなに謝らないで下さい! わ、私も急に大きな声を出してごめんなさい!」
一時は怪しい雰囲気だったが、どうやら問題なくなったらしい。
ミリアは改めて俺との出会いから今までを語った。流石に血を吸われて人間じゃなくなったことは省いていたが、途中死にかけたことを話すと、再びエレナさんはミリアを抱きしめた。
続いてそんなミリアの命を救った俺を抱きしめた。
「あんたやるじゃないか! 私からもお礼を言うよ!」
豊満過ぎる肉体に抱きしめられ、体が軋んだ。
笑顔を浮かべたエレナさんは、俺達を食事に招いた。
俺も空腹だったので喜んでその申し入れを受けようとしたが、ミリアが俺の手を引き
「え、えっともう遅いので、お部屋で休むです」
そう言ったので、夕食は無しになった。
「そうかい? しっかり休むんだよ。ハイガの部屋はどうするんだい?」
「いえ、一緒の部屋でいいです」
ミリアがそう言うと、エレナさんがニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「ほぉー一緒の部屋にねぇ。なるほどなるほど……いやぁ、子供だと思っていたミリアが……なるほどねぇ。あたしも歳を取るわけだわ」
「うぅ……! そ、そういうのじゃないです! もうっ、ハイガさん行くですよ!」
顔を真っ赤にしたミリアに手を引かれて、階段を上がっていく。
階段を登る俺の背に、エレナさんの「その子、初めてだから優しくしてあげなよー」という声がかけられた。
初めて? 何のこっちゃ?
いくつか扉が並ぶ廊下。その中の1つに入る。
中にはベッドと小さな棚があるくらいの、シンプルな部屋だった。
ここがミリアが泊まってる部屋か。
「じゃあハイガさん。荷物を置いたら1回外に出てください」
「は? なんで?」
死ぬほど走って疲れたんだ。さっさと血を吸って休みたい。
「……お、女の子には色々とあるんです。言わせないで下さい、恥ずかしい」
しかし、顔を赤くしながらそう言うミリアに、あっというまに追い出されてしまった。
廊下で体育座りをしていると、大きな桶を抱えたエレナさんが階段を上がってきた。
「おや、あんた。こんな所でなにしてんだい?」
「いやなんか……女の子には色々あるからどうとかで追い出されて」
「ほーん。なるほどねぇ……やっぱりそういうことなんだね。いやいや、あたしの女の勘もまだまだ鈍っちゃいないようだね。あの子の眼にあった覚悟……フフッ懐かしいね。あたしも夫と迎えた初めての夜にはあんな眼をしてたんだろうねぇ」
何やら遥か昔に過ぎ去った過去を懐かしむ様子のエレナさん。
桶を抱えたまま、ミリアの部屋に入り、暫くしてから出てきた。
「ハイガ。あんたちょっと臭いね。ちょっと待ってな」
人をいきなり臭いもの呼ばわりしたかと思えば、再び階段を下りていく。
いやいやそんなに臭くないだろ……と自分の体を匂ってみたら、ヤバイくらい臭かった。
そりゃ血やらゼリーやら涎やらを被ってたら臭くなるわな。
暫く待つとエレナさんが再び大きな桶を抱えてきた。
その桶を俺の前に置く。桶の中にはお湯がたっぷり入っていた。
「えっと、これは?」
「お湯だよお湯。あんたも体を綺麗にしときな。色んなところを……ね、フフフ。あとそのボロだらけの服を寄こしな。洗濯しといてあげる。服は旦那のでよければ着な」
「ど、どうも……」
「何回も言うけど……あの子に優しくしないと承知しないからね。泣かせたりなんかしたら……いや、今夜だけは泣かせてもいいさね。えっへっへ」
エレナさんはニヤニヤ笑いながら、去って行った。
俺はお言葉に甘えて、お湯で体を洗った。廊下で体を洗うことに抵抗はあったが、深夜だからか人目がなくて助かった。