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異世界に渡った現代吸血鬼の生態~実践編~  作者: タクティカル
第一章 異世界の始まりは闇より深い森の中
14/19

VSウッドベアー~逃走~

「もうっ、今日ハイガさんに血を吸ってもらうのは私の番でしょ!」


「あなたは最初の頃から居るんだから、たまには後から来たあたし達に譲ってくれてもいいでしょ!?」


「そうだそうだー」


「じゅ、順番は順番よ! あなた達は大人しく自分の順番を待ってなさい! きょ、今日は久しぶりにハイガさんと2人きりになれるんだから……! 邪魔はさせないわ……!」


 食堂で行われるそんなやり取りを、影から見守る俺。

 どうやら何とか揉めずに済みそうだ。

 城に住むハーレムたちが増えてこういった諍いは着々と増えてきている。

 その不満が俺に向かうのは問題ないが、女の子達が互いにその刃を向け合うのは絶対に避けなければならない。その為に、こうして様子を見ながら、少しでも不満がたまらないようにフォローをしなければならない。

 正直いって辛いと思うこともある。

 ハーレムが増えるに従って、問題は大きくその幅を増やしていく。

 俺が抱える問題もどんどん増えていく。


 だがそれでも、幸せな毎日だった。

 辛いことも多いけど、それでも楽しい毎日だったのだ。

 毎日が楽しくて……この生活がずっと続けばいいと、そう思ったのだ。



▼▼▼


「――ガハッ」


 背中に衝撃を受けた瞬間、飛んでいた意識が戻ってきた。

 しばし懐かしい記憶に浸っていたが、背中に感じる猛烈な痛みで現実に引き戻された。ハーレムの甘い日々から戻るとそこは、血まみれな現実だ。

 現状を確認する。

 俺とミリアはお互いを助けようとしたが失敗し、ウッドベアーの爪が直撃したようだ。そしてミリアともつれ合うように吹き飛ばされ、木に叩きつけられたらしい。


 木に叩きつけられたことで、肺から無理やり空気が押し出され、空気と一緒にドロっとした血が大量に口からこぼれた。


 今は木の幹を背にした状態で座っている。

 自分の体を見ると右肩から左腹部にかけて巨大な爪で抉り取ったような傷があった。

 いや、ようなではなく、実際に削り取られたのだ。ウッドベアーの巨大な爪で。

 皮膚が削り取られ、あばら骨が露出している。そのあばら骨も何本か失われていた。

 くっ、あばらが何本かやられた……! 余裕があったらそんな台詞を言ってみたいが、尋常じゃない痛みの前に余裕なんてない。恐らく生きる上で必要不可欠な臓器が露出し、そのいくつかに致命的な損傷がある。

 簡単に言えば、俺は現在進行形で瀕死の状態だった。


「はぁ……っ、はぁっ……」


 俺達を吹き飛ばした張本人であるウッドベアーを見ると、四つん這いの状態でゆっくりとこちらに近づいていた。

 この傷では動けないことを理解しているのか。余裕を持って近づいてきている。

 その理解は正しい。俺は歩くどころか立ち上がることもできない。完全なる致命傷だ。

 辛うじて生きていられるのは、吸血鬼の不死性があるからだろう。

 この傷もいずれは癒える――だがその前に確実に食われるだろう。何とか保っている意識も、油断すれば一瞬で溶けて消えてしまいそうだ。


 視線をすぐ下、俺の腹を枕にしているミリアを見た。

 ミリアも俺と同じような傷を負っていた。

 軽装の皮鎧はズタズタに引き裂かれ、体に深く爪跡が刻まれている。

 この世界の医療がどれほどのモノかは分からないが、この傷を治療し彼女が再起する可能性はほぼ皆無だろう。もしこの場にブ○ックジャック先生がいれば別だが。それほどまでに傷は深い。下手をすれば内臓を露出している俺よりも傷が深い。


 目は開いているが虚ろで、その瞳には何も写していない。

 口から血が混じったヒューヒューという小さな呼吸音が聞こえるので、俺と同じように辛うじて生きてはいるのだろう。

 だが、長くはない。このまま放っておけば死ぬだろうし、放っておかなくてもウッドベアーに食われて死ぬ。


 俺とミリアを取り巻く状況は、まさしく絶対絶命というやつだった。

 俺にこの場を脱する素晴らしいアイデアは思い浮かばす、誰かが助けるに来る気配なんてものはない。

 現実にあるのは瀕死の2人の冒険者の前に迫り来る――捕食者、それだけだ。


 だが、そんな状況だというのに、ミリアはまだ剣を手放していない。

 意識は既に無いだろうに、その手は力強く剣を握っている。

 それが唯の肉体の生理反応なのか、それとも死を間近にして体が硬直しているのか。

 どちらでもいい。

 そのミリアの姿は俺を行動させるのに十分なものだった。

 小さな少女が死に掛けでも頑張っているのだから、自分も少しは頑張らねば……そんな感情が心に火を付けた。


「――フゥッ」

 

