レッドのカツカレー
初めまして、minminと申します。
普段は別サイトで恋姫や孤独のグルメを書いてますが、今回酒を飲む話が書きたくて投稿してみました。初投稿ですのでお手柔らかにお願いします。
ではどうぞ~
跳ぶ。
特に意識して助走はしない。流れのままに、軽く踏み切る。
跳ぶ。
夏らしい見事な晴天の下、風を感じながら跳ぶ。
跳ぶ。跳び移る。ビルからビルへと。
アメリカの蜘蛛男ほど優雅ではないが、俺だって現役のヒーローなのだ。身体能力だけでも真似事はできる。
脚にぐっと力を入れて、高く空へと飛び上がる。
――俺って今最高にクールだ。
などと思っていたのだが。ズボンのポケットに入っているスマホがブルブルと震えだした。左のだから、仕事用だ。俺、今日非番なんだけど。
落下しながらスマホを取り出し画面をチェックする。表示されていたのは、案の定同僚の名前だった。まあ、仕事関係の人間しか登録していないから当たり前ではあるのだが。
ため息を1つ。着地と同時に通話を始める。
「……はい。こちらレッド」
『あ、リーダー?ピンクでーす』
いつも通りの間延びしたゆるい声が聞こえる。
「そんなもん画面見りゃわかる。
何の用だ?知っての通り俺は今日休みなんだが」
『正義の味方に本当の安息の日々は訪れないんですー。
まあ、冗談はさておき緊急です。2丁目の銀行で強盗未遂。失敗に終わりましたが締め出された男が店の前で包丁を片手に女性職員を人質に取ってます』
無計画もいいとこだな。今時包丁で銀行強盗か。
「わかった。すぐに向かう」
その場で直角に向きを変える。
どうやら騒がしい休みになりそうだった。
――どうしてこんなことになったんだろう。
目の前には首筋に包丁の刃を当てられた銀行の女性職員がいる。なんだって交番初勤務の日にこんな事件が起きるのか。彼女は当然だが、自分も泣きそうだ。
――神様。仏様。誰でもいいから助けてください。
犯人に説得を続けている先輩の横で天に向かって祈る。人って、無力感に苛まれた時は自然と上を向いてしまう気がする。
そんなことを思っていると、その天から祈った助けが降ってきた。
「どぅぅぅぅりゃぁぁぁぁああああ!!!!!!」
なんの前触れもなく降ってきたその赤い何かは、その場に居る全員の思考が追いつかない速さで犯人の顔面に直撃した。そのまま跳ね返って着地。俺以外は皆何が起こったのかわからず呆然としている。それでも、自然に視線はその赤へと集まった。
そこにいたのは――真っ赤なコスチュームに見を包んだ、ヒーローとしか言い様がない、多分男だった。
「じゃ、そういうことで」
ビッ!っと切れよく片手を挙げる赤。そして勢いよく跳び上がると、そのまま空に消えていった。
倒れて伸びている犯人と、ポカーンとしているその他の人々。人質にされていた女性も、あまりに突然なことにいつの間にか泣き止んで呆然としていた。
「ほら、確保だ。行くぞ」
一番最初に復帰したらしい先輩が肘で俺の脇腹を小突く。
「あ、は、はい」
それにつられたのか、皆が少しずつのろのろと動き出した。遠巻きに見ていた野次馬もさり、いつもの日常が戻ってくる。
「俺、ヒーロー生で見たの初めてです」
俺がぽつりとそう言うと、先輩はまあそうだろうなあと顎鬚を撫でる。
「四半世紀前ならともかく、今の日本じゃヒーローが必要な大事件はそうそう起きないからなあ。今みたいに人質を安全に救出することはたまにあるが。それ以外は返信せずに皆普通に暮らしてるっていうぞ」
「そうなんですか……」
確かに、アニメや漫画みたいな大事件が度々起こってるようじゃ国家としてはまずいだろう。昔何かで聞いた、正義の味方なんて仕事がないほうがいいに決まっている、という言葉を思い出した。
「さ、無駄口はここまでだ。仕事するぞ」
「はい」
颯爽と現れてすぐに消えていったあのヒーローは、変身を解いた後何をしているのだろう。へたり込んでしまった女性職員を助け起こしながら、ふとそう思った。
「マスター!いつもの!」
いつもより勢いよくドアを開ける。取り付けられている鈴がカラカラと鳴った。その音を聞いてカウンターの向こうでグラスを拭いていたマスターが顔を上げる。今日も口髭がダンディな爺さんだ。
「おや、いらっしゃい。
今日はいつもより遅いね。もう来ないかと思ってたよ」
マスターの言葉に苦笑いしながら手近な椅子を引いてカウンター席に座る。
「ちょっと緊急で一仕事してきてね。それでな」
手際よくカウンター下から豚肉とその他諸々を取り出すマスター。会話をしながらも、その動きには一切淀みがない。