 まだここでは死ねない。

 その『諦めない』感情がズタズタに引き裂かれたはずの胸に満ちた。

 木を背にしてズルズルと立ち上がる。

 引き裂かれた胸からベチャリと何かが落ちたような気がするが、多分不要な臓器か何かだろう。

 

「はぁっ……はぁっ……!」


 俺はフラフラと立ち上がった後、ミリアの両脇に手を差し込み、ゆっくりと後退をした。

 一歩後ろに下がる度に、口から血がこぼれ出てくる。

 だが何とか足は動いた。

 ウッドベアーの姿は目に入らない。そんな余裕は無い。

 ただひたすら後退する。


「はぁっ……っつあ!?」


 何かにつまづき、ミリアと絡まるように背後に転倒した。

 その瞬間、頭のすぐ上を暴風が通り抜けていった。

 その暴風がウッドベアーの爪だったのに気づいたのは、地面に倒れこんだ後だ。

 俺はミリアを押し倒すように地面に倒れていた。

 今朝、実験と称してミリアの血を吸おうとした時と同じような状態だ。まあ、今朝はお互い血まみれじゃなかったが。


 地面に倒れている俺のすぐ後ろにウッドベアーの気配を感じる。

 どうやら思っていた以上にウッドベアーの接近は早く、逃走する俺にすぐ追いついたと思われる。いや、俺の移動速度が遅すぎたのか。


 そして最後のとどめをお見舞いしようと爪を振るったが、俺が足を滑らせ転倒したせいでその一振りは空振りになったらしい。奇跡的な回避だ。もうそんな奇跡は起きないが。

 

『ガアアアァァ……』


 低い唸り声と生暖かい吐息がじっとり俺の背中を撫でた。

 ポタポタと背中に垂れているのは、ウッドベアーの涎だろう。

 ウッドベアーは俺のすぐ真後ろにいる。


 先ほどは奇跡的に攻撃を回避できたがが、次は違う。

 ウッドベアーがその口を開き――ただ閉じるだけで俺とミリアの命は終わる。

 あっという間に噛み砕かれ、胃の中に収まってしまうのだろう。

 満身創痍の人間2人にこの場をひっくり返す方法はない。

 致命傷を負った人間2人にできることはない。

 傷を負い歩くことも立ち上がることもできない人間には、この場を打倒する方法はない。

 