「お前さん、この曜日は毎週休みじゃなかったのか?」
肉を叩き、下味を付つけ、パン粉と卵を用意する。テキパキと料理を進めながらも、客との会話は決して途切れない。いつ来てもすごい人だ。
「戦士には、本当の安息の日々は訪れないのさ」
ピンクの真似をして言ってみる。笑われるかと思ったが、意外や意外、マスターの手が一瞬止まった。この人が料理をする手を一瞬とはいえ止めるとは。そんなにくさかっただろうか。
「……企業戦士、なんて言葉ができたのはいつだったかな。
最近はそういうのは流行らないんだろ?休める日はしっかり休みな」
そう言うと、何事もなかったかのように料理を再開する。定年退職してからこの店を始めたというマスターは、元はバリバリのサラリーマンだったらしい。当時はサービス残業なんて当たり前だったと聞く。それが誇らしいことのように思われていたとも。その頃の記憶を思い出してしまったのかもしれない。
そんなことを考えていると、いつの間にか肉が油からあがっていた。こんがりときつね色になったそれが、サクサクと小気味いい音を立てて切られていく。切り終わり、包丁の上に乗せてから皿へと滑らせる。その上から、ずっとコトコト煮込まれている鍋の中身をかければ……。
「はいよ。
カツカレー、辛口、ルーのみだ。それと中ビンな」
朝から待ち望んでいた品がコトリと置かれた。
「待ってました!」
いそいそと箸を手に取る。
真ん中のカツを、多めのルーの中でたっぷりと泳がせてから……。
「いただきます」
半分に噛み千切る。これを一口で食うなんてもったいない。
少し黒みが強い見た目通りの辛目の味。よくある激辛メニューの辛いだけの辛さじゃなくて、香辛料の効いた旨みのあるピリッとした辛さだ。それを衣がたっぷり吸っていて、豚肉とカレーを見事に融合させている。
――ここで、これだ。
ジョッキにトクトクとビールを注ぐ。一旦止めて泡を立たせてから、静かに注ぎたして……泡の割合は3割。こっちもいただきます。
「ぷはっ」
――昼間っから飲むビール、最っ高。
すかさず空になったジョッキに再びビールを注ぐ。顔がにやけているのが自分でもわかった。きっと傍から見ると気持ち悪いおっさんなんだろうなとは思うが仕方ない。だって旨いんだもん。
「相変わらず美味そうに飲み食いするな。
……これでスプーンで食ってくれたら文句ないんだが」
マスターが調理台の片づけながら苦笑いしていた。
「豚カツは箸だろう。つまみなら尚更だ。
大体、俺はスプーンやフォークで食うつまみっていうのが好きになれなくてね」
俺は種類を問わず酒を嗜むが、親父は日本酒一筋だった。宴会やなんかでも乾杯の時から一人だけ日本酒で、冷奴を箸でちびちびと削って食べていたのを覚えている。
だからなのか、俺はつまみは箸で食べるものと子どもの頃から認識していた。酒を飲む時は自分もいつでも箸だ。
「まあ……言いたいことはわからんでもないが。
うちはカレー屋なんだがなあ」
愚痴られても譲れないものはある。視線をカツカレーに戻すと、マスターも何も言わなかった。
暫く俺が飲み食いする音だけが店内に響く。
いつもの沈黙を破ったのは、珍しくマスターの方だった。
「……さっきの話だがな」
さっきの話?
「言っとくが箸はやめんぞ?」
「そっちじゃない。休める日にしっかり休めって話だ」
なんだ、そっちか。
「それが?」
洗い終わったまな板を立て掛ける。
「俺の若い頃にはサービス残業なんて言葉はなかった。ブラック企業ってのもな。
だが、最近は法律も変わってきた。過労死が社会問題になったし、労災も認められる。お前さんは恵まれた時代にいるんだ。
だから無理はするな。しっかり休め。しっかり休まないと、しっかり働けないんだ」
「……ああ」
もしかすると、マスターの近くにいたのかもしれない。当時は問題にならなかった、過労死というかたちで亡くなった人が。
でも。
「俺は大丈夫だよ。
だってしっかり休み取らないと、ここのカレー食えないだろ?」
俺がそう言うと、マスターはきょとんとした顔をして。それから、すぐに笑顔になった。
「……ああ、そうだな。
じゃんじゃん金を落としてくれよ?」
「んじゃあ、しめのカレーライス!今度は中辛で!」
出てきたカレーは、なんだかいつもより温かかった。
如何でしたでしょうか?
昔父親がカレーのルーのみでビールを飲んでいるのを横目にカレーライスを全掛けでバクバク食っていましたが、今になって父の気持ちがわかりました。笑
感想お待ちしております。