 ――だが俺は人間ではなかった。


 地をしっかり踏みしめ、深く息を吐きながら俺は立ち上がった。


『――』


 突然勢いよく立ち上がった俺を見たウッドベアーが、その体を硬直させた。

 ありえないものを見たからだろう。

 先ほどまで立ち上がるのにも何かを伝い、歩くのも亀のようにのろまだった人間が、突然飛び上がるかのような勢いで立ち上がったのだ。

 更に先ほど骨が見えるまで抉り取ったはずの傷がなく、傷一つない新品の皮膚が見えている。

 理解が及ばず驚いて体が硬直するのも当然だ。


 だがそのチャンスを逃す手はなかった。

 俺は静止しているウッドベアーを目の前に、すぐさま行動を起こした。

 懐から先ほど拾っておいた、地面に落ちていたものを取り出す。

 そして呆然としているウッドベアーを睨みつけた。


 木の鎧で包まれたウッドベアーの体。

 その左顔面、ミリアによってぐちゃぐちゃに潰された右顔面とは違い正常な左の顔。ミュージカルの役者が着けている半分の仮面のような左の顔。

 その中心に小さな穴があった。本当に小さな穴だ。

 いくら木で全身を覆おうが、生物である以上視界は確保しなければならない。

 その視界を確保する為の穴。

 穴の中には小さな光があった。

 暗い森の中において、その光は俺にとって眩しすぎる光だ。


 俺は目の前にあるその光――ウッドベアーの左眼球にミリアの剣の破片を思い切り捻じ込んだ。

 先ほど砕け散り、地面に散乱していたそれを押し込む。

 手の平がズタズタになるが構わず、渾身の力で押し込む。

 無理やり穴の中に捻じ込んだからか、ガリガリと何かを削るような抵抗があり――その後柔らかいものを潰すグチャリとした感覚が手に響いた。


『ガァァァァァッァァァァァァ!?』


 ウッドベアーの咆哮が響く。

 その咆哮は左目に走った痛みによるものか、残った視界が失われた混乱によるものか。

 とにかくウッドベアーは咆哮した。

 咆哮しながら滅茶苦茶に爪を振り回す。

 俺はその爪に当たらないことを神に祈りながら、ミリアの体を抱え、その場から逃げ出した。


 木を薙ぎ倒す音とウッドベアーの咆哮を背にしながら駆ける。

 音と咆哮が聞こえなくなっても走り続けた。

 ひらすらに足を動かし、駆け抜けた。


▼▼▼


 見覚えのある場所――ミリアのキャンプに辿りつき、やっと安堵の息を吐いた。

 毛布の上に血まみれのミリアを寝かせる。


 自分の体を見ると、塞がったはずの皮膚が破れ、そこから大量に出血していた。

 

「……ふー」


 俺はミリアのすぐ側に座り込んだ。


 口に付着していた血――ミリアの血を拭う。

 ミリアを押し倒した時に飲んだ血だ。

 ミリアが負った傷から溢れ出ていた血。湯水のように湧き出るそれを俺は飲んだ。

 その血を使って取り合えずすぐ動けるくらいに傷を治したのだ。

 処女である彼女の血は瞬く間に俺の傷――その外面を治癒した。

 傷自体は殆ど治ってはいない。骨や臓器といった部位を直す暇はなかった。外側を塞いだくらいで、その塞いだ部分もここに辿りつくまでに破れてしまった。


「……ふぅ……さて」


 何とかウッドベアーに殺される危機は脱した。

 俺の傷は深いが、動かなければ時間をかけて治るだろう。

 問題は目の前に眠るミリアだ。


 なおもミリアに意識はなく、その体からは命の燃料、血が止め処なく流れている。

 血は流れ続け、地面に吸い込まれていく。


 このままじゃミリアは――死ぬ。

 傷が深く、急速に血を失いつつあるミリアは間違いなく――死ぬ。


 取り合えず毛布を使って出血部位を覆い、止血する。本来なら清潔な布で行うべきだろうが、ここにそんな物はない。

 茶色い毛布にじわじわと血が染み込んで行く。


「少し借りるな」


 そう言いつつ、ミリアの腰からアイテム袋を取った。

 中身を全てひっくり返す。

 地図、携帯食、コンパス、ボロボロの本……と物が出てきた後、目的の物と思われし物が出てきた。

 

 緑色の粘性の液体が入った小瓶だ。

 道中、ミリアが語った簡単な初心者向け講座の中に、冒険する上で必要不可欠な物、その中に傷を癒すポーションがあったはず。

 恐らくこれがそうだろう。


「一応試すか」


 念のため、小瓶の蓋を開け、一滴を俺の手の甲に垂らした。

 垂れた液体がジュッと蒸発して、手の甲に根性焼きのような跡を残した。

 間違いない。傷を癒す液体……ポーションだ。


 そのポーションをミリアの口に流し込む。


「んぐ――かはっ、げほっ、えほっ……」


 が、嚥下することもできず、全て吐き出してしまった。

 血混じりのポーションが地面を濡らす。


 ならば仕方が無い。

 

 俺はポーションを一気に口に含んだ。

 熱した砂利を口の中に詰め込んだような激痛が走る。

 思わず吐き出しそうになるが、何とか堪え、ミリアに口付けをした。

 そのままミリアの喉の奥にポーションを流し込む。

 ミリアの喉が動いたのを確認してから、口を離した。


 さて、どうだ?

 ミリアの状態を確認する。


「……ダメか」


 瞬く間に傷が塞がる……なんてことはなかった。

 見た感じ、特に変わった様子はない。

 ミリアの傷は変わらず深く、血が止まる様子はない。呼吸も辛そうに荒いままだ。


 ミリアも語っていた筈だ。低級のポーションでは軽い傷を治すくらいしかできないと。

 駆け出しの冒険者であるミリアが致命的な傷を癒すような上級のポーションを持っているはずはない。

 このポーションでは効果が無かったようだ。


「……くそ」


 少しずつ、目の前にある命の灯りが消えていくのを感じる。

 ミリアの命の気配と呼べるものが薄くなっていく。

 叶わない夢に向かい続ける意思を持った少女が死ぬ。ここでその道が途切れてしまう。

 それは世界にとって、そして俺にとって途方も無い損失にように感じた。


 助ける方法は……ある。


 今にも消えそうな彼女の命を救う方法はある。

 死に向かう以外に道はない彼女をこちらに引き戻す方法はあるのだ。

 俺はその方法を持っている。


 だが――心の中の天秤が揺れる。


 助けた方がいい。初めて出会った自分に優しくしてくれた少女。その恩返しをするべきだ。

 彼女の命を救い、彼女が歩む夢への道程を見届けたい、そう思う。


 その一方でこのまま命を失う方が自然なのでは、そう囁く自分も居る。

 確かにその方法を使えば命は助かる。

 だが、そんな方法を使って――人間を捨ててまで彼女は助かりたいと思うだろうか。

 何より命を長らえ人間じゃなくなったことで、人間だった頃の彼女の綺麗な瞳が淀んでしまうのではないか……そんな恐怖を感じる。


 天秤が揺れる。


 俺の迷いを表すかのように、不安定に揺れる。


「……ぁ」


 その時、ミリアの口から小さな声が呟かれた。

 目にわずかだが、光が灯っている。

 ポーションの効果があったのか、ミリアが意識を取り戻した。


「……ぁ、わ、私……どうして……」


「ミリア」


「ハ、イガ……さん? ……ああ、そう、でした。わた、し……ウッドベアーに……」


 虚空に向かって呟くミリア。

 蚊の鳴くような小さな声。

 その声を逃がすまいと、ミリアの口に耳を寄せた。


「ご、ごめ……ごめんなさい、ハイガさん。や、くそく、守れないです。一緒に……ギルドに行って、冒険者に……記憶が戻るまで、一緒にって……やくそく」


「いいんだ。気にするな」


「え、えへへ……やく、そく破ったのに……ハイ、ガさんは優しい、ですね」


 ミリアは笑みを浮かべた。

 俺を元気付けようとしているのか、振り絞るような小さな笑みだ。

 こんなときまで、彼女は俺のことを気にしているらしい。死の間際だというのに。

 声を出すのも苦しいだろうに、彼女は続ける。


「……ハイガ、さん。森を出たら地図を見て……村に……向かってください。アイテム袋の中にある……私のギルドカードを持っていって……ギルドの人に見せたら……ほんの、ちょっとだけですけど、私が貯めてるお金があるから……それをうけとってください。ほ、本当に少しだけでごめんなさいですけど、ハイガさんのこれからのたびに……役立ててください」


「……」


「その……時に、合言葉を求められると……おもい、ます。あい、ことばは――『エミリア』……です」


 小さな途切れがちな言葉を呟くミリアだったが、その合言葉を口したときだけはハッキリと力強い口調だった。

 その表情に憧れと悲しみを乗せて。


「あと……もし、ハイガさんが……わたしの故郷の寄ることが、あったら……その時は……なんでもいいので、かぞくに……わたしの持ち物を渡してください。それから……最後まで頑張ったよって、諦めなかったよってそう言って……くだ……さい。お願い……します」


 伝えるべきことは伝えたのだろう。

 声が徐々に小さくなり、その目から光が失われていった。

 命の光が……消えていく。


「……ざんねん、です。ハイガさん……と一緒に……ぼうけんしゃになって……色んなところへ行って……一緒に……ハイガ……さん、初めて……わたしのゆめを……ありがとう……ハイ、ガ………さん」


 ミリアが俺に向かって弱々しく手を伸ばした。

 その手を掴む。

 冷たい。俺と同じく冷たい手だ。

 世界から消え行く者の――いつ消えてもおかしくない、雪のように冷たい手。

 その手をしっかりと握り締める。


「なあミリア――」


 ミリアの目を見た。

 光が薄れゆく瞳を。


 その瞳の中にある彼女の意思は――こんな状況にあっても決して折れず、曲がらず、変わらないままだった。

 この瞬間も変わらず夢を見つめている。

 自分の命が失われるその瞬間にも、彼女は夢に焦がれている。

 決して諦めてはいない。


 ――その眼を見て俺は決めた。


「なあミリア。――生きたいか?」


 そうミリアに尋ねた。

 悪魔の囁きというのは、こういうものなんだなと。自分で言っておきながらそう思った。

 これから俺は口にするには悪魔の契約だ。

 非道で決して褒められることのない、悪鬼の所業。

 純粋無垢に生きていた人間を、正しい道から踏み外させる悪魔の囁き。


 それでも俺はミリアに生きていて欲しかった。

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